2015年09月24日
SW特別鉄道旅行2015・3日目(9/21)
実は課長昇格は10/1付だった、などと、組織図に書いてあることと違うではないか、と思いつつも、事実上部署のまとめ役として動き出しているところですが、風の噂では月の休日数が1日増えるかも、という、実現したらうれしいニュースも入ってきています。但し、今回のように北海道にまた気安く行ける、というのは難しそうですが・・・。
近況はこれまでにして、今回は、大型シルバーウィーク連休特別鉄道旅行の3日目・千歳から都心に戻り、秋葉原周辺探索と帰宅までの模様を記します。
起床は5時20分。一転して早いのは、6時15分の空港送迎バスに乗るためである。前日に白い恋人探索で歩き回った際、駅前のローソンで買っておいた朝食をしっかりと食べ、6時5分にはホテルのロビーで出発までの時間を過ごした。
空港送迎バスに乗り込み、新千歳空港に入る。6年前のシルバーウィークでは、ネット接続のためにノートパソコンを持ち込んでいたのだが、今ではその必要もなくなり、iPad2さえも持ち込まなくなり、スマホだけで片付くようになった。実際、空港の持ち物検査でノートパソコンをトレーに入れる人を見かけなかった。時代は確実に進んでいる。往時はまた、東京からの帰路に、新千歳空港を舞台にした航空管制ゲームを買っており、インストールして機上で航空管制をするという変なことをしていたものだが、6年経って本物の新千歳空港にいるというのもまた感慨深いものがあった。
事前の下調べで、6時45分に北海道物産なるお店が先に開店すると知り、店の前で待つこと数分。6時半過ぎに開店してくれたため、早々と北海道のお土産を買うことが出来た。白い恋人を5箱とご当地のチョコレートを1箱、チョコボールの夕張メロン味を1箱に羽田空港で買う土産の姉妹品の北のシュガーバターの木の商品を2つ、それとお酒のおつまみ用のさきいかなど2品を、総額1.4万円程の買い物であった。
ご当地名物のカニやメロンも興味はあったが、今回は見送った。稼ぎが増えたら買おうと思う。
新千歳空港を離陸し、南にコースを取るため、すぐに苫小牧港と太平洋に出た。機内のルートマップを見て、八戸市付近で本州上空に入り、内陸を通って羽田空港に着くことが分かった。しばし眼下に広がる北上川沿いの景色や北上高地の山並みなどを眺めていた。
しばらくすると、北上川が直角に曲がるポイントが見え、その先に牡鹿半島が見えた。その付け根に万石浦・・・と来れば、3年前に訪れた宮城県石巻市の今の様子を空から眺めることになる。さすがに石ノ森漫画館の建物までは見えなかったが、着実に復興していることを願って手を合わせつつ、いつまでも眺めていた。
バスで通った三陸道の先に仙台市街地が広がり、津波が押し寄せた仙台空港周辺の様子も見て取れた。空から見ただけでは震災の傷跡が見えにくくなっているのだが、しっかりと記録を遺して記憶を伝えていかねばならない、そう思わせた。
その先はいよいよ福島県、海岸線に福島第一原発が・・・と思っていたら、徐々に雲が覆い始め、やがて見えなくなった・・・。生きているうちに全員帰還できるのか、強く疑念がある。
茨城県のつくば市付近から再び景色が楽しめるようになり、霞ヶ浦や先日の豪雨で被害が出た利根川水系の様子も見えた。やがて羽田空港34R滑走路へ進入し、無事に着陸。預けた荷物は鹿児島まで送り届けるように伝えてあるため、そのままモノレール乗り場へ向かい、浜松町経由で山手線に乗り換えて秋葉原まで。1日目以来ではあるが、その時は電気街口に行っていないため、駅前は久しぶりのことである。
今回は、iPad2のケースと航空管制ゲームの羽田空港の最新版を購入。滑走路が4本になってからの運用について全く知識の持ち合わせがなかったため、なかなかいい勉強になった。
6年前に伊佐市の友人と食べたてんやで天丼とざるそばをすすり、末広町駅から上野駅へ移動。3年ぶりのことである。この地に来たのはほかでもない、都心に開業した新線と言えば、上野東京ラインであり、それに乗って品川まで移動しようという魂胆である。
ちょうど常磐線快速列車が入線してきたため、乗車する。なお、この列車には、1日目で再来年に竜ケ崎市駅へと改名予定である伊佐市の友人が長年住み、利用していた佐貫駅まで行く際にも乗る予定であったが、小湊鐵道の代行ダイヤと武蔵野線の乱れの影響で乗れなかったので、ある意味ではよかった。
東京駅までに停車駅がないため、快適に移動できるのはよかった。終点の品川まで座れ、その後京急線で国際線ターミナル駅に向かう。これから海外に行くわけでなく、単なる展望デッキからの飛行機見学である。34Rか05滑走路から出発していくため、着陸して来る飛行機を見るのが専らだったが、多くの子ども連れなどで展望デッキは賑わっていた。
13時過ぎとなり、そろそろ出発フロアでくつろごうと、羽田空港ターミナル連絡バスに乗り、無事に時間内に出発フロアでくつろぐ。通常ならばお土産を買いに行くところだが、今回は新千歳空港で全て買い物を終えており、特に何も買わなかった。
15時過ぎに羽田空港を後にし、疲れていたせいか、かなりぐっすりと寝ていた。
17時過ぎに鹿児島空港に戻り、17時半過ぎに空港を出る。さて、お彼岸だから墓参りを今日するか、週末するかで悩んだが、阿久根まで1時間半で行けると踏み、墓参りを強行。19時過ぎに阿久根、20時過ぎに伊集院と無事に墓参でき、立ち食いそばをすすって、大隅に戻ったのは22時前のこと。0日目を執筆したのはその直後のことである。
次に北海道へ行く時は、道東か道北が舞台になるだろう。管理職となった身には、1泊2日しかできない。自由か、稼ぎか、というテーマに悩みつつ、今日も仕事に頑張っていくのであった。
近況はこれまでにして、今回は、大型シルバーウィーク連休特別鉄道旅行の3日目・千歳から都心に戻り、秋葉原周辺探索と帰宅までの模様を記します。
起床は5時20分。一転して早いのは、6時15分の空港送迎バスに乗るためである。前日に白い恋人探索で歩き回った際、駅前のローソンで買っておいた朝食をしっかりと食べ、6時5分にはホテルのロビーで出発までの時間を過ごした。
