2019年04月30日
私的平成ゲーム史を平成のうちに書き残す
世間の10連休もなんのその、普段は月4~5日しか休めない友人ですら8連休を確保しているというのに、この自分は今週も平常運転の5連勤だったりします。
5年前はバイクで初めて関東まで遠征していたものですが、休める環境がうらやましいところです。
さて、平成元年を小学3年の3学期始業式で迎えてから今日までの間のゲーム史について、書き綴ってみます。
家にファミコンが来たのが小学4年になる前の春休みのことでした。
ちょうど30年ということになりますね。
本体とともに「スパルタンX」「チャレンジャー」そして「ファミスタ(初代)」の3本のソフト付でした。
この頃はRPGという言葉も知らず、アクションゲーム3本を家で楽しむところから、自宅でのテレビゲームとの付き合いが始まりました。
妹のクラスの男子宅にそれまでたまに遊びに行っていて、そこで一緒に遊んでいたため、「ファミリートレーナー」や「スーパーマリオブラザーズ」を借りて家で遊ぶこともありました。
自分の誕生会を初めて開いたのもこの年のことです。
家に遊びに行ってゲームで遊ぶスタイルが確立されていましたが、往時の自分は外遊びも大事にしていました。
町内自転車1時間耐久レースやボール遊び、たまにはミニ四駆(もどき)で近所の子どもたちと遊んでいました。
いろんな人との交流があると、その分いろんなカセットも持ち込まれます。
小学4年次には「くにおくんの熱血高校ドッジボール部」「F1レース」「ドラゴンクエスト2(持ち込みのみ)」を、小学5年次には「究極ハリキリスタジアム」「霊幻道士キョンシー」そして「ドラゴンクエスト3」です。
ドラゴンクエスト3については、近所の友達の分と買ってもらった分の2本を家に置いていたのですが、誕生会の時にM.Tというイニシャルの同級生に盗まれたか、2本とも紛失しました。
往時の自分は彼ではなく、別の同級生を犯人扱いしていましたが、誕生会後に彼がそっけない態度を取ったため、今日では彼が犯人と思っているところです。
なお、別の同級生に対しては数年前の同窓会で直接会う機会があり、土下座しています。
本件については事件そのものは未解決(母がソフトを購入して弁償)ですが、冤罪については平成のうちに解決しています。
小学6年次になると、伯父がゲーム屋でソフトを買ってくれる機会が出てきて、「信長の野望 全・国・版」を手に入れます。
RPGは謎解き要素が満載ですが、シミュレーションゲームは攻略法を臨機応変に考えなければならないため、バリエーションが豊富なところが気に入りました。
ちなみに、小学5年次のクリスマスに「信長の野望 ゲームボーイ版」を買ってもらいますが、この年の夏に北九州のいとこ宅に遊びに行った際、パソコン版の信長の野望で遊んだことがきっかけでした。
ゲームボーイを入手するのは中学3年の夏に当時加世田に住んでいた友人から譲ってもらった時まで後のことになり、手元にないので、基本的には自宅外で遊ぶしかありませんでした。
皇徳寺東口近くの妹の友達宅まで押しかけてゲームボーイをお借りして、軒先で夕刻に信長の野望で遊ぶのは、今思い返すとアホだなあと、ゲームバカだなあと、思います。
その他、10年前にFM鹿児島に勤務していると聞いているK.O氏より、「京都龍の寺殺人事件」を譲り受けます。
初めてのアドベンチャーゲームになるわけですが、このゲーム、小学生には難しすぎでした。
クリアしたのはつい5年前、ネットで攻略法を見つけてからです。
基本的にこの手のゲームは買わないので、学生時代に家庭教師をしていたところの高校生から「ユーラシアエクスプレス殺人事件」を借りて解決したり、妹が借りてきた「トワイライト・シンドローム」シリーズで少しビビリながらもクリアしたりくらいのものです。
後は、当時の友達にそそのかされて、父に返却するはずの5,000円を使い込んで買ったのが「爆笑!人生劇場2」です。
最大4人まで遊べるボードゲームというのが画期的で、高校生になってもたまに友人とこれで遊ぶことがあったほどでした。
