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プロフィール
yochi
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教員免許を小中高取ったはよかったものの、平成の間は教採一次試験が一度も合格できず・・・。
そんな管理人は、パワハラがはびこる三流○○ック企業で5年半に渡り数々の辛酸をなめた後、招聘された印刷会社のWEB部門で2013年3月に1級ウェブデザイン技能士を取るなど2年間在籍して成長を遂げた後、結構有名な会社に課長職も含め9年弱勤務。
が、定期昇給が無く、頑張り甲斐が無くなったので、元部下の話から教採を15年ぶりに受け始め、令和になって毎年二次試験まで進出できるように。教員免許の追加取得に向けて通信制大学で学び、免許の取得の条件が「人物に関する証明書」の取得で、二次試験落ちから考えられる実地経験の必要性から18年ぶりに臨採教員に復帰。
そして令和6年度から正規教員として勤務開始。
国の宝の子どもたちの育成のため、これまでの経験を活かして頑張ります。
~~所有国家資格~~
【1級ウェブデザイン技能士】
【基本情報技術者】
【2級ファイナンシャル・プランニング技能士(個人資産)】
【乙種危険物取扱者(第4類)】
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Posted by チェスト at

2014年01月30日

使える時間、分散

最近はなかなかブログを書く時間が取れないほど、GWツーリングの思索に久々にハマっている騎手体験ゲーム、そして週末恒例の友人たちとのSkypeでの長話と、やることが多岐に渡っています。
まあその間に去年の後半からアップロードしたかった戦争もののシミュレーションゲームの大逆転劇の顛末をアップしていますが、所詮ゲームですので、実際にはあんな感じで日本軍が太平洋戦争を大逆転勝利するのは、兵站、指揮官の力量などの問題で不可能だったことでしょう。
多角経営がうまくいかない事例が多いのを見てとれるように、実力以上の事に手を出し過ぎてしまうと失敗します。

というわけで、特に書くこともなく平穏とした日々であったということになりますが、インフルエンザ気味な状態でこの一週間を過ごしており、予防接種のおかげで去年ひいたのに比べれば軽めになっています。
まあ、上司が「イナビルをもらえば楽に治せますよ」という去年の経験を踏まえた私の忠告を無視して今週丸々インフルエンザで休みとなっており、洞察力に鋭く危機管理能力も時にいかんなく発揮するにしても無意味な結果では、無念です。

昨年末に続き2ヶ月連続で上司が交互に月末に離脱するこの展開、次はわが身にならぬよう万事に注意が必要です。  

Posted by yochi at 23:53Comments(0)たわごと

2014年01月18日

「俺」「豚」同舟

正月以外では今月唯一の連休となる今日明日をゆっくりくつろごうにも、やることがまだ少し残っていたり、父から37V型中古テレビ譲渡の一件などを聞いたりしていたため、クリーニングを回収し、運よく外出直前に届いた自社の品を一部持参して鹿児島まで向かいました。

まずはバイク屋へ赴き、ディスクブレーキの円盤を交換します。
なんせ今日、スクーターのメーター上でも60,000kmを達成しており、10年少々のブレーキ使用頻度は金属をも2mm以上削っていたのでした。
5mmの厚さが3mm切っているのですから、すごいものです。
なお、60,000kmというのは、地球一周半と同じ距離です。
同じスクーターでそれだけ乗ったのはシグナスXだけで、増税の記事でも書きましたが、本当シグナスXは名車です。
耐久性(ハイメッキシリンダエンジン)・燃費(60km/h走行時【40km/L】)で10年前のスペックながら先を行く車両で、今でも通用します。

と、セットでライトも交換しておき、夜間もこれで安心という次第で、屋根付き改造の件を進めてもらうよう指示を出した後に、谷山電停近くの薩摩蒸気屋でかすたどん&どらどんを買い、実家へ寄ります。
実家の犬にかすたどん&どらどんの一部を分け与えて、留守の間の機嫌を取った後、倉庫に置いてあるという37V型中古テレビを下見します。
我が家は家電については原則日立製で統一しているのですが、あろうことか、自宅においては炊飯器・テレビ・電話機、そして正月の福袋で買ったブルーレイレコーダーまでもがシャープ製で、非国民ならぬ「非家族」になってしまっているのですが、現在使用しているもので日立製は電子レンジだけです。

