2012年05月28日
ホテル経営シミュレーションに没頭中
【Hotel Giant2】
という、1では日本語版が出ていたのに続編は英語版しかないというホテル経営シミュレーションゲームに没頭しておりますが、連休2日丸々家で引きこもり状態です。
前作では、部屋の間取りレイアウトを保存でき、カスタマイズしながら流用して結構楽々とシナリオ(キャンペーン)をクリアしていきましたが、2ではちょっとした変化が起きています。
まず、ホテルのタイプが2つに分かれました。
クラシックとモダンです。
チュートリアル編とシナリオ1は、舞台がパリの上、偶然にもクラシックタイプだったため、比較的部屋の使い回しができました。
1とも調度品が同じのため、入り込みやすかったです。
がしかし、シナリオ2はLAが舞台で、モダンタイプのホテルでした。
レイアウトが読み込めず、部屋を見ると、調度品のデザインが変わっています。
一から部屋を作り直すのは面倒でしたが、何とか稼働率80%を超えるなかなかのホテルが出来ました。
タイプによってレイアウトが二分されるというのが、今作の特徴の一つです。
もう1つは、隠れアイテム収集の必要が出てきた、ということです。
100%満足したお客さんが出てくると、アイテム引換券みたいなものがもらえます。
シナリオ2終了時点で33枚もらった自分は優秀な方なのかもしれませんが、シナリオ1は1にも出てきたようなパリの食通をうならせろ!みたいな内容でしたが(まともに英文読んでません^^)、シナリオ2では、ハリウッド人を納得させるフィットネスクラブを成功させろ!みたいな、言わばシュワちゃん養成ジムのようなものを構築させられました。
で、普通に使える調度品を駆使してこしらえたはいいものの、利用客いわく「もっといい設備があるはずだ!」みたいなお叱りを受けまくり、アイテム交換所をのぞいてみたら、ありました。
というわけで、全てハリウッドスター軍団の言うとおりに取り替えたら、数が足りなくて使えん!俺の分も用意しろ!以外の不満は一掃しました。
なお、似たような現象はスイミングプールでもありました。
飛び込み台にスライダー、挙句の果てにはロッカーにサンセットベッドまで、全部です。
まあ、利益は1よりも多大で、プール運営の面白さに気付きましたが。
なお、2ではプールも自作できます。
今回は逆玉ねぎ型のプールをこしらえて、最大20名のお客さんが泳ぎまくってました。
いつか動画投稿して見てもらいたいですね。
楽しいですよ♪
これから、シナリオ3に入ります。
どんなことが起こるやら・・・。
なお、「夢遊病」患者がホテルロビーに現れた模様を動画公開しました。
絶対笑います。
前作では、部屋の間取りレイアウトを保存でき、カスタマイズしながら流用して結構楽々とシナリオ(キャンペーン)をクリアしていきましたが、2ではちょっとした変化が起きています。
まず、ホテルのタイプが2つに分かれました。
クラシックとモダンです。
チュートリアル編とシナリオ1は、舞台がパリの上、偶然にもクラシックタイプだったため、比較的部屋の使い回しができました。
1とも調度品が同じのため、入り込みやすかったです。
がしかし、シナリオ2はLAが舞台で、モダンタイプのホテルでした。
レイアウトが読み込めず、部屋を見ると、調度品のデザインが変わっています。
一から部屋を作り直すのは面倒でしたが、何とか稼働率80%を超えるなかなかのホテルが出来ました。
タイプによってレイアウトが二分されるというのが、今作の特徴の一つです。
もう1つは、隠れアイテム収集の必要が出てきた、ということです。
100%満足したお客さんが出てくると、アイテム引換券みたいなものがもらえます。
シナリオ2終了時点で33枚もらった自分は優秀な方なのかもしれませんが、シナリオ1は1にも出てきたようなパリの食通をうならせろ!みたいな内容でしたが(まともに英文読んでません^^)、シナリオ2では、ハリウッド人を納得させるフィットネスクラブを成功させろ!みたいな、言わばシュワちゃん養成ジムのようなものを構築させられました。
で、普通に使える調度品を駆使してこしらえたはいいものの、利用客いわく「もっといい設備があるはずだ!」みたいなお叱りを受けまくり、アイテム交換所をのぞいてみたら、ありました。
というわけで、全てハリウッドスター軍団の言うとおりに取り替えたら、数が足りなくて使えん!俺の分も用意しろ!以外の不満は一掃しました。
なお、似たような現象はスイミングプールでもありました。
飛び込み台にスライダー、挙句の果てにはロッカーにサンセットベッドまで、全部です。
まあ、利益は1よりも多大で、プール運営の面白さに気付きましたが。
なお、2ではプールも自作できます。
今回は逆玉ねぎ型のプールをこしらえて、最大20名のお客さんが泳ぎまくってました。
いつか動画投稿して見てもらいたいですね。
楽しいですよ♪
これから、シナリオ3に入ります。
どんなことが起こるやら・・・。
なお、「夢遊病」患者がホテルロビーに現れた模様を動画公開しました。
絶対笑います。
タグ :HotelGiant2
2012年05月23日
ある意味奇跡!!Wordpressのキーワード除外検索成功!
日頃の技術研究が実をつけたのか、CMS【Wordpress(ワードプレス)】の検索機能にて少なくとも日本語ユーザではまだ実装公開されていない、キーワード除外検索を付けることに成功しました!!
※【少なくとも日本語ユーザではまだ実装公開されていない】とは、今日現在google検索にて「wordpress 検索 キーワード除外」で検索して得られた結果によります。
これは結構ニーズが高いため、まずはポイントだけお教えします。
なお、今回の動作環境は、【PHP5.2.x】、【WP3.3.1】です。
いじるファイルは1つで、【wp_includes】ディレクトリ内の「query.php」になります。
また、別途利用テーマ内に【search.php】が必要です。
ポイントは、Googleのように「-」を付けたら除外に回し、それ以外のキーワードを検索に回すという処理です。
$q['s']が$wp_queryでグローバル保存されたキーワード変数ですので、これを3枚おろしにするかが腕の見せ所。
配列を2つ作り、一方には正規の検索、もう一方には除外検索の配列として格納します。
それらを、後に続くSQL文にうまくつなぎあわせてしまえば、除外検索構築作業終了となりました。
まあ、途中でちゃんと3枚おろしにされているか確認すべく、除外項目を表示できるよう「general-template.php」の中に既存の検索のものを流用して独自関数を作ってしまいましたが、PHP及びSQLを本格的に始めてたかが5ヶ月目の人間が、除外検索を作れたとは、なかなか面白い展開だと思います。
なお、Wordpressの検索はカスタムフィールドなどを除く全投稿タイプ検索ですので、queryループ前に除外条件を付ける場合は、必ず
【<?php
global $query_string;
query_posts($query_string . "&post_type=post");
?>】(ページを除外し、投稿のみの例)
のように、対象の絞り込みを行なえば汎用的に使えます。
アップデートの場合に消される危険性が高いので、常時ローカルに当該部分の差分バックアップを忘れなければ、結構使えると思います。
なお、余談ですが、Adminメニューが一部消えている現象が発生して、何かがバグったのか!?と焦ったものの、よくよく思い返してみるに、昨日の夜誤って【languages】ディレクトリを上げてしまい、それをキャンセルしたものの、アップロードが止まらない中でDreamWeaverがフリーズを起こし、中途半端な状態で上がったために発生したものでした。
何かフリーズした場合は、上げ直すのも方策です。
それでこのトラブルは解決しました。
※実物はまだテスト環境にあるため、仮に自サイトに設置してみました。
環境は同じくWP3.3.1です。
※【少なくとも日本語ユーザではまだ実装公開されていない】とは、今日現在google検索にて「wordpress 検索 キーワード除外」で検索して得られた結果によります。
これは結構ニーズが高いため、まずはポイントだけお教えします。
なお、今回の動作環境は、【PHP5.2.x】、【WP3.3.1】です。
いじるファイルは1つで、【wp_includes】ディレクトリ内の「query.php」になります。
また、別途利用テーマ内に【search.php】が必要です。
ポイントは、Googleのように「-」を付けたら除外に回し、それ以外のキーワードを検索に回すという処理です。
$q['s']が$wp_queryでグローバル保存されたキーワード変数ですので、これを3枚おろしにするかが腕の見せ所。
配列を2つ作り、一方には正規の検索、もう一方には除外検索の配列として格納します。
それらを、後に続くSQL文にうまくつなぎあわせてしまえば、除外検索構築作業終了となりました。
まあ、途中でちゃんと3枚おろしにされているか確認すべく、除外項目を表示できるよう「general-template.php」の中に既存の検索のものを流用して独自関数を作ってしまいましたが、PHP及びSQLを本格的に始めてたかが5ヶ月目の人間が、除外検索を作れたとは、なかなか面白い展開だと思います。
なお、Wordpressの検索はカスタムフィールドなどを除く全投稿タイプ検索ですので、queryループ前に除外条件を付ける場合は、必ず
【<?php
global $query_string;
query_posts($query_string . "&post_type=post");
?>】(ページを除外し、投稿のみの例)
のように、対象の絞り込みを行なえば汎用的に使えます。
アップデートの場合に消される危険性が高いので、常時ローカルに当該部分の差分バックアップを忘れなければ、結構使えると思います。
なお、余談ですが、Adminメニューが一部消えている現象が発生して、何かがバグったのか!?と焦ったものの、よくよく思い返してみるに、昨日の夜誤って【languages】ディレクトリを上げてしまい、それをキャンセルしたものの、アップロードが止まらない中でDreamWeaverがフリーズを起こし、中途半端な状態で上がったために発生したものでした。
何かフリーズした場合は、上げ直すのも方策です。
それでこのトラブルは解決しました。
※実物はまだテスト環境にあるため、仮に自サイトに設置してみました。
環境は同じくWP3.3.1です。
2012年05月20日
A列車で行こう9の海外版発見!
かつてよく遊んでいたホテル経営シミュレーションゲーム【ホテル・ジャイアント】
。
タイガースファンなのにジャイアントシリーズ(ジャイアントコーンも含めて)が好きという、筋が通ってないような感じがするものの、それはさておき、昨日、偶然英語版ながら【Hotel Giant 2】が何と驚きの$4.99で発売されていることを知り、今日購入して、ダウンロードしてみました。
最近では【Edition2012】も売られているとのことですが、よくあることで、起動しても音楽とマウスカーソルしか出ない症状に見舞われています。
音楽は初代と全く同じジャズ風で、JoWood無き後もシリーズが続いてくれていることを実感しましたが、DirectXの問題で初代版が遊べない今となっては、今度は言語の壁に拒まれて次作が遊べないことに、少々残念な気がしています。
治し方が分からないのでいろいろと調べても分からず、結局のところ、当面放置となりそうです。⇒追記参照。
まあ、価格が400円程度ですので、サントラを買ったと考えれば納得できるのではないでしょうか。
それはさておき、こうした状況で海外のサイトを見ていったら、とんでもないものを見つけてしまいました。
【Train Giant A-Train 9】
パッケージこそ欧米版のそれですが、中身は完全に「A列車で行こう9」です。
名称に【A-Train 9】がついていることからも分かるのですが、いつの間にやら海外版が出来てしまってたわけですね。
通貨単位もユーロですし、言語もドイツ語です(ドイツのUIG Entertainment社が販売元らしい)。
しかしまあ、日本の都市交通シミュレーションゲームとしての性格が強い中、トラム無きA9はヨーロッパに受け入れられるのか、分かりません。
幸い、レビュー評価はまずまずのようですが。
さらに、衝撃の事実が判明。
無料体験版がダウンロードできるようです。
国内版はビューワーは無料配布でも、体験版は一切なかったのに・・・。
そして、A9ドイツ語版のお値段は、なぜか米ドル表記ながら、$29.95!!
