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yochi
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↑2001年10月・鹿屋市の寿北小学校での教育実習風景より

教員免許を小中高取ったはよかったものの、教採一次試験が合格できず・・・。
そんな管理人は、パワハラがはびこる三流○○ック企業で5年半に渡り数々の辛酸をなめた後、招聘された印刷会社のWEB部門で2013年3月に1級ウェブデザイン技能士を取るなど2年間在籍して成長を遂げた後、結構有名な会社に課長職も含め9年弱勤務。
が、定期昇給がなく、頑張り甲斐が無くなったので、教採二次試験4年連続進出と、正規採用の可能性を高めるため、教員免許の追加取得に向けて通信制大学で学んだ果てに、「人物に関する証明書」取得と実地経験の必要性から18年ぶりに臨採教員に復帰。
給料は少し減りましたが、国の宝の子どもたちの育成のため、これまでの経験を活かして頑張ります。
~~所有国家資格~~
【1級ウェブデザイン技能士】
【基本情報技術者】
【2級ファイナンシャル・プランニング技能士(個人資産)】
【乙種危険物取扱者(第4類)】
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2024年01月03日

帰省して姪の進路相談に乗る

新年明けましておめでとうございます。

令和6年が始まって早々、信長の野望シリーズでお世話になる能登畠山氏の領国であった石川県北部の能登地方を中心に、甚大な地震による被害が発生して、大変驚いております。
2013年のGWツーリングで訪れたところでもあっただけに、群発地震の恐ろしさを痛感したところで、被害に遭われた皆様が少しでも早く安心して暮らせることを願っております。
※募金もします。

今年の年始は、えびの市回りで藤川天神に立ち寄り、試験合格のお礼と今年高校受験の生徒たちの合格祈願をして、阿久根・日置両市に立ち寄って墓参しています。
墓参については例年通りですので省略です。

さて、実家に戻っても、特に何もすることがなく、テレビを見て、ダラダラ過ごすだけでしたが、夜9時に妹家族が戻ってきたため、いろいろ近況を聞きました。
何と妹が第三子妊娠中とのことで、「少々高齢出産だな…」と思いつつも、再婚してますので、義弟二号との間の第一子、ということになります。
いやあ、複雑な家庭は、どうも自分には合いません。
一応他人事、ということで、このことはここに記すだけにしておき、写真屋で今年小学校卒業の姪の写真を見た、という話をして、こう見えて意外と顔が広いことを話しますが、どうもピンとこないようです。

そして、自クラスと同じ年齢の姪から、2学期の成績が上がったことについて報告を受け、褒めまくりでした。
父(姪から見て祖父)は褒めない人なので、褒める上に教員をやっている自分の話はよく聞いてくれます。
社会科で4を取ったとのことで、1年前には2だったとは思えないと褒めまくりです。
私がテストによく出るところを教えていたのが良かったのかもしれません。
他にも家庭科が上がったなど、自信を持ってきているのは良いことだと伝えています。

いよいよ来年が高校受験、という話になったところで、どうするか考えているのか、と問うと、特になんもない、とのこと。
教育相談や三者面談で、自クラスの生徒たちと話をしていることから、意外とこの世代は具体的に考える人が少ないのか、と思うところでした。
私が小6~中2でどんなことを考えていたか、話をするも、それでも急には思いつかないところなんでしょう。
なお、総理大臣(⇒生徒会役員?)になること以外の2点(大学教授⇒教員、経営者⇒個人事業[副業])はだいたい実現してきた、という内容で、完璧ではないもののそれなりに、というところでしょうか。
専門性の高さ、資格を持つことが強みになることについて話をしていますが、人の真似ができない領域に到達していくことで、そのまま専門性の高さにつながっていきます。

姪の話からも、特技として人のネットワークに入り込むのが上手いこと(なかなかこのタイプはいないので希少)、そして、そのネットワークから入る情報を組み合わせて新しいものを考えて流行らせること(これは私の小学~中学半ばと似た特徴を持つ)、新しいものに興味を持つこと、などあり、文部科学省が求める人材像とも方向性が合うことを伝えています。
いろいろ考えることが大事であり、誰しも最適解を持ち合わせているわけではないがゆえに、そうした習慣を身につけていることは強みになる、と私はみました。

進学先候補としては地元の高校を挙げていましたが、高校では似た学力の集団、同じことに興味・関心がある集団が集まりやすく、より広く深く学習していくことを考えると、学力相応の学校が良いと話をしています。
成績が上昇傾向にありますので、あわよくば我が母校くらいには入ってほしいと思いつつも、上を目指して競争していくこと、それがその先の就職試験や大学入試などでの選択肢の幅が広がっていくこと、その実現のために勉強していく、といった話をしています。

