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yochi
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↑2001年10月・鹿屋市の寿北小学校での教育実習風景より

教員免許を小中高取ったはよかったものの、平成の間は教採一次試験が一度も合格できず・・・。
そんな管理人は、パワハラがはびこる三流○○ック企業で5年半に渡り数々の辛酸をなめた後、招聘された印刷会社のWEB部門で2013年3月に1級ウェブデザイン技能士を取るなど2年間在籍して成長を遂げた後、結構有名な会社に課長職も含め9年弱勤務。
が、定期昇給が無く、頑張り甲斐が無くなったので、元部下の話から教採を15年ぶりに受け始め、令和になって毎年二次試験まで進出できるように。教員免許の追加取得に向けて通信制大学で学び、免許の取得の条件が「人物に関する証明書」の取得で、二次試験落ちから考えられる実地経験の必要性から18年ぶりに臨採教員に復帰。
そして令和6年度から正規教員として勤務開始。
国の宝の子どもたちの育成のため、これまでの経験を活かして頑張ります。
~~所有国家資格~~
【1級ウェブデザイン技能士】
【基本情報技術者】
【2級ファイナンシャル・プランニング技能士(個人資産)】
【乙種危険物取扱者(第4類)】
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Posted by チェスト at

2023年10月06日

苦節22年、ついにあの試験に合格する

現在教職に就くこの私、この職を志したのは小学校4年生になる直前の春休みまでさかのぼる。
今は無き学習雑誌「小学3年生」の付録で、地図記号カードが付いており、これを使って近所の子どもたち(妹を含む)を4名集めて地図記号クイズをやってみると、なぜか間違うと全員ムキになったのである。
これが面白いと、教える面白さに開眼することにつながった。

その後、小学校のお楽しみ会でも折に触れてクイズを出すようになり、いつしか「物知り博士」と周囲から思われるようになっていた。
まあ、中学校1年生の文集では「大学教授」を目指すなんてたいそうなことを書いてしまったが、家計にゆとりがあって大学院にいけたら、それも可能になるほど、大学入試模試の地理で偏差値90を取ったことがある。

知識面でも後押しを受けて、大学では教育学部に進み、ここまで志望校選択でやらかしたこと(高校入試)、理系・文系選択でやらかしたこと(大学入試等)を除けば、一切不合格なし・浪人なしのストレートで進んでくることができた。

大学2年の終わりに事件が起きる。
「金融恐慌」と現代に記録が残る不況下、自営業の父の収入が減り、大学の学費が払えない事態に陥ったのである。
結局学費未納で除籍処分を受けてしまうが、「3年」次の前期履修登録で大学に向かい、履修登録できない旨告げられ(そりゃそうだ、除籍されちゃ)、ちょうど履修登録で大学に来ていた友人が事態を聞き、動いた。
私自身も所属するゼミの教授の下を訪ね、事情を話すと、なんと教授が大学当局に働きかけて、教授が未納分の学費を立て替えることで除籍を解くこととなった。

無論、私は社会人になってから立て替えていただいた学費を返納した次第であったが、後年、教授が退官することとなり、そのお祝いの場でこの時の恩についてスピーチするが、大号泣であった。
この文章を読んでいるわが生徒たちよ、私が黒板の前に立てているのはこの恩師あってのこと。
恩師がいなくても、もう一方のゼミの教授も助けてくれた旨、話していただき、ありがたいことであった(教授同士は不仲なようで「あの男がねえ・・・」みたいな感じで驚かれていたが)。

大学3年次からの学費は、成績良好であったことから、大学当局のアドバイスに基づき、申請の上で授業料免除で通えることが認められ、幸運にも卒業まで在籍することができた。
が、生活費は経済的に困窮している父に頼るわけにはいかないので、自分のアルバイトで全てを賄っていた。
公民的分野の授業で触れたが、現代は18歳成年となっており、ローンを組むのは18歳で可能である。
が、20歳成年の時は、20歳未満でローンを組む場合は保護者の許可と署名・押印が必要で、面倒だったのだ。
ゆえに、20歳になってから原付運転免許を取りに行き、免許を取ってからバイク屋で原付を買い、自分の責任でローンを組んだ。
22歳の秋に自動車&中型二輪の運転免許も取りに行くが、この時もローンを組んだ。
いきなり無謀なローンを組むのは感心しないので、計画性と返済能力を考えてやるのが賢明である。

しかし、アルバイトというものも考え物である。
今日から宮崎県の最低賃金が897円になったが、学業よりも生計優先になると、夏休みの集中講義が受けにくい状況も出てくる。
そのせいで、高校公民科の教員免許取得に必要な単位が4単位だけ不足してしまったのだ。
今では毎年受講できるそうだが、往時は隔年開講で、無理だった。
しかも、高校地歴科の教員免許取得に必要な単位も2単位不足し、小中免許だけで社会人になるのはもったいない、そう考えて、当時一足先に社会人になっていた妹に土下座して、数万円借り入れて、就職とともに科目等履修生として2単位を取るために大学に通う。
が、前期で取得失敗し、後期でやっとこさ取得できた。
そのため、私の教員免許は小中が大学卒業日に、高校地歴は翌年度末がそれぞれ取得日となっている。

若かりし頃は、一次試験で落ちる状況が続き、挫折した。
有名人二人を輩出した中学校で勤務したこともあったが、忙しすぎる上に生活がカツカツで書類の準備に充てる暇もなく、民間企業で18年働くことになる。
学生時代にサークルの後輩から教わったHTMLを趣味の個人サイトづくりに生かし、そこからWEB制作職に転じ、エンジニアとなり、プレイング・マネージャーの課長となり、不安定な20代から脱却し、安定した30代を送った。
が、年商3億円弱の部門の仕事をやっているのに、給料上がらんのはおかしい、そこから若かりし頃の目標に戻る動きに変わっていく。

一次試験に合格できるようになり、大学卒業と同時に中学教員になった同期が在学中に取得していた資格を取ろうと思い立ち、15年ぶりに科目等履修生になる
夏の集中講義を、毎晩仕事が終わって帰宅してからヘッドフォンを耳に当てて聞くのも、新しい発見があって面白いと、学ぶ楽しさに開眼したところで、若かりし頃の残り仕事である、高校公民科の教員免許取得に不足する4単位を取ろうと、大学の通信制課程に入る。
が、教育職員免許法は、概ね10年おきに改正されるので、4単位どころで済まなくなっていた。
8単位に倍増していたのだ。

が、集中講義で10単位取れた自分ならできると、受けてみるが、取得できたのは教科教育法のみ
専門科目は残念ながら現時点でも未取得のままである。

並行して、民間企業で培った経験を活かそうと、高校情報科の教員免許取得に挑戦する。
24単位取る上、実習もあるので、30万円近くかかったが、なんと1年かからずに無事終了。
取得要件の一つが「人物に関する証明書」の取得であるため、民間企業を辞して教職に18年ぶりに復帰。
校長から「人物に関する証明書」を発行していただき、高校の複数免許取得に成功したのである。

そして今年。
ついにあの試験に合格できたのである。
初受験から22年かかったが、これまでの道のりが結実した。

これだけは今言える。
「流した汗はウソをつかない」。
努力とは、実るものである(某予備校の回し者っぽい・・・)。

「夢・目標を持て」、この言葉は私が高校3年生の時に新聞の読者欄に投稿した言葉である。
これを、まだ目指すものがない全ての若者たちに送りたい。  

Posted by yochi at 21:53Comments(0)真面目に一筆