1ドル80円で計算して、2,396円!
国産ソフトの価格がボッタに見えてくるのは私だけでしょうか?
ソフトの日本語対応が面倒なのかもしれませんが。
発売元の登場時の記事によれば、シティーズ・イン・モーションの前作となるトラフィックジャイアントの後継として「Train Giant」(A9)を据えるとの内容も出ていて、少なくともドイツのA9ユーザーはシティーズ・イン・モーションとA9が兄弟くらいのように思うかもしれません。
たまに海外に目を向けてみると思わぬ発見があるものですね。 続きを読む
タイガースファンなのにジャイアントシリーズ(ジャイアントコーンも含めて)が好きという、筋が通ってないような感じがするものの、それはさておき、昨日、偶然英語版ながら【Hotel Giant 2】が何と驚きの$4.99で発売されていることを知り、今日購入して、ダウンロードしてみました。
最近では【Edition2012】も売られているとのことですが、よくあることで、起動しても音楽とマウスカーソルしか出ない症状に見舞われています。
音楽は初代と全く同じジャズ風で、JoWood無き後もシリーズが続いてくれていることを実感しましたが、DirectXの問題で初代版が遊べない今となっては、今度は言語の壁に拒まれて次作が遊べないことに、少々残念な気がしています。
まあ、価格が400円程度ですので、サントラを買ったと考えれば納得できるのではないでしょうか。
それはさておき、こうした状況で海外のサイトを見ていったら、とんでもないものを見つけてしまいました。
【Train Giant A-Train 9】
パッケージこそ欧米版のそれですが、中身は完全に「A列車で行こう9」です。
名称に【A-Train 9】がついていることからも分かるのですが、いつの間にやら海外版が出来てしまってたわけですね。
通貨単位もユーロですし、言語もドイツ語です(ドイツのUIG Entertainment社が販売元らしい)。
しかしまあ、日本の都市交通シミュレーションゲームとしての性格が強い中、トラム無きA9はヨーロッパに受け入れられるのか、分かりません。
幸い、レビュー評価はまずまずのようですが。
さらに、衝撃の事実が判明。
無料体験版がダウンロードできるようです。
国内版はビューワーは無料配布でも、体験版は一切なかったのに・・・。
そして、A9ドイツ語版のお値段は、なぜか米ドル表記ながら、$29.95!!
1ドル80円で計算して、2,396円!
国産ソフトの価格がボッタに見えてくるのは私だけでしょうか?
ソフトの日本語対応が面倒なのかもしれませんが。
発売元の登場時の記事によれば、シティーズ・イン・モーションの前作となるトラフィックジャイアントの後継として「Train Giant」(A9)を据えるとの内容も出ていて、少なくともドイツのA9ユーザーはシティーズ・イン・モーションとA9が兄弟くらいのように思うかもしれません。
たまに海外に目を向けてみると思わぬ発見があるものですね。 続きを読む
2012年05月15日
バイク(スクーター)で、こける
ここのところ雨続きで、今日家を出るのが少し遅くなったことから少し急いでいたのですが、十字路で右折しようとする際に、左側から車が出てきて、そちらに気を取られてブレーキを少し強く握ったが最後、ずっこけました。
雨天時のセオリーとして、スピードは抑え目で、曲がるときはゆっくり、というものがあるものの、横断歩道の塗装があることもすべる原因で、複合要因での自損事故となりました。
まあ、2003年12月購入の通勤車・シグナスXはなかなかタフなもので、破損は風防だけで修理費はかからず、ちょうどよい機会とオイル交換代だけで済みました。
怪我の方は、右ひじ近くの古傷と右ひざを擦った程度で、両手は打ち身で済みました。
先月機種変更したばかりのPHSも角に傷がある程度で済み、金銭的な被害がなかったのは不幸中の幸いでありました。
バイク屋から帰宅する際も気になったのは、停止線の先で一時停止する車が多いことです。
傍から見ても歩行者や自転車と接触しないか危なっかしく見てしまいます。
晴れの日ならともかく、雨天などで路面が濡れていれば事故が起きやすくなります。
安全確認はしっかり行い、後悔の無いようにせねばと思います。
雨天時のセオリーとして、スピードは抑え目で、曲がるときはゆっくり、というものがあるものの、横断歩道の塗装があることもすべる原因で、複合要因での自損事故となりました。
まあ、2003年12月購入の通勤車・シグナスXはなかなかタフなもので、破損は風防だけで修理費はかからず、ちょうどよい機会とオイル交換代だけで済みました。
怪我の方は、右ひじ近くの古傷と右ひざを擦った程度で、両手は打ち身で済みました。
先月機種変更したばかりのPHSも角に傷がある程度で済み、金銭的な被害がなかったのは不幸中の幸いでありました。
バイク屋から帰宅する際も気になったのは、停止線の先で一時停止する車が多いことです。
傍から見ても歩行者や自転車と接触しないか危なっかしく見てしまいます。
晴れの日ならともかく、雨天などで路面が濡れていれば事故が起きやすくなります。
安全確認はしっかり行い、後悔の無いようにせねばと思います。
2012年05月12日
家電量販店の再編に思う
GWツーリングから帰還して、昨日・今日と、エヴァンゲリヲンのジグソーパズルをマリ、レイの順で組み、残すはアスカと背景になってますが、真っ赤に茶色、オレンジ、組み上げるのも大変そうです。
実家に帰って犬をなでなでしてからジグソーパズル用の小分け箱と鉄道模型のカタログを回収して、ジグソーを組んでいるロフトが明るさが足りないため、デスクスタンドとサーキュレーターをヤマダ電機で購入しましたが、昨今の状況を反映して、災害時に備えた充電もできる照明付きサーキュレーターに、さらにラジオも付いたタイプなど、珍しく結構店内にいるほどじっくり見てました。
予算が限られているため、比較的低価格のものに絞って買う次第でしたが、また機を見てそういった役立ちそうなものを買ってみようと思います。
さて、私が株主であるビックカメラと実家暮らしの頃年に一度は赴いていたコジマが経営統合に向けて進み始めたようで、地デジ特需後の家電販売業界の主導権争いを巡って、大きく動きだしそうな気がします。
父が家電販売業界に籍を長く置く身であるため、ある程度事情通だったりするのですが、駅前の繁華街型のビックと、郊外型のコジマの組み合わせはよく、あと一社、上新とかついてくれば、かなりのスケールメリットが出ると見ます。
他方、ヤマダ、ビックときてヨドバシやケーズ、エディオンはどう出るかと考えれば、こちらも連合を組みそうな気がします。
同じようにヨドバシとケーズないしエディオンが組めば、3強体制が整います。
3つどもえとなれば、YKKから新YK(B)Kの戦いになるでしょう。
サービス業で強豪の収れんが始まるということは、長期的には雇用調整を伴うことを意味します。
まあ、人口は減少を始めていますし、すぐに影響は出ないでしょうが、こうした動きが他業種にも広がる可能性があることに留意する必要があります。
第二次産業人口の減少から第三次産業人口の減少に移行すれば、経済のさらなる低迷になるほか、購買力の低下、税収の低下と留まるところを知らない縮小経済時代が本格的に到来してしまいます。
こうした動きに注意しつつ、さらなる努力も怠らないようにしていかねばと思います。
実家に帰って犬をなでなでしてからジグソーパズル用の小分け箱と鉄道模型のカタログを回収して、ジグソーを組んでいるロフトが明るさが足りないため、デスクスタンドとサーキュレーターをヤマダ電機で購入しましたが、昨今の状況を反映して、災害時に備えた充電もできる照明付きサーキュレーターに、さらにラジオも付いたタイプなど、珍しく結構店内にいるほどじっくり見てました。
予算が限られているため、比較的低価格のものに絞って買う次第でしたが、また機を見てそういった役立ちそうなものを買ってみようと思います。
さて、私が株主であるビックカメラと実家暮らしの頃年に一度は赴いていたコジマが経営統合に向けて進み始めたようで、地デジ特需後の家電販売業界の主導権争いを巡って、大きく動きだしそうな気がします。
父が家電販売業界に籍を長く置く身であるため、ある程度事情通だったりするのですが、駅前の繁華街型のビックと、郊外型のコジマの組み合わせはよく、あと一社、上新とかついてくれば、かなりのスケールメリットが出ると見ます。
他方、ヤマダ、ビックときてヨドバシやケーズ、エディオンはどう出るかと考えれば、こちらも連合を組みそうな気がします。
同じようにヨドバシとケーズないしエディオンが組めば、3強体制が整います。
3つどもえとなれば、YKKから新YK(B)Kの戦いになるでしょう。
サービス業で強豪の収れんが始まるということは、長期的には雇用調整を伴うことを意味します。
まあ、人口は減少を始めていますし、すぐに影響は出ないでしょうが、こうした動きが他業種にも広がる可能性があることに留意する必要があります。
第二次産業人口の減少から第三次産業人口の減少に移行すれば、経済のさらなる低迷になるほか、購買力の低下、税収の低下と留まるところを知らない縮小経済時代が本格的に到来してしまいます。
こうした動きに注意しつつ、さらなる努力も怠らないようにしていかねばと思います。
2012年05月08日
2012GWツーリングその4~志布志⇒鹿児島(宮崎経由)
初めて近畿・中部地方へツーリング、という次第で【その3】までお届けしてまいりましたが、今回最終4日目【5/6】の模様を記していきたいと思います。
初めてのさんふらわあでの移動は、実に優雅なものであった。
まず、寝ながら大阪~志布志間を移動してくれる。
風呂もある(バスタオル持ち込みでお金を浮かす工夫はいるが)。
ご飯も好きなだけ食べられる(夕食1,500円)。
よく眠れた(真冬の国道九四フェリーのようなかなりの揺れもなし)。
バイク運賃込みの21,200円の価値は十分にあった(高速代+ガソリン代+宿泊費+移動疲れなし)。
また来年も使うことになるかもしれない。
なお、幼少の頃、諸事情で谷山港に接岸されていた初期型のさんふらわあに父に連れて来られたことがあった。(諸事情はウィキペディアに載ってますので興味のある方はご参照を。)
今のものよりも豪華で、記憶にある限りビリヤードがあり、ゲームコーナーも充実していたような気がする。
ラウンジも広々していたような気がする。
時が経ち、今や自らの意思で乗船するようになるとは、立派に成長したものである。
ようやく9時50分、下船準備に入り、志布志港に上陸した。
普通はそのまま東九州道へ戻って帰還するべきであるし、エンジンオイルが既に300km近く交換目処をオーバーしており、あまり長く走るべきではない。
ただ、どうしても宮崎に寄らねばならないイベントがあった。
まあ本来は、若干料金が高いもののすぐ行ける宮崎カーフェリーを使うべきだが、当初予定で【さんふらわあ】を予約していたため、慣らし運転第二弾以来の日南海岸走行と相成った。
天気も穏やかで、気持ちよく国道220号を進んでいく。
なお、前日までノースロットルでエンストを高確率で起こしていたエンジンが、この日に限って全くそのようなそぶりを見せずに無難なアイドリングぶりである。
フェリーの振動がバイクにいい影響を与えたと見るべきか、2日連続で大阪入りしたことで余分なつきものがとれたと見るべきかは判断しかねるが、先月の爆弾低気圧による転倒のダメージはこれでなくなったと見てよいだろう。
宮崎市内に入り、よく通っていた源藤交差点を過ぎ、会場となるみやざきアートセンターへ到着。
エヴァンゲリオン展が開催されており、そのために足を延ばしたのである。
名古屋の鉄道模型展、大阪のツタンカーメン展のいずれも見られなかったため、せめてもの寄り道である。
なお、ファンになったのは中高の頃の友人の影響は一切なく、テレビで新劇場版・序を見てからである。
ミリタリー関係に造詣のある自分にとって、世界観を理解するのも難しいものではなかった。
以来、映像作品は一通り目を通している次第である。
会場のエレベータは男女問わず結構乗り込んでいて、入口で入場料を支払って中に入る。
ぬり絵イベントも行われていたようで、幼稚園児などの絵も飾られていた。
ファン歴がそんなに長くないので、周囲から少しヲタク視されてないか気にしつつ、様々な展示品を見ていく。
一応新劇場版・破は初回版を持っているので、アニメ製作工程のところの中身は特典映像の中身と重なり、良く理解できた。
日本が誇る輸出産業の一つであるアニメーション文化の一つの軸なのだから、大したものである。
撮影OKな展示物もあったので、せっかくの記念にと撮影しておいた。

