飛んで飛んで、根室で眠ろう…第四回北海道旅行初日(9/27-28)

yochi

2019年10月06日 20:35

消費税も10%に上がり、桜島フェリーに垂水フェリーもそれぞれ値上げしており、普段口にする食料品は税率据え置きとは言え、いきなりステーキに行ったら10%を目の当たりにして外食業界は影響を受けそうだと思うこの10月。
そうなる前に尿路結石で得た保険金を増税前のうちに北海道旅行の前倒しに充て、4度目の旅となりました。
第一回が2015年9月でしたから、早いものです。

というわけで、今回の旅の行程ですが、金曜日のうちに鹿児島を出立、羽田空港から宇都宮まで移動して友人宅で一泊。
翌日東北本線をひたすら乗りまくり、仙台空港から新千歳まで飛び、さらに中標津空港まで飛んで最後空港バスで根室で一泊。
北海道滞在2日目は最東端の納沙布岬に行き、釧路で友人と別れて札幌で一泊。
最終日は留萌に行って、旭川空港から羽田空港経由で帰宅というものでした。
昨年は飛行機が欠航してドえらい目に遭いましたが、今回は数分の遅延はあったものの、交通トラブルに見舞われずに済み、安堵しています。


それでは、鹿児島出立から根室で寝るまでについて記します。

仕事を定時に終えて帰宅し、着替えて荷造り済の荷物を持って市街地を移動するも、予想外に渋滞しており、脱出に10分手間取る展開でした。
空港には20時前に着き、荷物を預けるのは早かったものの、保安検査場が通過に10分程度かかる予想外の展開に。
まあ何とか搭乗口が近かった上、すぐに搭乗案内が始まっており、スムーズに搭乗して定時出発。
ちなみに、この日の日中は飛行機がそこそこディレイしていたので、会社のパソコンを見ながら搭乗便が定刻なのかどうかやきもきしていたものの、何とかなりました。

宇都宮着が深夜1時過ぎなので、飛行機の中で寝て過ごしますが、隣の席のカップルの彼氏の口臭がすさまじく、時折苦悶の状況でした。
彼女さんよ、注意してやってくれと半ばあきらめつつ、羽田空港に22時過ぎに到着。
荷物の受け取りが遅い方になり、36分に手荷物受取場を後にして空港バス乗り場で乗車券を購入します。
実は、ここまでは2014年の東北周遊鉄道旅行と全く同じ展開ですが、違うのが東北周遊鉄道旅行では鹿児島空港を飛び立った時間が21時半だったため、空港バスは出てしまっており、乗り継ぎで春日部まで行くので精一杯でした。
今回は、急行列車ができているため、終電で行ける範囲が南栗橋まで拡大出来ていたものの、空港バスに乗れたため事なきを得ています。

というわけで、初めての羽田空港からの空港バスに乗り込み、宇都宮に向かいます。
ちなみに、TransportFeverのマップ制作でちょうど首都圏の河川加工作業をやっていたため、まさか荒川に沿って行くとは知らずに乗ってましたが、早くマップ制作を片付けたいところです。

冷房が効きすぎて寒い中、半分寝つつ宇都宮駅西口に定刻の1:05に到着。
愛知県から移った友人に連絡を取り、お約束の空キックをかましつつ、途中コンビニで朝食と飲料を買って就寝は2時前。
これも飛行機とバスで仮眠を取っていたから可能であり、これが満員電車であれば仮眠時間は削られていたことでしょう。
直行できるバスや交通機関は大変便利です。

翌日は6時前に起床。
身支度を整え、パンを食べて友人宅を6:40に出発。
歩いて最寄り駅まで移動します。
駅の指定席券売機に老夫婦が張り付いていたので、1分少々待って事前にえきねっとで予約しておいた切符を8件分出力します。
1回で5件分までのため、2回操作して無事に終了です。

東北本線下り列車に乗り込むも、着席できず、いきなり立席になりましたが、名鉄の時もこんなものでしたので、しばらく進むと矢板駅で座ることができました。
時刻表を眺めると、那須塩原駅を出る東北新幹線やまびこ号に乗り換えると、仙台駅に9時過ぎに着くらしかったのですが、今回は旅程通りにひたすら普通列車を乗り換えていきます。

黒磯駅で常磐線で乗車した交直流電車に乗り換えて新白河駅まで、ここでは立席になったものの次の白河駅で大半が下車して再び座れましたが、駅前の小峰城下ではグルメ屋台が出ており、ついつい途中下車したくなったものの、耐えて先に進みます。
2014年の東北周遊鉄道旅行で会津若松に向かう際に今は無きあいづライナーに乗り換えた郡山駅で乗り換えですが、そのまま続行運転されるらしく下車することなく福島駅へ。
福島駅では待ち時間が20分くらいあったため、トイレ休憩を兼ねて途中下車することに。
友人が今年の春まで住んでいた愛知県知立市や隣接する刈谷市の北部は江戸時代福島藩の飛び地だったこともあり、重原陣屋跡に「是より東福島領」と書かれた石碑が今も立っています。
・・・それを見に行ったのが24時前だったのはアレですが、元知立市民が福島藩のあった本拠地にいるのは面白いとその時の私は思いました。
駅前は歩行者天国になっており、福島県各地は祭りが多いのかと何も知らない部外者は思いました。