ブルーレイレコーダーとの相性を考えればシャープのAQUOSが妥当と考える身にとって、37V型中古テレビの性能を踏まえて判断を下すべく、製造年と消費電力を見てみたら、ちょっと考えないといけない代物でした。
製造年は2005年で9年物、まあこれは問題ないのですが、消費電力で絶句しました。
388Wと書いてあったためです。
388Wは、自宅PCの消費電力量といい勝負なのはもちろんのこと、現在使用している25型ブラウン管テレビの86W(弱省電力モード)と比較しても4倍少々の、電気喰らいと言って過言ではありません。
風呂場の電気についてもLEDを買うような人間からしたら、長く使うもので4倍少々は、NGです。

というわけで、今回の話は受けないつもりですが、37V型にもかかわらず消費電力が高い理由、それは今絶滅確実の「プラズマディスプレイテレビ」だったためです。
液晶が・・・という方には最適な代物ながら、9年前とは異なり、液晶でもLEDバックライトのものが普及していて、プラズマディスプレイはもはや過去のものになりつつあります。
プラズマディスプレイには何の恨みもないものの、消費電力を考えれば月々の維持費が百円単位でアップするのは間違いなく、家のテレビが完全地上デジタル対応するまでにはまだ数年かかりそうです。

その帰り、フェリーに乗って相撲を見て、下船する際、強烈な臭いが襲ってきました。
なんと、バイクのそばに家畜運搬車が止まっていたのです。
あそこまで強烈なのは、小林市近辺の生ごみ運搬車の後ろを走っていた時以来でしたが、バイクのそばからは遠ざけてほしいと鼻が曲がりつつ、その後は常に先行して臭いを嗅がないよう半ば拷問状態で帰宅したのでありました。  

Posted by yochi at 18:03Comments(0)大隅生活便り

2014年01月13日

6年半ぶりに親友と話す

前住んでいた桜ケ丘のアパートへこのたび他人が越してきた、ということを業務連絡で知り、隣室DQN女に振り回されないことを願っているところですが、年末に買っていたプレジデントを少々読み、Tポイントのサイトでビンゴでもやろうかとポチっとする直前、電話が鳴りました。

番号は6年半音信不通であった親友からのもので、早速出ますと、相も変らぬ親友からの第一声が耳に入ってきました。
元気そうで何よりと、1時間20分ほど話し込んでましたが、6年半も経てばいろんな面で変化しています。
スマホユーザーになっていること、一流企業の子会社で勤めていること、Skypeを使っていることなど、様々です。

しかし、彼の趣味であり、ライフワークでもある作曲については、昔も今も変わらぬ情熱で取り組んでいるようです。
私の方でも6年半で起きたことを手短に、かつ彼とも関係があるところを中心に話をしてましたが、私の勤務先を些細なヒントでバッチリ当てるところはさすがでした。
あ・うんの呼吸が合うところは、高校時代からの親友だけに、全く変わっていませんでした。

時をさかのぼること2007年8月、彼が当時一緒に勤めていた会社を去り、Flash制作のレクチャーを自宅で受けたのを最後に彼と連絡が取れなくなったのですが、あの頃は個別塾を立ち上げる、という目標一つに自分自身はただひたすらに忍耐の日々でした。
創業資金の目処が立ったのが2008年11月のことでしたが、折悪くリーマンショックの嵐が吹き荒れ、塾業界も競争過多の時代に突入していき、創業にこぎつけられずに挫折の憂き目に遭います。

その後も自身の資格取得計画を機に思いついた自習室計画へ軌道修正を図るも、資格取得を通じたスキルアップと転職を優先する姿勢へ転換し、さらにバイクを購入したことで創業用に蓄えていた資金を大幅に取り崩す結果となり、転職後の転居でさらに貯蓄が減り、創業計画自体は破たんに追い込まれてしまいます。

ただ、スキルアップしたことでWebシステム開発を自分自身でできるところまで実現可能にし、結果他にはない独自サービスを確立するに至ることになりました。
彼とも電話で話した際、果たして絶縁関係がなくて、未だに長電話していたらどうなってただろうねと言葉を交わした次第でしたが、集中的に時間を自分自身のためになることに費やすことが出来たからこそ実現できたわけで、そのあたりの「変身」ができたのは、環境の変化によるものだと思います。

その他、公の場にも書けない交友関係の話などで盛り上がった時間となりましたが、今後伊佐市在住の友人のように週1回定例で話すことになりそうです。
友人の数は少ないですが、全員本音で接することができる大事な同志です。
よりよい社会を築くべく、今後とも様々な方面で意見交換していかねばと思います。  