分からない人のために注釈を付けると、左からミサト、レイ、マリの制服になる。
なお、私は制服マニアでは一切ないので、あしからず。

ロンギヌスの槍。

エヴァンゲリオン初号機、主人公の騎乗機。
なんせ4日目は帰宅専用の行程のため、こうしたものしか写真がないのである。
かくして、この後出張営業中のエヴァストアでNERVキーホルダーとアスカ・レイ・マリのスリーショットのジグソーパズルを購入、帰路に就いた。
国道10号をしばらく進み、都城市で往路と同じ道に入り、再び国道10号で国分ICめがけて亀割バイパスを下る。
去年は大雨にたたられたうえ桜島フェリーが乗船待ちでUターン、壮絶な撤退劇を繰り広げただけに、ストレートに陸路撤収を図った。
自宅に帰還したのは15時40分過ぎ。
iPad2用のヘッドフォン探しと行きつけのお好み焼屋へ持ち帰ったばかりの土産を渡すため、少し遅くなった。
帰宅後真っ先に行ったことは、バイクのチェーン磨きである。
去年は雨の撤収後ということもあり、週末にさびと戦うことになってしまったのだが、今回は晴れた日中に帰ってきたというわけで、マフラー冷却時間稼ぎを兼ねたメンテナンスである。
チェーンクリーナーで汚れを落とし、ペーパーで汚れをふき取り、チェーンオイルをしっかり吹き付け、余分なところをふき取って出来上がりである。
こうして、4日間の充実したツーリングは幕を閉じた。
4日目の走行距離は263.3km、所要時間は5時間半程であった。
4日間の累計では、総走行距離1,882.2km、ガソリン総消費量80.72L(12,229円)、燃費23.31km/Lであった。
燃費が低いのは前述の暴風による転倒に原因があるものと思われる。
風が吹き抜けやすいところでは、なるだけ平行に停め、余計な支出にならないようにご留意願いたい。
今年は和歌山に赴くことに成功、来年は、能登半島が主目標となりそうなものの、天候と気温次第であるが、事故なく1年を過ごしたいものである。
~完~
初めてのさんふらわあでの移動は、実に優雅なものであった。
まず、寝ながら大阪~志布志間を移動してくれる。
風呂もある(バスタオル持ち込みでお金を浮かす工夫はいるが)。
ご飯も好きなだけ食べられる(夕食1,500円)。
よく眠れた(真冬の国道九四フェリーのようなかなりの揺れもなし)。
バイク運賃込みの21,200円の価値は十分にあった(高速代+ガソリン代+宿泊費+移動疲れなし)。
また来年も使うことになるかもしれない。
なお、幼少の頃、諸事情で谷山港に接岸されていた初期型のさんふらわあに父に連れて来られたことがあった。(諸事情はウィキペディアに載ってますので興味のある方はご参照を。)
今のものよりも豪華で、記憶にある限りビリヤードがあり、ゲームコーナーも充実していたような気がする。
ラウンジも広々していたような気がする。
時が経ち、今や自らの意思で乗船するようになるとは、立派に成長したものである。
ようやく9時50分、下船準備に入り、志布志港に上陸した。
普通はそのまま東九州道へ戻って帰還するべきであるし、エンジンオイルが既に300km近く交換目処をオーバーしており、あまり長く走るべきではない。
ただ、どうしても宮崎に寄らねばならないイベントがあった。
まあ本来は、若干料金が高いもののすぐ行ける宮崎カーフェリーを使うべきだが、当初予定で【さんふらわあ】を予約していたため、慣らし運転第二弾以来の日南海岸走行と相成った。
天気も穏やかで、気持ちよく国道220号を進んでいく。
なお、前日までノースロットルでエンストを高確率で起こしていたエンジンが、この日に限って全くそのようなそぶりを見せずに無難なアイドリングぶりである。
フェリーの振動がバイクにいい影響を与えたと見るべきか、2日連続で大阪入りしたことで余分なつきものがとれたと見るべきかは判断しかねるが、先月の爆弾低気圧による転倒のダメージはこれでなくなったと見てよいだろう。
宮崎市内に入り、よく通っていた源藤交差点を過ぎ、会場となるみやざきアートセンターへ到着。
エヴァンゲリオン展が開催されており、そのために足を延ばしたのである。
名古屋の鉄道模型展、大阪のツタンカーメン展のいずれも見られなかったため、せめてもの寄り道である。
なお、ファンになったのは中高の頃の友人の影響は一切なく、テレビで新劇場版・序を見てからである。
ミリタリー関係に造詣のある自分にとって、世界観を理解するのも難しいものではなかった。
以来、映像作品は一通り目を通している次第である。
会場のエレベータは男女問わず結構乗り込んでいて、入口で入場料を支払って中に入る。
ぬり絵イベントも行われていたようで、幼稚園児などの絵も飾られていた。
ファン歴がそんなに長くないので、周囲から少しヲタク視されてないか気にしつつ、様々な展示品を見ていく。
一応新劇場版・破は初回版を持っているので、アニメ製作工程のところの中身は特典映像の中身と重なり、良く理解できた。
日本が誇る輸出産業の一つであるアニメーション文化の一つの軸なのだから、大したものである。
撮影OKな展示物もあったので、せっかくの記念にと撮影しておいた。

分からない人のために注釈を付けると、左からミサト、レイ、マリの制服になる。
なお、私は制服マニアでは一切ないので、あしからず。

ロンギヌスの槍。

エヴァンゲリオン初号機、主人公の騎乗機。
なんせ4日目は帰宅専用の行程のため、こうしたものしか写真がないのである。
かくして、この後出張営業中のエヴァストアでNERVキーホルダーとアスカ・レイ・マリのスリーショットのジグソーパズルを購入、帰路に就いた。
国道10号をしばらく進み、都城市で往路と同じ道に入り、再び国道10号で国分ICめがけて亀割バイパスを下る。
去年は大雨にたたられたうえ桜島フェリーが乗船待ちでUターン、壮絶な撤退劇を繰り広げただけに、ストレートに陸路撤収を図った。
自宅に帰還したのは15時40分過ぎ。
iPad2用のヘッドフォン探しと行きつけのお好み焼屋へ持ち帰ったばかりの土産を渡すため、少し遅くなった。
帰宅後真っ先に行ったことは、バイクのチェーン磨きである。
去年は雨の撤収後ということもあり、週末にさびと戦うことになってしまったのだが、今回は晴れた日中に帰ってきたというわけで、マフラー冷却時間稼ぎを兼ねたメンテナンスである。
チェーンクリーナーで汚れを落とし、ペーパーで汚れをふき取り、チェーンオイルをしっかり吹き付け、余分なところをふき取って出来上がりである。
こうして、4日間の充実したツーリングは幕を閉じた。
4日目の走行距離は263.3km、所要時間は5時間半程であった。
4日間の累計では、総走行距離1,882.2km、ガソリン総消費量80.72L(12,229円)、燃費23.31km/Lであった。
燃費が低いのは前述の暴風による転倒に原因があるものと思われる。
風が吹き抜けやすいところでは、なるだけ平行に停め、余計な支出にならないようにご留意願いたい。
今年は和歌山に赴くことに成功、来年は、能登半島が主目標となりそうなものの、天候と気温次第であるが、事故なく1年を過ごしたいものである。
~完~
2012年05月07日
2012GWツーリングその3~名古屋⇒大阪
さすがに長文になり、日を跨ぎましたが、今回も前記事に引き続き、GWを利用して行っていたツーリングの3日目【5/5】の模様を記していきたいと思います。
771km走破ですっかり疲れ切っていたものの、まだまだ行かねばならないところが多すぎる、というわけで、6時過ぎに起床。
睡眠時間は5時間半くらいしかなかったものの、今夜のフェリーでたっぷり寝れる、そう踏まえて早々と行動を開始した。
ホテルでパンの朝食を摂った後、思い出深い界隈を離れ、一路北を目指す。
当初予定では計画になかったものの、ルート変更で時間が出来たため、犬山市にある犬山橋を見に行くためである。
名古屋テレビ塔を横目に国道41号に合流、名古屋都市高速1号楠線に合流しようにも、右折入口のため、入れず、やむなく2004年11月に「通勤」していた研修ルートを通ることに。
信号によく引っかかりつつ北上、黒川交差点を過ぎれば当時歩いていたルートになる。
コインランドリーを求めて、この界隈へ地下鉄に乗ってやってきたのも過去の話ではあるが、そういった思い出を思い出しながらバイクで走り去っていくのも、また一興である。
研修先やすき屋、きしめん屋がいまだ健在なのを確認しつつ、思い出の地を後にした。
豊山南ICでようやく都市高速に入り、終点の小牧北ICで再び国道41号に、そして、北を目指す。
五郎丸交番前交差点で左折、適当に道なりに進むと、成田山名古屋別院への案内標識が立っており、せっかくだからと立ち寄った。

本家成田山に参拝したのは2009年の9月21日、「シルバーウィーク」と言われる4連休が出来た時のことであった。
まああの時は関東甲信一周鉄道旅行をしたものだったが、それはさておき、名古屋別院を離れ、その先の名鉄犬山線の踏切で電車がやってきたので、写真を撮った。

この直後、エンストを起こし後続車にご迷惑をかけたが、何とか側道へバイクを移動して事なきを得た。
県道27号に入り、かつて道路併用橋であった犬山橋のたもとに着く。

PSソフト・電車でGO!名古屋鉄道編を持っているからには、ぜひとも訪れたいスポットだけに、この後ミュースカイが走ってきたときにはテンションが上がったものであった。
まあ、道路併用橋の時にバイクで走りたかったが、致し方あるまい。
犬山橋を渡って国道21号に合流、その後県道205号に入り、さらに県道93号を経て国道156号にたどり着く。
このあたりはかつて名鉄美濃町線と言う路面電車が走っていた区間で、これもゲームで登場したものの、その後廃線となったため、その跡を訪ねてみようというわけなのである。
岐阜市中心部に向かって走り、岩田駅跡から市ノ坪駅跡付近まで行ってみた。
野一色駅跡付近までの専用軌道区間は比較的まだ痕跡が残っていたものの、共用軌道区間は既に線路が撤去され、道路と化していた。
鹿児島市の旧伊敷線に上町線もこんなものだったのだろうか。
時代の流れとは、実に酷な時もあるものなのである。
その後、田神駅へ行ってみた。
鹿児島人なら「たがみ」と変換して先にこっちが出ることにムカっときた経験がある人が少なくないと思うが、ここ岐阜の地名なのである。

かつて、ここに旧田神線(美濃町線と岐阜方面への連絡で接続)の田神駅があったのだが、現在は撤去され、かろうじて左奥に見える線路が往時の名残を残している。
美濃町線及び田神線は今も、人々の記憶とゲームの中に、生き続けている。
岐阜城へ向かうべく、国道256号に入り、岐阜公園の駐輪スペースにバイクを駐める。

まだ8時47分、ロープウェー営業開始が9時からなので、十分大丈夫なはずであったが・・・。
既に行列が出来ていた・・・。
とは言え、GW中は特別運転で5分間隔で乗り込めるため、9時20分くらいには金華山の上にいた。
この時の模様はビデオカメラで撮影しているため、興味のある方は再生ボタンを押して頂くとして、ご覧のような険しい山道を進んで岐阜城にたどり着いた。
いろいろな資料が置いてあり、最上階から眺める景色もまた素晴らしかった。

斎藤道三や織田信長も眺めたであろう景色にしばし圧倒されつつ、再びロープウェーに乗って麓に戻り、岐阜を後にした。
このあと国道21号に戻り、関ヶ原を目指すのだが、裏道に関する情報を持たない私にとって、垂井町から先の渋滞には辟易した。
そして、関ヶ原町内の道も良く分からないため、何度かiPad2で道を調べ、ようやくあるスポットにやってきた。
敵中突破で名を馳せる島津義弘公の陣跡である。
これまたとんでもなく普通の住宅地と畑と小高い丘の一帯の中の小道にあり、車で来るには少し敷居が高いが、バイクなら楽々である。
それでも11時半の到着であったが。