空港送迎バスに乗り込み、新千歳空港に入る。6年前のシルバーウィークでは、ネット接続のためにノートパソコンを持ち込んでいたのだが、今ではその必要もなくなり、iPad2さえも持ち込まなくなり、スマホだけで片付くようになった。実際、空港の持ち物検査でノートパソコンをトレーに入れる人を見かけなかった。時代は確実に進んでいる。往時はまた、東京からの帰路に、新千歳空港を舞台にした航空管制ゲームを買っており、インストールして機上で航空管制をするという変なことをしていたものだが、6年経って本物の新千歳空港にいるというのもまた感慨深いものがあった。
事前の下調べで、6時45分に北海道物産なるお店が先に開店すると知り、店の前で待つこと数分。6時半過ぎに開店してくれたため、早々と北海道のお土産を買うことが出来た。白い恋人を5箱とご当地のチョコレートを1箱、チョコボールの夕張メロン味を1箱に羽田空港で買う土産の姉妹品の北のシュガーバターの木の商品を2つ、それとお酒のおつまみ用のさきいかなど2品を、総額1.4万円程の買い物であった。
ご当地名物のカニやメロンも興味はあったが、今回は見送った。稼ぎが増えたら買おうと思う。
新千歳空港を離陸し、南にコースを取るため、すぐに苫小牧港と太平洋に出た。機内のルートマップを見て、八戸市付近で本州上空に入り、内陸を通って羽田空港に着くことが分かった。しばし眼下に広がる北上川沿いの景色や北上高地の山並みなどを眺めていた。
しばらくすると、北上川が直角に曲がるポイントが見え、その先に牡鹿半島が見えた。その付け根に万石浦・・・と来れば、3年前に訪れた宮城県石巻市の今の様子を空から眺めることになる。さすがに石ノ森漫画館の建物までは見えなかったが、着実に復興していることを願って手を合わせつつ、いつまでも眺めていた。
バスで通った三陸道の先に仙台市街地が広がり、津波が押し寄せた仙台空港周辺の様子も見て取れた。空から見ただけでは震災の傷跡が見えにくくなっているのだが、しっかりと記録を遺して記憶を伝えていかねばならない、そう思わせた。
その先はいよいよ福島県、海岸線に福島第一原発が・・・と思っていたら、徐々に雲が覆い始め、やがて見えなくなった・・・。生きているうちに全員帰還できるのか、強く疑念がある。
茨城県のつくば市付近から再び景色が楽しめるようになり、霞ヶ浦や先日の豪雨で被害が出た利根川水系の様子も見えた。やがて羽田空港34R滑走路へ進入し、無事に着陸。預けた荷物は鹿児島まで送り届けるように伝えてあるため、そのままモノレール乗り場へ向かい、浜松町経由で山手線に乗り換えて秋葉原まで。1日目以来ではあるが、その時は電気街口に行っていないため、駅前は久しぶりのことである。
今回は、iPad2のケースと航空管制ゲームの羽田空港の最新版を購入。滑走路が4本になってからの運用について全く知識の持ち合わせがなかったため、なかなかいい勉強になった。
6年前に伊佐市の友人と食べたてんやで天丼とざるそばをすすり、末広町駅から上野駅へ移動。3年ぶりのことである。この地に来たのはほかでもない、都心に開業した新線と言えば、上野東京ラインであり、それに乗って品川まで移動しようという魂胆である。
ちょうど常磐線快速列車が入線してきたため、乗車する。なお、この列車には、1日目で再来年に竜ケ崎市駅へと改名予定である伊佐市の友人が長年住み、利用していた佐貫駅まで行く際にも乗る予定であったが、小湊鐵道の代行ダイヤと武蔵野線の乱れの影響で乗れなかったので、ある意味ではよかった。
東京駅までに停車駅がないため、快適に移動できるのはよかった。終点の品川まで座れ、その後京急線で国際線ターミナル駅に向かう。これから海外に行くわけでなく、単なる展望デッキからの飛行機見学である。34Rか05滑走路から出発していくため、着陸して来る飛行機を見るのが専らだったが、多くの子ども連れなどで展望デッキは賑わっていた。
13時過ぎとなり、そろそろ出発フロアでくつろごうと、羽田空港ターミナル連絡バスに乗り、無事に時間内に出発フロアでくつろぐ。通常ならばお土産を買いに行くところだが、今回は新千歳空港で全て買い物を終えており、特に何も買わなかった。
15時過ぎに羽田空港を後にし、疲れていたせいか、かなりぐっすりと寝ていた。
17時過ぎに鹿児島空港に戻り、17時半過ぎに空港を出る。さて、お彼岸だから墓参りを今日するか、週末するかで悩んだが、阿久根まで1時間半で行けると踏み、墓参りを強行。19時過ぎに阿久根、20時過ぎに伊集院と無事に墓参でき、立ち食いそばをすすって、大隅に戻ったのは22時前のこと。0日目を執筆したのはその直後のことである。
次に北海道へ行く時は、道東か道北が舞台になるだろう。管理職となった身には、1泊2日しかできない。自由か、稼ぎか、というテーマに悩みつつ、今日も仕事に頑張っていくのであった。
2015年09月23日
SW特別鉄道旅行2015・2日目(9/20)
まともに休めない中、連日出勤してますと、そこそこガタが来ています・・・。久しぶりに背中がストレスでかゆくなる有様でしたが、今週は金曜日まで仕事をしたら休みです。というわけで、今回は、大型シルバーウィーク連休特別鉄道旅行の2日目・札幌から一日散歩きっぷと一部区間で特急に乗り、道央を鉄道で周遊した日の模様を記します。
起床は6時10分。前日より遅くできたのは、ホテルのバイキング朝食が7時からだったためである。5分前に会場に着き、定刻からバイキングでおかずやフルーツを9品とごはん、味噌汁にオレンジジュースでしっかりと栄養を摂る。前日は松屋の牛丼、コンビニのおにぎり、駅のうどん、塩バターラーメンで栄養的に偏り過ぎているため、これで多少のバランスは取れたことだろう。
着いて間もなく列車が到着した中島公園駅から地下鉄で札幌駅に戻り、一日散歩きっぷを券売機で買おうとしたが、選択肢に出てこない。やむなく西みどりの窓口へ向かい、難なく購入できた。一日散歩きっぷで回れる滝川、新得、夕張、千歳の順で周遊する計画である。
空いた時間でトイレを探すが、改札口から外のトイレはどこもかしこも男女問わず行列が出来ていた。改札口の中に入り、トイレを巡るが、どこも短いながらも行列が出来ていた。乗車する9番ホーム近くのトイレは行列が無かったため、難なく所用を済ませて、9番ホームで列車を待つ。札幌駅のトイレはすぐに利用できないことが多いため、注意が必要である。


