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yochi
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教員免許を小中高取ったはよかったものの、平成の間は教採一次試験が一度も合格できず・・・。
そんな管理人は、パワハラがはびこる三流○○ック企業で5年半に渡り数々の辛酸をなめた後、招聘された印刷会社のWEB部門で2013年3月に1級ウェブデザイン技能士を取るなど2年間在籍して成長を遂げた後、結構有名な会社に課長職も含め9年弱勤務。
が、定期昇給が無く、頑張り甲斐が無くなったので、元部下の話から教採を15年ぶりに受け始め、令和になって毎年二次試験まで進出できるように。教員免許の追加取得に向けて通信制大学で学び、免許の取得の条件が「人物に関する証明書」の取得で、二次試験落ちから考えられる実地経験の必要性から18年ぶりに臨採教員に復帰。
そして令和6年度から正規教員として勤務開始。
国の宝の子どもたちの育成のため、これまでの経験を活かして頑張ります。
~~所有国家資格~~
【1級ウェブデザイン技能士】
【基本情報技術者】
【2級ファイナンシャル・プランニング技能士(個人資産)】
【乙種危険物取扱者(第4類)】
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Posted by チェスト at

2011年05月22日

ファイナンシャル・プランニング(FP)2級ほぼ合格確実!

今日、鹿児島国際大学2号館でファイナンシャル・プランニング(FP)技能検定2級の試験が行われ、午前午後合わせて3時間ほど試験を受けておりました。
1月に受けた3級に比べると難易度は格段に上がっており、途中退出60分に対し、学科は58分、実技は48分かかりました。

午前は学科試験が行われ、全60問(全て4択)のうち、先ほど公開された解答によれば50問正解で基準の36問(60%)を大きく上回り、正答率83.3%で合格です。

午後は実技試験が行われ、全15問(筆記式)のうち、同じく回答によれば第1問で痛恨の6箇所ミス(介護、遺族厚生年金受給額計算)を犯し、4点しか獲得できそうにありません。
第2問では、投資信託の配当で、1口当たりなのを100口で計算して玉砕はしたものの、最終正答は合っており、恐らく2点の減点で8点を獲得。
第3問では、特定扶養控除が変更になった上限年齢を誤っただけで9点獲得。
高校授業料無償化を思い返せられれば正解でしたが、よほど現政権与党に心底愛想を尽かしているのでしょう。

第4問では、マンション建設における土地の等価交換の○×を1問だけ誤り9点獲得。
3級実技では多大な時間をかけて鬼門となった最終第5問では、【小規模宅地等についての相続税の課税価格の計算の特例】【直系尊属から住宅取得等資金の贈与を受けた場合の贈与税の非課税制度】が出され、3級受験時に苦しんだ経緯からか、計算過程も含めて完全無欠の10点満点となりました。

結果、全50点のうちの40点を獲得、正答率80%でおそらく合格でしょう。
(各問の配点基準を公開していない為、下手すると不合格の可能性もあり)

これで、マークシートにミスが出ず、なおかつ上記想定通りの範囲内で筆記試験が正答とならない限り、正式に2級合格となり、ついにFP昇級試験はひとまず終了となります。実技試験は3級で保険資産のところが、2級で中小事業主、生保、損保があり、全部手中に収めるには4回も受けなければいけません。

とりあえず、中小事業主を受けるかどうか、状況によって判断したいと思います。  続きを読む
タグ :FP2級


Posted by yochi at 18:17Comments(0)資格試験受験記

2011年05月18日

FP2級受検に向けて猛スパート

今度の日曜日に行われるファイナンシャル・プランニング技能検定、その2級を受検するわけですが、学科試験は過去問で66~82%で合格ライン(60%以上)、実技試験は一巡目が終わって苦手なところをとにかくつぶす、その繰り返しとなりそうです。

2006年から株式投資をしたり、外貨預金をしたり、外国債券を買ったりと、経済分野ではほぼミスなしで臨んでいるものの、3級にはなく、2級から登場する企業向けの福利厚生・税金・保険・役員報酬などのところではほぼ縁遠いため正解率も5割ほどで、間違っては正答を覚え、何とか直前までには90%超えをしたいものです。

ちなみに、3級では2択が全60問中半分の30問存在しますが、今日解いた今年1月の2級学科問題では、全60問全てで4択と、ウェブデザイン技能検定2級よりも難易度が高く、そんな中で70%正解していました。