神明神社でお参りをし、先人たちに手を合わせ、関ヶ原を後にした。
国道365号から名神高速関ヶ原ICに入る。
人生初の名神高速である。
日本で最初の高速道路である名神は、開業当初、沿線で車を停めて弁当を食べた人もいたというほどの行楽スポットだったと何かで見たこともあるが、モータリゼーションが進み過ぎた今の日本では信じがたい話である。
伊吹山を越えて滋賀県に入り、「ひこにゃん」で有名な彦根市も通過、淡々と西へ向かい、大津SAに着いたのが12時40分のことであった。
フェリー乗船は18時前ながら、16時過ぎには手続きをしなくてはいけないため、大阪入りを14時と予定し、近江牛弁当特盛を平らげ、土産を購入してさらに名神を西へと進む。
京都府を抜け、再び大阪に戻ってきたのは良いが、阪神高速の最適な乗り換え手順を把握していないのは致命傷だった。
吹田ICで降りたものの、阪神高速へ接続していない。
正しくは名神を進んで豊中ICで乗り換えるのが正解だったのだが、これが想定外のことをもたらしてしまう。
先月23日に、研修のため、空路大阪入りしていたのだが、適当に走って、【新御堂筋】へ進んで国道423号に入ると、そのことに気付いた。
そう、新大阪駅と伊丹空港を結ぶ空港バスの路線上に迷い込んでしまったのである。
まあ、何度も通っているので落ち着いて横を走る北大阪急行線の電車を見ながら混みあう道を見事に走り抜け、無計画にも新大阪駅近くの路上で停車してツタンカーメン展が開かれている天保山へのルートを確認する。
が、分かりやすいルートがない。
仕方なく、日の射している方向が天保山であることを根拠として、その方向へと進む。
土地勘が新大阪駅くらいまでしかなかったことは大きなハンデとなった。
しばらく行くと、阪神高速への入口を発見した。
4日に通った池田線の途中にある塚本ICであった。
つまり、ここからなら湾岸線に行ける。
前日通った道をまた走るのは変な感じがしつつも、難なく湾岸線に入り、天保山ICで降りた。
誘導員に駐輪場へのルートを案内され、曲がる交差点の信号が赤で待っている間、とんでもないアナウンスが聞こえてきた。
ツタンカーメン展の入場整理券、現在17時20分入場のものをご案内しております
この瞬間、終わった、と思った。
まだ14時過ぎなのに。
佐賀関港は遅れてもゆとりがあったが、さんふらわあはそうもいかない。
やむなく引き返し、給油の後、大阪南港かもめターミナルを目指す。
しかし、ここで異変が起きる。
心労からか、腹痛になったのである。
しかし既に阪神高速への右折車線上、スタンドで行っとけばよかったと後悔しつつ、必死の形相で南港中ICへ駆け抜ける。
ICを降り、信号停車。
ようやく青になり、かもめターミナルまで一直線に入るところで、うかつにもブレーキが間に合わず、突入を図ってしまった。
非常事態なのでやむなしとして、後の信号ではしっかり停車しつつ、どうにかこうにかターミナルにたどり着いた。
即座にトイレに駆け込み、セーフ。
伊勢神宮に再度参拝できなかったのも、多くの客が押し寄せているのも、全てはツタンカーメンの呪いだったのかもしれない(んなわけないか・・・)。
後はターミナルで時間をつぶしたり、友人と電話で話したりして過ごし、17時過ぎに乗船、17時半には風呂に入り、17時55分の出航の頃にはレストランで夕食を摂るハイスピード展開であった。

今回泊まった【ファーストシングル】、部屋はこんな感じである。

ビジネスホテルのシングルルーム並みで、船上ホテルと言っても過言ではない。
BSプレミアムの【篤姫】を見たり、Eテレの【ふしぎの海のナディア】を見たり、スカパーの無料開放チャンネルで【ルパン三世】を見たり、4時間ほどテレビ三昧で、23時に就寝した。
走行距離は270.0km、所要時間は7時間46分であった。
771km走破ですっかり疲れ切っていたものの、まだまだ行かねばならないところが多すぎる、というわけで、6時過ぎに起床。
睡眠時間は5時間半くらいしかなかったものの、今夜のフェリーでたっぷり寝れる、そう踏まえて早々と行動を開始した。
ホテルでパンの朝食を摂った後、思い出深い界隈を離れ、一路北を目指す。
当初予定では計画になかったものの、ルート変更で時間が出来たため、犬山市にある犬山橋を見に行くためである。
名古屋テレビ塔を横目に国道41号に合流、名古屋都市高速1号楠線に合流しようにも、右折入口のため、入れず、やむなく2004年11月に「通勤」していた研修ルートを通ることに。
信号によく引っかかりつつ北上、黒川交差点を過ぎれば当時歩いていたルートになる。
コインランドリーを求めて、この界隈へ地下鉄に乗ってやってきたのも過去の話ではあるが、そういった思い出を思い出しながらバイクで走り去っていくのも、また一興である。
研修先やすき屋、きしめん屋がいまだ健在なのを確認しつつ、思い出の地を後にした。
豊山南ICでようやく都市高速に入り、終点の小牧北ICで再び国道41号に、そして、北を目指す。
五郎丸交番前交差点で左折、適当に道なりに進むと、成田山名古屋別院への案内標識が立っており、せっかくだからと立ち寄った。

本家成田山に参拝したのは2009年の9月21日、「シルバーウィーク」と言われる4連休が出来た時のことであった。
まああの時は関東甲信一周鉄道旅行をしたものだったが、それはさておき、名古屋別院を離れ、その先の名鉄犬山線の踏切で電車がやってきたので、写真を撮った。

この直後、エンストを起こし後続車にご迷惑をかけたが、何とか側道へバイクを移動して事なきを得た。
県道27号に入り、かつて道路併用橋であった犬山橋のたもとに着く。

PSソフト・電車でGO!名古屋鉄道編を持っているからには、ぜひとも訪れたいスポットだけに、この後ミュースカイが走ってきたときにはテンションが上がったものであった。
まあ、道路併用橋の時にバイクで走りたかったが、致し方あるまい。
犬山橋を渡って国道21号に合流、その後県道205号に入り、さらに県道93号を経て国道156号にたどり着く。
このあたりはかつて名鉄美濃町線と言う路面電車が走っていた区間で、これもゲームで登場したものの、その後廃線となったため、その跡を訪ねてみようというわけなのである。
岐阜市中心部に向かって走り、岩田駅跡から市ノ坪駅跡付近まで行ってみた。
野一色駅跡付近までの専用軌道区間は比較的まだ痕跡が残っていたものの、共用軌道区間は既に線路が撤去され、道路と化していた。
鹿児島市の旧伊敷線に上町線もこんなものだったのだろうか。
時代の流れとは、実に酷な時もあるものなのである。
その後、田神駅へ行ってみた。
鹿児島人なら「たがみ」と変換して先にこっちが出ることにムカっときた経験がある人が少なくないと思うが、ここ岐阜の地名なのである。

かつて、ここに旧田神線(美濃町線と岐阜方面への連絡で接続)の田神駅があったのだが、現在は撤去され、かろうじて左奥に見える線路が往時の名残を残している。
美濃町線及び田神線は今も、人々の記憶とゲームの中に、生き続けている。
岐阜城へ向かうべく、国道256号に入り、岐阜公園の駐輪スペースにバイクを駐める。

まだ8時47分、ロープウェー営業開始が9時からなので、十分大丈夫なはずであったが・・・。
既に行列が出来ていた・・・。
とは言え、GW中は特別運転で5分間隔で乗り込めるため、9時20分くらいには金華山の上にいた。
この時の模様はビデオカメラで撮影しているため、興味のある方は再生ボタンを押して頂くとして、ご覧のような険しい山道を進んで岐阜城にたどり着いた。
いろいろな資料が置いてあり、最上階から眺める景色もまた素晴らしかった。

斎藤道三や織田信長も眺めたであろう景色にしばし圧倒されつつ、再びロープウェーに乗って麓に戻り、岐阜を後にした。
このあと国道21号に戻り、関ヶ原を目指すのだが、裏道に関する情報を持たない私にとって、垂井町から先の渋滞には辟易した。
そして、関ヶ原町内の道も良く分からないため、何度かiPad2で道を調べ、ようやくあるスポットにやってきた。
敵中突破で名を馳せる島津義弘公の陣跡である。
これまたとんでもなく普通の住宅地と畑と小高い丘の一帯の中の小道にあり、車で来るには少し敷居が高いが、バイクなら楽々である。
それでも11時半の到着であったが。

神明神社でお参りをし、先人たちに手を合わせ、関ヶ原を後にした。
国道365号から名神高速関ヶ原ICに入る。
人生初の名神高速である。
日本で最初の高速道路である名神は、開業当初、沿線で車を停めて弁当を食べた人もいたというほどの行楽スポットだったと何かで見たこともあるが、モータリゼーションが進み過ぎた今の日本では信じがたい話である。
伊吹山を越えて滋賀県に入り、「ひこにゃん」で有名な彦根市も通過、淡々と西へ向かい、大津SAに着いたのが12時40分のことであった。
フェリー乗船は18時前ながら、16時過ぎには手続きをしなくてはいけないため、大阪入りを14時と予定し、近江牛弁当特盛を平らげ、土産を購入してさらに名神を西へと進む。
京都府を抜け、再び大阪に戻ってきたのは良いが、阪神高速の最適な乗り換え手順を把握していないのは致命傷だった。
吹田ICで降りたものの、阪神高速へ接続していない。
正しくは名神を進んで豊中ICで乗り換えるのが正解だったのだが、これが想定外のことをもたらしてしまう。
先月23日に、研修のため、空路大阪入りしていたのだが、適当に走って、【新御堂筋】へ進んで国道423号に入ると、そのことに気付いた。
そう、新大阪駅と伊丹空港を結ぶ空港バスの路線上に迷い込んでしまったのである。
まあ、何度も通っているので落ち着いて横を走る北大阪急行線の電車を見ながら混みあう道を見事に走り抜け、無計画にも新大阪駅近くの路上で停車してツタンカーメン展が開かれている天保山へのルートを確認する。
が、分かりやすいルートがない。
仕方なく、日の射している方向が天保山であることを根拠として、その方向へと進む。
土地勘が新大阪駅くらいまでしかなかったことは大きなハンデとなった。
しばらく行くと、阪神高速への入口を発見した。
4日に通った池田線の途中にある塚本ICであった。
つまり、ここからなら湾岸線に行ける。
前日通った道をまた走るのは変な感じがしつつも、難なく湾岸線に入り、天保山ICで降りた。
誘導員に駐輪場へのルートを案内され、曲がる交差点の信号が赤で待っている間、とんでもないアナウンスが聞こえてきた。
ツタンカーメン展の入場整理券、現在17時20分入場のものをご案内しております
この瞬間、終わった、と思った。
まだ14時過ぎなのに。
佐賀関港は遅れてもゆとりがあったが、さんふらわあはそうもいかない。
やむなく引き返し、給油の後、大阪南港かもめターミナルを目指す。
しかし、ここで異変が起きる。
心労からか、腹痛になったのである。
しかし既に阪神高速への右折車線上、スタンドで行っとけばよかったと後悔しつつ、必死の形相で南港中ICへ駆け抜ける。
ICを降り、信号停車。
ようやく青になり、かもめターミナルまで一直線に入るところで、うかつにもブレーキが間に合わず、突入を図ってしまった。
非常事態なのでやむなしとして、後の信号ではしっかり停車しつつ、どうにかこうにかターミナルにたどり着いた。
即座にトイレに駆け込み、セーフ。
伊勢神宮に再度参拝できなかったのも、多くの客が押し寄せているのも、全てはツタンカーメンの呪いだったのかもしれない(んなわけないか・・・)。
後はターミナルで時間をつぶしたり、友人と電話で話したりして過ごし、17時過ぎに乗船、17時半には風呂に入り、17時55分の出航の頃にはレストランで夕食を摂るハイスピード展開であった。

今回泊まった【ファーストシングル】、部屋はこんな感じである。

ビジネスホテルのシングルルーム並みで、船上ホテルと言っても過言ではない。
BSプレミアムの【篤姫】を見たり、Eテレの【ふしぎの海のナディア】を見たり、スカパーの無料開放チャンネルで【ルパン三世】を見たり、4時間ほどテレビ三昧で、23時に就寝した。
走行距離は270.0km、所要時間は7時間46分であった。
2012年05月06日
2012GWツーリングその2~高知⇒名古屋
前記事に引き続き、今回のGWを利用して行っていたツーリングの2日目【5/4】の模様を記していきたいと思います。
早朝6時に起床、朝食はさぬきうどんと決めていたため、6時50分に高知市内のホテルを出発、高知ICを目指すも、一方通行に不慣れな土地勘が拍車をかけ、若干道に迷うものの、高架橋や二車線道路、何よりも地勢から方角を割り出して案内標識なしで曲がった先が、ものの見事に高知ICへ通じていてラッキーな展開。
天気もまずまずで、まずは順調な滑り出しとなった。
前回2011年10月のツーリングでは高知道から徳島道、高松道経由で琴平まで向かったものであったが、今回は最短ルートの川之江JCT経由で大野原ICで降り、琴平方向へ通じる国道を探す。
がしかし、その国道番号を度忘れしていて途中、国道11号と県道の交差点付近で停車、iPadで情報収集する。
すると、まさに止まっている交差点から左折すれば目的の国道377号に出る、そう答えは出た。
喜び勇んで左折して進んだが、先にある交差点を直進した。
その直前に、377と書かれたおにぎりが交差方向を指していた。
案内標識が無かったため、先にあるところで再び下車し、iPad2で情報収集。
すると、やはり先程の交差点で左折して国道377号に合流することが判明。
自転車で通りがかりの地元の女子高生3人組の視線を気にしながらUターンして、無事に国道377号に入った。
ただ、その先で踏切の遮断機が下りていて、本当にこれが国道か、半信半疑であった。
その先で国道標識を見たときはほっとしたが、しばらく進み、県道5号へと右折、快適に走り抜け、国道32号に合流した。
ここからは走り慣れているため楽々と目的地の【山内うどん店】へ到着、8時半のことであった。
しかし、既に行列ができていた。

