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プロフィール
yochi
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教員免許を小中高取ったはよかったものの、平成の間は教採一次試験が一度も合格できず・・・。
そんな管理人は、パワハラがはびこる三流○○ック企業で5年半に渡り数々の辛酸をなめた後、招聘された印刷会社のWEB部門で2013年3月に1級ウェブデザイン技能士を取るなど2年間在籍して成長を遂げた後、結構有名な会社に課長職も含め9年弱勤務。
が、定期昇給が無く、頑張り甲斐が無くなったので、元部下の話から教採を15年ぶりに受け始め、令和になって毎年二次試験まで進出できるように。教員免許の追加取得に向けて通信制大学で学び、免許の取得の条件が「人物に関する証明書」の取得で、二次試験落ちから考えられる実地経験の必要性から18年ぶりに臨採教員に復帰。
そして令和6年度から正規教員として勤務開始。
国の宝の子どもたちの育成のため、これまでの経験を活かして頑張ります。
~~所有国家資格~~
【1級ウェブデザイン技能士】
【基本情報技術者】
【2級ファイナンシャル・プランニング技能士(個人資産)】
【乙種危険物取扱者(第4類)】
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Posted by チェスト at

2018年03月18日

北薩トンネル開通記念ウォーキング大会に参加する

先週日曜日からのどが激烈に痛く、放置していたら、木曜日から鼻水が大量に湧き出る状態に陥り、今日未明にはあまりの高熱で目が覚め、寝付けない状態になり、大量に発汗していて、掛け布団をどかしたら安眠できた、そんな近況ですが、さて、今日は地域高規格道路・北薩横断道路(国道504号)の北薩トンネル区間(中屋敷IC~きららIC間)が来週3月25日午後3時から一般車両通行開始になることに伴い、そのプレイベントとして今日、北薩トンネルのウォーキング大会が開かれ、私も体調不良を押して参加してきました。

5時に起床し、少々寝不足ながらも6時前に家を出発。
7時40分過ぎに伊佐市の友人宅に到着して彼を拾い、工事中区間のさつま町側駐車場に着いたのが8時半過ぎ。
山に傘雲ができているのを昨日夕方目撃していたため、天気が少々悪いのは計算内として、受付を9時前に済ませます。

北薩トンネルは、全長4,850mの、県内最長トンネルです。
紫尾山登山口及び紫尾林道の入口のある国道504号堀切峠の急カーブ・狭隘路区間を回避しつつ、鹿児島空港方面と出水・阿久根地区の時間短縮を担っています。

私自身とのつながりは、「喪失の90年代」として、私の心に今も傷の残る最中のことでした。
国道504号が皇徳寺中を去る月に成立、その頃から家族で紫尾山に行く機会が増え、紫尾林道や国道504号を走ることになりました。
これは父が乗用車を手放すまでの翌年まで続き、高校入学以後は家族で走る機会は無くなり、今回赴いたのはその時以来のことでした。

そのため、なぜ「きららIC」という命名になったかも理由が分かります。
「きららの里公園」があるから、ではないのです。
この地域を流れる泊野川は、金のように見える雲母が多くみられることから、地域活性化の一環で作られた施設に「きらら」を用いたからなのです。

きららIC入口は、まさに狭隘路突入目前の場所にあります。
道路標識を見てみましたが、現道側から国道のおにぎり表示が外れており、旧道扱いになることを宣言しているような感じでした。
それでも、紫尾山や紫尾林道へ進む場合は現道を走るほかなく、交通往来は一定程度残ることでしょう。

北薩トンネルを歩いて通れるのはこの日限り。
というわけで、記念撮影をしておきました。
北薩トンネルさつま町側入口
北薩トンネルさつま町側入口横標識

9時にスタートし、普通に歩くペースで進んでいきます。
紫尾山の麓のトンネルだけあって、寒いです。
コースは5kmコースと10kmコースがあり、できることなら完全往復してみたかったのですが、残念ながら体調不良、途中竹灯篭が並ぶ中間地点で折り返す5kmコースに設定しました。
それでも、さつま町と出水市高尾野町の境をくぐることができ、満足でした。

