2012年05月07日
2012GWツーリングその3~名古屋⇒大阪
さすがに長文になり、日を跨ぎましたが、今回も前記事に引き続き、GWを利用して行っていたツーリングの3日目【5/5】の模様を記していきたいと思います。
771km走破ですっかり疲れ切っていたものの、まだまだ行かねばならないところが多すぎる、というわけで、6時過ぎに起床。
睡眠時間は5時間半くらいしかなかったものの、今夜のフェリーでたっぷり寝れる、そう踏まえて早々と行動を開始した。
ホテルでパンの朝食を摂った後、思い出深い界隈を離れ、一路北を目指す。
当初予定では計画になかったものの、ルート変更で時間が出来たため、犬山市にある犬山橋を見に行くためである。
名古屋テレビ塔を横目に国道41号に合流、名古屋都市高速1号楠線に合流しようにも、右折入口のため、入れず、やむなく2004年11月に「通勤」していた研修ルートを通ることに。
信号によく引っかかりつつ北上、黒川交差点を過ぎれば当時歩いていたルートになる。
コインランドリーを求めて、この界隈へ地下鉄に乗ってやってきたのも過去の話ではあるが、そういった思い出を思い出しながらバイクで走り去っていくのも、また一興である。
研修先やすき屋、きしめん屋がいまだ健在なのを確認しつつ、思い出の地を後にした。
豊山南ICでようやく都市高速に入り、終点の小牧北ICで再び国道41号に、そして、北を目指す。
五郎丸交番前交差点で左折、適当に道なりに進むと、成田山名古屋別院への案内標識が立っており、せっかくだからと立ち寄った。

本家成田山に参拝したのは2009年の9月21日、「シルバーウィーク」と言われる4連休が出来た時のことであった。
まああの時は関東甲信一周鉄道旅行をしたものだったが、それはさておき、名古屋別院を離れ、その先の名鉄犬山線の踏切で電車がやってきたので、写真を撮った。

この直後、エンストを起こし後続車にご迷惑をかけたが、何とか側道へバイクを移動して事なきを得た。
県道27号に入り、かつて道路併用橋であった犬山橋のたもとに着く。

PSソフト・電車でGO!名古屋鉄道編を持っているからには、ぜひとも訪れたいスポットだけに、この後ミュースカイが走ってきたときにはテンションが上がったものであった。
まあ、道路併用橋の時にバイクで走りたかったが、致し方あるまい。
犬山橋を渡って国道21号に合流、その後県道205号に入り、さらに県道93号を経て国道156号にたどり着く。
このあたりはかつて名鉄美濃町線と言う路面電車が走っていた区間で、これもゲームで登場したものの、その後廃線となったため、その跡を訪ねてみようというわけなのである。
岐阜市中心部に向かって走り、岩田駅跡から市ノ坪駅跡付近まで行ってみた。
野一色駅跡付近までの専用軌道区間は比較的まだ痕跡が残っていたものの、共用軌道区間は既に線路が撤去され、道路と化していた。
鹿児島市の旧伊敷線に上町線もこんなものだったのだろうか。
時代の流れとは、実に酷な時もあるものなのである。
その後、田神駅へ行ってみた。
鹿児島人なら「たがみ」と変換して先にこっちが出ることにムカっときた経験がある人が少なくないと思うが、ここ岐阜の地名なのである。

かつて、ここに旧田神線(美濃町線と岐阜方面への連絡で接続)の田神駅があったのだが、現在は撤去され、かろうじて左奥に見える線路が往時の名残を残している。
美濃町線及び田神線は今も、人々の記憶とゲームの中に、生き続けている。
岐阜城へ向かうべく、国道256号に入り、岐阜公園の駐輪スペースにバイクを駐める。

まだ8時47分、ロープウェー営業開始が9時からなので、十分大丈夫なはずであったが・・・。
既に行列が出来ていた・・・。
とは言え、GW中は特別運転で5分間隔で乗り込めるため、9時20分くらいには金華山の上にいた。
この時の模様はビデオカメラで撮影しているため、興味のある方は再生ボタンを押して頂くとして、ご覧のような険しい山道を進んで岐阜城にたどり着いた。
いろいろな資料が置いてあり、最上階から眺める景色もまた素晴らしかった。

