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yochi
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↑2001年10月・鹿屋市の寿北小学校での教育実習風景より

教員免許を小中高取ったはよかったものの、平成の間は教採一次試験が一度も合格できず・・・。
そんな管理人は、パワハラがはびこる三流○○ック企業で5年半に渡り数々の辛酸をなめた後、招聘された印刷会社のWEB部門で2013年3月に1級ウェブデザイン技能士を取るなど2年間在籍して成長を遂げた後、結構有名な会社に課長職も含め9年弱勤務。
が、定期昇給が無く、頑張り甲斐が無くなったので、元部下の話から教採を15年ぶりに受け始め、令和になって毎年二次試験まで進出できるように。教員免許の追加取得に向けて通信制大学で学び、免許の取得の条件が「人物に関する証明書」の取得で、二次試験落ちから考えられる実地経験の必要性から18年ぶりに臨採教員に復帰。
そして令和6年度から正規教員として勤務開始。
国の宝の子どもたちの育成のため、これまでの経験を活かして頑張ります。
~~所有国家資格~~
【1級ウェブデザイン技能士】
【基本情報技術者】
【2級ファイナンシャル・プランニング技能士(個人資産)】
【乙種危険物取扱者(第4類)】
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Posted by チェスト at

2023年10月06日

苦節22年、ついにあの試験に合格する

現在教職に就くこの私、この職を志したのは小学校4年生になる直前の春休みまでさかのぼる。
今は無き学習雑誌「小学3年生」の付録で、地図記号カードが付いており、これを使って近所の子どもたち(妹を含む)を4名集めて地図記号クイズをやってみると、なぜか間違うと全員ムキになったのである。
これが面白いと、教える面白さに開眼することにつながった。

その後、小学校のお楽しみ会でも折に触れてクイズを出すようになり、いつしか「物知り博士」と周囲から思われるようになっていた。
まあ、中学校1年生の文集では「大学教授」を目指すなんてたいそうなことを書いてしまったが、家計にゆとりがあって大学院にいけたら、それも可能になるほど、大学入試模試の地理で偏差値90を取ったことがある。

知識面でも後押しを受けて、大学では教育学部に進み、ここまで志望校選択でやらかしたこと(高校入試)、理系・文系選択でやらかしたこと(大学入試等)を除けば、一切不合格なし・浪人なしのストレートで進んでくることができた。

大学2年の終わりに事件が起きる。
「金融恐慌」と現代に記録が残る不況下、自営業の父の収入が減り、大学の学費が払えない事態に陥ったのである。
結局学費未納で除籍処分を受けてしまうが、「3年」次の前期履修登録で大学に向かい、履修登録できない旨告げられ(そりゃそうだ、除籍されちゃ)、ちょうど履修登録で大学に来ていた友人が事態を聞き、動いた。
私自身も所属するゼミの教授の下を訪ね、事情を話すと、なんと教授が大学当局に働きかけて、教授が未納分の学費を立て替えることで除籍を解くこととなった。

無論、私は社会人になってから立て替えていただいた学費を返納した次第であったが、後年、教授が退官することとなり、そのお祝いの場でこの時の恩についてスピーチするが、大号泣であった。
この文章を読んでいるわが生徒たちよ、私が黒板の前に立てているのはこの恩師あってのこと。
恩師がいなくても、もう一方のゼミの教授も助けてくれた旨、話していただき、ありがたいことであった(教授同士は不仲なようで「あの男がねえ・・・」みたいな感じで驚かれていたが)。

大学3年次からの学費は、成績良好であったことから、大学当局のアドバイスに基づき、申請の上で授業料免除で通えることが認められ、幸運にも卒業まで在籍することができた。
が、生活費は経済的に困窮している父に頼るわけにはいかないので、自分のアルバイトで全てを賄っていた。
公民的分野の授業で触れたが、現代は18歳成年となっており、ローンを組むのは18歳で可能である。
が、20歳成年の時は、20歳未満でローンを組む場合は保護者の許可と署名・押印が必要で、面倒だったのだ。
ゆえに、20歳になってから原付運転免許を取りに行き、免許を取ってからバイク屋で原付を買い、自分の責任でローンを組んだ。
22歳の秋に自動車&中型二輪の運転免許も取りに行くが、この時もローンを組んだ。
いきなり無謀なローンを組むのは感心しないので、計画性と返済能力を考えてやるのが賢明である。