もう1本、伯父に買ってもらったのがCMが有名な「ファミコンウォーズ」です。
セーブデータが消えやすい欠点もあり、何度もやり直しがありましたが、レッドスター軍の最終面「デビラー島」のクリアまでやっています。
ちなみに、2年前に「レトロフリーク」を購入したため、その際にファミコンウォーズもブルームーン軍で再戦していますが、セーブデータが消えない分、スムーズに最終面「ラストドリーム」もクリアできました。
小学卒業前で、自分のゲーム進路はもう決まっていたといっても過言ではないでしょう。
小学6年の時には、母から最後に買ってもらったソフトがあります。
「ドラゴンクエスト4」です。
谷山電停のそばにゲームショップが営業していた時があり、そこで買いました。
カセットの裏には、ドラクエ3紛失事件の影響で電話番号と名字が母の手で書かれています。
現在では数少ない母の形見の品になってしまいました。
中学生に上がると、ファミコンからスーパーファミコンにシフトしており、ソフトを買うことも減りました。
ファイナルファンタジー3を初めて借りて遊ぶ機会があり、友人宅でもファイナルファンタジー5のプレイの模様を見る機会も出てきました。
それでも、中学2年の冬にスーパーファミコン本体など総額5万円分買ってもらえることになり、「ドラゴンクエスト1・2」「スーパーマリオコレクション」「シムシティ」「ファイナルファンタジー5」「信長の野望 武将風雲録」を買いました。
どれも長く遊べるいい作品ぞろいです。
お年玉でゲームソフトを買う機会も出てきて、「信長の野望 覇王伝」は、1万円越えであっても買ってしまった作品です。
サントラまで買ってしまったのも本作くらいのものです。
その他、「ファイナルファンタジー6」や「ドラゴンクエスト5」も買ってます。
高校生になると、「RPGツクール」を買って適当に話を作ってみたりしてましたが、今思い返すと時間があるからできる芸当です。
「信長の野望 天翔記」で島津日新斎(忠良)が初登場して、その能力値の高さに「島津家中興の祖」としての評価を感じつつ、教科書で扱わない歴史に興味を持つようになりました。
極めつけはプレイステーションの登場です。
当時の友達からプレイステーションとA列車で行こう4を借りて遊ぶ機会があったのですが、「さすが32ビット機」とうなずくできばえでした。
後に「ときめきメモリアル」も借りて初の恋愛シミュレーションゲームに挑戦したものの、いつも相手が美樹原愛だったのはやさしい性格だからなのかもしれません。
以下、自分史上最高傑作RPGと思うFF7、提督の決断シリーズ、大航海時代2、トップマネジメント2、DQ6、A列車で行こうシリーズを中心に、プレイステーション1・2・4を保有したほか、パソコン版でもソフトを買っています。
今ではSteamというプラットフォームがあり、海外製のゲームも少々の英語力があれば気軽に遊べる環境になっています。
令和に移り変わっても、名作が生まれることを期待しています。
5年前はバイクで初めて関東まで遠征していたものですが、休める環境がうらやましいところです。
さて、平成元年を小学3年の3学期始業式で迎えてから今日までの間のゲーム史について、書き綴ってみます。
家にファミコンが来たのが小学4年になる前の春休みのことでした。
ちょうど30年ということになりますね。
本体とともに「スパルタンX」「チャレンジャー」そして「ファミスタ(初代)」の3本のソフト付でした。
この頃はRPGという言葉も知らず、アクションゲーム3本を家で楽しむところから、自宅でのテレビゲームとの付き合いが始まりました。
妹のクラスの男子宅にそれまでたまに遊びに行っていて、そこで一緒に遊んでいたため、「ファミリートレーナー」や「スーパーマリオブラザーズ」を借りて家で遊ぶこともありました。
自分の誕生会を初めて開いたのもこの年のことです。
家に遊びに行ってゲームで遊ぶスタイルが確立されていましたが、往時の自分は外遊びも大事にしていました。
