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プロフィール
yochi
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↑2001年10月・鹿屋市の寿北小学校での教育実習風景より

教員免許を小中高取ったはよかったものの、平成の間は教採一次試験が一度も合格できず・・・。
そんな管理人は、パワハラがはびこる三流○○ック企業で5年半に渡り数々の辛酸をなめた後、招聘された印刷会社のWEB部門で2013年3月に1級ウェブデザイン技能士を取るなど2年間在籍して成長を遂げた後、結構有名な会社に課長職も含め9年弱勤務。
が、定期昇給が無く、頑張り甲斐が無くなったので、元部下の話から教採を15年ぶりに受け始め、令和になって毎年二次試験まで進出できるように。教員免許の追加取得に向けて通信制大学で学び、免許の取得の条件が「人物に関する証明書」の取得で、二次試験落ちから考えられる実地経験の必要性から18年ぶりに臨採教員に復帰。
そして令和6年度から正規教員として勤務開始。
国の宝の子どもたちの育成のため、これまでの経験を活かして頑張ります。
~~所有国家資格~~
【1級ウェブデザイン技能士】
【基本情報技術者】
【2級ファイナンシャル・プランニング技能士(個人資産)】
【乙種危険物取扱者(第4類)】
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Posted by チェスト at

2016年05月25日

2016上半期ツーリング2日目(広島⇒伊佐⇒大隅)

連載3回目となりました「2016上半期ツーリング」。
昨年までは「GWツーリング」と称し、以下のような経緯を辿ってきました。

・2013年
初の北陸3県・信越2県入り。
東尋坊と兼六園、能登半島半周と善光寺参りをし、薩摩義士を祭る治水神社と伊勢神宮参拝の後、ついでで法隆寺も見学。

・2014年
初の静岡・山梨・神奈川・東京・埼玉・栃木・群馬県入り。
東名高速を東へ疾走し、富士山の裾野を通って圏央道回りで東北道を宇都宮まで。
日光にも足を踏み入れ、極寒の関越トンネルに凍えつつ、北越急行線に沿って西へ走り、世界遺産・五箇山の合掌造りの民宿に宿泊。出会った皆さんに温かく見送られて雨の降る寒い中を南に南下、何度もエンストや高速道路上の路肩でエンストするなど、かなり危機的状態が続いたが、何とか脱出でき、東大寺と春日大社を見て回る。

・2015年
久しぶりに中四国の瀬戸内一周へ出向くも、道に迷って急こう配の坂を上り下りするわ事故渋滞でのろのろするわで、広島ICの手前が渋滞ということで元カノの住む呉を通ることになり、号泣寸前。
それでも本場の讃岐うどんと広島風お好み焼きなどを食して英気を養う。厳島神社に5年ぶりに参拝。

まあ、こんな感じで、ロングツーリング3部作となるのが2012~2014年にかけての3年間で、昨年からは休みの日数の関係で西日本がメインとなります。
そういえば、先週出発前の慣らし運転で街中で信号停車中、スクーター乗りのおじさんから声をかけられ、排気量について答えた後、「これで宇都宮まで行ったことがあるんですよ」と話したら絶句していました。

それでは、今回は最終・広島からの帰路について記します。


前日0時前に就寝し、起床は6時15分。
さすがに少々きつかったが、まずは帰宅しないとゆっくりできない。
朝食券を手に取りレストランでバイキング形式の朝食を摂る。
大きなホテルにしては人数は少なめであった。
6時48分にホテルを出発し、国道2号西広島バイパスめがけて南下。
右手に見える平和記念公園でオバマ大統領が何を語るか気になりつつ、休日の早朝のため交通量の少ない国道2号を廿日市ICまで走る。
山陽道に入り、一路西へ。
去年と違い、天候が良いのに救われる。
去年は広島を出発して1時間後に雨が降り出し、それが帰宅するまで続いた。

さて、今回のテーマは「見知らぬ地に足を踏み入れる」である。
通常ならば、山口JCTで中国道に入り、というのが定番だが、今回は趣向を変えねばならない。
というわけで、山口南ICで降り、国道2号小郡バイパスを西へ。
この区間は、125cc以下のバイクは走行できないため、旧道である県道335号へ迂回しないといけないことを、13年前に走った私だからこそ知っている。なので、小郡バイパスから先は初めて走ることになる。