10時20分にゴール。
その後伊佐市のグラーツィエでスパゲティーとピザを食すのですが、代替わりがあったのか、見覚えのない方々に変わっていました。
ピザの味は満足でしたが、スパゲティーはどこか前に食したものと味が違うように感じられました。
まあ、また次回追試すればいいかと気を取り直し、友人と別れて自宅へ向けて一般道のみで帰宅。
記憶に残るイベントとなりました。

実際に車やバイクで走る機会は早くて5月ですが、開通によって行き来が増えることでしょう。
次回走り抜けるときが楽しみです。  


Posted by yochi at 21:01Comments(0)近況

2018年03月07日

齢38にして初めて東海道新幹線に乗ってみた~2018年春の旅行・その2

今日は鹿児島空港のフライト情報もほぼ正常通りだったようで何よりですが、交通機関が不安定になると、観光客が減り、賑わいが落ちます。
経済活動活性化のためにも陸海空のあらゆる交通機関が平常運転であることを願う次第ですが、さて、名古屋経由東京行きの今回の旅、夜が明けて2日目(3/4【日】)を迎えました。


5時35分に起床。
少し寝不足気味だが、2014年10月の東北周遊の旅では、悪天候の鹿児島空港から飛び立つのに苦労し、宇都宮行きの最終バスを逃し、春日部までずっと終電乗継で立ったまま深夜1時半を迎え、そこから宇都宮まで友人の車を東北道区間だけ運転して深夜3時15分に着き、5時半に起床、というスケジュールに比べれば全然マシであった。

前日にコンビニで買っておいたパンを食べ、身支度を整えて6時25分に友人宅を出発。
最寄駅まで送ってもらうも、高齢者が運転する車にクラクションを鳴らされ、つい中指を立ててしまった。
あまりいい気持ちではない。

友人がICカードを持ってこなかったということで、改札口でお別れし、名鉄岐阜行きの特急に乗る。
日曜の朝ということもあって比較的すいており、2人掛け席の窓側に陣取る。
名古屋駅で下車し、乗車券をまず通してから、Kioskでお土産を3品購入。
名古屋に来たからには土産を買わないと意味がない。

新幹線改札口で乗車券と特急券を通して、無事に新幹線ホームへ。
1本前ののぞみに乗れたが、見送って次ののぞみ102号に乗車。
かなり指定席は埋まっており、自分も通路側のC席だった。
定刻通り7時24分に出発し、しばらく寝る。
初めて東海道新幹線に乗ったというにも関わらず高揚感がないのは、客の多さと眠気による。
途中、指定席は東京までだが品川で下車してよいか車掌に尋ねてみたところ、問題ないとのことで、品川で下車して荷物をコインロッカーに預けることにした。

さて、前日に国分駅で購入したのが「名古屋市内→佐貫(さぬき)」間の乗車券であるが、運賃は6,800円である。400kmを超えるので有効期間は3日間、途中下車可能である。但し、名古屋市内の任意の駅で入場し、別の名古屋市内の駅で下車してしまうと、切符は効力を失ってしまう。
長距離を乗る場合、都市部が出発地や目的地の場合は注意が必要である。

途中、富士川を渡って富士山が進行方向左側でしっかりと見えた。
ドア越しにスマホで何枚か写真を撮っておいた。

新横浜駅を過ぎてから荷物の整理を始め、9時前に品川駅で下車。
在来線に乗り換え、コインロッカーに荷物を預けてまずは上野東京ラインで上野に向かう。
なお、吉祥寺駅で中央快速線が人と接触したらしく運転見合わせと出ていた。
昨年12月に友人と待ち合わせた駅だけに、心中は複雑であった。

上野に向かったのは昨年秋に訪れた娯楽の場にまた赴くためで、心行くまで楽しんだ後、正午過ぎに南千住駅へ。
なお、近くの三ノ輪駅と三ノ輪橋駅はウェブデザイン技能検定1級の学科試験の後廻ったことがある。