8:05発の岩見沢行き普通列車に乗り込み、ギリギリでロングシートの最後の空きスペースに座れた。乗車時間41分とは言え、前日の新千歳空港からの移動の時のように、ずっと立ちっぱなしもしんどいものである。
前日には見ることもできなかった日の下の北海道の風景は、また格別である。といっても、大麻(おおあさ)駅を出てからのことなのだが。首都圏の混雑ぶりの変わらない状態で札幌駅を出た列車は、大麻駅でロングシートに空きが出るほど一気に乗客が降りた。漢字の名前が犯罪を意識させるが、九州から来た人間には、理由が全く分からない。何はともあれ、大麻駅から北に広がる原生林や石狩平野の景色を十分に楽しむことが出来た。

終点の岩見沢駅で下車し、3分後にやって来る特急「スーパーカムイ5号」の到着を待つ。滝川駅まで向かう普通列車が数時間待ちのため、この区間だけは追加料金で特急に乗らないといけない。事前に浅草橋駅で乗車券と指定席券を購入してあるので、特に問題はない。北海道到着後初の特急列車に乗り込み、北を目指すが、旭川~札幌~小樽間は北海道の主力幹線だけあり、スピードが速い。

予定通り27分で滝川駅に到着、次に乗る根室線普通列車は3時間以上の乗車となるため、自販機で緑茶飲料を購入、事前にトイレも済ませようと1番ホームを見たら、ものすごい人たちであふれていた。ちょうどそこへキハ40形ディーゼルカーが1両編成で1番ホームに入るのを見て、「これはまずい!」ということに気が付いた。その列車はこれから乗る列車だったのである。まずはトイレを済ませ、いよいよ乗車に向かうが、確実につり革直行だということは分かっていた。何とか場所は確保し、荷物も棚にしまい、長そでだったのを半そで1着になった上で、覚悟を決めて9:36、滝川駅を発車した。先の見通しも立っており、11時前に富良野駅に到着するため、1時間ほど立っていれば座れる、という確信があった。景色も満足に見られない中、鉄道ヲタクが多数を占める車内で立席のまま、無事に富良野駅に到着。ここで車両を1両増結する、ということで車外に荷物を持って下車し、行き先表示板を見て、この列車が鉄ヲタの乗車率がなぜ高いのかが分かった。現在運行されている普通列車の中で最も最長距離を走る列車だったためである。滝川発釧路行であり、終着は18時半頃。その頃は千歳駅にいる頃であるが、乗り鉄にとっては乗ってみたい列車であることだけは良く分かった。

増結した後ろの車両に何とか座れ、しばし東へと向かう。途中、落合駅で停車時間があったので、しばし写真を撮っていた。






道央の豊かな自然に癒されつつ、狩勝峠を超えて新得駅へやってきた。ここでご当地名物の新得そばにありつこうと蕎麦屋を巡るが、どこもかしこも多く、中には臨時休業の店も。やむなく駅構内のそばでしのぎ、滝川~富良野間の立席の再現を阻止すべく、早い時間から新得駅のホームで「スーパーとかち8号」の到着を待つ。なお、新得~新夕張間を各駅停車する特急列車に限り、普通列車扱いで一日散歩きっぷでも乗れる。途中駅員から事情聴取を受けるが、それもそのはず、「スーパーとかち8号」の自由席は半分以上空いていた。わざわざ40分も並んでまで乗ることもなかったのだ。







何はともあれ、今回で最東の新得駅を14:10に後にし、石勝線を西へと向かう。再び狩勝峠を越え、新夕張駅にちょうど1時間後に到着。







ここで待ち時間が40分ほどあるので、駅入口の自販機でペットボトル入りミルクコーヒーを購入。何でも、北海道産牛乳使用という地元商品のようである。ペットボトルながら、20分ほどで飲み干してしまい、今度は脂肪の吸収を抑えるという緑茶飲料を購入。友人と電話して前日の失敗談を聞きつつ、時間になったため駅のホームへと上がって行く。この間誰とも遭遇せず、15:53発の夕張駅行きの普通列車に乗り込む。かつては炭鉱の町として栄えた夕張であったが、途中の各駅の構内の広さがその歴史を物語る。



夕張駅で写真を撮った後、折り返しの列車に乗り込み、この日の終着駅・千歳駅まで乗車する。追分駅で長時間停車している間に、行き先表示板の交換作業が行われたため、写真を撮った。






発車が遅かったため、ダイヤが4分遅延した状態で千歳駅に到着、北海道での鉄道旅行はこれで終了となった。
駅前のホテルへ赴き、チェックインを済ませ、ジンギスカンを食べる旨伝え、荷物を預けてダッシュで千歳駅のバス停へ。40秒を切り、左に曲がればもうすぐバス停というところで、段差があり、こけた。まあ、直前のポールを見た段階で、こけるかもな~と思っていたので、うまく受け身をして、かすり傷で済んだのは幸いだった。そして、バス停にバスの姿はなく、10分待ちか・・・とへこんでいたら、後ろから乗る予定のバスがやって来た。青葉公園行に乗り、福祉センター前で下車、すぐ近くにあるさっぽろジンギスカン千歳店へ向かうが、何とこの日は定休日。ついていない。
今回の旅程を協議した伊佐市の友人に連絡を取り、代案の場所を調べてもらう。帰りのバスに乗ろうと本町二丁目バス停へ向かったが、残念ながら30分待ちで、歩いた方が早いということで、足に豆が出来ている中を千歳市役所方面へ歩く。橋を渡り、ギオン通りという看板が出ているところにふと目を向けたら、ジンギスカンの店を見つけ、カウンター席もあるようで、一人ジンギスカンができるというわけで、この店で食べることにした。店員に気付かれるまで1分程かかったのがアレだったが、オススメのものを頼み、ビールとつまみを片手においしく頂けた。お代は3,200円程だったが、満足であった。