県道6号山口宇部道路へ合流し、宇部JCTから山陽道に入る。
ICの前後のみ4車線の暫定2車線道路なのが惜しいのだが、中国道と違い、規格が新しいため、とても走りやすい。
時間に余裕がある時はこっちの山陽道を走ろうと思うほどである。
快適に西へ走り抜け、下関JCTから中国道に入り、関門橋を通って九州に戻ってきた。
去年のGWは関門橋で事故渋滞に巻き込まれていたため、久しぶりに落ち着いて関門橋からの景色を楽しめた。

九州道をひたすら西へ進み、太宰府ICでの合流もこの日は少なめ。
鳥栖JCTの手前では珍しく追い越し車線を走って長崎道・大分道方面の車を避け、熊本県方面へ。
熊本地震後、熊本市を通るのは、これが初めてのことである。
まずは北熊本SAで給油。
122円/Lで少々高いと感じたが、給油できる分ありがたいと思った。
店員氏の話では、地震後1週間近く閉鎖され、緊急車両への給油から営業再開したとのこと。
少なくともSAは日常に戻ったわけであり、ほっとしたものであった。

その後南へ向かうも、早速ブルーシートを屋根にかけた家を見かけることになる。
3月下旬に利用した益城熊本空港ICで降りる車も多く、道路は補修中だったり応急補修で済ませたものだったりし、速度を落とさないとジャンプしてしまう。
橋の所で一旦停止という認識はあったが、誘導により徐行で済んだ。
いつもトイレ休憩で使っていた緑川PAも、出口の所にあった橋が撤去されていて、地震がいかにすさまじかったか物語っていた。

嘉島JCTから先は徐々に被害も少なくなっていったが、集落全戸がブルーシートを覆った家だらけだったところを見ると、言葉を失った。
早く復興することを願い、夏の再訪を心に決め、南九州道に入る。
津奈木ICで国道3号に入り、新水俣駅の先で国道268号に入り、伊佐市まで。
到着は北熊本SAで友人へ電話連絡した見立て通りの13時過ぎ。
山口土産を適当に渡した後、行列ができるラーメン店だという「力」へ。
ライダーが数人店を出てきたところであったが、友人の車で来た私がつい先ほどまでバイクで広島から走ってきたとはまず思いもしなかっただろう。

一番高い金山ねぎ味噌チャーシューメンにギョーザ・チャーハンセットを付けて食すが、十八番よりはおいしい。
冬はスパゲティよりもラーメンかと思いつつ店を後にし、再びバイクにまたがり横川ICに向かう。
そこから先は九州道を南へ向かい、加治木JCTから東九州道、そして2日前には通れなかった末吉財部IC~野方IC間も抜けて、自宅に着いたのが16時過ぎのことであった。
この日の走行距離は608km、3日間の総走行距離は1,402kmで、過去のロングツーリングからすると500km程度短いくらいなのだが、帰宅してからはかなりの疲労があった。
まあ、早起きするのは運転の必要がない鉄道旅行の方が向いていて、少々強行軍気味の部分はあったかもしれない。

次回は下半期にどこへ行くのか、ということになりそうだが、まず言えることは近畿地方から東へは行けないことである。
現職の今の環境では、日程的に無理だ。
まあ、夏が過ぎるころにどうするか決めればよいではないか、そう思う。  

Posted by yochi at 20:35Comments(0)旅行記

2016年05月24日

2016上半期ツーリング1日目(日向⇒角島⇒秋吉台⇒広島)

連載2回目となりました「2016上半期ツーリング」。
昨年までは「GWツーリング」と称し、以下のような経緯を辿ってきました。

・2011年【YBR250へ移行。2008年まではシグナスX、2009~2010年は車(1,000円高速の影響)】
初の岡山県・鳥取県・兵庫県入りと初のJR四国特急2000系&キハ1000形に乗車。
鳥取砂丘を歩き、秘境駅の坪尻駅へスイッチバックで入線も体験した。

・2012年
佐賀関港で4時間半待ちを食らった挙句、夜の四国山地縦断コースに挑み、西日本最長の国道トンネル・寒風山トンネル(約5.4km)を完走。
国道33号との交点ではブレーキが止まらず、赤信号になったばかりの交差点のど真ん中に停車するという赤っ恥をかきつつ、高知から初めてバイクで瀬戸大橋を越え、初の大阪・和歌山・奈良・三重・愛知・岐阜・滋賀・京都入り。
今は亡きたま駅長に会ったのもこの年。伊勢奥津駅にも顔を出しているが、名松線の不通区間も今年の春再開した。
岐阜城と関ヶ原に出向いたのもこの年のことだった。