しかし、アルバイトというものも考え物である。
今日から宮崎県の最低賃金が897円になったが、学業よりも生計優先になると、夏休みの集中講義が受けにくい状況も出てくる。
そのせいで、高校公民科の教員免許取得に必要な単位が4単位だけ不足してしまったのだ。
今では毎年受講できるそうだが、往時は隔年開講で、無理だった。
しかも、高校地歴科の教員免許取得に必要な単位も2単位不足し、小中免許だけで社会人になるのはもったいない、そう考えて、当時一足先に社会人になっていた妹に土下座して、数万円借り入れて、就職とともに科目等履修生として2単位を取るために大学に通う。
が、前期で取得失敗し、後期でやっとこさ取得できた。
そのため、私の教員免許は小中が大学卒業日に、高校地歴は翌年度末がそれぞれ取得日となっている。

若かりし頃は、一次試験で落ちる状況が続き、挫折した。
有名人二人を輩出した中学校で勤務したこともあったが、忙しすぎる上に生活がカツカツで書類の準備に充てる暇もなく、民間企業で18年働くことになる。
学生時代にサークルの後輩から教わったHTMLを趣味の個人サイトづくりに生かし、そこからWEB制作職に転じ、エンジニアとなり、プレイング・マネージャーの課長となり、不安定な20代から脱却し、安定した30代を送った。
が、年商3億円弱の部門の仕事をやっているのに、給料上がらんのはおかしい、そこから若かりし頃の目標に戻る動きに変わっていく。

一次試験に合格できるようになり、大学卒業と同時に中学教員になった同期が在学中に取得していた資格を取ろうと思い立ち、15年ぶりに科目等履修生になる
夏の集中講義を、毎晩仕事が終わって帰宅してからヘッドフォンを耳に当てて聞くのも、新しい発見があって面白いと、学ぶ楽しさに開眼したところで、若かりし頃の残り仕事である、高校公民科の教員免許取得に不足する4単位を取ろうと、大学の通信制課程に入る。
が、教育職員免許法は、概ね10年おきに改正されるので、4単位どころで済まなくなっていた。
8単位に倍増していたのだ。

が、集中講義で10単位取れた自分ならできると、受けてみるが、取得できたのは教科教育法のみ
専門科目は残念ながら現時点でも未取得のままである。

並行して、民間企業で培った経験を活かそうと、高校情報科の教員免許取得に挑戦する。
24単位取る上、実習もあるので、30万円近くかかったが、なんと1年かからずに無事終了。
取得要件の一つが「人物に関する証明書」の取得であるため、民間企業を辞して教職に18年ぶりに復帰。
校長から「人物に関する証明書」を発行していただき、高校の複数免許取得に成功したのである。

そして今年。
ついにあの試験に合格できたのである。
初受験から22年かかったが、これまでの道のりが結実した。

これだけは今言える。
「流した汗はウソをつかない」。
努力とは、実るものである(某予備校の回し者っぽい・・・)。

「夢・目標を持て」、この言葉は私が高校3年生の時に新聞の読者欄に投稿した言葉である。
これを、まだ目指すものがない全ての若者たちに送りたい。  

Posted by yochi at 21:53Comments(0)真面目に一筆

2020年07月26日

肥薩線の八代~真幸間における豪雨被害への対応を考える

2月に栃木、福島、新潟、山形県を巡り、酒田市で人生初の猛吹雪に遭った旅行から5ヶ月程が経過しました。
いつもなら、夏は熊本県芦北地方や人吉盆地へ行く提案をし、友人たちと回る予定で動いていたのでしょうが、今年は違います。