待つこと10分、ようやく店内に入り、「ひやあつ特大」にちくわ天、かき揚げを載せて食す。
お代は600円だっただろうか。
朝からかなりのボリュームだが、これも昼御飯が中国道などの混雑で摂れないことを想定して、どっさり食べている。
ヤング&アダルトなカップルの間に挟まって食すも、やはりこのこしの強さは本場ならではである。
またの来店できるのがいつになるかと思いつつ店を後にし、いよいよ本州へと向かう。
その前に、琴平町内でガソリンを補給し、善通寺ICから高松道に入り、そのまま瀬戸中央道へ向かう。
にしても、横風注意の標識が出ているほど風が強く、高知道を進む時からハンドルを強く握るほどであったが、瀬戸大橋の上ではすさまじいことになっていた。
去年も経験済みだったため覚悟はしていたが、今年もなかなかすごく、与島PAのあたりですごい風が吹いていた。
転倒まであと少しというほどの風で、まあ何とか減速によって体勢を立て直して事なきを得たが、鷲羽山トンネルをくぐるまではしびれるのではと思うほどハンドルを支えるのが大変であった。
この日の渋滞予測ポイントが2個所あり、倉敷JCT付近と著名な東名阪道の四日市東IC付近であった。
まず倉敷JCT付近で1kmという表示が出ていて、いよいよ渋滞とご対面というわけで、十分に車間を開け、いよいよ分岐点付近でハザードランプのオンパレードと相成った。
しっかりとスリップすることなく停止し、ノロノロ運転を続けて山陽道に合流、先にあるトンネルの辺りから渋滞は解消され、ひたすら東へとひた走った。
岡山JCTから東は未踏であり、無事故で走らねばと気を引き締めていた。
兵庫県に入って、たまに弱い雨がポツリポツリ降ることもあったが、大したことにならないと踏み、友人から渋滞情報及び天候情報収集連絡を受けることにしていた西宮名塩SAに着いたのが12:10。
高知を発ってから5時間半弱。
悪名高い宝塚西トンネルも目と鼻の先である。
渋滞はこの先進む阪和道方面である程度で、天候も弱い雨が所々で降っていること、そして滋賀県中部以北で降り続いていることを聞き、奈良県越えプランを前倒しすることを決意、そして中国池田ICで中国道を降り、空港バスで通ったようなところを横目に阪神高速池田線に入った。
バイクで都市高速を走るのは初めてのことであるが、最高速度が60km/hに抑制されていて、カーブもそれなりにきつかった。
湾岸線を走る予定だったが、分岐の混み具合に加えて【渋滞7km】に回避を決断、1号環状線経由で14号松原線を経由して阪和道へ入った。
阪和道も快適なのであるが、その先で【泉南IC~貝塚IC 渋滞5km】の表示に身構えつつ、ひたすら南下。
貝塚ICの手前で渋滞が2kmまで減っていることを確認、泉佐野JCTを普通に突破し、問題の泉南ICでスムーズに高速を降りた。
渋滞は、到着間際で解消されていたのである。
泉南IC出口を右折、しばらくして阪和線の下をくぐったことから道に迷ったことを認識、次の交差点でUターンしてそばのガソリンスタンドが144円/Lと驚きの価格だったため、給油。
エンジンの調子が悪いゆえか、燃費が22km/L程度に下がっていたため、貴重な節約源となった。
給油後、iPad2で地図を確認したら案の定、逆方向。
元来た道をひた走り、たま駅長に会いに進む。
が、また道に迷うのに気付く。
予定外の場所で和歌山線の踏切を越えたことがきっかけだった。
近畿労働金庫那賀支店の駐車場をお借りして地図を見て、誤りを確認、ようやく県道10号に入り、貴志駅を目指す。
途中、もう一度地図を確認してようやく貴志駅にたどり着き、駐輪場前にバイクを停める。
駅前で行列に並び、面会の時を待つ。
で、さすがの行列に、駅長自ら出てきた。

みなさん写真を撮るわ撮るわ、運よく自分の近くで止まったため、写真を5枚ほど撮ってみた中のベストショットが前述の写真。
一部では【ニタマ伊太祁曽駅長】との話もあるが、何はともあれ会えたことは良かった。
いい記念になると思う。
帰りがけに、たま電車もやってきたので、写真に収めた。

地域おこしのきっかけは、何気ないところから生まれるものだと、そう思う次第なのであった。
14時50分に貴志駅を後にし、進路を東にとる。
国道424号、県道13号を走る。
紀ノ川の穏やかな流れが、とても絵になる。
所々に見える山にミカン畑も広がり、秋にはこの辺の写真を撮るのもいいのかもしれない。
真田幸村ゆかりの九度山町に入り、何やら道路が煙っている。
真田まつりが開催中らしく、露店の煙だったのだ。
しかも、あちこちの立て看板にはこう書かれていた。
【5/5 13~15時 武者行列につき通行規制】
滋賀県で雨が降らなければ、まさにこの時間に通るところであった。
天候に救われたことを感謝しつつ、国道370号、県道55号、そしてなぜか上野公園の前を通る道を走って国道24号へ。
ここまでの天気は曇り。
気付けば、奈良県は五條市に入っていた。
しかし、市街地の辺りで雨が降り出し、急きょ荷物の雨よけ対策でゴミ袋を購入しにファミマへ。
ここでゴミ袋と飲み物、コロッケパンを購入し、カッパに着替えて雨天準備も万全、すぐ先の国道370号へ右折して、吉野経由で三重県への突破を図る。
地図は見ていなかったものの、吉野町役場まで川沿い、先の県道へ左折と記憶していたため、難なく国道169号までやってきた。
「曲がる県道が二重なんとかだったかな」と、うろ覚え過ぎるのも困ったものであるが、28号で左折した先でiPad2で確認、問題ないことを確認して、この先のルートを掌握、無事に国道370号に合流して、国道166号、県道218号とひた走り、いよいよ長丁場の国道369号に。
途中、曽爾村に入って、看板を見つつ「It's a 曽爾~」など、くだらんことを考えつつ、さらに東へ。
奈良県最後の御杖村に入り、国道368号へ。
三重県に入り、次の目的地である伊勢奥津駅に着いたのが17時25分のことであった。

五條で買っていたコロッケパンを食べ、次のルートを調べながら一息ついていたら、地元のおばあさんがやってきた。
去年の宮本武蔵ゆかりの美作へ赴いた際と似たような展開ではあったが、単騎ツーリングの醍醐味は、地元の人との触れ合いに尽きる。
何でも、桑名市に息子さんが居て、渋滞がどうのこうのという話ではあったが、後にこのことを身を以て知ることとなる。
これから仁柿峠を越えることを告げた後駅を後にし、峠道に入った。
五家荘や米良荘を走破している自分にとって、どんな酷道か楽しみではあったが、夕刻17時50分というタイミングの悪さは、約6kmの区間とは言え、できるだけ早く通過しなければと思う次第であった。
焦る心を押さえつつ、セオリー通り3速の時速30km/hで険しい道を下る。
ガードレールのない区間にきついカーブが印象的ではあったが、集落が見えてきたときには思わず内心ガッツポーズであった。
まだ日が残る中を東へと進み、誤って県道429号へ入ったほかは順調に進み、国道42号に出た。
この頃にはもう日没となり、勢和多気ICから伊勢道へ進む。
伊勢道の上り線はずっと途切れることなく車が走っていて、伊勢・鳥羽方面が観光地であることを印象付けられる。
伊勢西ICで降り、伊勢神宮外宮を目指すが、最悪なことに19時が門限で、到着は19時12分。
すんでのところで駄目であった。
実に、1991年に続く2度連続の目の前まで来て参拝できない事態となった。
門の外から二礼二拍手一礼をし、再び伊勢西ICから伊勢道を北上する。
ここで、渋滞情報を目にする。
四日市付近から25km、だそうである。
渋滞の中を横抜けする覚悟はしておいたが、実際にそうしたことは産業道路の外側帯とか国道225号くらいのもので、高速道路ではやったことがなかった。
で、実践の場が芸濃IC付近から始まった。
大渋滞の幕開けである。
路肩走行禁止は把握しているので、走行禁止でない走行車線と追越車線の間を時速30~40km/hの原付速度で抜いていく。
運悪く、ガソリンが残り5Lを切ったサインも出て、低速で燃費が悪いことを気にしつつ、50km程度は何とかなる、そう腹をくくって抜き続けた。
亀山JCTあたりで雨が降り出し、夜と渋滞と雨、三重苦の中を、とにかく抜けるには前進あるのみと言い聞かせてじわじわ進む。
途中スピードを出せる局面もあり、四日市ICの先で、それは起こった。
渋滞が解消されたのである。
約1時間近い渋滞との戦いに勝利し、最寄りの御在所SAで休憩&給油と相成った。
時計の針は21時13分を指していた。
四日市JCTから先は快調そのもので、今回宝暦治水碑を見に行けないことを無念に思いつつ、名古屋都市高速の白川ICで降り、ホテルの契約駐車場を目指す。
途中、iPad2で地図情報を見ることと、ホテルに遅れる連絡を入れ、栄の大通りを走る。
もうすぐ歩行者天国が導入される地域だそうだが、こうやって走れるのも貴重な体験をしたと言える。
ただ、ノーヘルの原付二人乗りが堂々と走っているのは考えものだと思うのだが、いかに。
複雑な一方通行にさいなまれつつ、2004年11月に4連泊した土地勘は健在、目的地周辺に入ってからはスマートに駐車場にバイクを停め、若者グループがどの店で飲むか話しているのを横目にホテルへチェックインした。
到着は22時18分のことであった。
走行距離は771.0km、所要時間は15時間28分であった。
体中が倦怠感を感じるのも、無理は、ない。
早朝6時に起床、朝食はさぬきうどんと決めていたため、6時50分に高知市内のホテルを出発、高知ICを目指すも、一方通行に不慣れな土地勘が拍車をかけ、若干道に迷うものの、高架橋や二車線道路、何よりも地勢から方角を割り出して案内標識なしで曲がった先が、ものの見事に高知ICへ通じていてラッキーな展開。
天気もまずまずで、まずは順調な滑り出しとなった。
前回2011年10月のツーリングでは高知道から徳島道、高松道経由で琴平まで向かったものであったが、今回は最短ルートの川之江JCT経由で大野原ICで降り、琴平方向へ通じる国道を探す。
がしかし、その国道番号を度忘れしていて途中、国道11号と県道の交差点付近で停車、iPadで情報収集する。
すると、まさに止まっている交差点から左折すれば目的の国道377号に出る、そう答えは出た。
喜び勇んで左折して進んだが、先にある交差点を直進した。
その直前に、377と書かれたおにぎりが交差方向を指していた。
案内標識が無かったため、先にあるところで再び下車し、iPad2で情報収集。
すると、やはり先程の交差点で左折して国道377号に合流することが判明。
自転車で通りがかりの地元の女子高生3人組の視線を気にしながらUターンして、無事に国道377号に入った。
ただ、その先で踏切の遮断機が下りていて、本当にこれが国道か、半信半疑であった。
その先で国道標識を見たときはほっとしたが、しばらく進み、県道5号へと右折、快適に走り抜け、国道32号に合流した。
ここからは走り慣れているため楽々と目的地の【山内うどん店】へ到着、8時半のことであった。
しかし、既に行列ができていた。