学科試験を一度合格して、さらに今回受ける実技・個人資産相談業務の方でも合格して2級合格となれば、2級学科試験は免除されます。

私が考える方向でプランを着実に進められるよう、あと3日、集中させてもらいます。  

Posted by yochi at 19:33Comments(0)資格試験受験記

2011年05月11日

Victoria2スタート【プロイセン⇒北ドイツ連邦】

試験勉強の合間に、ちょちょっと遊んでいる19世紀から20世紀にかけての帝国主義の時代が味わえる大作歴史シミュレーションゲーム【Victoria2】。

Victoria1でのプロイセン⇒ドイツプレイは、第一次大戦を迎えることなく、独英同盟結成&中華民国になりきれない清を攻め、片やヨーロッパで史実では裏切りの同盟国イタリアと手を組み、本来ならば同盟国のオーストリアに攻め込んでイタリアの領土拡大に貢献、植民地を全喪失しているフランスはドイツ衛星国ベルギー・スイスを前にドイツに攻め込める力もなく、コーカサス地方・シベリアをドイツに割譲してヨーロッパに専念のロシアも強力な戦車部隊を有するドイツには手も出せず、と、完全勝利で幕を閉じています。

インドも手中に入れていたため、人口10億人というありえないドイツを実現しましたが、2でも早速プロイセンでプレイを開始しました。


1と違い、直接税率100%、関税20%で何とか収支を安定させたものの、いきなりデンマークのシュレスヴィヒを分捕りに行きます。
労せずして領土拡大に成功し、今度は慣れない勢力圏争いに身を投じます。
奇しくもザクセンが大国になり上がったため、覇権を争うべく【プロイセン・ザクセン兄弟戦争】を起こしてこれに勝利、北ドイツ諸邦をルクセンブルクも含めて勢力圏に置き、【北ドイツ連邦】が成立したのは1848年2月のことでした(史実では普墺戦争後)。

モロッコ、チュニス、エジプトを分捕った後の状況が下図です。


こんなプレイ記だったらごく当たり前ですが、ちょっと気になるものを見つけましたので、下図をご覧ください。


いくらスウェーデン生まれとは言え、がっかりなものを見せられた今日この頃でした。  


2011年05月06日

今度のFP2級試験の受検票到着

今までのところ、検定試験3連続合格中(危険物乙4、ウェブデザイン技能検定2級、FP3級【個人資産】)と、順調にきておりますが、いよいよ繰り上げ第4弾(本当はITパスポートだった)となるFP2級の試験が再来週に迫り、急ピッチで勉強に励んでいるところですが、今回の会場、3級で受けた鹿大ではなく国際大、だそうです。

国際大には南日本音楽コンクールの作曲部門・本選に出場した友人の誘導で一度行ったきりですが、今回は試験を受けに坂之上に駆け上がることになりそうです。  

Posted by yochi at 21:20Comments(0)資格試験受験記

2011年05月04日

2011GWツーリングその3~

かなりの分量のため、3度に分けてお送りしておりますツーリング記録、これが今回のラストとなります。
かつてはメルマガで2度にわたってお届けするほど、分量の多さには一切の妥協なく、余すところなくリポートを書いてきておりますが、今回は松山から鹿児島への帰路に当たる3日目についてお届けします。


5/3、事前の天気予報でも九州は雨、四国も昼過ぎから雨ということで、九州の雨は毎度のことで致し方なしとしつつ、早いうちに帰宅しようと、8時過ぎに松山を出発しました。

国道56号を南へ南下し、伊予市から国道378号(愛称・夕やけこやけライン)に入ります。
愛称の通り、本来は夕方に走るととても風光明媚な土地なのですが、今回は九州への帰路ですので朝に走ります。
その2でもお届けした下灘駅のすぐそばを通り、信号もないので快適に走り抜け、八幡浜市保内町から佐田岬方向へバイクを進めます。

これまでは125ccの不十分な馬力で坂を上り下りしていましたが、250ccバイクの馬力はすばらしく、登坂車線もなんのその、普通に駆け上がります。
快適です。

三崎港を10:30に出航する便に乗れればいい・・・と思って、計画通り9:54に着いたのですが、バイクの先客がなんと31台も・・・。

写真がその時のものですが、撮影時刻が左上から時計回り順に10:15、11:15、12:15、13:15と、なんと3時間半待ちとなり、その間ただひたすら立ちっぱなしです。
学校の教員をしていた頃みたいな感じでしたが、普段座り仕事をしている身には健康づくりにもなります。