新型コロナウィルスの猛威は一向に収束せず、とうとう与論島に飛び火しています。
また、県外への移動を会社から制限されており、政府がいいと言っているものを一企業が制限するのは、憲法22条に規定のある「移動の自由」に明確に反すると内心思うものの、万一に備え観光目的での県外移動を行っていません。

こうした難しい情勢下ではあるものの、コロナの有無を問わず、今月初めの豪雨災害の影響はなかなかでした。
JR九州では、土日祝日に利用できる「みんなの九州きっぷ」を販売しており、コロナが落ち着けば、これを利用して福岡までラーメンを食べに出かけようかと、先月末に検討していました。
しかし、一向に新型コロナウィルスが収束せず、鹿児島でもクラスター感染が発生してしまい、出ようにも感染と会社への発覚を恐れ、出れない状況に至っています。

肥薩線は、2年前にデートで隼人から人吉まで往復し、さらにはくま川鉄道線にも初めて乗車したのが、直近では最後になりますが、さらにその前の8年前には、SL人吉にも乗車して、八代まで乗っています。
風光明媚でのんびり走る列車はいいもので、家にも肥薩線の車窓を収めたDVDがあるほど気に入っています。

しかし、鉄橋が何本も流され、明治時代に開通した1世紀を超える歴史ある鉄道路線であっても、甚大な被害を受けてしまいました。
私が乗車したことがある日田彦山線も、不通区間がBRT化されることが決まりましたし、熊本地震で不通になった豊肥線も来月全線の運転再開を予定しているも、その前にも坂の上トンネルが2012年の豪雨災害で甚大な被害を受けて翌年に復旧したりしていますので、今回の被害も復旧しようとすると、5年単位の時間がかかるきらいがあります。

歴史ある路線ですから、基本的には被災前に戻したいところですが、またいつ豪雨に襲われ、被害が出るとも限りません。
実際、私がSL人吉に乗ったのは、2012年7月の九州北部豪雨災害の頃と重なり、この時も肥薩線では土砂流入が発生し、復旧した直後でした。
今回は複数個所の鉄橋の架け替えもあり、数百億円にも達するのではないかと思います。
赤字路線にも挙げられており、日田彦山線の南部区間がBRT化しての復旧となるのを考えると、採算性の面で廃線・バス転換にされてしまう可能性も出てきます。

全線復旧であれば、かさ上げを行い、水害による路盤流出を抑える対策を施すことも考えられ、国費や県費負担でJR負担を1割以下に抑えられるかがカギになるでしょう。
それがかなわない場合は、八代~球泉洞間を廃止し、直線距離で10km程先にある肥薩おれんじ鉄道線への新線敷設による短絡接続も検討できると考えます。

御立岬公園に出かけ、その後人吉で昼食を摂る行程を組んだことがあった際、通ったのが熊本県道27号芦北球磨線でした。
意外と走りやすい道で、芦北と人吉の短絡線を引くならこの界隈が最適だと思ったのですが、佐敷駅か湯浦駅で肥薩おれんじ鉄道線と接続すれば、新水俣駅から人吉駅や球泉洞への動線ができます。
九州新幹線との交点に「新佐敷駅」を開設して、球磨地方と新幹線沿線間の行き来を活性化する手も使えます。
もともと佐敷駅は九州新幹線開通前の特急つばめの停車駅でもありました。

あくまでも全線復旧できない場合の代替案ですが、坂本駅から南は人口が少ない地域を走りますので、経済性との比較になってきます。
私案の最大の欠点は、青春18きっぷで南九州から北へ行くルートが日豊線しかなくなってしまう、ということです。
鹿児島から出立する場合、延岡を19:33に出る最終列車に間に合うようにして移動するしかありません。
帰りは、佐伯を6:18に出る列車を使うか、別料金を払って特急に乗るしかなく、不毛地帯と化します。

