2017年01月21日
昼飯を買って戻ってみたら猫の襲撃を受ける!
部下が今月初めに退社してからというものの、元職、前職と同じパターンにて、2人→1人はしんどいなと思う日々が続いています。
まあ、単純に2倍ですから、もはや限界があるというものです。
過去4度経験していますので、久々にやってきたか、と思うところですが、こうならないことを願って転籍してきた経緯がありますので、今年はまた次の企業へ移るかもしれません。
そう考えるのもいくつか理由があり、冒頭で書いたように1人で仕事をするのは、ただの作業処理係と同じで、与えられた仕事を淡々とこなせばいい人には向いておりますが、私のように新たな技術や技能を磨いてより高いレベルの仕事をしたいと考える人間には、苦痛でしかありません。
そのあたりの動きについては、機会を改めて記すことにして、今日の昼休みの出来事です。
コンビニへ昼食を買いに出かけ、信号に止まらずにスムーズにコンビニに着くのは珍しいこともあるものだと気を良くして戻り、さて昼ご飯を食べようと車の中で支度していたら、車のボンネットに何かが乗った音がしたため目を向けると、首輪の付いた飼い猫と思しき猫が1匹、そこにいました。
「なぬっ!猫の襲撃か!?」
私は大の猫好きですが、昼ご飯を食べようとして猫がやって来る展開は、過去一度もありません。
猫はフロントガラス越しに私の方を見て、「ニャー」と鳴き声をあげています。
・・・完全に昼飯狙いなのか、この猫は?
そう思っていると、フロントガラスの上を歩いてボンネット上に出て「ニャー」と鳴いています。
1匹に襲撃されているので気が楽ですが、集団の猫だったらちょっとしたホラー映画級の怖さです。
ひとまず落ち着いてご飯を食べ始めますが、しばらくすると猫が下りてきました。

上の写真は、慌ててスマホで撮影したものですが、顔を見事にファインダーからそむけています。
「ニャー」と鳴きつつ、今度は車内に入ろうと、ミラーの上へ。



・・・窓ガラスは、昼ご飯の後、拭こうと思っていたのですが、その前に猫の襲撃を受けてしまったため、汚い点につきましてご容赦くださいm__m
完全に昼飯狙いと見て、今後毎日猫に襲撃されないようにするべく、猫好きなのを捨てて敢えてひたすら食べます。
子供の頃の私なら、100%何かおかずの一部をあげていると思います。
しかし、猫と親しくなりすぎても、家で飼えませんし、知らずにひき殺してしまう可能性もありますし、猫のためになりません。
そう考えて待つこと2分。ようやく観念したか、三度ボンネット上に移った猫は、そのまま道に降り、近所の家の敷地内へ消えて行ってしまいました。
人に慣れている飼い猫だからこそ、こんなことをしてくれると思いますが、ちょっと和む冬の晴れた日のひとときでした。
まあ、単純に2倍ですから、もはや限界があるというものです。
過去4度経験していますので、久々にやってきたか、と思うところですが、こうならないことを願って転籍してきた経緯がありますので、今年はまた次の企業へ移るかもしれません。
そう考えるのもいくつか理由があり、冒頭で書いたように1人で仕事をするのは、ただの作業処理係と同じで、与えられた仕事を淡々とこなせばいい人には向いておりますが、私のように新たな技術や技能を磨いてより高いレベルの仕事をしたいと考える人間には、苦痛でしかありません。
そのあたりの動きについては、機会を改めて記すことにして、今日の昼休みの出来事です。
コンビニへ昼食を買いに出かけ、信号に止まらずにスムーズにコンビニに着くのは珍しいこともあるものだと気を良くして戻り、さて昼ご飯を食べようと車の中で支度していたら、車のボンネットに何かが乗った音がしたため目を向けると、首輪の付いた飼い猫と思しき猫が1匹、そこにいました。
「なぬっ!猫の襲撃か!?」
私は大の猫好きですが、昼ご飯を食べようとして猫がやって来る展開は、過去一度もありません。
猫はフロントガラス越しに私の方を見て、「ニャー」と鳴き声をあげています。
・・・完全に昼飯狙いなのか、この猫は?