藤代駅で救急対応があったため4分遅延で入線してきた常磐線快速勝田行きに乗車し、13時過ぎに佐貫駅に到着。
ここは、現在伊佐市に住む友人が小学生後半から10年ほど前まで住んでいた場所の最寄駅であり、房総半島経由第一回北海道旅行の時にここまで来る計画だったのだが、武蔵野線が信号機故障による遅延を起こしたため、今回時間が余ったために来たのであった。

バス停にはバスが2台止まっており、いずれかに乗れば元友人宅最寄まで行けるということで、電話する。
聞くと鹿児島空港で飛行機の写真を撮っている最中らしく、白羽一丁目行きを勧められる。
乗車し、運転手氏と話し込んでいると、電話が鳴り、長山台行きに変えろと言ってきた。
昼飯を摂る予定のショッピングセンターに早く着くのがこちらだったらしい。

が、3分しか違わないということでそのまま白羽一丁目行きに乗車し、元友人宅を眺め、小柴1丁目で下車。
サプラなるショッピングセンターへ歩いて向かうが、北回りで向かってしまい、遠回りになってしまった。
JAFで優待があったような記憶がある「四六時中」でカツカレーを注文。
この間に龍ヶ崎市のコミュニティバス情報を調べると、14時7分に発車らしい。
情報を見たのが13時55分。
はてさて14時までに注文した品が届かなかったらピンチだなと思っていたら、3分後に運ばれてきたので、口内ヤケドもいとわずにひたすらカレーをかきこむ。

14時3分に勘定を終え、サプラ前のバス停へ。
7分を迎えたが、一向にバスが来ない。
結局6分遅れの14時13分に出発。
この後関鉄竜ヶ崎線に乗車して佐貫駅へ戻る計画だったのだが、ゆとり時間が3分しかない。
かなり神経質になる展開を余儀なくされたのだが、この後驚異の遅れ回復ぶりをみせ、3分遅れで竜ヶ崎駅に到着。
余裕で写真を撮る時間ができ、乗車できた。

佐貫駅へ14時43分に着き、品川行きの快速列車が48分に出るということで、予定していた特快よりも早く着くこの列車に乗ることを選択。
バスに乗る前に品川までのグリーン券をSuicaに記録させておいていたので、グリーン車5号車2階席に乗車。
グリーン車2階席に乗るのはE1系の新潟~長岡間乗車以来のことである。

ゆったりと景色を見ながら、途中昼寝したりして、1時間10分ほどの電車の旅を満喫して、品川駅に到着。
コインロッカーで無事荷物を回収し、京急線に乗り換えてエアポート特快に無事乗車。
羽田空港でさば寿司を購入し、54番搭乗口付近でゆったりと過ごしていたら、滑走路22からソラシドエアの機体が滑空してきたのが見えた。
これは少し遅れるな、と思ったら、案の定5分遅れのアナウンスがし、さらに実際には滑走路16Rから離陸となり、15分遅れで出発する羽目になった。

上空では5時台起床の余波でほぼ爆睡しており、それでもアナウンスで定刻通りに到着すると聞いた時には滑走路34で最短で済んだと思ったものだった。
無事に着陸して荷物も回収する。
空港駐車場から出るのに渋滞が発生してひと苦労だったが、東九州道経由で帰宅。
伊佐市の友人に日中の鹿児島空港の離発着状況を聞いてみると、滑走路16を使っていたという話で、夜になって風向きが変わったのかと思うところだった。
東九州道の隼人東IC付近の吹き流しは北風だったので、春の風はめまぐるしく変わる。

しばらく遠出する予定はないと思うが、LCCを使えば早期予約で名古屋まで往復2万円もしないで行き来できる。
しれっと旅に出るか、バイクで宮崎県の山岳部を走るか、思案が続きそうな感じである。
~完~  