開業から1世紀超の歴史を取るか、災害に強く、採算性のある新たな道に活路を見出すのか、今後に注目です。  

Posted by yochi at 19:20Comments(0)真面目に一筆

2020年04月07日

新型コロナウィルスに伴う1都1府5県への緊急事態宣言に思う

今日の夕方、安倍総理が新型コロナウィルスの蔓延を阻止すべく、1都1府5県への緊急事態宣言を発令しました。

遅きに失したとはいえ、国内が鎮静化に向かう一歩になればと思うところですが、これまでの経緯を振り返るに、第二次大戦の敗戦への道と重なるところもあります。

まず、中国の武漢の海鮮市場で最初のクラスターが確認され、次いでその診察に当たった医師が新型肺炎であることをSNSで発信するも、中国政府によって弾圧を受けるよからぬ展開になっていきます。
その医師も死去すると、中国国民を守れない中国政府という心証を内外に与えることになります。
これが今年の年始頃の状況です。

その後も武漢市が封鎖され、ここで封じ込める目論見があったのでしょうが、既に武漢市外へコロナウィルスは拡散、春節と重なったこともあって中国国外へ旅行へ出かけた人たちにより、日本を始めとした海外へ飛び火していきます。
初めは直接中国人旅行客と接した人が感染していたところが、屋形船でクラスターが発生、日本に寄港中のクルーズ船でも発生と、このあたりから騒ぎが大きくなってきます。

ちなみに、この間に私は真冬の東北へ鉄道旅行に出かけていました。
本来ならば3月の3連休で三陸鉄道を回ろうかと考えていたものの、会社の出勤・休日ルールに1月から変更が生じたことにより3月が不可となり、2月上旬に予定を立てて実行したのでした。
その旅行初日の2月7日、愛知県に住んでいた友人が既に北関東へ転居した後にもかかわらず、中部国際空港からミュースカイで名古屋駅に向かい、東海道新幹線に乗って静岡まで移動、その後在来線を甲府・八王子・大宮の順で都心部を避けるルートで北関東へ移動していたわけですが、その頃、ハワイから帰国し中部国際空港で降り立った夫婦に感染がありました。
実にニアミスでした。

背筋が凍る思いをまだこの時点では知ることもなく(報道は旅行から戻った後)、国内は散発的な感染に留まっていましたが、昨年秋に旅した北海道で集中的な感染が発覚します。
さっぽろ雪まつりで中国から持ち込まれたコロナウィルスが市中の人に襲い掛かったわけです。
鈴木道知事が素早く非常事態宣言を発したことは高く評価され、3月下旬には感染数の伸びも抑制的になっていきました。

その間に、国内は抑制的で推移していたのが、国外ではヨーロッパを中心に感染が拡大していました。
2月下旬以降、海外旅行へ出かけていた人が帰国すると、コロナウィルスがまた国内に入ってくるようになります。
クルーズ船の時と異なり、隔離されず、あくまで自主規制での待機呼びかけだったこともあり、これが市井の人を巻き込んでいくことになります。
これが、現在の状況です。


こうした経緯を踏まえると、今後の感染症拡大防止に向けて、以下のような対策を講ずる必要があります。
●新型感染症発生・蔓延国との出入国禁止
●新型感染症発生・蔓延国からの入国者の強制隔離(違反者は罰金100万円/回)
●不要不急な通勤・通学の禁止と補償金全戸給付(20万円/月・人)
●臨時休業した企業・個人事業主への補償金支給(最低限賃料相当支給。前年所得から当該期間分を按分して支給)
●強制措置実施から3週間を経過した後に感染症発症者が生じた場合は、補償金受領者・組織ともに罰金各100万円。隠ぺいした場合は1,000万円。

専らのところ、中国で抑止できていれば志村けんさんが亡くなることも、日本国民や諸外国民で多くの犠牲者を出すこともなかったのは言うまでもないことですが、潜伏期間が2週間で、どんな特徴的な症状なのか分かったのが、奇しくも阪神タイガースの藤浪投手の感染発表からでしたので、つい最近と言えます。
潜伏期間が2週間ということは、3週間接触を最低限に抑えておけば、その間に発症した人と濃厚接触者を隔離して適切に治療に当たりさえすれば、抑圧できるということですから、ここが踏ん張りどころです。