斎藤道三や織田信長も眺めたであろう景色にしばし圧倒されつつ、再びロープウェーに乗って麓に戻り、岐阜を後にした。
このあと国道21号に戻り、関ヶ原を目指すのだが、裏道に関する情報を持たない私にとって、垂井町から先の渋滞には辟易した。
そして、関ヶ原町内の道も良く分からないため、何度かiPad2で道を調べ、ようやくあるスポットにやってきた。
敵中突破で名を馳せる島津義弘公の陣跡である。
これまたとんでもなく普通の住宅地と畑と小高い丘の一帯の中の小道にあり、車で来るには少し敷居が高いが、バイクなら楽々である。
それでも11時半の到着であったが。

神明神社でお参りをし、先人たちに手を合わせ、関ヶ原を後にした。
国道365号から名神高速関ヶ原ICに入る。
人生初の名神高速である。
日本で最初の高速道路である名神は、開業当初、沿線で車を停めて弁当を食べた人もいたというほどの行楽スポットだったと何かで見たこともあるが、モータリゼーションが進み過ぎた今の日本では信じがたい話である。
伊吹山を越えて滋賀県に入り、「ひこにゃん」で有名な彦根市も通過、淡々と西へ向かい、大津SAに着いたのが12時40分のことであった。
フェリー乗船は18時前ながら、16時過ぎには手続きをしなくてはいけないため、大阪入りを14時と予定し、近江牛弁当特盛を平らげ、土産を購入してさらに名神を西へと進む。
京都府を抜け、再び大阪に戻ってきたのは良いが、阪神高速の最適な乗り換え手順を把握していないのは致命傷だった。
吹田ICで降りたものの、阪神高速へ接続していない。
正しくは名神を進んで豊中ICで乗り換えるのが正解だったのだが、これが想定外のことをもたらしてしまう。
先月23日に、研修のため、空路大阪入りしていたのだが、適当に走って、【新御堂筋】へ進んで国道423号に入ると、そのことに気付いた。
そう、新大阪駅と伊丹空港を結ぶ空港バスの路線上に迷い込んでしまったのである。
まあ、何度も通っているので落ち着いて横を走る北大阪急行線の電車を見ながら混みあう道を見事に走り抜け、無計画にも新大阪駅近くの路上で停車してツタンカーメン展が開かれている天保山へのルートを確認する。
が、分かりやすいルートがない。
仕方なく、日の射している方向が天保山であることを根拠として、その方向へと進む。
土地勘が新大阪駅くらいまでしかなかったことは大きなハンデとなった。
しばらく行くと、阪神高速への入口を発見した。
4日に通った池田線の途中にある塚本ICであった。
つまり、ここからなら湾岸線に行ける。
前日通った道をまた走るのは変な感じがしつつも、難なく湾岸線に入り、天保山ICで降りた。
誘導員に駐輪場へのルートを案内され、曲がる交差点の信号が赤で待っている間、とんでもないアナウンスが聞こえてきた。
ツタンカーメン展の入場整理券、現在17時20分入場のものをご案内しております
この瞬間、終わった、と思った。
まだ14時過ぎなのに。
佐賀関港は遅れてもゆとりがあったが、さんふらわあはそうもいかない。
やむなく引き返し、給油の後、大阪南港かもめターミナルを目指す。
しかし、ここで異変が起きる。
心労からか、腹痛になったのである。
しかし既に阪神高速への右折車線上、スタンドで行っとけばよかったと後悔しつつ、必死の形相で南港中ICへ駆け抜ける。
ICを降り、信号停車。
ようやく青になり、かもめターミナルまで一直線に入るところで、うかつにもブレーキが間に合わず、突入を図ってしまった。
非常事態なのでやむなしとして、後の信号ではしっかり停車しつつ、どうにかこうにかターミナルにたどり着いた。
即座にトイレに駆け込み、セーフ。
伊勢神宮に再度参拝できなかったのも、多くの客が押し寄せているのも、全てはツタンカーメンの呪いだったのかもしれない(んなわけないか・・・)。
後はターミナルで時間をつぶしたり、友人と電話で話したりして過ごし、17時過ぎに乗船、17時半には風呂に入り、17時55分の出航の頃にはレストランで夕食を摂るハイスピード展開であった。