途中で父が、私にも昔したような話をしていましたが、姪の感覚では理解しにくいと判断し、上記のように分かりやすく、先のことも考えやすく落とし込む内容で伝えています。

結局のところ、社会人になって誰しも稼げる訳ではありません。
データサイエンティストのような仕事は数学が得意であり、プログラミングの技能も要求され、必要に応じてログの採取のスキルも必要です。
本が好き、と言っていましたが、司書は正規での採用は競争が激しく、非正規雇用が今や半分を超えている実態もあります。
私も、IT系に転向したのが社会人5年目のことであり、そこからの積み重ね16年で今に至っています。
自己実現を図るのが大切ではあるものの、精神的に豊かでも物理的に貧しいのもまた問題です。

姪はまた会いたがってましたので、春に時間が取れれば続きをしたいところです。  

Posted by yochi at 20:52Comments(0)近況

2023年10月06日

苦節22年、ついにあの試験に合格する

現在教職に就くこの私、この職を志したのは小学校4年生になる直前の春休みまでさかのぼる。
今は無き学習雑誌「小学3年生」の付録で、地図記号カードが付いており、これを使って近所の子どもたち(妹を含む)を4名集めて地図記号クイズをやってみると、なぜか間違うと全員ムキになったのである。
これが面白いと、教える面白さに開眼することにつながった。

その後、小学校のお楽しみ会でも折に触れてクイズを出すようになり、いつしか「物知り博士」と周囲から思われるようになっていた。
まあ、中学校1年生の文集では「大学教授」を目指すなんてたいそうなことを書いてしまったが、家計にゆとりがあって大学院にいけたら、それも可能になるほど、大学入試模試の地理で偏差値90を取ったことがある。

知識面でも後押しを受けて、大学では教育学部に進み、ここまで志望校選択でやらかしたこと(高校入試)、理系・文系選択でやらかしたこと(大学入試等)を除けば、一切不合格なし・浪人なしのストレートで進んでくることができた。

大学2年の終わりに事件が起きる。
「金融恐慌」と現代に記録が残る不況下、自営業の父の収入が減り、大学の学費が払えない事態に陥ったのである。
結局学費未納で除籍処分を受けてしまうが、「3年」次の前期履修登録で大学に向かい、履修登録できない旨告げられ(そりゃそうだ、除籍されちゃ)、ちょうど履修登録で大学に来ていた友人が事態を聞き、動いた。
私自身も所属するゼミの教授の下を訪ね、事情を話すと、なんと教授が大学当局に働きかけて、教授が未納分の学費を立て替えることで除籍を解くこととなった。

無論、私は社会人になってから立て替えていただいた学費を返納した次第であったが、後年、教授が退官することとなり、そのお祝いの場でこの時の恩についてスピーチするが、大号泣であった。
この文章を読んでいるわが生徒たちよ、私が黒板の前に立てているのはこの恩師あってのこと。
恩師がいなくても、もう一方のゼミの教授も助けてくれた旨、話していただき、ありがたいことであった(教授同士は不仲なようで「あの男がねえ・・・」みたいな感じで驚かれていたが)。

大学3年次からの学費は、成績良好であったことから、大学当局のアドバイスに基づき、申請の上で授業料免除で通えることが認められ、幸運にも卒業まで在籍することができた。
が、生活費は経済的に困窮している父に頼るわけにはいかないので、自分のアルバイトで全てを賄っていた。
公民的分野の授業で触れたが、現代は18歳成年となっており、ローンを組むのは18歳で可能である。
が、20歳成年の時は、20歳未満でローンを組む場合は保護者の許可と署名・押印が必要で、面倒だったのだ。
ゆえに、20歳になってから原付運転免許を取りに行き、免許を取ってからバイク屋で原付を買い、自分の責任でローンを組んだ。
22歳の秋に自動車&中型二輪の運転免許も取りに行くが、この時もローンを組んだ。
いきなり無謀なローンを組むのは感心しないので、計画性と返済能力を考えてやるのが賢明である。

しかし、アルバイトというものも考え物である。
今日から宮崎県の最低賃金が897円になったが、学業よりも生計優先になると、夏休みの集中講義が受けにくい状況も出てくる。
そのせいで、高校公民科の教員免許取得に必要な単位が4単位だけ不足してしまったのだ。
今では毎年受講できるそうだが、往時は隔年開講で、無理だった。
しかも、高校地歴科の教員免許取得に必要な単位も2単位不足し、小中免許だけで社会人になるのはもったいない、そう考えて、当時一足先に社会人になっていた妹に土下座して、数万円借り入れて、就職とともに科目等履修生として2単位を取るために大学に通う。
が、前期で取得失敗し、後期でやっとこさ取得できた。
そのため、私の教員免許は小中が大学卒業日に、高校地歴は翌年度末がそれぞれ取得日となっている。