町内自転車1時間耐久レースやボール遊び、たまにはミニ四駆(もどき)で近所の子どもたちと遊んでいました。
いろんな人との交流があると、その分いろんなカセットも持ち込まれます。
小学4年次には「くにおくんの熱血高校ドッジボール部」「F1レース」「ドラゴンクエスト2(持ち込みのみ)」を、小学5年次には「究極ハリキリスタジアム」「霊幻道士キョンシー」そして「ドラゴンクエスト3」です。
ドラゴンクエスト3については、近所の友達の分と買ってもらった分の2本を家に置いていたのですが、誕生会の時にM.Tというイニシャルの同級生に盗まれたか、2本とも紛失しました。
往時の自分は彼ではなく、別の同級生を犯人扱いしていましたが、誕生会後に彼がそっけない態度を取ったため、今日では彼が犯人と思っているところです。
なお、別の同級生に対しては数年前の同窓会で直接会う機会があり、土下座しています。
本件については事件そのものは未解決(母がソフトを購入して弁償)ですが、冤罪については平成のうちに解決しています。
小学6年次になると、伯父がゲーム屋でソフトを買ってくれる機会が出てきて、「信長の野望 全・国・版」を手に入れます。
RPGは謎解き要素が満載ですが、シミュレーションゲームは攻略法を臨機応変に考えなければならないため、バリエーションが豊富なところが気に入りました。
ちなみに、小学5年次のクリスマスに「信長の野望 ゲームボーイ版」を買ってもらいますが、この年の夏に北九州のいとこ宅に遊びに行った際、パソコン版の信長の野望で遊んだことがきっかけでした。
ゲームボーイを入手するのは中学3年の夏に当時加世田に住んでいた友人から譲ってもらった時まで後のことになり、手元にないので、基本的には自宅外で遊ぶしかありませんでした。
皇徳寺東口近くの妹の友達宅まで押しかけてゲームボーイをお借りして、軒先で夕刻に信長の野望で遊ぶのは、今思い返すとアホだなあと、ゲームバカだなあと、思います。
その他、10年前にFM鹿児島に勤務していると聞いているK.O氏より、「京都龍の寺殺人事件」を譲り受けます。
初めてのアドベンチャーゲームになるわけですが、このゲーム、小学生には難しすぎでした。
クリアしたのはつい5年前、ネットで攻略法を見つけてからです。
基本的にこの手のゲームは買わないので、学生時代に家庭教師をしていたところの高校生から「ユーラシアエクスプレス殺人事件」を借りて解決したり、妹が借りてきた「トワイライト・シンドローム」シリーズで少しビビリながらもクリアしたりくらいのものです。
後は、当時の友達にそそのかされて、父に返却するはずの5,000円を使い込んで買ったのが「爆笑!人生劇場2」です。
最大4人まで遊べるボードゲームというのが画期的で、高校生になってもたまに友人とこれで遊ぶことがあったほどでした。
もう1本、伯父に買ってもらったのがCMが有名な「ファミコンウォーズ」です。
セーブデータが消えやすい欠点もあり、何度もやり直しがありましたが、レッドスター軍の最終面「デビラー島」のクリアまでやっています。
ちなみに、2年前に「レトロフリーク」を購入したため、その際にファミコンウォーズもブルームーン軍で再戦していますが、セーブデータが消えない分、スムーズに最終面「ラストドリーム」もクリアできました。
小学卒業前で、自分のゲーム進路はもう決まっていたといっても過言ではないでしょう。
小学6年の時には、母から最後に買ってもらったソフトがあります。
「ドラゴンクエスト4」です。
谷山電停のそばにゲームショップが営業していた時があり、そこで買いました。
カセットの裏には、ドラクエ3紛失事件の影響で電話番号と名字が母の手で書かれています。
現在では数少ない母の形見の品になってしまいました。
中学生に上がると、ファミコンからスーパーファミコンにシフトしており、ソフトを買うことも減りました。
ファイナルファンタジー3を初めて借りて遊ぶ機会があり、友人宅でもファイナルファンタジー5のプレイの模様を見る機会も出てきました。