今回泊まった【ファーストシングル】、部屋はこんな感じである。

ビジネスホテルのシングルルーム並みで、船上ホテルと言っても過言ではない。
BSプレミアムの【篤姫】を見たり、Eテレの【ふしぎの海のナディア】を見たり、スカパーの無料開放チャンネルで【ルパン三世】を見たり、4時間ほどテレビ三昧で、23時に就寝した。
走行距離は270.0km、所要時間は7時間46分であった。
771km走破ですっかり疲れ切っていたものの、まだまだ行かねばならないところが多すぎる、というわけで、6時過ぎに起床。
睡眠時間は5時間半くらいしかなかったものの、今夜のフェリーでたっぷり寝れる、そう踏まえて早々と行動を開始した。
ホテルでパンの朝食を摂った後、思い出深い界隈を離れ、一路北を目指す。
当初予定では計画になかったものの、ルート変更で時間が出来たため、犬山市にある犬山橋を見に行くためである。
名古屋テレビ塔を横目に国道41号に合流、名古屋都市高速1号楠線に合流しようにも、右折入口のため、入れず、やむなく2004年11月に「通勤」していた研修ルートを通ることに。
信号によく引っかかりつつ北上、黒川交差点を過ぎれば当時歩いていたルートになる。
コインランドリーを求めて、この界隈へ地下鉄に乗ってやってきたのも過去の話ではあるが、そういった思い出を思い出しながらバイクで走り去っていくのも、また一興である。
研修先やすき屋、きしめん屋がいまだ健在なのを確認しつつ、思い出の地を後にした。
豊山南ICでようやく都市高速に入り、終点の小牧北ICで再び国道41号に、そして、北を目指す。
五郎丸交番前交差点で左折、適当に道なりに進むと、成田山名古屋別院への案内標識が立っており、せっかくだからと立ち寄った。

本家成田山に参拝したのは2009年の9月21日、「シルバーウィーク」と言われる4連休が出来た時のことであった。
まああの時は関東甲信一周鉄道旅行をしたものだったが、それはさておき、名古屋別院を離れ、その先の名鉄犬山線の踏切で電車がやってきたので、写真を撮った。

この直後、エンストを起こし後続車にご迷惑をかけたが、何とか側道へバイクを移動して事なきを得た。
県道27号に入り、かつて道路併用橋であった犬山橋のたもとに着く。

PSソフト・電車でGO!名古屋鉄道編を持っているからには、ぜひとも訪れたいスポットだけに、この後ミュースカイが走ってきたときにはテンションが上がったものであった。
まあ、道路併用橋の時にバイクで走りたかったが、致し方あるまい。
犬山橋を渡って国道21号に合流、その後県道205号に入り、さらに県道93号を経て国道156号にたどり着く。
このあたりはかつて名鉄美濃町線と言う路面電車が走っていた区間で、これもゲームで登場したものの、その後廃線となったため、その跡を訪ねてみようというわけなのである。
岐阜市中心部に向かって走り、岩田駅跡から市ノ坪駅跡付近まで行ってみた。
野一色駅跡付近までの専用軌道区間は比較的まだ痕跡が残っていたものの、共用軌道区間は既に線路が撤去され、道路と化していた。
鹿児島市の旧伊敷線に上町線もこんなものだったのだろうか。
時代の流れとは、実に酷な時もあるものなのである。
その後、田神駅へ行ってみた。
鹿児島人なら「たがみ」と変換して先にこっちが出ることにムカっときた経験がある人が少なくないと思うが、ここ岐阜の地名なのである。

かつて、ここに旧田神線(美濃町線と岐阜方面への連絡で接続)の田神駅があったのだが、現在は撤去され、かろうじて左奥に見える線路が往時の名残を残している。
美濃町線及び田神線は今も、人々の記憶とゲームの中に、生き続けている。
岐阜城へ向かうべく、国道256号に入り、岐阜公園の駐輪スペースにバイクを駐める。

まだ8時47分、ロープウェー営業開始が9時からなので、十分大丈夫なはずであったが・・・。
既に行列が出来ていた・・・。
とは言え、GW中は特別運転で5分間隔で乗り込めるため、9時20分くらいには金華山の上にいた。
この時の模様はビデオカメラで撮影しているため、興味のある方は再生ボタンを押して頂くとして、ご覧のような険しい山道を進んで岐阜城にたどり着いた。
いろいろな資料が置いてあり、最上階から眺める景色もまた素晴らしかった。