Posted by yochi at 21:45Comments(0)旅行記

2018年03月06日

LCCで名古屋まで初自腹で出かけてみた~2018年春の旅行・その1

新燃岳が2,300mもの噴煙を上げた影響で、今日の午後3時以降、鹿児島空港において全ての航空機が離発着停止に追い込まれたそうですが、そのニュースを聞いて背筋が冷えたのがこの私です。

いかんせん、先週末の3日(土)・4日(日)の2日間、飛行機で本州まで出かけていたのですから。
タイミングがずれていれば、新幹線で陸送にて帰る羽目になるわけで、びっくりでした。

というわけで、先週末の顛末を2夜連続で振り返ってみます。


3月3日、7時過ぎに起床し、8時半過ぎに家を出発。
最初に向かうは国分駅。
時間があるので、高速道路ではなく国道を走っていく。
国分駅に10時前に着くが、ここですることは東海道新幹線の特急券の引き取りと名古屋~佐貫(さぬき)間の乗車券の購入である。
なぜなのかは次回の執筆時に説明することにして、鹿児島空港へと向かう。

当初、多摩地区に住んでいた友人と落ち合い、東京近辺をぶらぶらしたり、鉄道博物館に行ったりしようと計画していたのであるが、この友人が愛知県に引っ越したと連絡が入ったのが2月上旬のこと。
4ヶ月で転勤とはご愁傷様と当初他人事であったのだが、当初の東京滞在主目的は友人ではなく、小中学校の関東在住同級生との酒飲みのためだった。

しかしながら、事前にキャンセルとなったため、東京で夜を過ごす意味を失った。
愛知県から友人を東京に招く高速バス往復料金1万円弱を負担して現行計画を進めるか、航空券払い戻しとホテル前払いキャンセルの上、中部国際空港への航空券及び名古屋~東京間の新幹線切符を調達の上、友人宅に泊まるか、選択を迫られた。

愛知県には、2012年のGWツーリングで個別塾教室長になる直前の出張研修で泊まっていた錦のホテルに宿泊、犬山近辺を走って岐阜城へ向かったほか、翌2013年のGWツーリングでも長野県から三重県に抜ける際に通過、さらに翌2014年のGWツーリングでも五箇山からの帰りに三重県に抜けるときに通過しており、比較的よく出かけている方なのだが、友人が愛知県があまり好きではないという話であった。

だったら愛知県の素晴らしさを教えてやろうじゃないかと名古屋経由東京行きに旅程を変更し、4年ぶりの再訪となった。
利用するのはANAではなくJetStar。
LCCに乗るのは、2015年SWの房総半島経由第一回北海道旅行で往路に搭乗したバニラ・エア以来のことである。
バニラ・エアである程度LCCの使い勝手を知っていたので、バニラ・エアにおける荷物預けや座席指定が割安でできる「コミコミバニラ」と同等の「ちゃっかりPlus」を選択し、LCCは使い慣れないと感じつつ、空港のカウンターで荷物を預ける。
なお、案の定機内持ち込みができないサイズであり、かつ重量が8kgだったので、10kgまで預けられるちゃっかりPlusにしておいて正解だった。

さて、この後搭乗となるのだが、3つ問題が発生した。
1つ目が、優先搭乗案内が不明瞭だったこと。
乳児や妊婦、障がい者、非常口付近が優先なのは他社も同じなのだが、次いで窓側座席を優先搭乗できたらしい。
私も窓側を押さえておいたのだが、口頭で聞き取りにくく、紙は乳児や妊婦などだったので、放置していたら一気に全ての客に変わった。
慌てて突っ込んだのだが、少しは分かりやすい案内をしてもらいたいものである。
なお、帰りのソラシドも窓側座席が優先搭乗できたが、案内がはっきり明瞭に聞こえたので、ストレスなしであった。