Posted by yochi at 23:27Comments(0)たわごと

2014年01月12日

岩崎宏美さんのコンサートを聴きに志布志へ赴く

昨年予定していたことのフィナーレが、昨日志布志市文化会館で行われた岩崎宏美さんのコンサートへ赴くことでした。

会社から帰って、洗濯や年賀状の返礼などを済ませてから志布志へ移動するわけですが、意外なことに、志布志へシグナスXで赴くのはこれが初めてでした。
そして、走行距離60,000km達成に向けてのラスト走行にもなりました。

さて、なぜ岩崎宏美さんの曲が好きなのか、ということなのですが、父の影響が強いです。
子どもの時、田舎へ行く時車内のカセットでかかる曲がいつも「シンデレラハネムーン」や「ドリーム」で、小学生ながら結構好きでした。
それも90年代にCDが普及し始めてからしばらく耳にしなかったのですが、YouTubeを使い始めて、鉄道系の動画を見る際、NHK関東ローカルの「小さな旅」を見て、で、これに歌詞が付いているバージョンがあることを知り、それを歌っておられたのが岩崎宏美さんだった、ということで、そこから昔の記憶が蘇り、で、今回志布志へいらっしゃるということでネットで既に完売していたチケットをリナシティで残り少ない中やっと確保して、初めて生で聴ける機会を得ました。

今回聴けた中で、「ドリーム」はもちろん、YouTube上でも聴いたことがある「思秋期」や「聖母たちのララバイ」が生で聴け、その他の曲もしんみりしたり、普段と違う感じを受けたりでき、とてもお値打ち感がありました。
まあ、個人的には「小さな旅」や「シンデレラハネムーン」が聴きたい気もしましたが、限られた時間で数多くの曲目をこなしていただくのも変な話ですし、そのあたりは過去のものでカバーすることにします。

次に考えるは、GWツーリングをどうするか、という点ですが、かつての親友が住む北関東へバイクで歩を進めるには、中部地方を東へ突き進むしかなく、ちょっとそれは難しいと思う身には四国一周か中部縦断かでまとまっていません。
北関東へは飛行機と新幹線で赴く方が1泊2日で帰れて楽ですので、どこかの連休でやることにして、まだまだ計画を煮詰めていかねばと思います。
なお、ツーリング中の脳内BGMに岩崎宏美さんの曲もあります。
美しい景色と駆けていくバイクを彩ってくださる素晴らしい曲です。  

Posted by yochi at 22:01Comments(0)大隅生活便り

2014年01月06日

長らく途絶えてきた古い友人とのパイプが相次いで復活中

昨年9月下旬に自身の半生を深く反省して、再出発を図るべく、今の現職へ移り、大隅へ越してきて今日に至っているわけですが、収入面の問題は解決して、次に残っていたのが、かつての親友との交わりを元に戻していくことでした。

とは言え、稼ぎにおいては自分自身で対応できるも、交友関係については自分自身だけでなく、相手との関係も重要になってきます。
しかも、音信不通ですから、半ば自力で対応しようにも限界があります。

その辺のところは従来の「来る者は拒まず、去る者は追わず」の精神で、自分自身で出来るところの小中学校の同窓会や毎年恒例の友人との忘年会を開くことに専念して迎えた今年、とうとうこの方面でも地殻変動が起きてきました。

まずは、前記事でも書いてましたが、同窓会の二次会のラウンジでの教え子との10年ぶりの再会について触れてましたが、その前に、初登場の同級生(残念ながら一度も同じクラスになったことも直接話をしたこともなかったのだが・・・)が、何と小中学校で私とよく遊んでいた友人の一人と仲が良いことが判明し、その後3月に彼を交えて3人で飲むことが決定、SNSでも早速友人になり、19年ぶりに交友が戻りました。
個々のネットワークで交流関係が続いていたことで接点を取り戻した次第でしたが、同窓会を開いていることが社会貢献と言い切る自信は無いものの、船井幸雄氏の教えの「他人の為に取り組んでいることが結果として自分の為になって返ってくる」といった感じで波及してきているのかもしれません。

そして、これが元職のワンマンパワハラブラック企業に一緒に勤めたことを発端として絶交に至った最も仲の良かった親友の1人にも波及したようです。
今日、自宅へ戻ったら、桜ケ丘から転送されてきた1通の年賀状が届いていました。
それが、その親友からのものでした。
鹿児島を離れ、北関東へ引っ越したようですが、6年半ぶりに知る近況でした。
まあ、「No news is good news.」ですから、何もないのは何かでうまくやっているからだろうと見守るだけでしたが、彼の中でも何かが変わったのでしょう。
よいことです。