それでも、中学2年の冬にスーパーファミコン本体など総額5万円分買ってもらえることになり、「ドラゴンクエスト1・2」「スーパーマリオコレクション」「シムシティ」「ファイナルファンタジー5」「信長の野望 武将風雲録」を買いました。
どれも長く遊べるいい作品ぞろいです。
お年玉でゲームソフトを買う機会も出てきて、「信長の野望 覇王伝」は、1万円越えであっても買ってしまった作品です。
サントラまで買ってしまったのも本作くらいのものです。
その他、「ファイナルファンタジー6」や「ドラゴンクエスト5」も買ってます。
高校生になると、「RPGツクール」を買って適当に話を作ってみたりしてましたが、今思い返すと時間があるからできる芸当です。
「信長の野望 天翔記」で島津日新斎(忠良)が初登場して、その能力値の高さに「島津家中興の祖」としての評価を感じつつ、教科書で扱わない歴史に興味を持つようになりました。
極めつけはプレイステーションの登場です。
当時の友達からプレイステーションとA列車で行こう4を借りて遊ぶ機会があったのですが、「さすが32ビット機」とうなずくできばえでした。
後に「ときめきメモリアル」も借りて初の恋愛シミュレーションゲームに挑戦したものの、いつも相手が美樹原愛だったのはやさしい性格だからなのかもしれません。
以下、自分史上最高傑作RPGと思うFF7、提督の決断シリーズ、大航海時代2、トップマネジメント2、DQ6、A列車で行こうシリーズを中心に、プレイステーション1・2・4を保有したほか、パソコン版でもソフトを買っています。
今ではSteamというプラットフォームがあり、海外製のゲームも少々の英語力があれば気軽に遊べる環境になっています。
令和に移り変わっても、名作が生まれることを期待しています。
2019年04月25日
平成最後に人生初の入院
今年で40歳になり、令和まであと10日を切った、という時点で、仕事場に向かった際に左わき腹に激痛が走りました。
「また、あいつだ」
3度目の尿管結石による水腎症発症の始まりでした。
先月は5日で流れたものの、今回は痛さが先月の比ではなく、歯を食いしばるほどの痛さです。
急きょ会社からかかりつけ医に直行、痛さゆえに破砕をお願いするも、透過剤がなかなか浸透せず、レントゲンを撮ったりベッドで仮眠をとったり待合所で新聞を読んだり時間をつぶすこと6時間。
ようやく破砕に向かうも、破砕失敗。
着の身着のまま入院することにし、4人部屋に入れられ、一通り説明を受けます。
普通、入院する場合は事前に衣類やら身の回り品を持ってくるものですが、尿管結石の場合は点滴を6本打たれるので、一度おっ始まってしまったらそうもいかず、点滴が終了したのは21時過ぎ。
病室消灯の時間でした。
病院食に病院のベットに名前入りと、点滴を受けながら横になっていてふと思い出したことがあります。
旧鹿児島市立病院で最期を迎えた母のことです。
平成の初めに胃潰瘍(後にスキルス性胃がんと判明)で入院・手術後、社会復帰しつつも年が明けると自宅で療養に専念するようになり、夏に再入院していわゆる終末期になりました。
この頃は毎週見舞いに行っていたため、自身の入院で母との暗い思い出を思い起こしてしまったようです。
ま、厳しい母ゆえに、生活習慣の乱れから尿管結石で入院した自分に、平成の記憶を忘れないでほしいということと、令和を迎えるに当たって、年々年を取っていくのだから病気に気を付けろというメッセージなのかもしれません。
男性陣3人のいびきで少し寝不足ながらも2度目の破砕も失敗、しかし痛みは和らいできたため、点滴が終わった16時過ぎに退院しました。
ほぼベッドの上で寝まくりでしたので、車を運転する時はちょっとかったるいものがありました。
病院に滞在した時間は31時間に及びました。
破砕はまだ支払い済医療費で受けられるため、当面クエン酸と大量水分摂取でしのぎつつ、それでもダメな場合には日帰りでまた病院に行き、点滴を食らう羽目になりそうです。