待つこと10分、ようやく店内に入り、「ひやあつ特大」にちくわ天、かき揚げを載せて食す。
お代は600円だっただろうか。
朝からかなりのボリュームだが、これも昼御飯が中国道などの混雑で摂れないことを想定して、どっさり食べている。
ヤング&アダルトなカップルの間に挟まって食すも、やはりこのこしの強さは本場ならではである。
またの来店できるのがいつになるかと思いつつ店を後にし、いよいよ本州へと向かう。
その前に、琴平町内でガソリンを補給し、善通寺ICから高松道に入り、そのまま瀬戸中央道へ向かう。
にしても、横風注意の標識が出ているほど風が強く、高知道を進む時からハンドルを強く握るほどであったが、瀬戸大橋の上ではすさまじいことになっていた。
去年も経験済みだったため覚悟はしていたが、今年もなかなかすごく、与島PAのあたりですごい風が吹いていた。
転倒まであと少しというほどの風で、まあ何とか減速によって体勢を立て直して事なきを得たが、鷲羽山トンネルをくぐるまではしびれるのではと思うほどハンドルを支えるのが大変であった。
この日の渋滞予測ポイントが2個所あり、倉敷JCT付近と著名な東名阪道の四日市東IC付近であった。
まず倉敷JCT付近で1kmという表示が出ていて、いよいよ渋滞とご対面というわけで、十分に車間を開け、いよいよ分岐点付近でハザードランプのオンパレードと相成った。
しっかりとスリップすることなく停止し、ノロノロ運転を続けて山陽道に合流、先にあるトンネルの辺りから渋滞は解消され、ひたすら東へとひた走った。
岡山JCTから東は未踏であり、無事故で走らねばと気を引き締めていた。
兵庫県に入って、たまに弱い雨がポツリポツリ降ることもあったが、大したことにならないと踏み、友人から渋滞情報及び天候情報収集連絡を受けることにしていた西宮名塩SAに着いたのが12:10。
高知を発ってから5時間半弱。
悪名高い宝塚西トンネルも目と鼻の先である。
渋滞はこの先進む阪和道方面である程度で、天候も弱い雨が所々で降っていること、そして滋賀県中部以北で降り続いていることを聞き、奈良県越えプランを前倒しすることを決意、そして中国池田ICで中国道を降り、空港バスで通ったようなところを横目に阪神高速池田線に入った。
バイクで都市高速を走るのは初めてのことであるが、最高速度が60km/hに抑制されていて、カーブもそれなりにきつかった。
湾岸線を走る予定だったが、分岐の混み具合に加えて【渋滞7km】に回避を決断、1号環状線経由で14号松原線を経由して阪和道へ入った。
阪和道も快適なのであるが、その先で【泉南IC~貝塚IC 渋滞5km】の表示に身構えつつ、ひたすら南下。
貝塚ICの手前で渋滞が2kmまで減っていることを確認、泉佐野JCTを普通に突破し、問題の泉南ICでスムーズに高速を降りた。
渋滞は、到着間際で解消されていたのである。
泉南IC出口を右折、しばらくして阪和線の下をくぐったことから道に迷ったことを認識、次の交差点でUターンしてそばのガソリンスタンドが144円/Lと驚きの価格だったため、給油。
エンジンの調子が悪いゆえか、燃費が22km/L程度に下がっていたため、貴重な節約源となった。
給油後、iPad2で地図を確認したら案の定、逆方向。
元来た道をひた走り、たま駅長に会いに進む。
が、また道に迷うのに気付く。
予定外の場所で和歌山線の踏切を越えたことがきっかけだった。
近畿労働金庫那賀支店の駐車場をお借りして地図を見て、誤りを確認、ようやく県道10号に入り、貴志駅を目指す。
途中、もう一度地図を確認してようやく貴志駅にたどり着き、駐輪場前にバイクを停める。
駅前で行列に並び、面会の時を待つ。
で、さすがの行列に、駅長自ら出てきた。

みなさん写真を撮るわ撮るわ、運よく自分の近くで止まったため、写真を5枚ほど撮ってみた中のベストショットが前述の写真。
一部では【ニタマ伊太祁曽駅長】との話もあるが、何はともあれ会えたことは良かった。
いい記念になると思う。
帰りがけに、たま電車もやってきたので、写真に収めた。

地域おこしのきっかけは、何気ないところから生まれるものだと、そう思う次第なのであった。
14時50分に貴志駅を後にし、進路を東にとる。
国道424号、県道13号を走る。
紀ノ川の穏やかな流れが、とても絵になる。
所々に見える山にミカン畑も広がり、秋にはこの辺の写真を撮るのもいいのかもしれない。
真田幸村ゆかりの九度山町に入り、何やら道路が煙っている。
真田まつりが開催中らしく、露店の煙だったのだ。
しかも、あちこちの立て看板にはこう書かれていた。
【5/5 13~15時 武者行列につき通行規制】
滋賀県で雨が降らなければ、まさにこの時間に通るところであった。
天候に救われたことを感謝しつつ、国道370号、県道55号、そしてなぜか上野公園の前を通る道を走って国道24号へ。
ここまでの天気は曇り。
気付けば、奈良県は五條市に入っていた。
しかし、市街地の辺りで雨が降り出し、急きょ荷物の雨よけ対策でゴミ袋を購入しにファミマへ。
ここでゴミ袋と飲み物、コロッケパンを購入し、カッパに着替えて雨天準備も万全、すぐ先の国道370号へ右折して、吉野経由で三重県への突破を図る。
地図は見ていなかったものの、吉野町役場まで川沿い、先の県道へ左折と記憶していたため、難なく国道169号までやってきた。
「曲がる県道が二重なんとかだったかな」と、うろ覚え過ぎるのも困ったものであるが、28号で左折した先でiPad2で確認、問題ないことを確認して、この先のルートを掌握、無事に国道370号に合流して、国道166号、県道218号とひた走り、いよいよ長丁場の国道369号に。
途中、曽爾村に入って、看板を見つつ「It's a 曽爾~」など、くだらんことを考えつつ、さらに東へ。
奈良県最後の御杖村に入り、国道368号へ。
三重県に入り、次の目的地である伊勢奥津駅に着いたのが17時25分のことであった。

五條で買っていたコロッケパンを食べ、次のルートを調べながら一息ついていたら、地元のおばあさんがやってきた。
去年の宮本武蔵ゆかりの美作へ赴いた際と似たような展開ではあったが、単騎ツーリングの醍醐味は、地元の人との触れ合いに尽きる。
何でも、桑名市に息子さんが居て、渋滞がどうのこうのという話ではあったが、後にこのことを身を以て知ることとなる。
これから仁柿峠を越えることを告げた後駅を後にし、峠道に入った。
五家荘や米良荘を走破している自分にとって、どんな酷道か楽しみではあったが、夕刻17時50分というタイミングの悪さは、約6kmの区間とは言え、できるだけ早く通過しなければと思う次第であった。
焦る心を押さえつつ、セオリー通り3速の時速30km/hで険しい道を下る。
ガードレールのない区間にきついカーブが印象的ではあったが、集落が見えてきたときには思わず内心ガッツポーズであった。
まだ日が残る中を東へと進み、誤って県道429号へ入ったほかは順調に進み、国道42号に出た。
この頃にはもう日没となり、勢和多気ICから伊勢道へ進む。
伊勢道の上り線はずっと途切れることなく車が走っていて、伊勢・鳥羽方面が観光地であることを印象付けられる。
伊勢西ICで降り、伊勢神宮外宮を目指すが、最悪なことに19時が門限で、到着は19時12分。
すんでのところで駄目であった。
実に、1991年に続く2度連続の目の前まで来て参拝できない事態となった。
門の外から二礼二拍手一礼をし、再び伊勢西ICから伊勢道を北上する。
ここで、渋滞情報を目にする。
四日市付近から25km、だそうである。
渋滞の中を横抜けする覚悟はしておいたが、実際にそうしたことは産業道路の外側帯とか国道225号くらいのもので、高速道路ではやったことがなかった。
で、実践の場が芸濃IC付近から始まった。
大渋滞の幕開けである。
路肩走行禁止は把握しているので、走行禁止でない走行車線と追越車線の間を時速30~40km/hの原付速度で抜いていく。
運悪く、ガソリンが残り5Lを切ったサインも出て、低速で燃費が悪いことを気にしつつ、50km程度は何とかなる、そう腹をくくって抜き続けた。
亀山JCTあたりで雨が降り出し、夜と渋滞と雨、三重苦の中を、とにかく抜けるには前進あるのみと言い聞かせてじわじわ進む。
途中スピードを出せる局面もあり、四日市ICの先で、それは起こった。
渋滞が解消されたのである。
約1時間近い渋滞との戦いに勝利し、最寄りの御在所SAで休憩&給油と相成った。
時計の針は21時13分を指していた。
四日市JCTから先は快調そのもので、今回宝暦治水碑を見に行けないことを無念に思いつつ、名古屋都市高速の白川ICで降り、ホテルの契約駐車場を目指す。
途中、iPad2で地図情報を見ることと、ホテルに遅れる連絡を入れ、栄の大通りを走る。
もうすぐ歩行者天国が導入される地域だそうだが、こうやって走れるのも貴重な体験をしたと言える。
ただ、ノーヘルの原付二人乗りが堂々と走っているのは考えものだと思うのだが、いかに。
複雑な一方通行にさいなまれつつ、2004年11月に4連泊した土地勘は健在、目的地周辺に入ってからはスマートに駐車場にバイクを停め、若者グループがどの店で飲むか話しているのを横目にホテルへチェックインした。
到着は22時18分のことであった。
走行距離は771.0km、所要時間は15時間28分であった。
体中が倦怠感を感じるのも、無理は、ない。
2012年05月06日
2012GWツーリングその1~鹿児島⇒高知
今年も恒例となりましたGWツーリング、今回は事前予告通り高知経由でバイクでは初の近畿&東海地方上陸となりました。
走行距離は今日宮崎へ寄り道のため1,882.2kmと、去年をしのぐものになりました。
特にきつかったのが2日目(5/4)の高知⇒名古屋の771kmですが、これは【その2】で触れることにして、今回は1日目(5/3)の鹿児島から高知への旅程について記します。
去年が雨に初日の午前中及び最終日でたたられ、今年はラニーニャ現象終了で本来の五月晴れになることを願っていたら、見事に天気はまずまずの出だし、よりにもよって早朝5時起きで支度を始め、5時40分には自宅を出発した。
佐賀関港のフェリーを1本でも早く、12時台に乗れればと思ってのことである。
指宿スカイラインの山田ICから北へ向かい、九州道、東九州道と来て末吉財部ICで降りたのが出発からちょうど1時間後の6時40分。
この辺の国道10号は原付の頃から20回以上走っていてすっかり道を覚えているほどなのだが、23時に出て1時半にこの辺を通った頃の不健康さに比べれば、幾分健康的になったものだとつくづく思った次第であった。
進行方向に見える朝日がいつもにも増して輝かしく見えた。
ここから往時から利用している裏道を経由して都城市の北側へ迂回して国道10号に戻り、都城ICから宮崎道、東九州道へと入っていく。
宮崎西IC付近で7時40分になったのを車載のデジタル時計で確認、そのまま北に進む。
なお、1日目を宮崎経由で通るのは2008年の125cc・現通勤車シグナスXで松山経由で瀬戸内海に浮かぶ岡村島などの芸予諸島を島伝いに走った時以来なのである。
すなわち、4年ぶりに天気の良い宮崎を走ったことになる。
オリンピックイヤーにふさわしいのかどうかは分からないが、来年が雨確定のフラグにならないことを願わずにはいられない。
高鍋ICで降り、これまた裏道の県道をひた走ってから国道10号に再合流、そして混雑が始まった。
川南町から都農町、日向市と、東国原前知事が就任する前から渋滞がひどい区間なのであるが、毎度必ず止まるポイント、絶対に感応式信号が動き、十数秒で信号が変わる交差点、絶対に一度で通過できない美々津大橋・・・。
毎度恒例で、もはや懐かしささえ感じてしまったほどである。
これも通常より1時間早く出発しているから生じる余裕からきているのかもしれない。
道の駅日向の手前で急ブレーキ&スリップで追突寸前となるが、これをうまく切り抜けたのもこの1年半で5回も転倒しているが故の応用力が生きたのかもしれない。
この先も気をつけねばと念じつつ、気づけば日向ICに初めて差し掛かっていた。
出発から3時間ほど経った8時42分のことであった。
東九州道を延岡南ICで降り、国道10号に合流、延岡市街を信号停車はたまにあるものの快適に走り抜け、いよいよ北の区間に差し掛かる。
通常ならば国道326号へ進むのだが、事前シミュレーションで、東九州道佐伯~臼杵間を利用すると距離が短くなる試算が出ていたため、天候次第としていたのだが、前日の雨も止んでいたため、路面状況を見て、このまま10号宗太郎を突っ走ってみることに決したのである。
とは言え、路面が濡れていることに変わりはなく、スピードを抑え目にしながらの北上となったが、宗太郎付近を通過した頃に時計は9時43分を指していた。
真横の日豊線を787系にちりん4両編成が駆け抜けていく姿を目の当たりにし、今度は鉄道で景色を楽しむ余裕が欲しいと思ってしまう次第であった。
佐伯ICに入る道へ進むのは自分だけだったが、何とか標識通り進んで佐伯ICに入った。
東九州道佐伯~臼杵間は初めて走るが、北風が吹きつけるため横風に気をつけながら無難に進み、いつも通る国道502号から国道217号へと進んだ。
なお、4年前まで目印であった明屋書店、店舗移転だったようで、抜け道の近くに店舗があるらしい。
そこのY字交差点を進む時、対向車が曲がってくるのに気をつけつつ、後続が続くことから、客の入りに心配はなさそうである。
いつも給油するスタンドで給油し、ガソリン面で不安を取り除きつつ、時計を見たら10時43分。
うまくいったと喜んで佐賀関港へ。
125ccで全て一般道で進んだ時が6時間半。
このペースでは6時間切ることは確実になったからである。
相も変わらずのんびり走る軽トラの後ろを進んでいき、佐賀関港を11時に出発したフェリーを目にしてしばらくして佐賀関港に到着。
時計を見たら11時8分と、5時間28分で着いてしまったことになる。
高速道路に感謝である。
で、入口の誘導員からとんでもない真実を聞かされる。
「次は16時の便になりますが、乗られますか?」
よ、(午後)四時だとぉ~TT
計画では、13時の便に乗るはずであった。
で、それを上回る12時の便に間に合うはずであった。
しかし、現実は計画より3時間遅れの便になるのである。
臼杵港から別のフェリーも出ているが後の祭り、どっちに乗っても四国上陸は17時台となってしまった。
2005~2008の4年間は125ccでのツーリングながら、佐賀関港でせいぜい2時間待ちで乗船出来ていた。
しかし、近年は違うようである。
この文章を読まれた方は、九州~四国間のルート選定の際に、細心の注意を払って頂くことを留意していただきたい、そう強く思う。
ホテル予約時間22時、その間に計算できない新ルート・国道194号をどう走るのか、時間シミュレートしたり、四国の天候がこの先芳しくないという情報を踏まえてカッパを着込むかどうか考えたりして、出港の出番が来るまでひたすら4時間半も待つ羽目となった。