彼といい、私といい、理想だけを追い求めていては実益は無い、ということに気付くのに要した時間は同じくらいあったのだろうと思うところですが、学校現場では誰も教えてはくれない社会の厳しさを身にしみるほど知る戦友同士ですから、さらに成熟した大人の付き合いができそうです。

後の問題は、正月に父とケンカするほどになってきた結婚についての件ですが、先の同窓会の三次会で1時間も話してないホステスの子と結構意気投合してしまい、あまりそういう店は好きではないものの、気に入りました。
先の親友と絶交するきっかけの一つにもなったことがある、遠距離交際だった元カノと付き合っていた際の最大の問題が自分の財力についてでしたので、財力がアップした現状では、もはや障害は残っていません。
自社でも近いうちに社内合コンをやるという話が出ていますし、年内で一定の結論が出てくるかもしれません。

なお、まかり間違っても元カノと元に戻る気は、一切ありません。
元職のワンマンパワハラブラック企業勤めの際に培った人間観察の経験を踏まえて、この1年をより充実した年にしていこうと思いを新たにしています。  

Posted by yochi at 19:51Comments(0)たわごと

2014年01月05日

同窓会の後の予想外の展開に驚愕

昨日は家事全般を終わらせ、A列車で行こう9の100車両完全使用に向けて新線のデルタ線をこしらえて、400億円(※ゲーム内)の資金を投入して、面白い路線が出来たのですが、どん詰まりの始発駅を不規則に走る列車の1つのゆふいんの森型車両が最大のネックとなって、特急用ダイヤが完全に組み上がらない状態で鹿児島へ移動しました。

実家でバイクを定位置に停め、犬とふれあい、父から妹が連れてきた猫が粗相をやらかしたという話などを聞いた後、しばし居間代わりとなっている父の部屋でしばし映画鑑賞して時間をつぶします。
実家暮らし以来の最寄りのバス停からのバスに乗り込み、中央駅で下車、郵便局で万一に備えてお金を下ろした後、会場へ向かいます。

今回は恩師と9名が集まり、往時のビデオも持ち込んだプロジェクターで投射して、いろいろな話を咲かせておりました。
こういう展開になるのを見てますと、企画した者の冥利に尽きます。
つまらない集まりになってしまって、後悔させたくはないですからね。

2枚とも心霊写真っぽくオーブが浮遊している集合写真(今日帰宅して判明)を撮った後、恩師と一次会で帰宅する面々を見送り、二次会へ。
男だけのメンツのため、夜の店へ向かうわけですが、お金を下ろしておいたのはこの事態に備えて、という面もあります。
前回8月では、とてもつまらない思いをしたこともあり、さてどうこの時間を過ごそうかと思いつつ、入った店で着席してしばし、1人の女の子が妙なことを聞いてきました。
「社会の授業をしてませんでしたか?」

聞くと、10年前に川内の中学校で私の授業を受けていたというではありませんか。
事情を知らない他のメンツは、塾講師時代の教え子と混同しているようでしたが、塾講師の時は理数担当です。
社会となれば、中学校教師の時に断定できます。
クラスを聞いて、往時の生徒会長が同じクラスでしたので、その生徒の名前を出せば、合ってました。
間違いありません。
お水に教え子がいたことが判明した瞬間でした。

が、下の名前しか教えてくれないため、往時の記憶と顔が一致しません。
途中席を離れたりしていたため、とりあえず帰宅して調べ直すということと、同窓会を今回の自分たちみたいにやる時は必ず顔を出す、と彼女に伝えて、店を後にしました。

今日帰宅した後、早速当時の資料を見直したら、該当する生徒が1名特定できました。
「ははぁ~、彼女だったか!」
快活で性格も良く、私からも通知表で4と3を1つずつもらっていた彼女は、私とよく面白い質問をする生徒とのやり取りの珍妙さからかよく笑っており、実際俳句でもらった感謝の言葉には「一時間 笑ってばかりの 授業です」と、面白いだけでそれでよいのかと少々疑問も感じつつ、まずは中学社会科を好きになって取り組めていたことは分かります。

冒頭は気まずそうでしたが、10年経ってもちゃんと覚えていてくれていたこと、お水の仕事であれ、世間のために役だっていること(職業に貴賎は無い、と私は考えます)、といったところで、そんなことはないと伝えておきました。

恩師を招いた後に、店へ行ったら自分が恩師になって接遇を受けるとは、変なものですが、狭い国土の我が日本とは言え、様々な職業があり、各人の思惑に基づいて仕事をしているわけです。
元社会科教師としても、「勤労 納税 教育」の三大義務をしっかり果たしている限りは、何も言うことはありません。