そう思っていると、フロントガラスの上を歩いてボンネット上に出て「ニャー」と鳴いています。
1匹に襲撃されているので気が楽ですが、集団の猫だったらちょっとしたホラー映画級の怖さです。
ひとまず落ち着いてご飯を食べ始めますが、しばらくすると猫が下りてきました。

上の写真は、慌ててスマホで撮影したものですが、顔を見事にファインダーからそむけています。
「ニャー」と鳴きつつ、今度は車内に入ろうと、ミラーの上へ。



・・・窓ガラスは、昼ご飯の後、拭こうと思っていたのですが、その前に猫の襲撃を受けてしまったため、汚い点につきましてご容赦くださいm__m
完全に昼飯狙いと見て、今後毎日猫に襲撃されないようにするべく、猫好きなのを捨てて敢えてひたすら食べます。
子供の頃の私なら、100%何かおかずの一部をあげていると思います。
しかし、猫と親しくなりすぎても、家で飼えませんし、知らずにひき殺してしまう可能性もありますし、猫のためになりません。
そう考えて待つこと2分。ようやく観念したか、三度ボンネット上に移った猫は、そのまま道に降り、近所の家の敷地内へ消えて行ってしまいました。
人に慣れている飼い猫だからこそ、こんなことをしてくれると思いますが、ちょっと和む冬の晴れた日のひとときでした。
2017年01月05日
年末年始も2連休・・・
新年明けましておめでとうございます。
昨年12月26日から始まったのどの痛みが、やがてのど風邪へと発展し、29日の友人たちとの忘年会では少々声も変わり始め、翌30日は早朝7時半からラウンドワンで友人たちと楽しみ、熊本まで遠征した後、徐々に熱が上がるのを感じるほどでした。
鹿児島市内に戻る友人を桜島口で降ろし、給油で外へ出た際、かなりの高熱であることを自覚、少々フラっとしてしまうほどでした。
20時半にほか弁で肉野菜炒め弁当を購入し、帰宅後体温計で体温を測ってみたら、なんと39.0℃!!
翌31日が仕事ということもあり、果たして出社できるのか?と疑問に思いつつも、少々早めに就寝して迎えた翌朝、体温は36.5℃まで下がっており、何とか仕事できました。
昼休みに年越しそばの材料を買い、ドラッグストアで風邪薬を買い、準備万端。
ガキの使いの笑ってはいけない24時はブルーレイレコーダーに録画し、本人はそばをすすって薬を飲んだ後、早々と就寝です。
年が明け、この日も仕事のため出社し、18時半に帰宅。
例年は実家に戻りますが、今年は妹家族が戻ってきていないため、あと父も風邪をひいているということで、自宅で前日録画したガキの使いをCM飛ばしやどうでもいいうわさ話コーナーをスキップして見ます。
2日からは3日まで連休、というわけで、体調がいまいちな中、新年恒例の墓参へ9時に出発。
伊集院では、墓参後、車をUターンするところまで進めてみたところ、人が結構いたため、それもかなわず、急きょ子供の頃通っていた道をそのまま走ることに。
すると、100mほど走った段階で、落ち葉や枝が未清掃のままになっている荒れた道に大変身。
1979~1994年くらいまで通っていた際は、時速30km/hも出せ、旧伊集院町の町内一周駅伝コースでもあったはずの道が、まさかの廃道一歩前の状態に転落。
農地も広がるのどかな山間の集落が、まさかの限界集落になっているとは、平成の御世の次の時代、地方が大変まずいことになるという予感がしました。
時速10km/hで通る箇所を過ぎ、ようやくきれいな道に出た際は、輝かしかった昭和が平成の世で錆び付いたような、悲しい気持ちになりました。
その後伊集院の立ち食いそばで昼食を摂るのですが、店の奥に座って食べられる飲食スペースが拡張されており、びっくりしました。
無論、私は旧来の立ち食いスタイルでおいしくおそばをいただくのですが、子供の頃から変わらない味に、すっかり落ち着きを取り戻していました。
実家に向かい、犬が吠えずにお出迎えする中、父の部屋でスカパーの映画を見ます。
大量殺りくから身を挺して少ない犠牲に留めるも、最愛の彼女を亡くした主人公を見て、言葉が出ませんでした。
鉄道チャンネルで前方車窓風景が始まるということで、チャンネルを変えると、それまでこたつで寝ていた父が起き、一緒に見始めました。
くま川鉄道の西半分でしたが、小湊鉄道の最奥部の沿線と同じように、ホームにだれも客がいないのが印象的でした。
父と「誰も乗らんね~」と話し、ただ鉄路を維持するだけでは客は乗らないというローカル線の厳しさを目の当たりにしました。
各地の鉄道に乗る私ですが、くま川鉄道にはまだ乗ったことがありません。
ふと、祖母が熊本県出身だったことを思い出し、父に聞いてみると「下益城郡」というではないですか。
宇城市とか、美里町とかあの辺ということになります。
熊本地震の被災地の生まれとは、今年になって初めて知ったことで、驚きました。
ちなみに、母方の祖母も宮崎県小林市出身で、双方ともに鹿児島県ではないというのが、何とも変に思うところです。
続いて、予讃線の松山~向井原の前方車窓を見ます。
国道九四フェリーに乗って松山に向かう場合、国道56号や378号を走る私にとってはなじみがある路線です。