そこからホテルまで歩いたが、今度の課題は北海道でしか買えない銘菓・白い恋人の購入であった。再度伊佐市の友人に連絡を取り、千歳駅のキオスク(休日休)、ANAクラウンプラザホテル(不審者扱いされかねないためまともに探索できず)と巡り、最後新千歳空港まで買いに行けばどうかと提案を受けたが、さすがに疲れている。第一、新千歳空港には翌朝赴くため、この日のうちに行く必要はない。というわけで、新千歳空港の土産店の営業時間を調べ、その時間を見計らって向かえばいい、というわけで、ようやくホテルに21時前に入る。VOD見放題という特典があったが、そこそこ見ただけに留め、22時半までに就寝し、1日が終わった。なお、千歳駅に降り立ってから歩いた距離は4kmに及んだという・・・。
起床は6時10分。前日より遅くできたのは、ホテルのバイキング朝食が7時からだったためである。5分前に会場に着き、定刻からバイキングでおかずやフルーツを9品とごはん、味噌汁にオレンジジュースでしっかりと栄養を摂る。前日は松屋の牛丼、コンビニのおにぎり、駅のうどん、塩バターラーメンで栄養的に偏り過ぎているため、これで多少のバランスは取れたことだろう。
着いて間もなく列車が到着した中島公園駅から地下鉄で札幌駅に戻り、一日散歩きっぷを券売機で買おうとしたが、選択肢に出てこない。やむなく西みどりの窓口へ向かい、難なく購入できた。一日散歩きっぷで回れる滝川、新得、夕張、千歳の順で周遊する計画である。
空いた時間でトイレを探すが、改札口から外のトイレはどこもかしこも男女問わず行列が出来ていた。改札口の中に入り、トイレを巡るが、どこも短いながらも行列が出来ていた。乗車する9番ホーム近くのトイレは行列が無かったため、難なく所用を済ませて、9番ホームで列車を待つ。札幌駅のトイレはすぐに利用できないことが多いため、注意が必要である。


8:05発の岩見沢行き普通列車に乗り込み、ギリギリでロングシートの最後の空きスペースに座れた。乗車時間41分とは言え、前日の新千歳空港からの移動の時のように、ずっと立ちっぱなしもしんどいものである。
前日には見ることもできなかった日の下の北海道の風景は、また格別である。といっても、大麻(おおあさ)駅を出てからのことなのだが。首都圏の混雑ぶりの変わらない状態で札幌駅を出た列車は、大麻駅でロングシートに空きが出るほど一気に乗客が降りた。漢字の名前が犯罪を意識させるが、九州から来た人間には、理由が全く分からない。何はともあれ、大麻駅から北に広がる原生林や石狩平野の景色を十分に楽しむことが出来た。

終点の岩見沢駅で下車し、3分後にやって来る特急「スーパーカムイ5号」の到着を待つ。滝川駅まで向かう普通列車が数時間待ちのため、この区間だけは追加料金で特急に乗らないといけない。事前に浅草橋駅で乗車券と指定席券を購入してあるので、特に問題はない。北海道到着後初の特急列車に乗り込み、北を目指すが、旭川~札幌~小樽間は北海道の主力幹線だけあり、スピードが速い。

予定通り27分で滝川駅に到着、次に乗る根室線普通列車は3時間以上の乗車となるため、自販機で緑茶飲料を購入、事前にトイレも済ませようと1番ホームを見たら、ものすごい人たちであふれていた。ちょうどそこへキハ40形ディーゼルカーが1両編成で1番ホームに入るのを見て、「これはまずい!」ということに気が付いた。その列車はこれから乗る列車だったのである。まずはトイレを済ませ、いよいよ乗車に向かうが、確実につり革直行だということは分かっていた。何とか場所は確保し、荷物も棚にしまい、長そでだったのを半そで1着になった上で、覚悟を決めて9:36、滝川駅を発車した。先の見通しも立っており、11時前に富良野駅に到着するため、1時間ほど立っていれば座れる、という確信があった。景色も満足に見られない中、鉄道ヲタクが多数を占める車内で立席のまま、無事に富良野駅に到着。ここで車両を1両増結する、ということで車外に荷物を持って下車し、行き先表示板を見て、この列車が鉄ヲタの乗車率がなぜ高いのかが分かった。現在運行されている普通列車の中で最も最長距離を走る列車だったためである。滝川発釧路行であり、終着は18時半頃。その頃は千歳駅にいる頃であるが、乗り鉄にとっては乗ってみたい列車であることだけは良く分かった。

増結した後ろの車両に何とか座れ、しばし東へと向かう。途中、落合駅で停車時間があったので、しばし写真を撮っていた。






道央の豊かな自然に癒されつつ、狩勝峠を超えて新得駅へやってきた。ここでご当地名物の新得そばにありつこうと蕎麦屋を巡るが、どこもかしこも多く、中には臨時休業の店も。やむなく駅構内のそばでしのぎ、滝川~富良野間の立席の再現を阻止すべく、早い時間から新得駅のホームで「スーパーとかち8号」の到着を待つ。なお、新得~新夕張間を各駅停車する特急列車に限り、普通列車扱いで一日散歩きっぷでも乗れる。途中駅員から事情聴取を受けるが、それもそのはず、「スーパーとかち8号」の自由席は半分以上空いていた。わざわざ40分も並んでまで乗ることもなかったのだ。







何はともあれ、今回で最東の新得駅を14:10に後にし、石勝線を西へと向かう。再び狩勝峠を越え、新夕張駅にちょうど1時間後に到着。







ここで待ち時間が40分ほどあるので、駅入口の自販機でペットボトル入りミルクコーヒーを購入。何でも、北海道産牛乳使用という地元商品のようである。ペットボトルながら、20分ほどで飲み干してしまい、今度は脂肪の吸収を抑えるという緑茶飲料を購入。友人と電話して前日の失敗談を聞きつつ、時間になったため駅のホームへと上がって行く。この間誰とも遭遇せず、15:53発の夕張駅行きの普通列車に乗り込む。かつては炭鉱の町として栄えた夕張であったが、途中の各駅の構内の広さがその歴史を物語る。



夕張駅で写真を撮った後、折り返しの列車に乗り込み、この日の終着駅・千歳駅まで乗車する。追分駅で長時間停車している間に、行き先表示板の交換作業が行われたため、写真を撮った。






発車が遅かったため、ダイヤが4分遅延した状態で千歳駅に到着、北海道での鉄道旅行はこれで終了となった。
駅前のホテルへ赴き、チェックインを済ませ、ジンギスカンを食べる旨伝え、荷物を預けてダッシュで千歳駅のバス停へ。40秒を切り、左に曲がればもうすぐバス停というところで、段差があり、こけた。まあ、直前のポールを見た段階で、こけるかもな~と思っていたので、うまく受け身をして、かすり傷で済んだのは幸いだった。そして、バス停にバスの姿はなく、10分待ちか・・・とへこんでいたら、後ろから乗る予定のバスがやって来た。青葉公園行に乗り、福祉センター前で下車、すぐ近くにあるさっぽろジンギスカン千歳店へ向かうが、何とこの日は定休日。ついていない。
今回の旅程を協議した伊佐市の友人に連絡を取り、代案の場所を調べてもらう。帰りのバスに乗ろうと本町二丁目バス停へ向かったが、残念ながら30分待ちで、歩いた方が早いということで、足に豆が出来ている中を千歳市役所方面へ歩く。橋を渡り、ギオン通りという看板が出ているところにふと目を向けたら、ジンギスカンの店を見つけ、カウンター席もあるようで、一人ジンギスカンができるというわけで、この店で食べることにした。店員に気付かれるまで1分程かかったのがアレだったが、オススメのものを頼み、ビールとつまみを片手においしく頂けた。お代は3,200円程だったが、満足であった。