教え子のその後は、10年間気になっていたことでもありましたので、今回は216人中の1人に過ぎませんが、会えてラッキーでした。

と、今回の夜のお店は気持ちよくお金を出すことができ、幸せな気持ちで店を後にし、帰りのタクシー代を気にしながらも何とか実家へ戻り、彼女の名字が分からないまま就寝したのでありました。


なお、今日は風立ちぬの原画展をやっているとのことで、長島美術館へ初めて行きました。
景色のよい場所で、手前が墓地なのが唯一NGと思いつつ、大半は既に持っている原画集でも目にしたものであったものの、セットもあり、行く価値はあったなと思いました。
ただ、紙飛行機のペーパークラフトをもらうも、帰宅してバイクのトランクを開けた瞬間に吹き飛び、回収に一苦労しています。

二次会以降で参加した同級生が自宅から数分のところに住んでいると聞き、今月以降大隅での夜の生活も楽しくなるかもしれません。
改めて、実に楽しい一夜でした。  

Posted by yochi at 18:31Comments(0)たわごと

2014年01月03日

正月の帰省

10年ぶりに鹿児島市外で過ごす正月。
ゆっくりできるかと言えばそうでもなく、10年前は大みそか前に中国・四国地方へ買ったばかりの125ccスクーターでツーリングへ赴くも、スピードメーターのタイヤ接続部が整備ミスで外れ、しまなみ海道を通過中に走行速度がだいたいしか分からなくなる大ピンチに見舞われた・・・というのを引き継いだか、仕事で出勤する日もありました。

前職ならば8連休でしたが、待遇がいい分、こういう面で妥協も必要です。
特に仕事面で不満を持つこともなく、仕事の合間を縫って帰省し、姪っ子と戯れるのは2度目ながらも、すっかり正月名物になってきた感があります。
プレゼントしたおもちゃが、まさかの12歳以上向けだったのはさておいて、ビール4杯を飲んだ身に姪っ子を高い高いするのは、一種の罰ゲームでした。

しかし、それ以上の罰ゲームだったのが、今年はカラオケを始めてしまい、私が4歳児の時に親戚宅で歌ったという「北酒場」を父が勝手に選曲。
まあ、私はカラオケを歌うために帰省したわけではないので、何も歌わずに終了したら、父が説教モードに。
物心ついている姪がいる中で心外なことを言ってくる父に対して親子絶縁も辞さずと強硬姿勢を取ったところでさすがの父も旗色が悪いと感づいたか和戦の様相を呈して矛を収め、既に0時半を回っていたため、幼児2名をこんな時間まで夜更かしさせてよいのかと元教師としての一面ものぞかせつつ、何も言わずに自室へ引き上げ、就寝します。

寝袋を調達して置いていたのですが、どういう風の吹きまわしか、新調した布団一式が置いてあり、その中へ寝ます。
桜ケ丘へ引っ越す前の実家暮らし以来の実家で就寝、というわけで、色んなことを考えながら20分くらいしたら夢の中へ入っていきました。

翌朝、1時半まで夜更かしした父や妹家族は就寝中、私の方は前職から基本的に規則正しい生活をしているため、祖父の家での年末年始の時と立場逆転、お年玉を預けてYBR250にまたがり実家を後にし、ここからは年始恒例の墓参へ赴きます。
例年よりも暖かいとは言え、朝8時台はまだ寒く、皇徳寺・松元と自分ゆかりの地を駆け抜けて、伊集院での墓参後にそばを食して、10年前の川内暮らし時のルートを駆けて阿久根でガソリン給油となりましたが、159円/Lで安く済みました。

無事墓参を済ませ、さてどうやって大隅へ帰ろうか、と思うわけですが、途中のそば屋に日本地図があり、そこを眺めて得たのは、川内から空港道路で加治木まで移動して、そこから東へ向かえば良い、というものでした。
というわけで、川内暮らし以来の空港道路で東へひた走り、加治木から国道10号、220号、504号と知っている道そろい踏みで帰宅したのが鹿児島を出てから5時間半後のことでした。

なお、明日もまた同窓会のため、実家へ戻ります。
ここを過ぎれば彼岸まで鹿児島へ行く用事もなく、部品到着遅延の問題でお預けとなっているスクーターの部品交換をどうするのか、天候と休日次第で判断することになりそうですが、この先寒さは厳しくなるばかりで、春を待つのが賢明に思えます。  

Posted by yochi at 22:00Comments(0)大隅生活便り