終盤、13時前からはポツポツと雨も降りだし、間一髪四国を後にしましたが、これで九州上陸時に雨になるパターンは2007年GW以来となりました。

フェリーの中ではipad2で天候の情報収集をし、18時以降南九州では雨がやむ、という予報が出ていました。
実際三崎港でかなり待たされ、18時過ぎに帰宅できるはずが21時過ぎにずれ込んでおり、雨が上がった段階で帰宅か、とその間の雨に警戒せねば、と緊張の中にありました。

バイクと雨の関係は相性が悪く、一旦高速走行で滑ってしまおうものなら死亡確率も格段と上がってしまいます。
ましてや夜間と組み合わさると最悪です。
とにかく事故死だけは避ける、その一点で残った時間は仮眠に充て、フェリー下船時にはカッパを着用し、準備万端にして佐賀関から国道217号に入り、一路鹿児島を目指します。

先行車が県外の【京都】ナンバーだったのですが、スピードが妙に遅く、雨の中ですからせめて普通に走ってくれと願いつつ、臼杵市でようやく呪縛から解放された後、いつも国道502号に入るための近道交差点の右折レーンに入りました。
これまでと違い、今までずっと目印であった明家書店が空き店舗になっており、向かいのパチンコ屋も解体更地にされていて、一瞬ここで合ってたかと焦りました。
長引く不況は、確実に地方都市からエネルギーを奪い去っているようです。

こうしてバイクにまたがって各地へ行くのは、観光目的のみならず、各地の実情や風土を実際に見聞し、それを把握することが狙いです。
鳥取でも、県庁からほど近いところなのにシャッター通りがあり、経済が沈滞している感を通った沿線それぞれを眺めて持ちました。
元気だったのは道の駅くらいで、他は苦戦、といったところでしょうか。
高速1,000円も来月でなくなるようですが、観光業がマイナスになって果たしてどんな影響が出てくるのか、懸念されます。

国道502号を吉四六さんの出身地・野津町で一旦国道10号に入り、再度豊後大野市方向へ国道502号を進み、ところどころ道路改良が進んでいることを実感しました。
豊後大野市三重町で国道326号に入り、宮崎へ向かいます。
延岡まではほぼ信号もなく、スムーズに走れる道なのですが、それゆえにスピードを出す車も多く、カーブで曲がりきれるか不安を感じつつも慎重に進めていきました。
途中の気温計が【13度】を指し示し、2006年の高知からの帰路、10号の宗太郎で見た【9度】に迫っており、より注意深く進めていくも、その先の県境付近で【11度】を示し、ずぶぬれのグローブにグリップヒーターを当てるので精一杯でした。

延岡に入ったのが17時前でしたが、雨は一向に降りやむ気配を見せず、国道10号をさらに南下していきます。
ガソリン補給は、警告表示から80km経った川南町で行いましたが、値段が驚きの147円/Lで、中国道のSAよりも11円安くなっていました。
宮崎市にも激安のスタンドが存在し、他社との競争もあってか宮崎県北一帯はこの値段でしたが、最後の燃料補給だけにあとは鹿児島まで何時に帰れるかになってきました。

高鍋から東九州道に入り、都城まで走ります。
雨がほぼ止んだため、途中宮崎PAでグローブの取り換えをし、かつて友人が住んでいた宮崎市清武町にある清武JCTから宮崎道へ入ります。

国道269号はYBR250の慣らし運転でも走ったところですが、並行して走る宮崎道の方がはるかに快適でした。
都城ICから国道10号に復帰したものの、途中の抜け道走行中にまた雨が降り出し、何とか曽於市まで戻ってきたものの、既に時計は19時半を回っており、ハイビームがロービームよりも見えにくいという欠陥ぶりをさらけだし、あわや対向車線はみ出し寸前までいきました。
余裕が出来たらライトを丸々交換せねばと気を取り直しつつ、速度抑制で東九州道の末吉財部ICに入ります。

慣らし運転では抜かれまくりでしたが、今回は一切そういうことなく加治木JCTまで無難に走りきり、霧島市国分に入る頃には雨もやみました。

後は九州道を鹿児島に向けてひた走り、事前に日向市の回転寿司に行った際にコインボックスに指宿スカイライン用の料金200円を詰めていたのをスムーズに放り投げ、今回のツーリングで鬼門になった谷山ICも無事通過、自宅に21:07に到着しました。
皇徳寺に設置している気温計は【13度】、2006年の帰路を否が応でも思い出してしまう撤収劇でございました。