再び改札口を通って快速仙台シティラビット3号に乗り込み、仙台空港アクセス線との乗換駅となる名取駅まで移動します。
ここまでの移動で5時間近くかかっていますが、一旦改札口を出て切符を回収させ、自分はSuicaにチャージして改札を通り、友人は410円の切符を買って改札を通ります。
仙台空港アクセス線の列車は2両編成で、当然車内は混んでいます。
鹿児島市と近隣市を結ぶ路線ならともかく、政令指定都市と連絡する列車にして2両は少々短い気がします。

先頭部から眺める高架橋の東日本大震災の影響を受けた痕跡を見ているうちに列車は地下を通って滑走路をくぐり、仙台空港に定刻に到着。
鉄道で移動できる空港は便利なものだと実感しつつ、今回初めて乗るピーチのチェックイン機の列に陣取ります。
友人と2人分で、荷物を預けるところで少してこずるも、無事に終了して、仙台名物を食べようと、おそばと丼物のセットに牛タン単品を注文。
牛タン定食を選んだ友人ともども大満足し、土産品コーナーで伊佐市の友人からか○たどんの類似品と聞かされている仙台銘菓萩の月と、仙台名物ずんだ餅を購入。
どんな感じなのかは帰宅してからのお楽しみとして、保安検査場を無事に通過。
今回の飛行機での移動については、友人も窓側席にするため座席は前後別となっており、機内ではイヤーパフを着用。
音をさほど気にせずに寝ています。
実際、お昼を食べた後は昼寝しやすいもので、少々寝てました。

新千歳空港に着き、向かうは手荷物受取場。
大手キャリアやAirDo、ソラシドエアの場合は目的地まで荷物を預けたままで移動できますが、LCCはそれが不可です。
ま、新千歳空港には今回の旅程で寄るのが往路のみのため、土産を買うのもこのタイミングしかなく、少々面倒だと友人と話しつつ出発ターミナル前のお土産コーナーまで移動します。
第1回からお世話になっているお土産屋で前回洞爺湖のくだりで土下座してお詫びしたいお菓子屋のおばちゃんは今回いなかったものの、別のおばちゃんがおり、友人がまだ有珠山噴火で崩壊した菓子工場のお菓子をまだ食べてなかったこともあり、案内しておきました。
無論、私も前回買ったものと同じものを購入し、おばちゃん2号はありがとうと言ってましたが、前回の経験は今でも私自身への戒めとして強く心に残っています。
なお、荷物が多くなるため、宅配便代を払って土産は自宅へ届けました。
担当してくれたのが卓球の石川佳純選手似の美人さんでした。

搭乗までまだ時間があるので、前回お世話になった松尾ジンギスカンの当たりへ友人を連れていき、新千歳空港の飲食コーナーの充実ぶりを見せた後、雪印パーラーでソフトクリームを食べます。
その後手荷物自動預け機に荷物を預けるも、友人がトラブり、残り30分に。
保安検査場は真ん中を選択してしまった為、だいぶ時間がかかってしまい、しかも中標津空港行きなので、搭乗口は北の端の方になり、北の検査場を通ればスムーズだったようで失敗でした。

結果、最後の乗客の2人として飛行機への連絡バスに乗り込む羽目になりましたが、ギリギリでした。
貨物ターミナル右横の駐機場から飛行機に乗り込み、ここから新得駅までが未踏の地を行きます。
第2回で稚内に行った時以来のボンバルディア機で日高山脈や帯広市上空、朝ドラの舞台らしきところを通って日没が迫る中中標津空港に着陸。
手荷物受取場で荷物を回収して、ロシア人家族が空港バス乗車券を購入するのを見届けてから根室までの乗車券を購入します。
すっかり日も暮れたため半分寝ながらの移動ですが、かつては並走して標津線が通っていました。
その標津線と接続していた根室線の厚床駅を経由してバスは根室市街へ。
友人はドラゴンクエストウォークでひたすら遊んでいます。
歩かないのに何やってんだと思いつつ、宿泊するホテルそばのバス停で下車。

道路を横断し、根室高校の同窓会が行われているらしくその関係者が数人いる中をチェックイン。
予約時で喫煙の部屋しか無かったため禁煙があるかどうか尋ねたところ空きがあるとのことで、禁煙の角部屋になり、久々のツイン宿泊。
すぐにレストランに移動して名物のエスカロップを頂きます。
ビール1杯付きで、友人との話が盛り上がってしまい、両手でリアクションしたら乾杯前に全量こぼす最悪な展開に。
追加料金払いますのでと伝えるも、翌朝のチェックアウト時になんと無請求という神対応に、私はイーストハーバーホテルさんに感謝しかないです。
不手際を起こしてしまい、大変申し訳ございませんでした。
何はともあれ、仕切り直しで乾杯した後はまたジョッキを倒さないよう早めに飲み干し、エスカロップもおいしくいただき、有料放送カードを部屋番号を打ち込んで買う時代になったことに驚きつつ、友人とAV談議に花を咲かせたのでありました。

移動距離が長い分、疲労蓄積は今年もすごいものがあり、21時過ぎには就寝してました。
(1日目終わり)

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