皆様も日ごろの摂生にはお気を付けください。
「また、あいつだ」
3度目の尿管結石による水腎症発症の始まりでした。
先月は5日で流れたものの、今回は痛さが先月の比ではなく、歯を食いしばるほどの痛さです。
急きょ会社からかかりつけ医に直行、痛さゆえに破砕をお願いするも、透過剤がなかなか浸透せず、レントゲンを撮ったりベッドで仮眠をとったり待合所で新聞を読んだり時間をつぶすこと6時間。
ようやく破砕に向かうも、破砕失敗。
着の身着のまま入院することにし、4人部屋に入れられ、一通り説明を受けます。
普通、入院する場合は事前に衣類やら身の回り品を持ってくるものですが、尿管結石の場合は点滴を6本打たれるので、一度おっ始まってしまったらそうもいかず、点滴が終了したのは21時過ぎ。
病室消灯の時間でした。
病院食に病院のベットに名前入りと、点滴を受けながら横になっていてふと思い出したことがあります。
旧鹿児島市立病院で最期を迎えた母のことです。
平成の初めに胃潰瘍(後にスキルス性胃がんと判明)で入院・手術後、社会復帰しつつも年が明けると自宅で療養に専念するようになり、夏に再入院していわゆる終末期になりました。
この頃は毎週見舞いに行っていたため、自身の入院で母との暗い思い出を思い起こしてしまったようです。
ま、厳しい母ゆえに、生活習慣の乱れから尿管結石で入院した自分に、平成の記憶を忘れないでほしいということと、令和を迎えるに当たって、年々年を取っていくのだから病気に気を付けろというメッセージなのかもしれません。
男性陣3人のいびきで少し寝不足ながらも2度目の破砕も失敗、しかし痛みは和らいできたため、点滴が終わった16時過ぎに退院しました。
ほぼベッドの上で寝まくりでしたので、車を運転する時はちょっとかったるいものがありました。
病院に滞在した時間は31時間に及びました。
破砕はまだ支払い済医療費で受けられるため、当面クエン酸と大量水分摂取でしのぎつつ、それでもダメな場合には日帰りでまた病院に行き、点滴を食らう羽目になりそうです。
皆様も日ごろの摂生にはお気を付けください。
2019年04月07日
世の中には似たような境遇の人がいる
平成も今月いっぱいで終わる、ということで、鹿児島中央高校の大先輩であり、皇徳寺ニュータウン造成前の地に生家があったI氏を訪ねてきました。
そもそもI氏を知るきっかけは、ウェブサイト制作の依頼を引き受けたことであり、1級ウェブデザイン技能士なのに超激安価格で請け負いました。
その時点では、母校の先輩であることも、皇徳寺台の造成前の事情も全く存じなかったのですが、多様な話をする中でこうした点について徐々に知るところとなり、今日、事前に話をしたうえでお伺いし、地図上でのヒアリングと現地での同行聴き取りにご協力いただきました。
皇徳寺ニュータウンの南北を縦断する指宿スカイラインの北側にあたる地域に、氏のご出身の立迫集落がありますが、この集落はさらに南側にも続いており、現在の皇徳寺中央公園の北側のあたりに氏の生家があったそうで、この界隈はみかん畑や茶畑が広がっていたといいます。
団地にされなかった笠木地区や三重野地区にも足を延ばしてみたところ、これらの地域のような感じだったそうです。
自身の経験とも一致したのが、MBCグラウンドで行われる花火大会が高台から望めた、というもの。
氏の場合は鴨池の花火大会で60年近く前の出来事のようですが、山から見えたそうです。
私の家があった場所からもほど近く、造成前のやんちゃ坊主氏と造成後のガキ大将がそろってそれぞれ思い入れのある地域を巡るのも、奇遇なものです。
オマケで要人の家の前も通り、私の家があった近隣も案内し、皇徳寺中央公園の駐車場入口付近へ。このあたりには造成前、最長150mほどの長さのトンネルがあったそうで、幼心には怖い場所だったとのこと。
トンネルを抜け、下った先には製材所のような場所があったそうです。