若かりし頃は、一次試験で落ちる状況が続き、挫折した。
有名人二人を輩出した中学校で勤務したこともあったが、忙しすぎる上に生活がカツカツで書類の準備に充てる暇もなく、民間企業で18年働くことになる。
学生時代にサークルの後輩から教わったHTMLを趣味の個人サイトづくりに生かし、そこからWEB制作職に転じ、エンジニアとなり、プレイング・マネージャーの課長となり、不安定な20代から脱却し、安定した30代を送った。
が、年商3億円弱の部門の仕事をやっているのに、給料上がらんのはおかしい、そこから若かりし頃の目標に戻る動きに変わっていく。

一次試験に合格できるようになり、大学卒業と同時に中学教員になった同期が在学中に取得していた資格を取ろうと思い立ち、15年ぶりに科目等履修生になる
夏の集中講義を、毎晩仕事が終わって帰宅してからヘッドフォンを耳に当てて聞くのも、新しい発見があって面白いと、学ぶ楽しさに開眼したところで、若かりし頃の残り仕事である、高校公民科の教員免許取得に不足する4単位を取ろうと、大学の通信制課程に入る。
が、教育職員免許法は、概ね10年おきに改正されるので、4単位どころで済まなくなっていた。
8単位に倍増していたのだ。

が、集中講義で10単位取れた自分ならできると、受けてみるが、取得できたのは教科教育法のみ
専門科目は残念ながら現時点でも未取得のままである。

並行して、民間企業で培った経験を活かそうと、高校情報科の教員免許取得に挑戦する。
24単位取る上、実習もあるので、30万円近くかかったが、なんと1年かからずに無事終了。
取得要件の一つが「人物に関する証明書」の取得であるため、民間企業を辞して教職に18年ぶりに復帰。
校長から「人物に関する証明書」を発行していただき、高校の複数免許取得に成功したのである。

そして今年。
ついにあの試験に合格できたのである。
初受験から22年かかったが、これまでの道のりが結実した。

これだけは今言える。
「流した汗はウソをつかない」。
努力とは、実るものである(某予備校の回し者っぽい・・・)。

「夢・目標を持て」、この言葉は私が高校3年生の時に新聞の読者欄に投稿した言葉である。
これを、まだ目指すものがない全ての若者たちに送りたい。  

Posted by yochi at 21:53Comments(0)真面目に一筆

2023年08月18日

最低賃金が897円に上がって起こること

本ブログが謎のランキング11位に入ったタイミングでこの記事を書いています。

早ければ(異議申し立て等があると遅れるため)10月6日より南九州2県の最低賃金が897円となることが決まりました。
九州では福岡県が941円、佐賀県が900円、大分県が899円、長崎県と熊本県が898円ですので、北の方が高い状況になりますが、私がアルバイトを始めた1998年の最低賃金は579円でした。
54.9%増えたのは素直にうれしいものですが、あの時代の安月給15万円の日給が6,000円でした(15万÷25日)。
8時間労働で時給換算ですと750円になりますから、897円になると、最低日給(8時間の場合)は7,176円になります。
最低賃金の上昇は、日給の底上げにもつながります。

ただ、基本給の上昇とは必ずしもイコールではありません。
以前勤務していたブ○ック企業では、基本給が15万円で、それに役職・成果報酬手当と時間外労働手当(いわゆる見込み残業代)が上乗せされて2x万円でした。
時間外労働手当を除く支給額が最低賃金を上回っていれば違法にはなりませんので、辞めた時の退職金が22.5万円(基本給×1.5、勤続年数無視)で絶句でした。
ゆえにブ○ック企業呼ばわりしている次第ですが。

ハローワークでこの企業の求人を見てみると、今は総支給が28万円に上がっています。
私はこの額未満で課長職に就いていた次第で、なかなかひどい扱いですね、教員になって良かったと率直に思います。
18時半出勤、翌4時退勤なんて日程もありましたから、宿泊体験学習・修学旅行の引率以外で夜勤が無いのは良いものです。