今回の走行距離
◆1日目…896.9km
◆2日目…581.1km
◆3日目…426.4km
~計~1,904.4km
ガソリン代…8,938円(57.9L)  


Posted by yochi at 15:55Comments(0)旅行記

2011年05月04日

2011GWツーリングその2~

昨日の未明に【その1】を書いて果てておりましたが、今回はその続きとなります。
2日目は鳥取砂丘からしまなみ海道を経てさぬきうどんを食べに香川県入りし、土讃線の琴平~阿波池田間を往復しております。
松山で泊まり、3日目は一路鹿児島へ戻ります。


鳥取砂丘の見慣れない風景に感動した後、再びリフトに乗って砂丘センターへと戻り、長靴も普通の靴に履き替えて8:54に後にしました。バス停にいたシティービュー風のバス【砂丘号】を追い抜き、鳥取市街地を抜けて国道53号に入ります。
前日の宮本武蔵関係と鳥取市街地は一般道で、その他は高速道路でしたが、2日目前半戦は岡山県の津山まで一般道で、そこから徳島県の井川池田ICまで高速です。

2005年に境港・出雲方面へ初めて山陰地方へ出向いた帰りは雨でした。
今回の中国山地越えでは天気も回復しており、快適に南へと南下します。
途中、奈義町でループ橋を渡りました。


さくらも咲いていて、春らしい風景です。

津山から中国道に入り、西の北房JCT経由で岡山道に入り、そこから南は山陽道の岡山JCTで再び西へと向かい、福山西ICから国道2号バイパス経由で西瀬戸自動車道【しまなみ海道】に入ります。
125ccバイクでかつてよく通っていたのを、今回【原付レーン】ではなく【高速道路】部分を堂々と走ります。
橋を渡るたびに、125ccで走っていた時を思い出しながら瀬戸の風景を眺めておりました。
運が悪かったのは黄砂が飛来していたことで、遠くはかすんでいました。
それでも、多島海が織りなす景色は瀬戸内海だからこそ楽しめるのかもしれません。

途中瀬戸田PAに立ち寄り、中国道の真庭PAで買っておいた鰆(さわら)すしと蒜山(ひるぜん)高原牧場の飲むヨーグルト&カスタードプリンの昼食を摂ります。
さぬきうどんを食べられるのが14:30前後と予想されていたため、事前に腹ごしらえをします。
瀬戸田PAは広島県南部の県境の島【生口島】にあり、眼前に愛媛県とまたがる【多々羅大橋】が眺められます。



寒風吹きすさぶ2003年12月末に当時買ったばかりの125ccバイクでここを渡る直前(愛媛県側)、スピードメーターとタイヤ横をつなぐワイヤーが外れ、スピードメーター使用不能の状態に陥ったのを思い出しながら、愛媛県に入ります。

来島海峡大橋を風の影響もなく無難に渡りきり、今治市に入ります。
125ccで鹿児島から四国経由で本州に向かう場合は、ここが1日目の宿泊拠点でした。
250ccでは一気に鳥取までエリア拡大ですから、行動範囲がいかに拡がったか、実感させられます。

車で混み気味の国道196号を南へ進み、今治湯ノ浦ICから今治小松道に入り、一路井川池田ICへ走ります。
ここも、去年松山道を高知に向けて走っていたこともあり、難なく2つのジャンクション連続(川之江&川之江東JCT)を抜けて、徳島道の井川池田ICで降ります。
出口交差点で堂々と高知方面へ右折してくる対向車の動きにパッシングして通過しつつ、【四国三郎】と称される吉野川を渡り、国道32号に入ります。

2006年に初めてバイクで香川県入りしてさぬきうどんを食し、高知に行ったルートの逆を行くことになるわけですが、讃岐山脈を越えるだけに道は険しく、ギアが3速や4速もざらで、トンネルをくぐって香川県に入ると、トンネル連続の後ろにヘアピンカーブという、高森峠越えそのままの走行環境が待ち構えます。
タイヤの後輪が滑るほどでしたが、何とか持ちこたえ、平地に入ります。