中山ICをつなぐ都市計画道路ができる前の様子を知るこの私も、氏を山之田川沿いの旧道に案内すると、見覚えがあるとのこと。
少年期の私も、幼年期の氏も同じ景色や匂いを感じ取っていたのはなんたる一致でしょうか。
かくして、最後に桜ヶ丘に上る坂道を抜けておまけで桜ヶ丘時代の家の付近を案内して終了となりましたが、生い立ちを伺うと思いがけないことを耳にしました。
なんと、6歳でお母様を亡くし、子供のいなかった叔父の家に養子に出された、というのです。
そのため、幼少期の記憶に留まるようなのですが、私も母を12歳の時に亡くしています。
我が家の場合は家族離散までには至りませんでしたが、壮絶な経験をされていることを知るに、言葉が出ませんでした。
氏の場合の立迫集落の思い出は、亡きお母様と自然豊かな山村で暮らしたことであり、私の皇徳寺台での思い出は、近所の同年代の少年たちとの交流と学校の友達とバカをやったり、初恋の相手との淡い片思いの記憶であったり、母にとっての晩年となった苦い記憶であったりします。
ただ、この地には氏と私の共通の知人もまた存在しており、その方の家の場所を教えておきました。
不思議な人の縁を感じることも多々ある我が人生、この先もいろいろありそうです。
そもそもI氏を知るきっかけは、ウェブサイト制作の依頼を引き受けたことであり、1級ウェブデザイン技能士なのに超激安価格で請け負いました。
その時点では、母校の先輩であることも、皇徳寺台の造成前の事情も全く存じなかったのですが、多様な話をする中でこうした点について徐々に知るところとなり、今日、事前に話をしたうえでお伺いし、地図上でのヒアリングと現地での同行聴き取りにご協力いただきました。
皇徳寺ニュータウンの南北を縦断する指宿スカイラインの北側にあたる地域に、氏のご出身の立迫集落がありますが、この集落はさらに南側にも続いており、現在の皇徳寺中央公園の北側のあたりに氏の生家があったそうで、この界隈はみかん畑や茶畑が広がっていたといいます。
団地にされなかった笠木地区や三重野地区にも足を延ばしてみたところ、これらの地域のような感じだったそうです。
自身の経験とも一致したのが、MBCグラウンドで行われる花火大会が高台から望めた、というもの。
氏の場合は鴨池の花火大会で60年近く前の出来事のようですが、山から見えたそうです。
私の家があった場所からもほど近く、造成前のやんちゃ坊主氏と造成後のガキ大将がそろってそれぞれ思い入れのある地域を巡るのも、奇遇なものです。
オマケで要人の家の前も通り、私の家があった近隣も案内し、皇徳寺中央公園の駐車場入口付近へ。このあたりには造成前、最長150mほどの長さのトンネルがあったそうで、幼心には怖い場所だったとのこと。
トンネルを抜け、下った先には製材所のような場所があったそうです。
中山ICをつなぐ都市計画道路ができる前の様子を知るこの私も、氏を山之田川沿いの旧道に案内すると、見覚えがあるとのこと。
少年期の私も、幼年期の氏も同じ景色や匂いを感じ取っていたのはなんたる一致でしょうか。
かくして、最後に桜ヶ丘に上る坂道を抜けておまけで桜ヶ丘時代の家の付近を案内して終了となりましたが、生い立ちを伺うと思いがけないことを耳にしました。
なんと、6歳でお母様を亡くし、子供のいなかった叔父の家に養子に出された、というのです。
そのため、幼少期の記憶に留まるようなのですが、私も母を12歳の時に亡くしています。
我が家の場合は家族離散までには至りませんでしたが、壮絶な経験をされていることを知るに、言葉が出ませんでした。
氏の場合の立迫集落の思い出は、亡きお母様と自然豊かな山村で暮らしたことであり、私の皇徳寺台での思い出は、近所の同年代の少年たちとの交流と学校の友達とバカをやったり、初恋の相手との淡い片思いの記憶であったり、母にとっての晩年となった苦い記憶であったりします。
ただ、この地には氏と私の共通の知人もまた存在しており、その方の家の場所を教えておきました。
不思議な人の縁を感じることも多々ある我が人生、この先もいろいろありそうです。