2つ目が、窓側優先客の前に乗客が既に着席していたこと。
全ての客に変わった直後に飛行機へ向かえたので、遅れは最小限度に留められたのだが、それ以前に偽装優先で私の席より通路側の客が着席していたのであった。
8年ほど前に甲府駅始発の特急「かいじ」に乗車した際に、自分の指定席に座っていた男性に激昂したことがあったのだが、あれ以来の怒り爆発だった。
ジム通いの影響で腕力は元柔道部の友人にも勝てるほどパワーアップしていることもあり、ケンカになれば100%勝てる自信はあったが、それをやっては新聞記事になると自粛し、その代わりに威嚇したものだが、あれほどの殺気は久しぶりだった。
窓側でない限り、先に搭乗することはおすすめできない。
身体的弱者等でない限り、窓側優先搭乗が設けられている以上、こういうトラブルに巻き込まれかねないことを肝に銘じてもらいたいものである。

3つ目が、500円分の機内販売購入権を持っていながら、機内販売が早々と打ち切られてしまったことである。
前項2つのせいで、完全に頭の中は怒り心頭であったため、客室乗務員から500円分の機内販売購入権の話が来たとき、「そんなものはどうでもいい。ふざけんな!」と口走っており、相当怒っていることがお分かりいただけるだろうが、機内販売が手短に終わるとは、どうかしている。
まあ、どうでもいいと言ってしまった以上は責任を負うが、時間の制約を設けるのであれば、航空券から500円分値引いてほしいものである。

そういう次第で、中部国際空港に着いたのが定刻よりほんの少し遅れて13時20分のこと。
前回は名古屋空港だったので、中部国際空港開港後初の飛行機入りとなる。
まあ、航空管制シミュレーションゲームの「ぼくは航空管制官3」セントレアで遊んだことがあるので、ゲーム通りの南側ルートでの着陸を冷静な環境で楽しみたかったが、それは次回に取っておきたい。

友人には14時に神宮前駅で待ち合わせと伝えてあるので、それに向けて行動するも、荷物を預けているので回収してからとなる。
よって、中部国際空港駅を出たのが13時47分。
名鉄岐阜行きの特急列車である。
なお、名鉄に乗るのはこれが初めてのこと。
電車でGO!名古屋鉄道編を持っているので、名古屋本線の名鉄名古屋~名鉄岐阜間と犬山線の名鉄名古屋~新鵜沼間のシミュレーション乗車はあるが、リアル乗車は今回まで全くなかったのだった。

ミュージックホーンが聞けない中、神宮前駅に着いたのが30分後のこと。
先の怒り問題もあり、友人にキックが命中する有様であったが、荷物をコインロッカーに預けた後、まずは熱田神宮に参拝に行く。
歴史シミュレーションゲーム・信長の野望フリークのこの私としても、熱田神宮は行ってみたいところの1つであった。
桶狭間の戦いの当日、織田信長が参拝し、そのときに吉兆を得て「我、勝てり」と発し、単騎出陣して家臣や兵士が後から付いていった、という話が伝わっており、海道一の弓取りと言われた今川義元を討ち取ったのは歴史の教科書でも記されていることである。

その後、神宮前駅内の和食系の飲食店で少し遅い昼飯を摂る。
天ざるにかつ丼をつけるという、広島・愛媛のひいきの飲食店・そば吉と同じ内容の食事となったが、おいしくいただいた。
なお、友人はご当地名物の味噌カツ定食だった。
勘定の際、奇跡が起きた。
なんと桶狭間の戦いが起きた1560年と同じ1,560円だったのである。
そのせいか、レジがしばらくフリーズし、レジ打ちのおばちゃんがしばし困った顔になった。
神々がいたずらをなさるとは、熱田神宮はなかなかのパワースポットである。

神宮前駅から名鉄で隣の金山駅まで移動。
「『きんざん』じゃないよ」と突っ込みつつ、ここから名古屋市営地下鉄名城線に乗り換える。
1日乗車券が600円で販売されており、購入する。
直前に決まったプランであり、当初は犬山市にある成田山名古屋別院に行こうかと考えていたのだが、時間もそう長くないので、愛・地球博記念公園へ向かうことにしたのであった。