そうして待ち続けてようやく乗船、三崎港に着いたのが17時15分、いよいよ東へ向けて進むのだが、三崎港の先の交差点が常時点灯に変わっていて、信号が短く、出るのに時間がかかった。
思わぬブレーキとなったが、夕暮れの中、国道197号~メロディーロードを快適に進む。
国道378号へ入り、こちらも快走。
ただ、波がやや高かったせいか、所々の路面に水たまりが。
そして、行く先に何やら怪しい雲がかかっているのを目の当たりにした。
「こりゃ降るな・・・」
そして案の定、弱い雨だが降ってきた。
しかし、天気雨気味のため、晴れ間の向こうに虹がかかる。
夕暮れの中、幻想的な光景である。
しかも、それが三個所で。
ホテルの時間を気にして、写真に収めなかった自分が、今思えばふがいないものである。
国道56号に合流して、夕飯を摂るべく、「そば吉合掌苑」へ。
【そば吉】は、私が一番好きなそば屋で、よく頼む「かつ丼・ざるそばセット」を注文。
少し肌寒いのにざるそばを食すのは、ここのそばはこしがあっておいしく、それを味わうにはざるそばが最適だからなのである。
19時半くらいになると予想していたものの、注文が出るのも早く、iPad2で天候の情報収集が終わる頃には料理が出てきた。
最後に蕎麦湯を注いで味わいながら飲み干し、店を出たのは19時4分、後は国道194号とまともに走ったことがない高知市内がカギを握る。
なお、電話で到着がフェリー乗船遅れの影響で23時になるかもしれないと伝えておいた。
後顧の憂いを取り除き、伊予ICから松山道をひたすら東へ。
桜三里も既に闇の中、去年のGWを彷彿とさせる状況ながら、ライトは明るいため、快適に進んでいき、時間が遅くなったことから計画より短く、いよ小松ICで降り、国道11号を東へ。
この国道11号、日中は混み合うものの、夜間はさすがに快適である。
道路標識に注意しつつ、ついに国道194号に入る。
時計は19時42分、いよいよ四国山地越えである。
川沿いのやや幅の狭い道を走るのだが、実に心細さ満点である。
先行車が次々と本線から外れていき、残ったのは自分のみ。
愛媛県側は概ね改良がよくされており、まあまあ快適に走っていく。
そして、1日目最大の目玉が、寒風山トンネル。
長さ5.4kmほど、西日本一長い一般国道トンネルなのである。
ただ、山深い景色を堪能できず、漆黒の闇の中、その正体を現したにすぎなかったのだが・・・。
目玉なのに、お出ましが20時過ぎというのが何とも虚しい限りである。
トンネル内はただ一直線、やや上り勾配気味に駆け抜けるだけで、5kmもまっすぐなトンネルは恐らくここくらいなのでは、と感じたほどである。
まあ、私が走ったことがあるのは中四国の主要道路と九州の大半なので、関越トンネルとか走ってみたら感想も変わってくるに違いない。
ま、走る機会は生涯通して一度もないかもしれないが。
寒風山トンネルを抜け、待ち受けていたのは四国山地の険しいカーブ道の連続に濡れた路面であった。
霧もかかっているところがあり、速度を40km/h程度に抑えて走るのだが、所々にきついカーブの道があり、決して気が抜けない。
途中、有名な国道439号が合流して、ボルテージ最高潮になることもなく、ただひたすらにこの公文ならぬ苦悶ロードを何時に無事抜け出せるのか、という一点にのみ集中して、目の前をひたすら凝視し続けるのみであった。
長く続く高知県いの町に辟易しつつ、地図で確認していた急勾配・急カーブポイントを過ぎ、ようやく川沿いの道に出て、ゴールへの中間地点を過ぎたことを実感、さらに集中して進む。
バイクで走る上で怖いのが、雨、濡れた路面、夜、圏外、霧、急カーブであるが、雨以外は全て該当していた以上、尋常でない集中ぶりであった。
仁淀川沿いを走り、ようやく国道33号との合流を示す標識を見たときは、とてもうれしかった。
やっとまともな道を走れる安堵感が、そこにはあったのである。
しかし、青信号が無情にも赤に変わり、濡れた路面でバイクは急には止まれない。
すさまじく「キュキュキュイーン」と後輪がスリップしつつ、奇跡的に交差点のど真ん中でバイクは止まった。
交差する国道33号側の信号が青に変わったばかりなので、お恥ずかしい姿をさらしてしまったわけである。
とは言え、無事国道33号までたどり着いたので、すぐさまエンジンを再起動させ、東へ進んでいく。
高知市内及びその近郊は、土佐電鉄の路線が各所を走っている。
いの線もその一つで、道路の左手を走っており、その軌道敷に入らないよう気をつけながら先へ進む。
高知市街地へ入り、泊まるホテルは2010年に室戸岬へ車で行ったときに宿泊したところで、高知城や県庁からほど近いことだけは把握していた。
鹿児島市内や松山市内のような路面電車が駆け抜ける光景にほおを緩ませつつ、道路標識が示す【県庁○km】などに注意して、県道へと進む標識に従って左折する。
途中、当時来たことのある商店街のアーケードを見て、この道で間違いないことを確信、ホテルに無事着いたのは21時半。
何と、フェリーが3時間遅れでも間に合ってしまったのである。
ただ、翌日の天候が、滋賀県及び岐阜県で良くないことをiPad2からの情報で知り、ルート変更を模索、結果、2日目と3日目の行程を入れ替えることにし、中国道までは一緒で、近畿地方の観光を先に行うことにしたのである。
【1日目走行距離・577.9km、所要時間15時間50分(フェリー乗船待ち時間含む)】
・・・その2に続く。
走行距離は今日宮崎へ寄り道のため1,882.2kmと、去年をしのぐものになりました。
特にきつかったのが2日目(5/4)の高知⇒名古屋の771kmですが、これは【その2】で触れることにして、今回は1日目(5/3)の鹿児島から高知への旅程について記します。
去年が雨に初日の午前中及び最終日でたたられ、今年はラニーニャ現象終了で本来の五月晴れになることを願っていたら、見事に天気はまずまずの出だし、よりにもよって早朝5時起きで支度を始め、5時40分には自宅を出発した。
佐賀関港のフェリーを1本でも早く、12時台に乗れればと思ってのことである。
指宿スカイラインの山田ICから北へ向かい、九州道、東九州道と来て末吉財部ICで降りたのが出発からちょうど1時間後の6時40分。
この辺の国道10号は原付の頃から20回以上走っていてすっかり道を覚えているほどなのだが、23時に出て1時半にこの辺を通った頃の不健康さに比べれば、幾分健康的になったものだとつくづく思った次第であった。
進行方向に見える朝日がいつもにも増して輝かしく見えた。
ここから往時から利用している裏道を経由して都城市の北側へ迂回して国道10号に戻り、都城ICから宮崎道、東九州道へと入っていく。
宮崎西IC付近で7時40分になったのを車載のデジタル時計で確認、そのまま北に進む。
なお、1日目を宮崎経由で通るのは2008年の125cc・現通勤車シグナスXで松山経由で瀬戸内海に浮かぶ岡村島などの芸予諸島を島伝いに走った時以来なのである。
すなわち、4年ぶりに天気の良い宮崎を走ったことになる。
オリンピックイヤーにふさわしいのかどうかは分からないが、来年が雨確定のフラグにならないことを願わずにはいられない。
高鍋ICで降り、これまた裏道の県道をひた走ってから国道10号に再合流、そして混雑が始まった。
川南町から都農町、日向市と、東国原前知事が就任する前から渋滞がひどい区間なのであるが、毎度必ず止まるポイント、絶対に感応式信号が動き、十数秒で信号が変わる交差点、絶対に一度で通過できない美々津大橋・・・。
毎度恒例で、もはや懐かしささえ感じてしまったほどである。
これも通常より1時間早く出発しているから生じる余裕からきているのかもしれない。
道の駅日向の手前で急ブレーキ&スリップで追突寸前となるが、これをうまく切り抜けたのもこの1年半で5回も転倒しているが故の応用力が生きたのかもしれない。
この先も気をつけねばと念じつつ、気づけば日向ICに初めて差し掛かっていた。
出発から3時間ほど経った8時42分のことであった。
東九州道を延岡南ICで降り、国道10号に合流、延岡市街を信号停車はたまにあるものの快適に走り抜け、いよいよ北の区間に差し掛かる。
通常ならば国道326号へ進むのだが、事前シミュレーションで、東九州道佐伯~臼杵間を利用すると距離が短くなる試算が出ていたため、天候次第としていたのだが、前日の雨も止んでいたため、路面状況を見て、このまま10号宗太郎を突っ走ってみることに決したのである。
とは言え、路面が濡れていることに変わりはなく、スピードを抑え目にしながらの北上となったが、宗太郎付近を通過した頃に時計は9時43分を指していた。
真横の日豊線を787系にちりん4両編成が駆け抜けていく姿を目の当たりにし、今度は鉄道で景色を楽しむ余裕が欲しいと思ってしまう次第であった。
佐伯ICに入る道へ進むのは自分だけだったが、何とか標識通り進んで佐伯ICに入った。
東九州道佐伯~臼杵間は初めて走るが、北風が吹きつけるため横風に気をつけながら無難に進み、いつも通る国道502号から国道217号へと進んだ。
なお、4年前まで目印であった明屋書店、店舗移転だったようで、抜け道の近くに店舗があるらしい。
そこのY字交差点を進む時、対向車が曲がってくるのに気をつけつつ、後続が続くことから、客の入りに心配はなさそうである。
いつも給油するスタンドで給油し、ガソリン面で不安を取り除きつつ、時計を見たら10時43分。
うまくいったと喜んで佐賀関港へ。
125ccで全て一般道で進んだ時が6時間半。
このペースでは6時間切ることは確実になったからである。
相も変わらずのんびり走る軽トラの後ろを進んでいき、佐賀関港を11時に出発したフェリーを目にしてしばらくして佐賀関港に到着。
時計を見たら11時8分と、5時間28分で着いてしまったことになる。
高速道路に感謝である。
で、入口の誘導員からとんでもない真実を聞かされる。
「次は16時の便になりますが、乗られますか?」
よ、(午後)四時だとぉ~TT
計画では、13時の便に乗るはずであった。
で、それを上回る12時の便に間に合うはずであった。
しかし、現実は計画より3時間遅れの便になるのである。
臼杵港から別のフェリーも出ているが後の祭り、どっちに乗っても四国上陸は17時台となってしまった。
2005~2008の4年間は125ccでのツーリングながら、佐賀関港でせいぜい2時間待ちで乗船出来ていた。
しかし、近年は違うようである。
この文章を読まれた方は、九州~四国間のルート選定の際に、細心の注意を払って頂くことを留意していただきたい、そう強く思う。
ホテル予約時間22時、その間に計算できない新ルート・国道194号をどう走るのか、時間シミュレートしたり、四国の天候がこの先芳しくないという情報を踏まえてカッパを着込むかどうか考えたりして、出港の出番が来るまでひたすら4時間半も待つ羽目となった。

