2015年05月27日
ちょっと腑に落ちないがついに北海道行き決定
2009年以来6年ぶりとなるシルバーウィーク5連休(★世間的に。勤務先は無関係)を前に、2月に早くも東京との往復航空券を入手しており、もともとはアルペンルートと今年開通した北陸新幹線区間のうち、富山~長野間に乗るなどする計画を立てておりました。
が、要を為す宇都宮在住の親友と3月以降連絡が取れなくなり、いかなるルートにするか組み直す必要が出てきました。
去年秋は北東北三県を巡っており、残る未踏の道県は北海道と沖縄、となれば、このいずれかに行きやすい方へ行こう、というわけで、航空マニアの親友の助言を受け、北海道へさらに足を延ばすことにしました。
滞在3日半のうち、2泊して1日半を北海道で過ごすことにして、既に往復の航空券を購入し、2泊分のホテルの予約も取りました。
残る1日は、鉄道ファンらしく、関東近郊の未踏線区を回ることにしています。2009年は水戸から北関東を横断して碓氷峠の旧道をバスで上っていき、残暑が残る関東と全く異なる軽井沢の涼しく爽快な空気に魅了され、長野県の高原地帯の車窓に酔いしれ、甲府経由で東京に戻る、という行程でしたが、今回はそこから外れたところへ行きます。
全く土地勘が無い所へ行くのは、少々勇気がいるもので、地図ソフトとホテル予約サイトに出てくる見知らぬ地名を見ながら、何とか行程の土台はできました。
後は、毎度恒例の行程表の作成です。
毎晩進めてはいても、なかなか乗継やら何やらで、試行錯誤が続いています。
銚子電鉄に一度乗ってみたいのですが、他の目的地と時間との兼ね合いで、かなり難しい状況です。
関東が片付いても、次に待ちうけるは広大な北海道の行程であり、さらに難易度が高まります。
無難に道央を回ろうと考えていますが、やはり1週間は欲しいと思うところです。
何はともあれ、札幌などの行きやすいところの観光地を基本に、3日間を楽しむための試行錯誤がしばらく続きそうです。
が、要を為す宇都宮在住の親友と3月以降連絡が取れなくなり、いかなるルートにするか組み直す必要が出てきました。
去年秋は北東北三県を巡っており、残る未踏の道県は北海道と沖縄、となれば、このいずれかに行きやすい方へ行こう、というわけで、航空マニアの親友の助言を受け、北海道へさらに足を延ばすことにしました。
滞在3日半のうち、2泊して1日半を北海道で過ごすことにして、既に往復の航空券を購入し、2泊分のホテルの予約も取りました。
残る1日は、鉄道ファンらしく、関東近郊の未踏線区を回ることにしています。2009年は水戸から北関東を横断して碓氷峠の旧道をバスで上っていき、残暑が残る関東と全く異なる軽井沢の涼しく爽快な空気に魅了され、長野県の高原地帯の車窓に酔いしれ、甲府経由で東京に戻る、という行程でしたが、今回はそこから外れたところへ行きます。
全く土地勘が無い所へ行くのは、少々勇気がいるもので、地図ソフトとホテル予約サイトに出てくる見知らぬ地名を見ながら、何とか行程の土台はできました。
後は、毎度恒例の行程表の作成です。
毎晩進めてはいても、なかなか乗継やら何やらで、試行錯誤が続いています。
銚子電鉄に一度乗ってみたいのですが、他の目的地と時間との兼ね合いで、かなり難しい状況です。
関東が片付いても、次に待ちうけるは広大な北海道の行程であり、さらに難易度が高まります。
無難に道央を回ろうと考えていますが、やはり1週間は欲しいと思うところです。
何はともあれ、札幌などの行きやすいところの観光地を基本に、3日間を楽しむための試行錯誤がしばらく続きそうです。
2015年05月06日
ついにiPhone6に乗り換える(さらばPHS!)