そこからホテルまで歩いたが、今度の課題は北海道でしか買えない銘菓・白い恋人の購入であった。再度伊佐市の友人に連絡を取り、千歳駅のキオスク(休日休)、ANAクラウンプラザホテル(不審者扱いされかねないためまともに探索できず)と巡り、最後新千歳空港まで買いに行けばどうかと提案を受けたが、さすがに疲れている。第一、新千歳空港には翌朝赴くため、この日のうちに行く必要はない。というわけで、新千歳空港の土産店の営業時間を調べ、その時間を見計らって向かえばいい、というわけで、ようやくホテルに21時前に入る。VOD見放題という特典があったが、そこそこ見ただけに留め、22時半までに就寝し、1日が終わった。なお、千歳駅に降り立ってから歩いた距離は4kmに及んだという・・・。
2015年09月22日
SW特別鉄道旅行2015・1日目(9/19)
今日は、連休明け後の出社となり、組織の変更と共に座席配置も一部変わっており、役員の目線が気になるところでしたが、やはり配布されていた組織図を見て、ついに事業部長補佐を兼ねた課長になっておりました。これまで主任までしか務めたことがないため、初の課長となります。しかも、所属事業部課が1部2課制であったのが2部2課制となっており、2つに分かれており、両部を統括する立場になりました。事務的に少々面倒なことを覚えていかないといけないのですが、先々のことはその時に委ね、連休中もしっかりと仕事をこなしてもらっており助かりました。基本的なことができる部署であれば、誰が欠けても安心です。
さて、今回は、大型シルバーウィーク連休特別鉄道旅行の1日目・浅草橋から房総半島のど真ん中経由で成田空港へ向かい、初の北海道に至るまでを記します。
起床は5時50分。但し、友人が4時半過ぎに起き、5時半の列車に乗るため、その都度起きて連絡を取る特別体制であった。風呂に入り、身支度を整え、朝食を摂りに6時40分にホテルを出る。浅草橋駅の近くに松屋があることを事前に調べており、横断歩道を渡って店内に入り着席する。が、よくよく考えたら、首都圏の飲食店は食券制であることが大半である。食券を買わずに着席するなど、田舎者とバレたも同然である。
そこを平静を装って改めて食券を買い、プレミアム牛めしに生野菜のセットでの朝食となった。お肉が柔らかく、プレミアムという名を付けるのも良く分かるが、あまり大した差ではないような気がする。
店を出て、再び浅草橋駅に入り、指定席券売機で事前に予約していた切符とこの日の旅の主役・休日おでかけパスを買う。時間に余裕があるため、気持ちの上でも焦りはなく、総武線を隣の秋葉原駅へと向かう。秋葉原駅に7時10分過ぎに着き、宇都宮市からやって来る友人を待つ。なお、この日が当初考えていたアルペンルート踏破ではなく鉄道旅行になったのは、春から夏にかけて彼と連絡が取れなくなったためである。その罪滅ぼしも兼ねて彼は参加するのだが、なかなかやって来ない。7時20分を過ぎ、乗車する新宿わかしお号の到着も迫り、ようやく電話で連絡がついたのだが、彼から発せられたのは「階段を下りたんだけど」のくだり。京浜東北線で来た以上、階段を上がったなら分かるが、下りてしまえばそのまま秋葉原の街に出てしまう。この旅程中、唯一怒気を込めて「総武線は3階だ!早く階段を上がって来い!」と怒鳴り、ようやく発車6分前に再会できた。
乗車するのはグリーン車である。秋葉原と大原の間は100kmないため、グリーン料金が比較的安い。せっかくなので乗ってみようという魂胆である。グリーン車に乗るのは自分たちと初老の紳士のみ。なかなか乗らないようである。
これまで、秋葉原から南、北、西はそれぞれ乗車したことはあったのだが、東が無かった。というわけで、この日は房総半島を中心に、未踏線区を回っていく。ただ、グリーン座席にしては、妙にガタガタ揺れていた。ちゃんと整備して欲しいものである。
秋葉原から特急に乗るのは初めてだが、錦糸町駅までの速度の遅さには、友人がかなり反応を示していた。原付よりも遅い感じで、いったいどうなる事かと思っていたが、錦糸町駅を出てからはすこぶる快速で、両国国技館の建物などの初めて見る沿線の風景を眺めつつ、蘇我駅を出てから郊外に入り、あれよあれよと大原駅で下車。


ちなみに、休日おでかけパスは外房線では茂原駅までしか有効ではないため、事前に茂原~大原駅間の乗車券も購入済みである。自動改札機ではじかれるが、駅員に見せれば休日おでかけパスはちゃんと返してもらえ、何のおとがめも受けない。
ここでいすみ鉄道に乗り換え、房総横断記念乗車券と急行の自由席券を自販機で買う。なお、友人は家を出てから何も口にしていないということで、食べ物と飲み物を買っていた。
列に並び、発車15分前から乗車できるようになり、券を見せてキハ52形の車内に入る。

鹿屋の鉄道記念館に鎮座している車両と似た雰囲気はあるが、驚いたのは座ったとたんにギャグのように座席が外れて傾いたこと。あわてて台座の上に載せ直して事なきを得たが、ホットコーヒーやカップラーメンを持ちこんでいたらやけどは免れなかったかもしれない。
乗った列車は「急行1号」といい、首都圏では見られなくなった旧国鉄型ディーゼルカーを運行させているのが特徴の一つとなっている。
急行型車両として製造されたキハ28形も指定席として乗車できるが、自分にとってキハ28形は20世紀末に指宿枕崎線で乗車したことのある車両であり、別段珍しさがなかったので、キハ52形の方にしたのであった。
列車は房総の山中へと分け入っていき、所々川を渡り、時に田園風景が広がり、車窓を余すところなく楽しめた。終点の上総中野駅まで出たところで、普通なら5分後に出発する小湊鐵道の列車に乗り換えるのであるが、台風18号の影響による大雨で月崎駅まで不通となっており、バス代行運行となっていた。


