2019年04月07日
世の中には似たような境遇の人がいる
平成も今月いっぱいで終わる、ということで、鹿児島中央高校の大先輩であり、皇徳寺ニュータウン造成前の地に生家があったI氏を訪ねてきました。
そもそもI氏を知るきっかけは、ウェブサイト制作の依頼を引き受けたことであり、1級ウェブデザイン技能士なのに超激安価格で請け負いました。
その時点では、母校の先輩であることも、皇徳寺台の造成前の事情も全く存じなかったのですが、多様な話をする中でこうした点について徐々に知るところとなり、今日、事前に話をしたうえでお伺いし、地図上でのヒアリングと現地での同行聴き取りにご協力いただきました。
皇徳寺ニュータウンの南北を縦断する指宿スカイラインの北側にあたる地域に、氏のご出身の立迫集落がありますが、この集落はさらに南側にも続いており、現在の皇徳寺中央公園の北側のあたりに氏の生家があったそうで、この界隈はみかん畑や茶畑が広がっていたといいます。
団地にされなかった笠木地区や三重野地区にも足を延ばしてみたところ、これらの地域のような感じだったそうです。
自身の経験とも一致したのが、MBCグラウンドで行われる花火大会が高台から望めた、というもの。
氏の場合は鴨池の花火大会で60年近く前の出来事のようですが、山から見えたそうです。
私の家があった場所からもほど近く、造成前のやんちゃ坊主氏と造成後のガキ大将がそろってそれぞれ思い入れのある地域を巡るのも、奇遇なものです。
オマケで要人の家の前も通り、私の家があった近隣も案内し、皇徳寺中央公園の駐車場入口付近へ。このあたりには造成前、最長150mほどの長さのトンネルがあったそうで、幼心には怖い場所だったとのこと。
トンネルを抜け、下った先には製材所のような場所があったそうです。
中山ICをつなぐ都市計画道路ができる前の様子を知るこの私も、氏を山之田川沿いの旧道に案内すると、見覚えがあるとのこと。
少年期の私も、幼年期の氏も同じ景色や匂いを感じ取っていたのはなんたる一致でしょうか。
かくして、最後に桜ヶ丘に上る坂道を抜けておまけで桜ヶ丘時代の家の付近を案内して終了となりましたが、生い立ちを伺うと思いがけないことを耳にしました。
なんと、6歳でお母様を亡くし、子供のいなかった叔父の家に養子に出された、というのです。
そのため、幼少期の記憶に留まるようなのですが、私も母を12歳の時に亡くしています。
我が家の場合は家族離散までには至りませんでしたが、壮絶な経験をされていることを知るに、言葉が出ませんでした。
氏の場合の立迫集落の思い出は、亡きお母様と自然豊かな山村で暮らしたことであり、私の皇徳寺台での思い出は、近所の同年代の少年たちとの交流と学校の友達とバカをやったり、初恋の相手との淡い片思いの記憶であったり、母にとっての晩年となった苦い記憶であったりします。
ただ、この地には氏と私の共通の知人もまた存在しており、その方の家の場所を教えておきました。
不思議な人の縁を感じることも多々ある我が人生、この先もいろいろありそうです。
そもそもI氏を知るきっかけは、ウェブサイト制作の依頼を引き受けたことであり、1級ウェブデザイン技能士なのに超激安価格で請け負いました。
その時点では、母校の先輩であることも、皇徳寺台の造成前の事情も全く存じなかったのですが、多様な話をする中でこうした点について徐々に知るところとなり、今日、事前に話をしたうえでお伺いし、地図上でのヒアリングと現地での同行聴き取りにご協力いただきました。
皇徳寺ニュータウンの南北を縦断する指宿スカイラインの北側にあたる地域に、氏のご出身の立迫集落がありますが、この集落はさらに南側にも続いており、現在の皇徳寺中央公園の北側のあたりに氏の生家があったそうで、この界隈はみかん畑や茶畑が広がっていたといいます。
団地にされなかった笠木地区や三重野地区にも足を延ばしてみたところ、これらの地域のような感じだったそうです。
自身の経験とも一致したのが、MBCグラウンドで行われる花火大会が高台から望めた、というもの。
氏の場合は鴨池の花火大会で60年近く前の出来事のようですが、山から見えたそうです。
私の家があった場所からもほど近く、造成前のやんちゃ坊主氏と造成後のガキ大将がそろってそれぞれ思い入れのある地域を巡るのも、奇遇なものです。
オマケで要人の家の前も通り、私の家があった近隣も案内し、皇徳寺中央公園の駐車場入口付近へ。このあたりには造成前、最長150mほどの長さのトンネルがあったそうで、幼心には怖い場所だったとのこと。
トンネルを抜け、下った先には製材所のような場所があったそうです。
中山ICをつなぐ都市計画道路ができる前の様子を知るこの私も、氏を山之田川沿いの旧道に案内すると、見覚えがあるとのこと。
少年期の私も、幼年期の氏も同じ景色や匂いを感じ取っていたのはなんたる一致でしょうか。
かくして、最後に桜ヶ丘に上る坂道を抜けておまけで桜ヶ丘時代の家の付近を案内して終了となりましたが、生い立ちを伺うと思いがけないことを耳にしました。
なんと、6歳でお母様を亡くし、子供のいなかった叔父の家に養子に出された、というのです。
そのため、幼少期の記憶に留まるようなのですが、私も母を12歳の時に亡くしています。
我が家の場合は家族離散までには至りませんでしたが、壮絶な経験をされていることを知るに、言葉が出ませんでした。
氏の場合の立迫集落の思い出は、亡きお母様と自然豊かな山村で暮らしたことであり、私の皇徳寺台での思い出は、近所の同年代の少年たちとの交流と学校の友達とバカをやったり、初恋の相手との淡い片思いの記憶であったり、母にとっての晩年となった苦い記憶であったりします。
ただ、この地には氏と私の共通の知人もまた存在しており、その方の家の場所を教えておきました。
不思議な人の縁を感じることも多々ある我が人生、この先もいろいろありそうです。
PS5 proを買った(ただし今日のところは不在持ち帰り・・・)
いろんなものが故障
超円高・株価暴落の最中であってもFF7リバースをクリア(但しイージーで…)
だいたい引っ越し完了
異動狂騒曲
帰省して姪の進路相談に乗る
いろんなものが故障
超円高・株価暴落の最中であってもFF7リバースをクリア(但しイージーで…)
だいたい引っ越し完了
異動狂騒曲
帰省して姪の進路相談に乗る
Posted by yochi at 20:58│Comments(0)
│近況
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。