今回の相手は未知のウィルスですが、このウィルスとの戦争で勝利し、再び各地へ旅行に行き、気ままにやりたいことをやれるような環境を取り戻すことが大切です。
今は非常時なのですから、なるだけ人混みを避けるようにしておきたいところです。  

Posted by yochi at 19:39Comments(0)真面目に一筆

2016年05月03日

8年前にパワハラ対策でまとめた文書を読み返す日が来た

2/17に起こった出来事を記した記事から2ヶ月半が経過し、先週一時危険な状態にはなったものの、今週に入り安定してきたと思いきや、新規案件の進め方で上役と意見が衝突し、とうとう元職で4年半程の間時に激しく受けてきたパワハラ状態に陥りました。すなわち、「辞表を出せ」「辞めろ」のオンパレードです。

元職では経営者自らが行っていたため、給与をもらう間は直接対決するわけにもいかなかったのですが、今回の相手は経営者でもその一族でもありません。古参幹部です。

まずは往時の戦いを支えた「反パワハラ10箇条」を思い起こして精神状態を中庸に戻し、今回の対処をどのようにするか仕事をしながら片隅で考えます。自社には人事とコンプライアンスを担当する総務部がありますから、そこの責任者宛で上役のコンプライアンス違反を告発する文書を昼休みに帰宅して作成、寒冷前線南下に伴う嵐の中、提出します。

その後も上役と口を利かぬ息詰まる状況が続き、夕方、総務部の準責任者より内線着信があり、人目に付かない場所へ移動して短時間のヒアリングを受けます。
そこで耳にしたのが、上役がこれまでも同様の行為を繰り返し、泣き寝入りしてきた人が複数人いる、ということ。
2006年6月に元職のブラック企業に入社するまで半年近く無職であった自分にとって、1日も無職期間なしでWEB技術職でつないだ職歴通算満10年目前の今、無職を回避してきた積み重ねの集大成として上役と向き合う、そういう事態に至っています。

独立するにもまだ根回しが足らず困難であり、保険となる次の職探しも今月は動けません。
失業給付についても、今回は明確に自己都合にはなりませんから、有給が23日ある現時点では6月での計算となり、満10年です。
7月だと、10年超につき240日、6月だと10年なので180日、結構な分かれ目です・・・。
あと厄介なのがボーナスで、8月まで在籍していれば給料1ヶ月分程度はもらえるわけで、車のローン返済などを考慮すると、9月くらいなら会社都合離職もあり得る、という認識でした。
が、上役の暴走で結構振り回されている、そんな感じです。

後日責任者と改めて面談機会がある、ということで、それまでに事の経緯をまとめた文書を提出する旨伝えています。
帰宅してから、まさかの8年前にパワハラ対策でまとめた文書を読み返すことになろうとは思いもしませんでしたが、やはり当時通用したものは今でも通用する、というわけで、早速印刷して手元に控えています。

総務部との対応が一段落したら、いよいよ戦いが始まります。
その時上役にこう言ってみたいものです。
「出るとこ出て決着付けましょうや」、と。  

Posted by yochi at 21:03Comments(0)真面目に一筆

2014年07月28日

今週末は変則的なスケジュール

怒涛の仮眠付き徹夜勤務から4ヶ月。
今日、自社の3人中2人が今週末に行われる仮眠付き徹夜勤務をすべく、誰がやるのか協議となりましたが、前回経験者の自分は除外となり、喜んだのもつかの間、待っていたのは早朝早出勤務でした・・・。

月の頭から子どもたちがラジオ体操に向かう時間に会社に出勤せねばならず、しかも朝から日中は上役2名は不在です。
何かしらのトラブルが生じたら、自分で対応しなければいけません。
責任重大です。

その分、夕方には帰宅できそうですが、もう一つ落とし穴が。
正月以来の休日出勤で、日曜日もまた一人で留守番です。
さらに、来週は7日間ぶっ続けで勤務と、現在先週までの多忙さが招いたであろうのど風邪に苦しめられている身には、来週持つのか? と不安になる展開ながらも、再来週はその反動で盆休みもとれるだけ取れました。