というわけで、特に何もない駅前で40分近く待つ羽目になるのだが、さすがにのどが渇いたため、メロンソーダを買って飲んでいた。友人と談笑し、時に小型の蜂を駅舎外へ出そうと画策していたのであるが、トイレから戻ったら、なぜかパトカーがやってきていた。どんなトラブルが起きたのかは定かではないが、田舎の駅にしては物騒な話である。
そのパトカーを横目に、代行バスに乗車して月崎駅に向かう。所々細い道もあり、よくバスが通れるなと感心しつつ、月崎駅で小湊鐵道の列車に乗り込む。上総中野の文字が月崎に置き換えられていたのが印象的であった。




小湊鐵道の上総牛久駅までは、駅のそばにあるのは人家が少ない田園風景ばかりである。駅のそばに人家がないのを不思議に思いつつ、貴重なタブレット交換による行き違いなどを見て、直線に敷かれた区間が多いことに印象を受け、五井駅に到着したのが12時45分過ぎのこと。駅構内の売店でおにぎりと飲み物を買い、先ほど特急で通った蘇我へ向かい、京葉線快速に乗り込んで、海浜幕張駅では東京ゲームショウ2015がこの日から開幕したということもあり、大勢の中高校生が乗り込んでくる中、南船橋まで。
スマホの路線案内で、真向かいの3番ホームに武蔵野線列車が3分後に接続するということで身構え、ホームに人の姿が少ないことに歓喜して並んでいたら、すさまじいことが起きていることを知った。なんと、北府中駅の信号故障で武蔵野線のダイヤが乱れている、というのである。その間にも京葉線列車が到着し、しまいには京葉線内でもトラブルが起きたらしく、電車が全て止まった状態となっていた。
次の常磐線との接続を考えると、14時20分までに南船橋駅を出発しないと、東松戸駅でスカイアクセス線に乗り換えて成田空港直行となりかねない事態だっただけに、かなり切迫した局面にあった。奇跡的に7分前に列車が入線してきて事なきを得、14時19分に南船橋駅を出発、新松戸駅で常磐線に乗り換えて、終点の我孫子駅で下車する。お目当ては6年前にも食べたうどんである。今回はちくわ天を乗せたが、やはりおいしかった。お客さんでにぎわっており、その土地の名物を食べる幸せに浸れた。
成田駅行きの成田線普通列車に乗り込むが、水戸線張りの閑散線区で、久々に電車内で落ち着いて景色を堪能できた。成田駅の手前の2ヶ所では、急こう配の道路を見かけ、バイクだとウィリーするんじゃないかといった心配もしつつ、成田空港行きの列車に乗り換え、予定通りに到着。これで、関東の未踏線区は房総半島の南端と東端、蘇我~成田間など、かなり減らすことができた。
成田空港から乗るのはLCCのバニラエアの新千歳行き。初の成田空港に、初のLCC搭乗と初物尽くしとなるが、第三ターミナルまでの距離の長さには、ここまでするかというほどのチープさには何とも言えなかった。ターミナル内も、鹿児島のホームセンター「A-Z」みたいな簡素さが明確に出ていて、むしろここまで安く仕上げる必要があったのかと思うほどであった。
友人とはここで別れ、持ってきた多機能キャリーバッグが機内に持ち込めないということで、預けてから10分程待機して、それから出発ロビーに入るが、いすがソファしかない上、バス移動ということで、出番が来るまで待つ羽目となった。しばしスマホでニュースに目を通し、ようやく階段を下りてバスに乗り込むが、階段の途中で排気ガスをかなり強烈に感じた。ゆとりがある人は、よほどのことでない限り、成田空港からLCCに乗らない方がいいのではないかと思った。
成田空港を出発し、初の北の大地へと飛び立ったが、特に機内に不満などなく、仮眠して過ごしてあっという間に北海道の大地に足を踏み入れた。これで残る未踏破都道府県は沖縄県を残すのみとなった。
新千歳空港で一番最初に降りれたほか、手荷物は2番目に出てくるなどいいことずくめで、おかげで出発寸前の予定より1本早い快速列車に乗り込めた。夜なので景色はさほど楽しめないが、車内放送や路線案内図を見て、改めて北海道にいることを実感させられる。
札幌駅で下車し、地下鉄に乗り換え、ホテルのある中島公園駅で下車。大通公園とすすきのには行けなかった。
天候は雨と聞いていたが、雨は既に上がっており、所々に水たまりが出来ていた。半そでだったがまだまだ大丈夫で、5分程歩いて「めんこい茉季詩夢」へ。塩バターラーメンを食すが、実においしい。塩ラーメンが好きではない自分でも、全然いけた。
その後ホテルで0時半に就寝し、1日が終わった。
さて、今回は、大型シルバーウィーク連休特別鉄道旅行の1日目・浅草橋から房総半島のど真ん中経由で成田空港へ向かい、初の北海道に至るまでを記します。
起床は5時50分。但し、友人が4時半過ぎに起き、5時半の列車に乗るため、その都度起きて連絡を取る特別体制であった。風呂に入り、身支度を整え、朝食を摂りに6時40分にホテルを出る。浅草橋駅の近くに松屋があることを事前に調べており、横断歩道を渡って店内に入り着席する。が、よくよく考えたら、首都圏の飲食店は食券制であることが大半である。食券を買わずに着席するなど、田舎者とバレたも同然である。
そこを平静を装って改めて食券を買い、プレミアム牛めしに生野菜のセットでの朝食となった。お肉が柔らかく、プレミアムという名を付けるのも良く分かるが、あまり大した差ではないような気がする。
店を出て、再び浅草橋駅に入り、指定席券売機で事前に予約していた切符とこの日の旅の主役・休日おでかけパスを買う。時間に余裕があるため、気持ちの上でも焦りはなく、総武線を隣の秋葉原駅へと向かう。秋葉原駅に7時10分過ぎに着き、宇都宮市からやって来る友人を待つ。なお、この日が当初考えていたアルペンルート踏破ではなく鉄道旅行になったのは、春から夏にかけて彼と連絡が取れなくなったためである。その罪滅ぼしも兼ねて彼は参加するのだが、なかなかやって来ない。7時20分を過ぎ、乗車する新宿わかしお号の到着も迫り、ようやく電話で連絡がついたのだが、彼から発せられたのは「階段を下りたんだけど」のくだり。京浜東北線で来た以上、階段を上がったなら分かるが、下りてしまえばそのまま秋葉原の街に出てしまう。この旅程中、唯一怒気を込めて「総武線は3階だ!早く階段を上がって来い!」と怒鳴り、ようやく発車6分前に再会できた。
乗車するのはグリーン車である。秋葉原と大原の間は100kmないため、グリーン料金が比較的安い。せっかくなので乗ってみようという魂胆である。グリーン車に乗るのは自分たちと初老の紳士のみ。なかなか乗らないようである。
これまで、秋葉原から南、北、西はそれぞれ乗車したことはあったのだが、東が無かった。というわけで、この日は房総半島を中心に、未踏線区を回っていく。ただ、グリーン座席にしては、妙にガタガタ揺れていた。ちゃんと整備して欲しいものである。
秋葉原から特急に乗るのは初めてだが、錦糸町駅までの速度の遅さには、友人がかなり反応を示していた。原付よりも遅い感じで、いったいどうなる事かと思っていたが、錦糸町駅を出てからはすこぶる快速で、両国国技館の建物などの初めて見る沿線の風景を眺めつつ、蘇我駅を出てから郊外に入り、あれよあれよと大原駅で下車。