栄で下車し、東山線に乗り換え。
終点の2駅手前で地上に出てきたのには驚かされたが、終点の藤が丘駅で下車し、リニモに乗り換え。
愛・地球博記念公園駅に着いたのが16時過ぎのことであったが、ここまでの乗継は全て待ち時間30秒以内という、驚異的な速さで移動できた。
名古屋の公共交通機関は実に素晴らしい。

昨年三鷹の森ジブリ美術館に行ったついでというところで、サツキとメイの家を見に行こうとやってきたのだが、残念ながら内覧券は既に完売だった。
まあせっかくだからと、モリコロパーク巡回バスに乗り、観覧車で下車。
友人と男二人で乗るのも何とも言えないが、夕日が射す方に名古屋の高層ビル群が見えており、20分の空中散歩を楽しめた。
その後最終の巡回バスで園内を一周、再びリニモ・東山線を乗り継いで18時過ぎに栄駅に到着。
飲み屋で数杯飲んだ後、錦界隈を散策。
出張時の思い出を語りつつ、いかに名古屋が福岡よりも大きな街であるかを力説した後、一度も行ったことがないが、往時からずっと気になっていた「世界の山ちゃん」に行こうとするも、空席待ちの状態。

急きょネットで調べて、金山駅付近に4店舗あることを確認し、懐かしの久屋大通駅から金山駅に向かう。
金山駅で下車し、北口に出たことを確認し、時計回りで世界の山ちゃん金山店目がけて歩いていく。
道路向かいの店も空席待ちの客の姿を確認し、金山店に入るが、南店の方が早いと言われ、10数秒離れたところにある金山南店へ。
・・・この展開、広島のお好み焼きの「へんくつや」の本店と新天地店の関係に似ている。

幸い、数分待てば案内してもらえるとのことで、無事「幻の手羽先」にありつけた。
ケンタッキーを20代後半で口にするまでは骨付きの鶏肉は食べられなかったものだったが、すっかり居酒屋の鶏肉料理にも慣れてきたものと感慨深いものがあった。
大変おいしく、良心的な価格設定に満足した。
客が多いのも納得である。
多摩地区ではよく唐揚げを食べていたと語っていた友人も満足しており、名古屋の素晴らしさをまた1つ伝授することができた。

金山駅から名鉄でそのまま友人が住む駅まで向かうこともできたが、荷物を預けている神宮前駅で下車しなければならず、少しでも節約すべく、地下鉄名城線で神宮西駅へ。
ここで1日乗車券もお役御免。
6分ほど歩いて神宮前駅に戻り、無事にコインロッカーから荷物を回収。
SuicaなどのICカードが利用できるので便利である。

そのまま名鉄急行豊川稲荷行きに乗り込み、友人宅の準最寄駅まで向かう。
そこから最寄駅まで向かう電車がいたらしいのだが、見逃してしまい、歩いて向かう。
22時過ぎだというのに、徒歩で向かうのも変なものである。

愛知県における友人新居に突入。
彼の車も健在で、ご挨拶代わりにキックしようとするも、さすがに今回もフリで終了である。

部屋の広さは2DKで、多摩地区の時と変わらない。
ただ、電車が近くを通るため、たまに賑やかになる。
今回は始発が通る前に起床するため、ストレスにはならないと思ったが、起きる前に電車がガタンゴトン走っていれば、ちょっと睡眠不足になるかもしれない。

正月番組で昨年秋に彼と訪れ、体感したVR ZONE 新宿の模様を収録したものなどをまとめたブルーレイディスクと、痴呆人並みに一度購入していたにも関わらずまた買ってしまった心霊ものDVD1枚と本1冊を換金特約付きでプレゼントし、翌日の計画などを話し、23時半過ぎに就寝。
旅に出るからには人と会わないと面白くないものだとつくづく感じる初日であった。  
タグ :名古屋


Posted by yochi at 22:54Comments(0)旅行記