2013年からはまた明日書くことにして、今年はGWに走っていないので「2016上半期ツーリング」と称しています。
GWにバイクで出かけなかったのは最も年間所得が少なかった2004年以来12年ぶりのことです。
まあ、曜日配列が悪く、会社のカレンダー通りに休めば不可能だったため、あえて少ない時期を狙いましたが、それでも出会うライダーは多かったです。


前日23時半過ぎに寝るも、起床は5時15分。
なかなかの強行軍だが、風呂に入り、天気予報を見て6時過ぎに食堂入りし朝食を採る。
スポーツ合宿の人が多かったものの、しっかりと自分の分の食事は確保できた。
しっかり腹ごしらえしてホテルを6:22に出立。
この先の行程を考えると、一旦給油が必要と思い、日向ICではなく門川ICでの東九州道(延岡南道路)入りを図るが、運悪くスタンドがあるのは対向車線側ばかり。
計算上、北九州付近までは燃料が持つので、別府湾SA辺りまでは余裕だし、そこで入れればいいやと門川ICから高速移動再開となる。

この日も移動は快適である。
昨年も走った臼杵IC付近まではスピードも比較的早かった。
まあ、70km/hで走ると一般道とさほど変わらないので、早く4車線化してほしいと思うのであるが、7時過ぎには県境を越え、8時半前に別府湾SAにたどり着く。
なお、臼杵ICから北九州JCT間は今回初めて走る区間である。

ガソリンが119円/Lで大隅と1円程度しか差がない。
相変わらず、県外のSAは鹿児島市の平均的なガソリン価格よりも安い。

これで中国地方までの給油が不要になったところで、本線に合流し、日出JCTで再度東九州道に入る。
ほぼ片側一車線なのが何とも言えないが、快適に北西へ進む。
宇佐ICを見て、「USAだな」とツッコんでみたり、最後の開通区間である豊前~椎田南間にある「公共事業とは?」の立て看板に「みんなのための事業じゃないか」と、人と人との交流を大いに促す東九州道の有用性を走りながら実感しながら、北九州JCTで九州道に合流した。

さて、ここから本州へ渡るには、2つのルートがある。
このまま関門橋へ渡るルートと、門司ICで降り、関門トンネルへ向かうルートである。
で、私は後者を選択した。
関門橋は帰りに通るから、という理由である。
というわけで、門司ICで降り、巧妙な左折専用車線に2度も戸惑わされ、栄町交差点手前の交差点で前方渋滞のため、停止線で停まった選択だけは正しかった、という経緯を経て、関門トンネルへ向かう車で渋滞する中をじわじわ進み、料金所でコインボックスから100円を取り出し、2003年10月以来の関門トンネルをくぐる。
往時は100ccスクーターで20円払ってJHこと日本道路公団の領収書をもらったものだったが、今も西日本高速道路になっても、それは変わっていない。

10時前に下関市に入り、県道258号を西へ。
でもって、ここでも巧妙な左折専用車線や意味不明な分岐に惑わされ、一旦側道に入り、信号を抜けてまた本線、という展開、その後国道191号バイパスに右折する箇所を誤って直進して、次の交差点でUターンして合流し直す、という展開になったが、10時過ぎに北へ向かって走り出す。
天気はよく、心地よい。
時折日本海を望みながら北上していくのだが、どうもゆっくり走る車がいるようで、ペースは法定速度以下になることも多々あった。
途中、見通しがよく追い越せるポイントがあったため、安全に追い越しした。
私が一般道で追い越すのはかなり珍しいことである。

特牛(こっとい)交差点を過ぎ、県道279号に入る。
大昔に九州ローカル番組「ドォーモ」で見た、角島大橋を渡ってみるが為である。
先月末に伊唐大橋を車で渡ったが、あれとの比較にならないほど美しい景色を楽しめる橋である。

橋を渡りきり、角島灯台に向かう。






灯台があるだけあって、眺望もすこぶるよい。
なお、入場料は200円であった。

また帰りに角島大橋を渡るので、このときは写真を撮った。

バイクの後ろに積んでいた荷物が落ちたため、初老の男性に拾ってもらいお礼を述べた後、この橋を渡って左折し、広い道に沿って時計回りで国道191号に復帰した。11時半前のことであった。