低賃金の企業から高賃金の仕事への移動も増えてくるでしょうし、生徒たちが将来アルバイトする時にも同じ仕事でより多く稼げることにつながり、稼ぐ楽しみが見つかると将来の展望も変わってくることでしょう。
来年は900円台も視野に入ってきますし、仮に1,000円になると最低日給(8時間の場合)も8,000円になります。
まだまだ乖離がありますし、「同一労働同一賃金」の実現には程遠い面もあります。
何はともあれ、人手不足が続くうちはこの傾向が変わることはありませんので、経済状況の推移に注目です。  

Posted by yochi at 19:34Comments(0)政治・経済持論

2023年07月23日

所用で中部地方へ行く

3月に計画していた用事を片付けるべく、2023年7月21日に2年ぶりに中部国際空港に降り立ち、そのまま金山総合駅へ向かい、ホテルで一泊。
翌日、岐阜駅に向かい、バスに乗り換えて用事の会場へ移動し、昼前に終了。
帰りが大混雑のため、炎天下バス停を求めて移動し、目の前でバス3台が相次いで出発していく状態で、待つこと20分、立ったままバスに乗り込み、名鉄岐阜駅へ向かいます。

普通列車に乗り込んで、とある駅で下車するも、駅舎に向かう踏切を若い女性が無理やり通り抜け、「すみません」と言って運転士に話しかけます。
が、上り列車に乗るようで、こちらとしては駅舎に向かう時間がロスとなり、折り返しの上り列車に間に合わない事態になりました。
駅舎の写真を撮って、しばしホームのベンチに腰掛けて電車を待ちます。
父と息子の親子連れ、若いカップルが相次いで駅に来て、地元の駅との違いや名古屋大都市圏の公共交通機関の充実ぶりに感服したところで、電車に乗り込み、再び岐阜駅に戻りますが、梅雨明け後のカラっとした暑さが印象的でした。

黄金の信長像

岐阜駅前で織田信長の黄金の信長像を見た後、大垣駅に向かいます。
用事を済ませた後恒例の、鉄道乗りつぶし旅の始まりです。
今回は、夜に空港にいればいいので、反時計回りにローカル鉄道を乗ることにします。
大垣駅ですと、樽見鉄道と養老鉄道がありますが、今回は養老鉄道を乗りつぶすことにしました。

まずは揖斐駅に向かいますが、すごく縦揺れします。
揖斐駅
帰りの切符を買い、写真を撮って折り返します。
乗る前に飲み物を口にしていたのですが、吐きたくなるほど、気持ち悪い縦揺れです。
鉄道旅を長年やってますが、こんな感覚になるのは初めてのことです。

大垣駅で桑名方面に乗り換えますが、こちらは快適です。
先日ブラタモリでも見た濃尾平野の風景が一望できて、自然と都市と産業を感じることができました。

桑名駅では近鉄の駅のそばに養老鉄道の駅がありますので、乗り換えを考慮した結果、近鉄線に乗り換えます。
近鉄線は、2013年5月5日に、津駅から宇治山田駅まで乗車したことがあり、桑名~近鉄名古屋間の乗車は初めてです。
JR以外で名阪間を結ぶ私鉄の存在は、それだけ旅客需要が高いことを示唆している次第ですが、JR線の方が運賃は安いので、乗り換えを考慮しなければそちらに乗ろうとも思ったものの、致し方なしです。

近鉄名古屋駅から名鉄名古屋駅の乗り換えは楽で、降車ホームの頭端部に乗り換え口があるため、ほんの数分で移動できます。
三重県方面から中部国際空港へ向かう場合には有力な選択肢です。
中部国際空港で2年ぶりに牛たんを食べ、物価のすごい上がりぶり以上に変わらぬおいしさに満足しつつ、宮崎へ戻ります。
帰ったら生徒指導の先生から祭りの見回りの件で留守電が入っていましたが、21時を過ぎていましたので無理でした。

状況によってはまた行くこともありますので、何はともあれ思う存分時間を過ごせた1日でした。  


Posted by yochi at 14:11Comments(0)旅行記

2023年07月09日

久々にあごぱん氏の絵を買う

今日は所用で鹿児島に舞い戻っておりました。
不慣れな用事を済ませた後、株主優待券を保有するビックカメラは鹿児島中央駅店に向かい、画質がフレスコ画のキリストの修復失敗状態に陥ったプリンタの買い替え手続きを済ませ、その足で向かうは山形屋。

山形屋の駐車場に車で向かったのは意外と初めてです。
が、車高が高いという理由で地域振興公社駐車場へ回され、そこから徒歩で向かいます。
似たようなことは昨年もあったため、さほど文句を言うこともなく山形屋に近づくと、先の衆院選で落選した元議員の街頭演説が行われていました。
当方の目的地でもなく、他県民なので丁重にビラの受け取りをお断りして山形屋に入ります。