今日も、会社でウェブシステムのデバッグの嵐で、外注先の開発会社がきちんとテストしきれていない分を受注者側の自分らで尻拭いするという、プロ失格と糾弾したい気分満載で会社を後にしておりますが、恐らく明日は外注先と激しい舌戦が繰り広げられることになると思います。

しっかりとした成果物を納めたければ、入念にテストすることが大事で、先方がこれ以上問題点が見つからない、もう大丈夫、という段階でこちらがテストして問題ないことを確認するのが普通の仕事と考えているわけであり、受注者側に大金をもらっておきながら仕事を振るというのは論外なのでは、と上役にも半ギレ寸前で、同情されておりました。

残り少ない日数でどこまでやれるのか、挑戦する日々がもうしばらく続きます。  

Posted by yochi at 23:54Comments(0)真面目に一筆

2013年10月25日

会社を辞する

パワハラワンマンブラック企業から脱出し、自身のスキル向上にも大きく貢献できた自社と、とうとう本日でお別れすることになりました。
丸2年の在籍期間で、どれだけの業績を挙げられたかと聞かれれば、不十分な面も多々あったと思いつつ、様々な面でいい影響を与えて頂いたことに深く感謝しています。

なお、これまで正社員として勤務してきた会社が4社ありますが、2番目に長い在籍期間でした。年齢的にもう少し若いか、待遇面で今より良いかのいずれかでまだまだ在籍していられたと思うのですが、この先を考えればこの判断はやむなしと思う次第です。
またご縁があった際に再びビジネスパートナーとして接することが出来ればと、希望を胸に次の現場ならぬ会社へ向かいます。

次の会社は、今まで勤めてきた7会社・組織も含めて、2番目に大きなところです。
年商は文句なく1位で、堅実性・成長性共に優れており、組織が伸びていく中でどう立居振る舞っていき、実績を挙げていけるかがポイントになりそうです。

まだまだ勉強していかなければならないことは多そうですが、多様な情報に触れられた自社から離れることで、そういった情報に接するアンテナをなるだけ早く再構築できるかどうかが今後を左右するだろうと見ています。
規模が大きい割に自分のような人間を面接から2日で採用決定頂いたわけですから、期待の大きさもひしひしと感じています。

「日本で一番貧しい1級ウェブデザイン技能士」(2013年3月下旬~10月、筆者独断による)が、いかにしてウェブデザイン技能士資格を持つ前からここまでに至ったか、について本ブログはその軌跡を忠実に記録しています。
資格を獲ってからのブラック企業からの脱出を試み始めてから3年あまりの月日が流れました。
ワーキングプア脱出となった第二幕は、来月、幕を開けます。

明日からは引越し準備などで慌ただしくなります。
次回のブログは、「さらば○○○(地名)!」というタイトルでしょうけれど、ネット接続環境の問題で更新日は未定です。
その前にネタができそうなので、時間に余裕があれば書き込んでおこうと思います。  

Posted by yochi at 17:52Comments(0)真面目に一筆

2013年04月30日

2013同窓会・春も終わって

先日は3度目の小中学校の同窓会(注・私が音頭を取らせてもらうようになってから。潜伏中も何度かあったらしい)ということで、昼・夜で計15名の方々にお越しいただきました。
内、20歳以上になっての初対面は3/5に当たる9名にも及び、色々と話す機会もありました。

特に、小学校の時に親分として君臨していた人(往時の私に軍団導入のきっかけを与えた人物)が、すっかり大人しくなっていらっしゃったのには驚きましたが、なかなか普段顔を合わせない人揃いですので、それぞれが楽しい時間を送れたようです。

会が終わってからも、寝不足な中、昨日は7時半に目が覚め、でもってひたすらUstream中継で不具合のあったものを移し替えたり、撮影していた動画の編集です。
編集は、テロップ入れと切り分けがメインで、後は出力に40分~1時間程度、アップロードに2~3時間+αかかります。
5本あったのが、時間の関係上4本で終わってしまい、残り1本は今夜アップロードです(※いずれも関係者しか見れません)。