父に「この先にある下灘駅は何度か行ったよ。青春18きっぷのポスターや『男はつらいよ』の寅さんなども来た駅なんだよ」といった話をし、「誕生日のある月は1万円で3日間グリーン車乗り放題できるけど、今は休みがないから無理だな~」といった話をすると、「忙しいから無理」という感じでした。
61歳の自営業はまだまだ仕事で頑張らねばならないようです。
終わる頃に妹家族が帰ってきたため、姪っ子たちと戯れますが、17時で実家を後にします。
同窓会があるためです。
お年玉を手渡し、「お小遣い♪」と口にする姪っ子たちに見送られ、ホテルのある天文館にやってきたのが30分後。
風呂に入り、友人に翌日志布志港へ連れていく約束をした後、市電で鹿児島中央駅へ向かいます。
既に会は始まっており、18:30からだったとのこと。
完全に連絡ミスかなんかだと思いつつ、丁重に詫びをした後、社会人以後初対面4名と話をします。
1人とは、転校先の中学校でその人のいとこにひどい目にあった旨話をし(詳しくは話ができなかったが、つむじにのりを垂らされたことがあり、私の人生三大屈辱の一つとなっている。)、1人とは宮川小2-3の写真を見ながら8割方の名前を顔を見て当て、1人とは帰省の頻度や状況について話をします。
残る1人は、宮川小5-6の時に仲が良かった人物で、俳優の阿部寛さんをしのぐスーパーイケメンになっていました。
その彼と話をしたのが、保健委員会でトイレットペーパーの補充やトイレの見回りをする役回りで、他の1人を加えた計3人で校庭の女子トイレで見てしまったものについてでした。
食べ物を口にしていたため、具体的なモノについては店を出た後に話しましたが、個室を開けたら和式水洗トイレに太い大便が流されないまま鎮座しているのを見て、3人で驚いて逃亡して、改めて入って流した、といった話をしていました。
小5の思い出としては、結構インパクトに残るものです。
まあ、他の同級生から見たら、私が激昂して彫刻刀を振り回した事件の方がインパクトが大きかったかもしれませんが、これ相当の激昂する展開に、この後なります。
二次会で、大人の話題をいろいろとしていたのですが、もう一方のテーブルから、私の名前とともに「ハゲ」だの「独身」だの聞こえてきたため、怒りパラメータが徐々に上がっていました。
1度だけならいいのですが、これが何度か耳に入れば、気にする本人としては、いい気はしません。
「・・・こういう行為を止めるには、名誉棄損罪で警察に突き出すのも手かもな。」
この日の早朝、自宅近隣の防犯騒音対応のため、人生初の110番通報をした身には、そんなことも頭をよぎりましたが、まずは関係を一旦断ち切り、この場から早く帰って、翌日の友人を志布志港へ送り届けることを最優先に行動せねばと考え、当事者への対応は後回しにし、会計完了・立席直後に速やかに店を出て、ホテルまで歩いて戻りました。
当然ですが、胸糞悪い夜でした。
翌朝、9時前に友人の実家前に到着、前夜の話と今後の対応について話をして同情された後、東九州道を通って自宅に戻り、レトロゲームで対決します。
その後、志布志に行く場合必ず食べに行くマルチョンラーメンへ向かい、昨年テレビを見た際に知ったスープ工場とオーナーの顔を拝見しつつ、おいしくラーメンをいただきます。
同級生が営む五郎家(568)と今回食べ比べできなかったのは残念と、オーナーに気付かれないよう慎重に話しつつ、志布志港へ。
友人は今回が初めてのさんふらわあ乗船ということで、過去3度の乗船履歴がある私から、しっかりアドバイスをして、程よいタイミングで見送り、帰宅。
帰宅後に風呂に入ったのが失敗だったか、昨日、今日といまだに風邪が完全に治らない状態で、2017年はいまだ健康な日が1日もない、という感じです。
明日からは部下の送別会が2連戦(自部署と仲間内)で予定されており、体調不良も相まってスポーツクラブに1日も通えておりません。
まずは体調の回復を最優先に、次の一手を着々と打っていくことにします。
なお、前述のような不快な事態を今後起こさないための新たな展開について考えがまとまりましたので、近々実行する予定です。
「パラレルコミュニティ作戦」と称し、内々で集まろうというものです。
まだ一度も会ったことがないが、勤務先や実家が分かる往時に仲の良かった3名の連絡先を把握したうえで、開催日時を決め、私的に招待する方式を摂ります。
関係するところへは改めてご招待をしますので、ご都合が合う場合は積極的なご参加をお待ちしております。
ちなみに、3名とも往時は人当たりの良い方ばかりですよ。
昨年12月26日から始まったのどの痛みが、やがてのど風邪へと発展し、29日の友人たちとの忘年会では少々声も変わり始め、翌30日は早朝7時半からラウンドワンで友人たちと楽しみ、熊本まで遠征した後、徐々に熱が上がるのを感じるほどでした。
鹿児島市内に戻る友人を桜島口で降ろし、給油で外へ出た際、かなりの高熱であることを自覚、少々フラっとしてしまうほどでした。
20時半にほか弁で肉野菜炒め弁当を購入し、帰宅後体温計で体温を測ってみたら、なんと39.0℃!!