その先では、バイクの先行車がおり、また後方には別のバイクがいる、という単騎3人組による隊走状態となって、ひたすら東へ進む。
途中長門市を通るが、いつも買っているカニカマはここで生産されている。
青海島の海食洞もちょっと興味はあったが、今日は広島に18時までに入らなければならず、今回はおあずけとなった。

山陰道との分岐を国道方向へ進んでいき、「秋芳洞」の標識に従って県道36号に入る。
しかし、よくよく考えたら秋吉台を通って秋芳洞へ向かうのであって、バイクを止め、地図を確認すると、やはりルートを間違っていた。
元来た道を引き返し、国道191号を東へ向かい、県道28号に入り直し、事なきを得た。
なお、酷道マニアの方であれば、山陰道を2つ先のICで降り、国道490号を南へ向かう、という選択肢もあるのだが、今回は1日の走行距離が600km程度になることもあり、止めといた。
国道490号とは、並行する県道32号の走行を勧める看板が立っていることで知られる国道である。

サファリランド入口の看板につられて右折し、いよいよ県道242号秋吉台公園線(通称・カルストロード)に入る。
カルスト地形の由来は旧ユーゴスラビアのスロベニアにある地域が語源で、地理・地学マニアを自認する自分としても、カルスト地形は前々から見てみたいと思っていた。
阿蘇の東側の外輪山にカルストが出没したかのような光景に驚きつつ、帰り水というところからしばしバイクを降りて景色を眺める。






ローカル路線バス乗り継ぎの旅でも、蛭子さんが一番印象に残ったところと答えたのもなんとなくわかる気がした。

さらに先へ進み、秋芳洞の市営第二駐車場へ入る。
バイクは無料とのことで、適当に空いた所へ停める。
入口まで結構歩かされたが、13時前なので早く何か食べたいと思いつつ、まずは秋芳洞へ向かう。
料金は1,200円。
足元を流れる川は白く濁っており、石灰水であることに気付かされる。

まあ、カルスト地形を流れて来れば当然そうなるのであるが、こうした理化学的な場所ではいろいろなものを観察するのも一興である。
秋芳洞の入口は、ロールプレイングゲームの洞窟のそれを思わせるほど、独特な何かを持っていた。


BGMはドラクエ3のそれになりつつ、初の鍾乳洞へ入っていく。

中はひんやりして涼しい。
年間15~17℃で安定しているとの音声案内ガイドの話である。
高森湧水トンネル公園もそんな感じだった。
地表付近の地温が15℃前後であることを知る身には、当然そうなるということは分かるのだが、誰もが実感できる場として、こういうところは面白い。

失敗だったのは、サングラスで入ってしまったこと。
ただでさえ暗いのに明るさが半減してしまい、洞内を観察するには少々不都合ではあったが、それでもあちこちのポイントを見ることができた。



高森湧水トンネル公園の最奥を撮った時同様、一部オーブっぽいものが映りこんでしまったが、水のあるところではたまにあることである。

720mほど進み、さらに黒谷方面へ進んでいき、出口の15秒間隔でゲートが開く扉を出たところで13:36。
秋芳洞入口行きのバスが13:38に出ると洞内で見ていたため、ダッシュで左手にあるバス停へ向かい、乗車できた。
なお、財布の中には5千円札と1万円札、それに百数十円しかなく、急きょ財布を忘れた時用に小銭入れに入れてある千円札で両替して難を逃れた。
高齢者がバスの通り道をふさいでいた秋吉台付近を経由し、12分ほどで秋芳洞バスセンターに到着。
ここからバイクまでは3分程歩けばたどり着くので、元来た道を歩くよりは早い。
運賃は310円であった。

そこから小郡萩道路経由で中国道に入る。
時計は14時を回っていた。
空腹なので、5年ぶりに鹿野SAへ行こうということにし、山口JCTを引き続き中国道へ進んでいく。
昔と変わらず、後続車はまずいない。
途中、橋梁補修工事のため対面通行になっている区間をやり過ごし、鹿野SAには15時前に着いた。
食券販売機が千円札しか使えないため、一旦1万円札を両替してもらったうえで天ぷらそばを注文。500円。
昨年秋に新得駅構内で食べたそれと近い天ぷらがのっていたが、わかめのコシがしっかりしていて、安い割においしくいただけた。