そんなこんなで休みはつぶれて今日はひたすら仕事をやっており、自社サイトのリニューアルの下地はひとまず終わりました。
まだまだ同窓会の余韻は残っておりますが、恩師による授業は、思わぬ場面も見られて、企画してよかった、と思います。
貧乏人にとってできることは、物よりも思い出作り、ということに尽きます。
持ちうるものを総動員して、また次に活かしていきたいと思います。  

Posted by yochi at 17:00Comments(0)真面目に一筆

2013年04月10日

毎年恒例になってきた4月同窓会の準備中

あの東日本大震災を契機に、いつ人生が終わるか分からない、だからこそ悔いを残したくない。それと18年の沈黙を破って久々にFBを介して同級生と旧交を温めるきっかけをと、2011年4月29日、まあ当時私が転校した日にちになるのですが、7人が集まって酒を飲み交わした、というのがこの会の始まりでありました。

メンバー皆と当時仲が良かったわけではありません。
当時の自宅から100m少々しか離れていないのに仲違いしている方や、学校で顔を合わす度に何かと嫌味な言葉を投げかけてくる方、中には一切同じクラスでなかった方で接点がないにも関わらずわざわざ来てもらって、過去をはるかに超越した楽しい時間を持てました。

以後、去年呼びかけと恩師の招待を担当し、一人は不良生徒対応のため急きょドタキャンながらも参加メンバーは増えて13名+先生1名となり、刑法で処罰される事案に遭遇するというハプニングはあったものの、恩師を交えて色んな話で盛り上がりました。

なぜ恩師をお招きするか、答えは転校後の私の行動にあります。
転校してしばらくして、6月は日曜参観があります。
日曜日に学校がありますので、翌月曜日は休みとなります。
転校先と前の学校で日曜参観実施日が1日異なるため、休みとなった月曜日を利用して1日だけ前の学校に「復帰できないか」、恩師に電話で相談しました。
たまたまその日は学活の時間が組まれており、その時間がある5限目に「出没」が許可され、2ヶ月ぶりに「母校」へ帰還したのでした。

そうした粋な計らいを受けてきた身としては、生徒会役員選挙で当選させてもらった恩を返すべく、普段の自分では有り得ない程バイタリティ溢れる企画実行力でもって、何か面白い試みはできないものか、そう考えているわけです。
というわけで、今年は目玉に学校を借りての恩師に授業をやって頂き、自分にとっては20年ぶりに当時の思い出に浸ろう、そんな次第でただ今準備中です。
恩師といっても現場の第一線にいない方もおられますので、まあここでの評価は勤務評価につながらないことをお伝えしているのはさておき、否定的な意見は出なかったため、後は許可が出るかどうかによります。

恩師の反応は、いずれも苦笑から始まりました。
そりゃ、既に卒業した連中がまた授業を受けたい、というのですから、勘弁して欲しいと思うのが常でしょう。
ただ、昨年の宴会の場では、どうも記憶が呼び覚まされ切れていないような気がして、そこを掘り下げるべく仕掛けとして、先生方にお願い致しました。

滅多に他人にお願いごとをしない私としては異例の行動ですが、在住中母を亡くし、父の防犯ミスで家を売り、誇りや希望といったものを失ったものの、それでも残ったのは多くの思い出であった、であるならば、生ある内に変えられない過去にこだわるよりも自らで生み出していける共有できる思い出を作っていこう、その為には手段を選ばないというものです。
20代の間は野心で満ち満ちていた私ではありますが、事同級生のことでありますとか、当時の恩人のことでありますとか、そういった方々へは面白さを与えられるかといったこと以外で打算はありません。
でなければ18年間も表へ出て来なかったことの説明がつきません。

さて、今年もまた久々に顔を合わせる方々も出てきそうですが、より多くの方と楽しい時間を過ごしたいものです。  
タグ :同窓会


Posted by yochi at 17:41Comments(0)真面目に一筆