ちなみに、休日おでかけパスは外房線では茂原駅までしか有効ではないため、事前に茂原~大原駅間の乗車券も購入済みである。自動改札機ではじかれるが、駅員に見せれば休日おでかけパスはちゃんと返してもらえ、何のおとがめも受けない。
ここでいすみ鉄道に乗り換え、房総横断記念乗車券と急行の自由席券を自販機で買う。なお、友人は家を出てから何も口にしていないということで、食べ物と飲み物を買っていた。
列に並び、発車15分前から乗車できるようになり、券を見せてキハ52形の車内に入る。

鹿屋の鉄道記念館に鎮座している車両と似た雰囲気はあるが、驚いたのは座ったとたんにギャグのように座席が外れて傾いたこと。あわてて台座の上に載せ直して事なきを得たが、ホットコーヒーやカップラーメンを持ちこんでいたらやけどは免れなかったかもしれない。
乗った列車は「急行1号」といい、首都圏では見られなくなった旧国鉄型ディーゼルカーを運行させているのが特徴の一つとなっている。
急行型車両として製造されたキハ28形も指定席として乗車できるが、自分にとってキハ28形は20世紀末に指宿枕崎線で乗車したことのある車両であり、別段珍しさがなかったので、キハ52形の方にしたのであった。
列車は房総の山中へと分け入っていき、所々川を渡り、時に田園風景が広がり、車窓を余すところなく楽しめた。終点の上総中野駅まで出たところで、普通なら5分後に出発する小湊鐵道の列車に乗り換えるのであるが、台風18号の影響による大雨で月崎駅まで不通となっており、バス代行運行となっていた。


というわけで、特に何もない駅前で40分近く待つ羽目になるのだが、さすがにのどが渇いたため、メロンソーダを買って飲んでいた。友人と談笑し、時に小型の蜂を駅舎外へ出そうと画策していたのであるが、トイレから戻ったら、なぜかパトカーがやってきていた。どんなトラブルが起きたのかは定かではないが、田舎の駅にしては物騒な話である。
そのパトカーを横目に、代行バスに乗車して月崎駅に向かう。所々細い道もあり、よくバスが通れるなと感心しつつ、月崎駅で小湊鐵道の列車に乗り込む。上総中野の文字が月崎に置き換えられていたのが印象的であった。