そば派の私でもうなるおいしさの【山内うどん店】へ地図も見ず、県道の案内標識と【まんのう町】の標識の2点だけですんなりと行けたものの、残念ながら【本日終了】の立て札。
やむなく引き返し、琴平近辺の【水車】へ行き、肉うどんを食しました。
麺はふつうで、あの触感を楽しみたい人間には物足りなさを感じました。
また来年か再来年に再チャレンジです。

琴平駅でバイクを駅前の手荷物一時保管所に250円払って預け、阿波池田駅まで往復します。
運賃は640円で、途中秘境駅として知られる【坪尻駅】を見るのが主目的です。
なお、JR四国管内の駅は、【寅さん】や【青春18きっぷ】のポスター、【HERO】のスペシャル版で有名な【下灘駅】(駅舎と海の距離が近い駅の1つ)に、前回のGWツーリングとなる2008年に行っています。





※以上2008年5月3日撮影

話をJR四国の列車乗車に戻し、やってきたのは16:16発の普通列車【大歩危(おおぼけ)】行(1000系)。

(※阿波池田駅で降車後撮影)

自分はまだまだボケてないぞと突っ込みつつ、1両編成の車内に乗り込んだのですが、時間帯が平日の夕方ということもあり、地元の高校生(琴平高校?)が大挙して乗り込んできました。
さながら指宿枕崎線における錦江湾高校生のような状況でしたが、まあ賑やかです。
未来ある高校生たちが【大ボケ】行の列車に乗っているというのが多少滑稽に思えるところもありますが、まだ【喜入】行の方が(以下略)。

希少・難読駅名行きの環境で通学するのもなかなかないでしょうからと思ううちに高校生が降りて行き、徳島県最初の駅になる【坪尻駅】にスイッチバックして入線します。


(左上が坪尻駅)

肥薩線にあるのと異なり、ここのスイッチバックは通過が可能です。
対向列車の退避用のスイッチバックと言っていいと思いますが、1日に数本しか止まらない、貴重な列車です。
なお、ここから国道32号へは山道を40分程歩かないと出られないそうです。
谷底にある上に環境も半端ない、立派な秘境駅です。
フリーきっぷで乗車していた2名が降り立って、写真を撮っていましたが、ダイヤの悪さを考えて今回は下車までには至りませんでした。

秘境駅の余韻をかみしめつつ、箸蔵駅で今度は三好高校の生徒が大挙して乗車してきます。
上伊集院駅における松陽高校生の(以下略)といった風景ですが、平日夕方では観光路線というよりも通学路線といった方がしっくりきます。

佃駅で徳島線との乗り換えで半数弱が下車、目的駅の阿波池田駅に17:06に到着しました。

戻りの特急【南風22号】に乗車して琴平駅に戻るため、運賃に加えて自由席特急券510円を購入し、17:22に列車が来るまでの間、阿波池田駅構内に停車していた列車を写真に収めました。


↑キハ54系(正面には【食パンマン】←ドキンちゃん大喜び?)



↑キハ32系

いずれもJR四国が国鉄から分割民営化する際の経営立て直しに寄与するよう、新造された車両です。

しばらく待っていると、見慣れた【顔】の列車が入線してきました。

四国は高知県出身のやなせたかし氏の代表作【アンパンマン】のキャラクターが一面に描かれた【アンパンマン列車】です。
正式には2000系ですが、子どもには大喜びの列車でしょう。
自由席に難なく座って、元来た道を琴平まで戻ります。

琴平駅で預けていたバイクにまたがり、再びツーリング再開です。
善通寺ICから松山道に入り、一路西の松山へ向かいます。
既に夕方18時、日没との戦いでしたが、桜三里の手前で日が没し、YBR250の暗いライトで高速を突っ走ります。
ホテルの予約は20時で、川内ICを降りたのが19:16、国道11号を西進し、道後温泉からほど近いホテルに到着したのが19:52で、ギリギリでした。

文章が長くなってしまったので、2日目はここまで、3日目は【その3】で記します。  


Posted by yochi at 10:53Comments(0)旅行記

2011年05月04日

2011GWツーリングその1~

2002年以来、収入が少なかった2004年を除いて毎年実施してきたツーリング、去年・おととしのGWは車での移動でしたが、今年はYBR250を去年購入していることもあり、3年ぶりに単騎鳥取へ向けてツーリングに出かけることにしました。