そうして待ち続けてようやく乗船、三崎港に着いたのが17時15分、いよいよ東へ向けて進むのだが、三崎港の先の交差点が常時点灯に変わっていて、信号が短く、出るのに時間がかかった。
思わぬブレーキとなったが、夕暮れの中、国道197号~メロディーロードを快適に進む。
国道378号へ入り、こちらも快走。
ただ、波がやや高かったせいか、所々の路面に水たまりが。
そして、行く先に何やら怪しい雲がかかっているのを目の当たりにした。
「こりゃ降るな・・・」
そして案の定、弱い雨だが降ってきた。
しかし、天気雨気味のため、晴れ間の向こうに虹がかかる。
夕暮れの中、幻想的な光景である。
しかも、それが三個所で。
ホテルの時間を気にして、写真に収めなかった自分が、今思えばふがいないものである。
国道56号に合流して、夕飯を摂るべく、「そば吉合掌苑」へ。
【そば吉】は、私が一番好きなそば屋で、よく頼む「かつ丼・ざるそばセット」を注文。
少し肌寒いのにざるそばを食すのは、ここのそばはこしがあっておいしく、それを味わうにはざるそばが最適だからなのである。
19時半くらいになると予想していたものの、注文が出るのも早く、iPad2で天候の情報収集が終わる頃には料理が出てきた。
最後に蕎麦湯を注いで味わいながら飲み干し、店を出たのは19時4分、後は国道194号とまともに走ったことがない高知市内がカギを握る。
なお、電話で到着がフェリー乗船遅れの影響で23時になるかもしれないと伝えておいた。
後顧の憂いを取り除き、伊予ICから松山道をひたすら東へ。
桜三里も既に闇の中、去年のGWを彷彿とさせる状況ながら、ライトは明るいため、快適に進んでいき、時間が遅くなったことから計画より短く、いよ小松ICで降り、国道11号を東へ。
この国道11号、日中は混み合うものの、夜間はさすがに快適である。
道路標識に注意しつつ、ついに国道194号に入る。
時計は19時42分、いよいよ四国山地越えである。
川沿いのやや幅の狭い道を走るのだが、実に心細さ満点である。
先行車が次々と本線から外れていき、残ったのは自分のみ。
愛媛県側は概ね改良がよくされており、まあまあ快適に走っていく。
そして、1日目最大の目玉が、寒風山トンネル。
長さ5.4kmほど、西日本一長い一般国道トンネルなのである。
ただ、山深い景色を堪能できず、漆黒の闇の中、その正体を現したにすぎなかったのだが・・・。
目玉なのに、お出ましが20時過ぎというのが何とも虚しい限りである。
トンネル内はただ一直線、やや上り勾配気味に駆け抜けるだけで、5kmもまっすぐなトンネルは恐らくここくらいなのでは、と感じたほどである。
まあ、私が走ったことがあるのは中四国の主要道路と九州の大半なので、関越トンネルとか走ってみたら感想も変わってくるに違いない。
ま、走る機会は生涯通して一度もないかもしれないが。
寒風山トンネルを抜け、待ち受けていたのは四国山地の険しいカーブ道の連続に濡れた路面であった。
霧もかかっているところがあり、速度を40km/h程度に抑えて走るのだが、所々にきついカーブの道があり、決して気が抜けない。
途中、有名な国道439号が合流して、ボルテージ最高潮になることもなく、ただひたすらにこの公文ならぬ苦悶ロードを何時に無事抜け出せるのか、という一点にのみ集中して、目の前をひたすら凝視し続けるのみであった。
長く続く高知県いの町に辟易しつつ、地図で確認していた急勾配・急カーブポイントを過ぎ、ようやく川沿いの道に出て、ゴールへの中間地点を過ぎたことを実感、さらに集中して進む。
バイクで走る上で怖いのが、雨、濡れた路面、夜、圏外、霧、急カーブであるが、雨以外は全て該当していた以上、尋常でない集中ぶりであった。
仁淀川沿いを走り、ようやく国道33号との合流を示す標識を見たときは、とてもうれしかった。
やっとまともな道を走れる安堵感が、そこにはあったのである。
しかし、青信号が無情にも赤に変わり、濡れた路面でバイクは急には止まれない。
すさまじく「キュキュキュイーン」と後輪がスリップしつつ、奇跡的に交差点のど真ん中でバイクは止まった。
交差する国道33号側の信号が青に変わったばかりなので、お恥ずかしい姿をさらしてしまったわけである。
とは言え、無事国道33号までたどり着いたので、すぐさまエンジンを再起動させ、東へ進んでいく。
高知市内及びその近郊は、土佐電鉄の路線が各所を走っている。
いの線もその一つで、道路の左手を走っており、その軌道敷に入らないよう気をつけながら先へ進む。
高知市街地へ入り、泊まるホテルは2010年に室戸岬へ車で行ったときに宿泊したところで、高知城や県庁からほど近いことだけは把握していた。
鹿児島市内や松山市内のような路面電車が駆け抜ける光景にほおを緩ませつつ、道路標識が示す【県庁○km】などに注意して、県道へと進む標識に従って左折する。
途中、当時来たことのある商店街のアーケードを見て、この道で間違いないことを確信、ホテルに無事着いたのは21時半。
何と、フェリーが3時間遅れでも間に合ってしまったのである。
ただ、翌日の天候が、滋賀県及び岐阜県で良くないことをiPad2からの情報で知り、ルート変更を模索、結果、2日目と3日目の行程を入れ替えることにし、中国道までは一緒で、近畿地方の観光を先に行うことにしたのである。
【1日目走行距離・577.9km、所要時間15時間50分(フェリー乗船待ち時間含む)】
・・・その2に続く。
2012年05月01日
GW前半戦を終えて
土曜日の夜は小中学校の同窓会、日曜日の日中は友人二人と天下一品でラーメン&ROUND1のスポッチャで日ごろの運動不足解消、月曜日は購入したばかりの【VRM5(鉄道模型シミュレーター5)】
の第0・1・5号でレイアウトを組んでみるといった、実に充実した過ごし方でしたが、同窓会では同級生でない第三者が刑法によって罰せられる刑事事件が発生、警察官が10人くらいやってきたほか、ROUND1のバッティングでは時速100km/hの球が二度右手親指の辺りに当たってねんざ気味、その上昨日は筋肉痛と、変なこともついてきてますが、有意義さの方が遥かに上回っています。
そんなこんなで後半戦4連休も概ね天候が良いとの予報で、既に去年のGWで一部チャックが壊れているバッグに衣類を詰め込み、岐阜市街やら名古屋市街など、未踏の地を安心して進むための地図を急ピッチで印刷してツーリングの準備に当たっていますが、気になる個所が何箇所かあり、どう行程に加えようか悩んでいるところです。
まず1つ目は、鉄道模型のTOMIXが名古屋の宿泊先からそう遠くないデパートで展示会を開催、というものです。
ここ12年鉄道模型を引っ張り出すことがないだけに、PCで楽しむ以上最近の動向を知るのも良いかな、と思うのですが、終了が19時らしく、無理な可能性が高いです。
関ヶ原は日中、岐阜城は夜もOK、名古屋城は何時でも外から見ればOK、展示会は日中、岐阜県入りは14~15時。
・・・極論を言えば関ヶ原に行った後、ホテル近くまで行って展示会へ赴き、その後鉄道で岐阜へ移動して岐阜城へ行って戻る、というのでもいいかもしれませんが、名鉄旧美濃町線の跡をバイクで走ることはできません。
たぶん、展示会は無理でしょう。
2つ目は、同級生から紹介のあった大阪で開かれているツタンカーメン展です。
先週の出張では時間の絡みで無理で、今度の場合はフェリーターミナルから結構近いこともあり、到着時間いかんでは行けます。
しかし、フェリーターミナルに着くのが16時過ぎになる可能性もあり、結構時間が厳しいものがあります。
宝暦治水碑、伊勢神宮参拝、伊勢奥津駅舎見学&貴志駅のたまスーパー駅長に会うのは早朝から行動しても問題ないため、ツタンカーメン展に行くには4時起きで無料朝食抜きで行動すれば可能です。
宿代4,000円ですから、ホテルの朝食抜きも問題ありません。
3つ目は、みやざきアートセンターで開催されているエヴァンゲリオン展です。
どうしてこう狙ったかの如く行く先々で興味のあるイベントがあるものかと、行程をどうするか悩むところですが、無事故で天候が良ければ行くようにしようと思います。
どうせ帰宅した後は転居前比半減となる月間食費2.5万円未満計画が発動されます。
財政再建はそれを遂行していくことで達成されていくでしょうし、今日発表となった定期昇給なしの衝撃も吸収してくれることでしょう。
実に残念無念ですが・・・会社では私のかねてからの計画を実現してくれるための手助けをしてくれるかもしれません。
それが成って成功すれば、所得向上も図られることになるでしょう。
この夏はいろいろと正念場になりそうな気がしています。
そんなこんなで後半戦4連休も概ね天候が良いとの予報で、既に去年のGWで一部チャックが壊れているバッグに衣類を詰め込み、岐阜市街やら名古屋市街など、未踏の地を安心して進むための地図を急ピッチで印刷してツーリングの準備に当たっていますが、気になる個所が何箇所かあり、どう行程に加えようか悩んでいるところです。
まず1つ目は、鉄道模型のTOMIXが名古屋の宿泊先からそう遠くないデパートで展示会を開催、というものです。
ここ12年鉄道模型を引っ張り出すことがないだけに、PCで楽しむ以上最近の動向を知るのも良いかな、と思うのですが、終了が19時らしく、無理な可能性が高いです。
関ヶ原は日中、岐阜城は夜もOK、名古屋城は何時でも外から見ればOK、展示会は日中、岐阜県入りは14~15時。
・・・極論を言えば関ヶ原に行った後、ホテル近くまで行って展示会へ赴き、その後鉄道で岐阜へ移動して岐阜城へ行って戻る、というのでもいいかもしれませんが、名鉄旧美濃町線の跡をバイクで走ることはできません。
たぶん、展示会は無理でしょう。
2つ目は、同級生から紹介のあった大阪で開かれているツタンカーメン展です。
先週の出張では時間の絡みで無理で、今度の場合はフェリーターミナルから結構近いこともあり、到着時間いかんでは行けます。
しかし、フェリーターミナルに着くのが16時過ぎになる可能性もあり、結構時間が厳しいものがあります。
宝暦治水碑、伊勢神宮参拝、伊勢奥津駅舎見学&貴志駅のたまスーパー駅長に会うのは早朝から行動しても問題ないため、ツタンカーメン展に行くには4時起きで無料朝食抜きで行動すれば可能です。
宿代4,000円ですから、ホテルの朝食抜きも問題ありません。
3つ目は、みやざきアートセンターで開催されているエヴァンゲリオン展です。
どうしてこう狙ったかの如く行く先々で興味のあるイベントがあるものかと、行程をどうするか悩むところですが、無事故で天候が良ければ行くようにしようと思います。
どうせ帰宅した後は転居前比半減となる月間食費2.5万円未満計画が発動されます。
財政再建はそれを遂行していくことで達成されていくでしょうし、今日発表となった定期昇給なしの衝撃も吸収してくれることでしょう。
実に残念無念ですが・・・会社では私のかねてからの計画を実現してくれるための手助けをしてくれるかもしれません。
それが成って成功すれば、所得向上も図られることになるでしょう。
この夏はいろいろと正念場になりそうな気がしています。