翌31日が仕事ということもあり、果たして出社できるのか?と疑問に思いつつも、少々早めに就寝して迎えた翌朝、体温は36.5℃まで下がっており、何とか仕事できました。
昼休みに年越しそばの材料を買い、ドラッグストアで風邪薬を買い、準備万端。
ガキの使いの笑ってはいけない24時はブルーレイレコーダーに録画し、本人はそばをすすって薬を飲んだ後、早々と就寝です。
年が明け、この日も仕事のため出社し、18時半に帰宅。
例年は実家に戻りますが、今年は妹家族が戻ってきていないため、あと父も風邪をひいているということで、自宅で前日録画したガキの使いをCM飛ばしやどうでもいいうわさ話コーナーをスキップして見ます。
2日からは3日まで連休、というわけで、体調がいまいちな中、新年恒例の墓参へ9時に出発。
伊集院では、墓参後、車をUターンするところまで進めてみたところ、人が結構いたため、それもかなわず、急きょ子供の頃通っていた道をそのまま走ることに。
すると、100mほど走った段階で、落ち葉や枝が未清掃のままになっている荒れた道に大変身。
1979~1994年くらいまで通っていた際は、時速30km/hも出せ、旧伊集院町の町内一周駅伝コースでもあったはずの道が、まさかの廃道一歩前の状態に転落。
農地も広がるのどかな山間の集落が、まさかの限界集落になっているとは、平成の御世の次の時代、地方が大変まずいことになるという予感がしました。
時速10km/hで通る箇所を過ぎ、ようやくきれいな道に出た際は、輝かしかった昭和が平成の世で錆び付いたような、悲しい気持ちになりました。
その後伊集院の立ち食いそばで昼食を摂るのですが、店の奥に座って食べられる飲食スペースが拡張されており、びっくりしました。
無論、私は旧来の立ち食いスタイルでおいしくおそばをいただくのですが、子供の頃から変わらない味に、すっかり落ち着きを取り戻していました。
実家に向かい、犬が吠えずにお出迎えする中、父の部屋でスカパーの映画を見ます。
大量殺りくから身を挺して少ない犠牲に留めるも、最愛の彼女を亡くした主人公を見て、言葉が出ませんでした。
鉄道チャンネルで前方車窓風景が始まるということで、チャンネルを変えると、それまでこたつで寝ていた父が起き、一緒に見始めました。
くま川鉄道の西半分でしたが、小湊鉄道の最奥部の沿線と同じように、ホームにだれも客がいないのが印象的でした。
父と「誰も乗らんね~」と話し、ただ鉄路を維持するだけでは客は乗らないというローカル線の厳しさを目の当たりにしました。
各地の鉄道に乗る私ですが、くま川鉄道にはまだ乗ったことがありません。
ふと、祖母が熊本県出身だったことを思い出し、父に聞いてみると「下益城郡」というではないですか。
宇城市とか、美里町とかあの辺ということになります。
熊本地震の被災地の生まれとは、今年になって初めて知ったことで、驚きました。
ちなみに、母方の祖母も宮崎県小林市出身で、双方ともに鹿児島県ではないというのが、何とも変に思うところです。
続いて、予讃線の松山~向井原の前方車窓を見ます。
国道九四フェリーに乗って松山に向かう場合、国道56号や378号を走る私にとってはなじみがある路線です。
父に「この先にある下灘駅は何度か行ったよ。青春18きっぷのポスターや『男はつらいよ』の寅さんなども来た駅なんだよ」といった話をし、「誕生日のある月は1万円で3日間グリーン車乗り放題できるけど、今は休みがないから無理だな~」といった話をすると、「忙しいから無理」という感じでした。
61歳の自営業はまだまだ仕事で頑張らねばならないようです。
終わる頃に妹家族が帰ってきたため、姪っ子たちと戯れますが、17時で実家を後にします。
同窓会があるためです。
お年玉を手渡し、「お小遣い♪」と口にする姪っ子たちに見送られ、ホテルのある天文館にやってきたのが30分後。