というわけで、【その1】では、鹿児島から鳥取への移動と、鳥取砂丘について記そうと思います。

5/1午前7時過ぎ、小雨の降る中を自宅を出発して谷山ICへと向かいます。
谷山ICに入ったところでエンジン不調、停止となり、いきなりのトラブルに巻き込まれます。
YBR250はFI(インジェクション)ですので、通常エンストは考えにくいのですが、やり直してもかかりません。
「スタート早々にJAF呼ばないといけないのか・・・」と最悪ツーリング取りやめも視野に入れていたものの、3度ほど始動操作を繰り返すと、ようやくエンジンがかかりました。
一安心でした。
これから2,000km走るというのに、いきなりギャグっぽいことをかましては、しばらくどこにも顔を出したくないと思えるほどの、深刻な危機を脱しました。

再度のエンストを警戒しながらも指宿スカイラインの山田料金所を軽々と抜け、九州道に入ります。
時速80kmで慣らさせ、次に90km、100kmと上げていき、湧水町付近で雨が上がり始めました。
こりゃいける・・・と思ったが最後、エンスト、ではなく、荷物が高速道路上に落下!!!
ネットの固定方法がまずかったようで、加久藤トンネルを出た直後の下りで、路肩手前の走行車線上に落っことしました。

少し先の路肩に緊急停車し、荷物を回収しにダッシュ、他の車に轢かれることなく無事回収し、雨も上がっていることからリュックモードに切り替えて、背負って走行を再開しました。

朝からトラブル続きで若干ヘトヘトになりつつも、この日の走行予定は900km程あります。
まだまだ九州脱出だけで300km近く走らなければならないのです。
気を取り直してしばし北へと進みます。

過去記事にも取り上げた慣らし運転での最北端であった益城熊本空港ICを通過し、未踏の地を進みます。
おととし車で行った時に混んだみやま柳川IC付近で再び災難襲来です。
やんでいた雨が再び降り出したのです。
カッパを着こんでいるとはいえ、荷物を背負っていては被害が及びますので、ちょうど近くに迫っていた山川PAに駆け込み、今度は落ちないようにネットの掛け方を工夫して、ビニール袋で覆います。

首尾よく雨も収まり、荷物も安定して固定できたようで、一安心して本州方面へ一路駆け抜けます。
関門橋では、強風が西から吹き続け、必死に渡り切りましたが、関門国道トンネルを2度走っている身としては、強風対策としてはトンネルの方がよいと、桜島架橋に関連付けて思う次第でした。
なお、この前後の下り線は、かなりの渋滞が見られました。

本州に上陸し、ガソリンメーターが危険信号を出し始めたため、美東SAまでもたす計画を変更し、手前の王司SAで給油しました。意外と4Lほど残っていたようで、十分持ったと悔みつつ、山口JCTから引き続き中国道に進みます。
バイパス的にぶっ飛ばす車に抜かれまくりではあったものの、基本的に一人旅が続き、途中の鹿野SAで昼食を取りました。


広島北JCTからは、中国道へ迂回する車が目立ち始め、私の方が追い越し車線へ出ることが増えましたが、ここは去年車でも走った区間であったことから、気楽に東へ走り続けました。
岡山県に入り、再び給油しないといけなくなったため、鳥取まで持たせる計画が、勝央SAでの給油となりました。
なお、YBR250の100~110km/h燃費は、概ね27km/Lです。
下道60km/h時の34km/Lより、下がります。
満タン19Lでも500kmちょい、ということになりそうです。

兵庫県の佐用JCTから鳥取道へ入り、一旦料金を清算したのち、大原ICで降り、宮本武蔵の生家跡などを訪れます。





その後、人名の付いた駅として珍しい「宮本武蔵駅」にも行ってみました。







なお、武蔵神社駐車場にバイクを止め、しばし先でウォークマップを見ている時に、駐車場にいたご老人に話しかけられ、わざわざ鹿児島からバイクで来たのかと驚かれました。
どれくらいで来たのと聞かれ、(数々トラブったものの)10時間ほどで着いたと話し、宿はどこかと聞かれて、鳥取に行くついでで立ち寄った旨話しましたが、こういう地元の人の話ができるのも、単騎ツーリングのだいご味かもしれません。

その後鳥取へ向けて進み、18時過ぎにホテルに到着しました。

翌日、鳥取砂丘の観光のため、朝は8時過ぎに砂丘センターに着きました。
そこからリフトで砂丘へと移動し、丘の頂上を目指しました。


次回【その2】では、鳥取からの移動としまなみ海道、JR四国列車大集合のような内容でお届けします。  


Posted by yochi at 01:08Comments(0)旅行記