山口土産を3つほど買い込み、外へ出ると、警察官輸送車が3~4台ほど停車していた。
トイレ休憩だったようだが、サミットが開かれることを考えると、その要員輸送と思われる。
鹿野SAを後にし、島根県を抜けて広島県に入り、吉和ICで降りる。
当初は広島道経由で向かう予定にしていたが、宮島口で土産を買う時間があると判断し、廿日市方面への短絡ルートとなる吉和IC経由で抜けた方が良い、と判断したのであった。
“酷道”488号は回避し、国道186号を南下していく。
県道30号へ左折し、廿日市市内で国道2号西広島バイパスへ入っていく。
吉和ICから西広島バイパス出口までは、初走行である。

右側車線からの合流に気をつけつつ、宮島口にスムーズにたどり着く。
GWならバイクが停まっているところも、何も停まっていなかった。
いつも買うもみじ饅頭とカキの煮たものを買い込み、宮島口交差点から右折を試みるが、車が多く、信号待ちが長かった。
直進してJR駅前でUターン、左折が早かったのでは、と思いつつ、再び西広島バイパスを北上し、広島市役所前交差点で左折、その先で左折、右折し、へんくつや平和記念公園前店にたどり着いたのが18時前。
海鮮スペシャル(1,080円)を注文し、自分でヘラを使って切り分けて、おいしく食べる。
というか、ヘラを使うのは初めてである。
去年も訪れているのだが、趣向が変わったのだろうか。

ここからホテルまでは昨年歩いているので、道も知っており、平和記念公園東側を流れる元安川沿いに北上し、昨年も泊まったホテルに到着したのが18時過ぎ。
地下駐車場では昨年談笑した方がいたのだが、1年も経ったせいか、自分のことを忘れてしまっていた。
まあ、バイクで来るならここは定宿だなと思いつつ、チェックインして部屋でくつろぐ。

※左端に原爆ドームがうっすら、右側には旧広島市民球場跡が広がる

ニュースでは、バラク・オバマアメリカ大統領が100m先の原爆ドームと平和記念公園を5/27に訪れると流れていた。
また、ホテルでも厳戒態勢に入るとの張り紙がしてあり、道路情報板にも広島市中心部で大規模交通規制の予告が出ていた。
どんな発信をするのか今週は注目が集まることだろう。

この日の走行距離は626kmであった。  

Posted by yochi at 22:31Comments(0)旅行記

2016年05月23日

2016上半期ツーリング0日目

会社の一件については、10日の段階でほぼ手打ちの状態となり、以降自部署内には平穏な状態が戻ってきました。
というわけで、2月に立案し、一時は中止の可能性もあったツーリングを今年も決行することを決め、天候が良いことも幸いし、2016/5/20~22の2日と少しを利用して、山口県中北部と広島へ出向いておりました。

というわけで、今日は前泊地となる宮崎県日向市までの移動について記します。


会社の一大販促準備のため、まさかの20:08での退勤となったが、この日の昼休みに帰宅して荷づくりと食器洗いを片付けており、予約していた洗濯機から洗濯物を取り出して干し、除湿機にタイマー稼働をさせた後、20:48に自宅を出発。
一路東原ICから大隅縦貫道経由で東九州道に入る。
今回のテーマは「東九州道全線走破」と「見知らぬ地に足を踏み入れる」の2点である。
既に昨年秋の段階で、沖縄県を除き、北海道、本州、四国、九州の4島にある都道府県には足を踏み入れており、バイクにおいても北海道と東北6県、茨城・千葉両県以外は走行している。

会社の休日カレンダー上、2014年に展開したようなロングツーリングは困難な状態になってしまったが、まだまだ未踏の領域は残っていた。
山口県下関市から島根県出雲市にかけての山陰側の地域は、いまだ足を踏み入れたことがない。
というわけで、1泊2日程度で出かけられる手短な未踏の地として、山口県の山陰側に向かうことにしたわけである。
2月の段階では広島市内に宿を確保しておいたが、日程の都合上、前泊地を宮崎市から延岡市の間でも確保する必要があった。
日向ICからほど近いところにあるホテルを前泊地として確保し、0日目として、仕事の後向かうことにし、前述の展開となったのである。