小湊鐵道の上総牛久駅までは、駅のそばにあるのは人家が少ない田園風景ばかりである。駅のそばに人家がないのを不思議に思いつつ、貴重なタブレット交換による行き違いなどを見て、直線に敷かれた区間が多いことに印象を受け、五井駅に到着したのが12時45分過ぎのこと。駅構内の売店でおにぎりと飲み物を買い、先ほど特急で通った蘇我へ向かい、京葉線快速に乗り込んで、海浜幕張駅では東京ゲームショウ2015がこの日から開幕したということもあり、大勢の中高校生が乗り込んでくる中、南船橋まで。
スマホの路線案内で、真向かいの3番ホームに武蔵野線列車が3分後に接続するということで身構え、ホームに人の姿が少ないことに歓喜して並んでいたら、すさまじいことが起きていることを知った。なんと、北府中駅の信号故障で武蔵野線のダイヤが乱れている、というのである。その間にも京葉線列車が到着し、しまいには京葉線内でもトラブルが起きたらしく、電車が全て止まった状態となっていた。
次の常磐線との接続を考えると、14時20分までに南船橋駅を出発しないと、東松戸駅でスカイアクセス線に乗り換えて成田空港直行となりかねない事態だっただけに、かなり切迫した局面にあった。奇跡的に7分前に列車が入線してきて事なきを得、14時19分に南船橋駅を出発、新松戸駅で常磐線に乗り換えて、終点の我孫子駅で下車する。お目当ては6年前にも食べたうどんである。今回はちくわ天を乗せたが、やはりおいしかった。お客さんでにぎわっており、その土地の名物を食べる幸せに浸れた。
成田駅行きの成田線普通列車に乗り込むが、水戸線張りの閑散線区で、久々に電車内で落ち着いて景色を堪能できた。成田駅の手前の2ヶ所では、急こう配の道路を見かけ、バイクだとウィリーするんじゃないかといった心配もしつつ、成田空港行きの列車に乗り換え、予定通りに到着。これで、関東の未踏線区は房総半島の南端と東端、蘇我~成田間など、かなり減らすことができた。
成田空港から乗るのはLCCのバニラエアの新千歳行き。初の成田空港に、初のLCC搭乗と初物尽くしとなるが、第三ターミナルまでの距離の長さには、ここまでするかというほどのチープさには何とも言えなかった。ターミナル内も、鹿児島のホームセンター「A-Z」みたいな簡素さが明確に出ていて、むしろここまで安く仕上げる必要があったのかと思うほどであった。
友人とはここで別れ、持ってきた多機能キャリーバッグが機内に持ち込めないということで、預けてから10分程待機して、それから出発ロビーに入るが、いすがソファしかない上、バス移動ということで、出番が来るまで待つ羽目となった。しばしスマホでニュースに目を通し、ようやく階段を下りてバスに乗り込むが、階段の途中で排気ガスをかなり強烈に感じた。ゆとりがある人は、よほどのことでない限り、成田空港からLCCに乗らない方がいいのではないかと思った。
成田空港を出発し、初の北の大地へと飛び立ったが、特に機内に不満などなく、仮眠して過ごしてあっという間に北海道の大地に足を踏み入れた。これで残る未踏破都道府県は沖縄県を残すのみとなった。
新千歳空港で一番最初に降りれたほか、手荷物は2番目に出てくるなどいいことずくめで、おかげで出発寸前の予定より1本早い快速列車に乗り込めた。夜なので景色はさほど楽しめないが、車内放送や路線案内図を見て、改めて北海道にいることを実感させられる。
札幌駅で下車し、地下鉄に乗り換え、ホテルのある中島公園駅で下車。大通公園とすすきのには行けなかった。
天候は雨と聞いていたが、雨は既に上がっており、所々に水たまりが出来ていた。半そでだったがまだまだ大丈夫で、5分程歩いて「めんこい茉季詩夢」へ。塩バターラーメンを食すが、実においしい。塩ラーメンが好きではない自分でも、全然いけた。
その後ホテルで0時半に就寝し、1日が終わった。
2015年09月21日
SW特別鉄道旅行2015・0日目(9/18)
1月末の段階で、鹿児島~東京間の航空券を購入し、その後入念に状況に応じて行程を組み上げた6年ぶりの大型シルバーウィーク連休特別鉄道旅行計画を、ついに実行に移す時がやってきました。今回は、以下のような日程でした。
◎0日目 大隅⇒鹿児島空港~羽田空港⇒浅草橋
◎1日目 浅草橋⇒大原(千葉県)⇒上総中野⇒五井⇒蘇我⇒南船橋⇒新松戸⇒我孫子⇒成田空港~新千歳空港⇒札幌
◎2日目 札幌⇒岩見沢⇒滝川⇒新得⇒新夕張⇒夕張⇒千歳
◎3日目 千歳⇒新千歳空港~羽田空港⇒秋葉原⇒上野⇒品川⇒羽田空港~鹿児島空港⇒阿久根&伊集院⇒大隅
6年前のシルバーウィークでは、ツーデーパス(当時)を使用し、成田から水戸、友部、小山、高崎、横川、軽井沢、小諸、佐久平(宿泊地)、小淵沢、甲府、新宿、秋葉原、東京、鶴見、鶴見線各終着駅(海芝浦・大川・浜川崎)、尻手、川崎と巡っていたのですが、今回の1日目と3日目は関東エリアの未乗車区間を補完する内容となっています。
というわけで、帰宅早々くたばっているところですが、そこを押して出発初日について記します。
次は11年後になるというこの大型シルバーウィーク連休、行くのなら前回の未踏区間を中心に乗りつぶす、という次第で、5月下旬に行程が確定、航空券、ホテル、鉄道の切符の順で準備を万端に進め、今回の出発と相成った。
入念に計画を立て、懸念されていた台風も今回は接近してこず、盤石かと思っていたところに、思いがけない所で動揺させる出来事があった。
出発直前の午前、会議室に呼ばれ、何と課長拝命という驚愕の事態を迎えたのであった。自分自身が計画していることは完全に掌握できていることであるが、まさかその日に大命降下となるとは、恐れ入った。まだ内示の段階のため、明日の出社を待って確定となるのであるが、これでやすやすとまた次の北海道行きか最後の未踏の地・沖縄行きにするか、といったことを口走れなくなってしまったのである。仮に課長確定だと、3連休は取れなくなる。下手すると、退社するまでしばし北海道に行けなくなるかもしれない、そういう余計なことを頭の片隅に入れつつ、旅立つ羽目になってしまったのであった。
何はともあれ、この時期にこうしたことを計画したのは、先々を予見したわけでもなく、偶然ということになるのであるが、戻ってからのことを考えながら旅行に出かけたことはこれまで全くないため、余計なことを・・・と思いつつ、日程通りに進めるべく、家事を万全に済ませ、車のリコール対応を終え、鹿児島空港に向かう。去年は一般道での混雑で予想外のことになった上、天候が悪く、下手すると出発できない事態に陥りかねなかったが、今年は特に問題なく空港に着き、定刻通りに羽田へと出発、予約したホテルのある浅草橋にも23時半過ぎに到着した。
翌日の段取りについて友人に連絡を入れ、就寝は0時過ぎであった。
◎0日目 大隅⇒鹿児島空港~羽田空港⇒浅草橋
◎1日目 浅草橋⇒大原(千葉県)⇒上総中野⇒五井⇒蘇我⇒南船橋⇒新松戸⇒我孫子⇒成田空港~新千歳空港⇒札幌
◎2日目 札幌⇒岩見沢⇒滝川⇒新得⇒新夕張⇒夕張⇒千歳
◎3日目 千歳⇒新千歳空港~羽田空港⇒秋葉原⇒上野⇒品川⇒羽田空港~鹿児島空港⇒阿久根&伊集院⇒大隅
6年前のシルバーウィークでは、ツーデーパス(当時)を使用し、成田から水戸、友部、小山、高崎、横川、軽井沢、小諸、佐久平(宿泊地)、小淵沢、甲府、新宿、秋葉原、東京、鶴見、鶴見線各終着駅(海芝浦・大川・浜川崎)、尻手、川崎と巡っていたのですが、今回の1日目と3日目は関東エリアの未乗車区間を補完する内容となっています。
というわけで、帰宅早々くたばっているところですが、そこを押して出発初日について記します。
次は11年後になるというこの大型シルバーウィーク連休、行くのなら前回の未踏区間を中心に乗りつぶす、という次第で、5月下旬に行程が確定、航空券、ホテル、鉄道の切符の順で準備を万端に進め、今回の出発と相成った。
入念に計画を立て、懸念されていた台風も今回は接近してこず、盤石かと思っていたところに、思いがけない所で動揺させる出来事があった。
出発直前の午前、会議室に呼ばれ、何と課長拝命という驚愕の事態を迎えたのであった。自分自身が計画していることは完全に掌握できていることであるが、まさかその日に大命降下となるとは、恐れ入った。まだ内示の段階のため、明日の出社を待って確定となるのであるが、これでやすやすとまた次の北海道行きか最後の未踏の地・沖縄行きにするか、といったことを口走れなくなってしまったのである。仮に課長確定だと、3連休は取れなくなる。下手すると、退社するまでしばし北海道に行けなくなるかもしれない、そういう余計なことを頭の片隅に入れつつ、旅立つ羽目になってしまったのであった。
何はともあれ、この時期にこうしたことを計画したのは、先々を予見したわけでもなく、偶然ということになるのであるが、戻ってからのことを考えながら旅行に出かけたことはこれまで全くないため、余計なことを・・・と思いつつ、日程通りに進めるべく、家事を万全に済ませ、車のリコール対応を終え、鹿児島空港に向かう。去年は一般道での混雑で予想外のことになった上、天候が悪く、下手すると出発できない事態に陥りかねなかったが、今年は特に問題なく空港に着き、定刻通りに羽田へと出発、予約したホテルのある浅草橋にも23時半過ぎに到着した。
翌日の段取りについて友人に連絡を入れ、就寝は0時過ぎであった。