今週から自部署に自分だけという状況となり、昨日からは新方針を外部から招いたコンサルから提示され、それに従って行動を始めています。
自社内でWebができる人間が自分だけ、ということで、バックアップ体制として、外部に必要な情報を開示し、既存受注分でない新規受注分については原則自分はノータッチ、ということになるようです。
まあ、一部の人間に業務集中するリスクを考えればそういう体制を取る、という点はよく分かります。
非常時ということで、1級ウェブデザイン技能士なのにあれこれやらなくていいのも、能力不足由来ではない、と開き直っていくしかありません。
って、主任務は既存作業維持と既存受注分の打ち合わせ、それと自社運営ポータルサイトの営業・管理・システム全般です。
ノルマは専ら自社運営ポータルサイトに比重が置かれていて、こちらの方でいろいろと動いています。
最近は運転することがほぼ無かった車も乗り始め、今朝は桜島の降灰に、初めてワイパーから水を出してフロントガラスをすっきりさせました。
まだ今年は終わっていませんが、既に激変の年として私の記憶に残りそうな状態です。
今日未明も、二夜連続で真夜中に目が覚めています。
会社環境やDQN帰還に見舞われた自宅のみならず、「風立ちぬ」鑑賞で受けた分も含めた精神的ダメージが癒えていないことを示唆していますが、寝れない中、いろいろと思い返してみると、どうも激変の10年周期に差し掛かっていることに気付きました。
「激変の10年周期」とは、1993年、2003年と10年おきに自分の半生上重大な環境の変化が生じたものを指します。
1993年は転校、自転車乗車中のトラック背面追突事故、長引く冷夏、米騒動。
2003年は初の転職、夏期講習中の往復100km(鹿児島~川内間)通勤、最低賃金以下の処遇に激怒しての退社&残業代請求、尾道市向島でのバイク転倒事故(濡れた下り坂)、臨採教員採用、直後に祖父逝去といった流れです。なお、教員採用中の翌2004年には1週間のうちにインフルエンザ→テレビ故障(買い替え)→病み上がりバイク転倒事故のコンボも起きており、この時は新田神社で厄払いをしていました。
今年2013年については、逆走車回避による閑静過ぎる住宅地でのバイク転倒事故、同僚2名退社、相次ぐ故障&修理&交換(バイク「エンジン、バッテリー、前タイヤ」、パソコン、ビデオカメラ、UPSバッテリーなど)での収支バランス崩壊、職場での環境激変(研究開発に専ら時間を避けていたのが、前述のとおり営業活動関係の比重が高まる、給料カットなど)と、こりゃ9年ぶりに厄払いに行くしかない、と思うようになっています。
今年と過去2回に共通するのが交通事故、学校・職場環境の激変で、昨日のコンサルから指針が出されるまでは、お払い箱も有り得ると、戦意喪失状態でした。
まあ、徐々に落ち着きを取り戻しつつあるように思いますので、職責をひたすら全うしていくのみです。
人生のいろいろな峠を登っては下りてきましたが、思い詰め過ぎないようにして、目の前の状況をあるがまま受け止めていくことも必要です。
前職の壮絶な経験が生きているのがせめてもの救いです。