東原ICの掲示板を見ると「5月20日21時~野方IC~末吉財部IC間夜間通行止」と出ていた。
すなわち、野方ICで降り、国道269号を都城市方向へ進むしかなくなってしまった。
野方ICを通過したのが21:04のことだったので、ほんの数分差で行程が早くも変わってしまったのであった。

なにはともあれ、目的地に着くことが最優先なので、国道269号を北上する。
曽於市大隅町岩川を21:30過ぎに通過し、都城市に22時前後に入る。
宮崎道都城ICを22:08に通過し、一路東へ向かう。
夜のため交通量の少ない高速道路を快適に進み、清武JCTから東九州道の宮崎県区間に入る。
ここまで天気は曇天で、雨は降っていなかった。

しかし!
宮崎西ICを過ぎた先で、小ぶりの雨に見舞われた。
上はウィンドブレーカーを着用していたため、多少の雨では動じることはないが、時折雨が降る展開には、正直精神的に堪えるものがあった。
後続車に追い越されたのは2回で済んだが、カッパを着ずに食らう雨にはほとほと困る。
都農IC付近まで出てくると雨も降ることもなくなり、だいたい23時過ぎに日向ICにたどり着くと読み、安全運転に徹して北へ進む。
23:12にホテルに到着し、チェックインを済ませる。
履いてきたジーパンに少々水分が浸み込んでいたが、一晩乾かせば大丈夫なレベルと判断、翌朝が早いので23:30に就寝した。  

Posted by yochi at 22:14Comments(0)旅行記

2016年05月03日

8年前にパワハラ対策でまとめた文書を読み返す日が来た

2/17に起こった出来事を記した記事から2ヶ月半が経過し、先週一時危険な状態にはなったものの、今週に入り安定してきたと思いきや、新規案件の進め方で上役と意見が衝突し、とうとう元職で4年半程の間時に激しく受けてきたパワハラ状態に陥りました。すなわち、「辞表を出せ」「辞めろ」のオンパレードです。

元職では経営者自らが行っていたため、給与をもらう間は直接対決するわけにもいかなかったのですが、今回の相手は経営者でもその一族でもありません。古参幹部です。

まずは往時の戦いを支えた「反パワハラ10箇条」を思い起こして精神状態を中庸に戻し、今回の対処をどのようにするか仕事をしながら片隅で考えます。自社には人事とコンプライアンスを担当する総務部がありますから、そこの責任者宛で上役のコンプライアンス違反を告発する文書を昼休みに帰宅して作成、寒冷前線南下に伴う嵐の中、提出します。

その後も上役と口を利かぬ息詰まる状況が続き、夕方、総務部の準責任者より内線着信があり、人目に付かない場所へ移動して短時間のヒアリングを受けます。
そこで耳にしたのが、上役がこれまでも同様の行為を繰り返し、泣き寝入りしてきた人が複数人いる、ということ。
2006年6月に元職のブラック企業に入社するまで半年近く無職であった自分にとって、1日も無職期間なしでWEB技術職でつないだ職歴通算満10年目前の今、無職を回避してきた積み重ねの集大成として上役と向き合う、そういう事態に至っています。

独立するにもまだ根回しが足らず困難であり、保険となる次の職探しも今月は動けません。
失業給付についても、今回は明確に自己都合にはなりませんから、有給が23日ある現時点では6月での計算となり、満10年です。
7月だと、10年超につき240日、6月だと10年なので180日、結構な分かれ目です・・・。
あと厄介なのがボーナスで、8月まで在籍していれば給料1ヶ月分程度はもらえるわけで、車のローン返済などを考慮すると、9月くらいなら会社都合離職もあり得る、という認識でした。
が、上役の暴走で結構振り回されている、そんな感じです。

後日責任者と改めて面談機会がある、ということで、それまでに事の経緯をまとめた文書を提出する旨伝えています。
帰宅してから、まさかの8年前にパワハラ対策でまとめた文書を読み返すことになろうとは思いもしませんでしたが、やはり当時通用したものは今でも通用する、というわけで、早速印刷して手元に控えています。

総務部との対応が一段落したら、いよいよ戦いが始まります。
その時上役にこう言ってみたいものです。
「出るとこ出て決着付けましょうや」、と。  

Posted by yochi at 21:03Comments(0)真面目に一筆