小5からたまに来ていたこともあって移動はスムーズに、3号館の画廊に到着です。
18日まで大学同期のパンダ絵師・あごぱん氏が「あごぱん絵画展『おめでたい夏』」を開いているということで、2015年に購入したX万円程度なら予算もあるから久々だし買おう、という動機です。
私が学生時代に家まで行ったことがある人はごく数人で、彼もその一人です。(逆に我が家に来る人の方が多い)

会場ではひとまずバレずに潜入成功、反時計回りに作品を見ていきますが、年を追うごとにいい作品と思うものが増えています。
絵師として成熟してきたことの裏返しだと思いつつ、値札を見て「値が上がってるな…」と、そのまま帰るかどうか悩み始めます。
2桁万円がほとんどで、私の普段のお金の使い方からすると結構なチャレンジャー状態です。
今年の冬で四半世紀になるロフトベッドの買い替えもしたいところですし、度が少し合わなくなってきているメガネのレンズの交換もしたいところで、2桁万円はそれらをするのと同等の支出になります。

一通り見終わっても気付かれないので、一旦出て、しかし、次があるのかどうか、ととっさに思案した結果、せっかくだし買っていくか、と決断、彼に会って近況について話します。
彼は教員に戻ったことに驚いていましたが、私は彼が鹿大からほど近いところに転居していたことに驚きました。
お互い大学に関係があることに「原点回帰」したことに合点しつつ、山形屋に就職した同期がいたことの話に触れて、宮崎でもやってくれと多少の無茶ぶりをして、11万円の絵を購入します。
ここで消費税1万円相当が痛いですが、仕方ありません。

どの絵を買ったかはここでは見せられませんが、会期末まで展示されますので、近くにお立ち寄りの際はいろいろと見てやってください。
まあ、自分は乗り物好きですので、そういうものが描かれた絵を購入しています。
なお、帰り道では、謎のカーエアコンの故障が発生し、カーディーラーに電話の嵐でしたが、結局オートを解除してマニュアルでやったら、普通に冷気が出てきて車内での蒸し風呂状態は解消されました。
内気循環がおかしかったのかもしれません。  


Posted by yochi at 20:04Comments(0)近況

2023年04月30日

学担をやり、教科担をやり、部活顧問まで引き受けた初めの1月。

今日で令和5年の4月も終わりですが、年度初めから学校で働くのは、人生初だったりします。
これまで野球の投手で言えば「中継ぎ」や「リリーフ」なら経験してきたところですが、今は以下の役回りをしています。

●学級担任
●教科担任
●部活顧問

学級担任ですから、家庭訪問みたいなものもあり、保護者全員と話をしており、今のところ完全不登校者はおりません。
「個性的な集団」と他の先生をして言わしめる学級で、授業中は集中して受ける一方でわーわーしゃべることもありますが、あーせいこーせいと都度言うことはなく、今日の目標の達成を介して、年初に立てた私の学級経営方針と生徒たちが立てた学級目標を全員が意識して「自主的」に動くことを重んじています。

生徒たちが何人かでも管理主義で動けるようになるとよりいいのですが、これはこれでいい芽を摘む可能性がある弊害もありますので、集団生活を営む上で欠かせないルールがあることを意識することの徹底に力を入れています。

教科担歴は2年目となり、前年に復帰したものも使えるので、準備関係は少し楽になっています。
がしかし、今年から技術科の指導も加わっており、一応副教材があるのでこちらを進めながらやるわけですが、コンピュータの実技も入ってきますので、テストプログラムを作っておく必要があります。
WEBを組むことは余裕ですが、個々で構築する環境を作るのはネットワークの制約があるため、難しいものがあります。
ローカルで「XAMPP」を動かすにしても、各学級毎となると置き換えが必要になりますので、分割・集団化による機器制限を設けるしかないかと思案しています。

部活顧問については、以前勤務していた学校で副顧問として、顧問が不在の際の練習の様子の観察をしていましたが、現職では正顧問につき、外部指導者に実技をお願いしつつ、書類作成・申請・管理といった事務やスケジュール管理をしていますが、当然練習も時間が空いたら見ています。
今年は入部者が多く、昨日練習試合で1年生同士の対戦を組んでみましたが、レギュラー陣が見飽きてしまうほどの圧勝でした。
そのレギュラー陣は勝利できなかったものの、いい刺激を受けたようです。
客観的に見るのはいいことで、3年生引退後も選手層は厚いため、先々が楽しみです。

いよいよ5月、面白くするしかけも時折織り交ぜながら、全員が学びに向かえる学級運営を心がけます。  

Posted by yochi at 15:10Comments(0)学校勤務