風呂に入り、友人に翌日志布志港へ連れていく約束をした後、市電で鹿児島中央駅へ向かいます。
既に会は始まっており、18:30からだったとのこと。
完全に連絡ミスかなんかだと思いつつ、丁重に詫びをした後、社会人以後初対面4名と話をします。
1人とは、転校先の中学校でその人のいとこにひどい目にあった旨話をし(詳しくは話ができなかったが、つむじにのりを垂らされたことがあり、私の人生三大屈辱の一つとなっている。)、1人とは宮川小2-3の写真を見ながら8割方の名前を顔を見て当て、1人とは帰省の頻度や状況について話をします。
残る1人は、宮川小5-6の時に仲が良かった人物で、俳優の阿部寛さんをしのぐスーパーイケメンになっていました。
その彼と話をしたのが、保健委員会でトイレットペーパーの補充やトイレの見回りをする役回りで、他の1人を加えた計3人で校庭の女子トイレで見てしまったものについてでした。
食べ物を口にしていたため、具体的なモノについては店を出た後に話しましたが、個室を開けたら和式水洗トイレに太い大便が流されないまま鎮座しているのを見て、3人で驚いて逃亡して、改めて入って流した、といった話をしていました。
小5の思い出としては、結構インパクトに残るものです。
まあ、他の同級生から見たら、私が激昂して彫刻刀を振り回した事件の方がインパクトが大きかったかもしれませんが、これ相当の激昂する展開に、この後なります。
二次会で、大人の話題をいろいろとしていたのですが、もう一方のテーブルから、私の名前とともに「ハゲ」だの「独身」だの聞こえてきたため、怒りパラメータが徐々に上がっていました。
1度だけならいいのですが、これが何度か耳に入れば、気にする本人としては、いい気はしません。
「・・・こういう行為を止めるには、名誉棄損罪で警察に突き出すのも手かもな。」
この日の早朝、自宅近隣の防犯騒音対応のため、人生初の110番通報をした身には、そんなことも頭をよぎりましたが、まずは関係を一旦断ち切り、この場から早く帰って、翌日の友人を志布志港へ送り届けることを最優先に行動せねばと考え、当事者への対応は後回しにし、会計完了・立席直後に速やかに店を出て、ホテルまで歩いて戻りました。
当然ですが、胸糞悪い夜でした。
翌朝、9時前に友人の実家前に到着、前夜の話と今後の対応について話をして同情された後、東九州道を通って自宅に戻り、レトロゲームで対決します。
その後、志布志に行く場合必ず食べに行くマルチョンラーメンへ向かい、昨年テレビを見た際に知ったスープ工場とオーナーの顔を拝見しつつ、おいしくラーメンをいただきます。
同級生が営む五郎家(568)と今回食べ比べできなかったのは残念と、オーナーに気付かれないよう慎重に話しつつ、志布志港へ。
友人は今回が初めてのさんふらわあ乗船ということで、過去3度の乗船履歴がある私から、しっかりアドバイスをして、程よいタイミングで見送り、帰宅。
帰宅後に風呂に入ったのが失敗だったか、昨日、今日といまだに風邪が完全に治らない状態で、2017年はいまだ健康な日が1日もない、という感じです。
明日からは部下の送別会が2連戦(自部署と仲間内)で予定されており、体調不良も相まってスポーツクラブに1日も通えておりません。
まずは体調の回復を最優先に、次の一手を着々と打っていくことにします。
なお、前述のような不快な事態を今後起こさないための新たな展開について考えがまとまりましたので、近々実行する予定です。
「パラレルコミュニティ作戦」と称し、内々で集まろうというものです。
まだ一度も会ったことがないが、勤務先や実家が分かる往時に仲の良かった3名の連絡先を把握したうえで、開催日時を決め、私的に招待する方式を摂ります。
関係するところへは改めてご招待をしますので、ご都合が合う場合は積極的なご参加をお待ちしております。
ちなみに、3名とも往時は人当たりの良い方ばかりですよ。