斎藤道三や織田信長も眺めたであろう景色にしばし圧倒されつつ、再びロープウェーに乗って麓に戻り、岐阜を後にした。
このあと国道21号に戻り、関ヶ原を目指すのだが、裏道に関する情報を持たない私にとって、垂井町から先の渋滞には辟易した。
そして、関ヶ原町内の道も良く分からないため、何度かiPad2で道を調べ、ようやくあるスポットにやってきた。
敵中突破で名を馳せる島津義弘公の陣跡である。
これまたとんでもなく普通の住宅地と畑と小高い丘の一帯の中の小道にあり、車で来るには少し敷居が高いが、バイクなら楽々である。
それでも11時半の到着であったが。

神明神社でお参りをし、先人たちに手を合わせ、関ヶ原を後にした。
国道365号から名神高速関ヶ原ICに入る。
人生初の名神高速である。
日本で最初の高速道路である名神は、開業当初、沿線で車を停めて弁当を食べた人もいたというほどの行楽スポットだったと何かで見たこともあるが、モータリゼーションが進み過ぎた今の日本では信じがたい話である。
伊吹山を越えて滋賀県に入り、「ひこにゃん」で有名な彦根市も通過、淡々と西へ向かい、大津SAに着いたのが12時40分のことであった。
フェリー乗船は18時前ながら、16時過ぎには手続きをしなくてはいけないため、大阪入りを14時と予定し、近江牛弁当特盛を平らげ、土産を購入してさらに名神を西へと進む。
京都府を抜け、再び大阪に戻ってきたのは良いが、阪神高速の最適な乗り換え手順を把握していないのは致命傷だった。
吹田ICで降りたものの、阪神高速へ接続していない。
正しくは名神を進んで豊中ICで乗り換えるのが正解だったのだが、これが想定外のことをもたらしてしまう。
先月23日に、研修のため、空路大阪入りしていたのだが、適当に走って、【新御堂筋】へ進んで国道423号に入ると、そのことに気付いた。
そう、新大阪駅と伊丹空港を結ぶ空港バスの路線上に迷い込んでしまったのである。
まあ、何度も通っているので落ち着いて横を走る北大阪急行線の電車を見ながら混みあう道を見事に走り抜け、無計画にも新大阪駅近くの路上で停車してツタンカーメン展が開かれている天保山へのルートを確認する。
が、分かりやすいルートがない。
仕方なく、日の射している方向が天保山であることを根拠として、その方向へと進む。
土地勘が新大阪駅くらいまでしかなかったことは大きなハンデとなった。
しばらく行くと、阪神高速への入口を発見した。
4日に通った池田線の途中にある塚本ICであった。
つまり、ここからなら湾岸線に行ける。
前日通った道をまた走るのは変な感じがしつつも、難なく湾岸線に入り、天保山ICで降りた。
誘導員に駐輪場へのルートを案内され、曲がる交差点の信号が赤で待っている間、とんでもないアナウンスが聞こえてきた。
ツタンカーメン展の入場整理券、現在17時20分入場のものをご案内しております
この瞬間、終わった、と思った。
まだ14時過ぎなのに。
佐賀関港は遅れてもゆとりがあったが、さんふらわあはそうもいかない。
やむなく引き返し、給油の後、大阪南港かもめターミナルを目指す。
しかし、ここで異変が起きる。
心労からか、腹痛になったのである。
しかし既に阪神高速への右折車線上、スタンドで行っとけばよかったと後悔しつつ、必死の形相で南港中ICへ駆け抜ける。
ICを降り、信号停車。
ようやく青になり、かもめターミナルまで一直線に入るところで、うかつにもブレーキが間に合わず、突入を図ってしまった。
非常事態なのでやむなしとして、後の信号ではしっかり停車しつつ、どうにかこうにかターミナルにたどり着いた。
即座にトイレに駆け込み、セーフ。
伊勢神宮に再度参拝できなかったのも、多くの客が押し寄せているのも、全てはツタンカーメンの呪いだったのかもしれない(んなわけないか・・・)。
後はターミナルで時間をつぶしたり、友人と電話で話したりして過ごし、17時過ぎに乗船、17時半には風呂に入り、17時55分の出航の頃にはレストランで夕食を摂るハイスピード展開であった。

今回泊まった【ファーストシングル】、部屋はこんな感じである。

ビジネスホテルのシングルルーム並みで、船上ホテルと言っても過言ではない。
BSプレミアムの【篤姫】を見たり、Eテレの【ふしぎの海のナディア】を見たり、スカパーの無料開放チャンネルで【ルパン三世】を見たり、4時間ほどテレビ三昧で、23時に就寝した。
走行距離は270.0km、所要時間は7時間46分であった。