GWツーリングの3日目は、広島から伊佐の友人宅へ向かい、スパゲティを食べた後、大雨にたたられながら自宅へ帰宅、という内容のため、特に記録は書きませんでしたが、来年も近場になりそうで、遠方への遠征は数年なさそうです。
さて、ようやく16年近く続いたPHSとついに決別する日が来ました。
若い頃は、携帯の電話話し放題や、電話番号をそのまま持ち運べる日が来るのを見通していたものでしたが、今、やっとそれを実行する側になりました。
技術もサービスも共に進化したものだと、感じるところがあります。
もともとはDDIポケット時代に加入し、途中ウィルコムに代わり、さらに民事再生法に至った時点でソフトバンクが出資し、最終的に傘下となったイーモバイルと統合してワイモバイルとなり、先月からはブランド名としては存続するも、ソフトバンクモバイルに統合されています。
当初は主力回線として大いに活躍し、電話以外にもパソコンとつなぐモデムとして、テレホーダイやADSL導入前のインターネット接続には欠かせない存在でした。また、携帯よりも通話料が安いという特性があることから、友人用に複数台所有し、長電話専用としても活躍しました。
2001年春にJ-Phone(現・ソフトバンク)を2台目に持ち、こちらが主役になったため、複数台を解約した上で、番号保持のための回線と半ば化していましたが、主要話し相手2名(元カノ&親友)が相次いでいなくなったことと、Yahoo!ケータイの通信料がかかるという騒動を機に、2009年秋にソフトバンクを解約、主回線に復帰しました。
2012年に、ルーター機能付端末と対応料金プランへ変更して、長年利用してきた料金プランであるスーパーパックSと別れ、2011年購入のiPad2と併用して、旅先や会社の訪問先におけるインターネット接続に大活躍でした。出先でもパソコンにつないでインターネットができるのは大変ありがたく、大隅への引っ越しの際も暫定的なインターネット接続に利用しました。
しかし、前述のように、非ソフトバンクの立場(他にも、「よりを戻さないか?」DMが届いたり、ワイモバイル等へ社名変更しても郵送で内容説明を一切しなかったり、ADSL解約時の裏メニュー[利用料金が1,000円以上安い12MBのプラン]の存在を隠して速度が遅くても高い料金を請求し続けたりと、企業姿勢を問うことが多かった)の身としては、ワイモバイルがソフトバンクと同一となった以上、3年縛りプランの終了とともにスマホへの転出に動くことしか選択肢としてはありませんでした。
というわけで、PHS加入当初は選択肢除外としていたドコモへMNPで移ることにし、仕事が終わってすぐに携帯ショップへ赴きました。
いろんな説明やら書類やら面倒なものが多く、店を出るまで1時間半以上もかかりましたが、無事に契約を済ませました。
買って早々画面が割れた、という話も聞いてますので、カバーと液晶保護シートを別に購入し、持ち歩きをどうするか思案中です。
本格的に使いこなすまで時間がかかりそうですが、会社で準備中のスマホアプリの検証が実機で出来るようになるのはプラスであり、2年後を見据えて新たなデジタルライフが始まります。
さて、ようやく16年近く続いたPHSとついに決別する日が来ました。
若い頃は、携帯の電話話し放題や、電話番号をそのまま持ち運べる日が来るのを見通していたものでしたが、今、やっとそれを実行する側になりました。
技術もサービスも共に進化したものだと、感じるところがあります。
もともとはDDIポケット時代に加入し、途中ウィルコムに代わり、さらに民事再生法に至った時点でソフトバンクが出資し、最終的に傘下となったイーモバイルと統合してワイモバイルとなり、先月からはブランド名としては存続するも、ソフトバンクモバイルに統合されています。
当初は主力回線として大いに活躍し、電話以外にもパソコンとつなぐモデムとして、テレホーダイやADSL導入前のインターネット接続には欠かせない存在でした。また、携帯よりも通話料が安いという特性があることから、友人用に複数台所有し、長電話専用としても活躍しました。
2001年春にJ-Phone(現・ソフトバンク)を2台目に持ち、こちらが主役になったため、複数台を解約した上で、番号保持のための回線と半ば化していましたが、主要話し相手2名(元カノ&親友)が相次いでいなくなったことと、Yahoo!ケータイの通信料がかかるという騒動を機に、2009年秋にソフトバンクを解約、主回線に復帰しました。
2012年に、ルーター機能付端末と対応料金プランへ変更して、長年利用してきた料金プランであるスーパーパックSと別れ、2011年購入のiPad2と併用して、旅先や会社の訪問先におけるインターネット接続に大活躍でした。出先でもパソコンにつないでインターネットができるのは大変ありがたく、大隅への引っ越しの際も暫定的なインターネット接続に利用しました。
しかし、前述のように、非ソフトバンクの立場(他にも、「よりを戻さないか?」DMが届いたり、ワイモバイル等へ社名変更しても郵送で内容説明を一切しなかったり、ADSL解約時の裏メニュー[利用料金が1,000円以上安い12MBのプラン]の存在を隠して速度が遅くても高い料金を請求し続けたりと、企業姿勢を問うことが多かった)の身としては、ワイモバイルがソフトバンクと同一となった以上、3年縛りプランの終了とともにスマホへの転出に動くことしか選択肢としてはありませんでした。
というわけで、PHS加入当初は選択肢除外としていたドコモへMNPで移ることにし、仕事が終わってすぐに携帯ショップへ赴きました。
いろんな説明やら書類やら面倒なものが多く、店を出るまで1時間半以上もかかりましたが、無事に契約を済ませました。
買って早々画面が割れた、という話も聞いてますので、カバーと液晶保護シートを別に購入し、持ち歩きをどうするか思案中です。
本格的に使いこなすまで時間がかかりそうですが、会社で準備中のスマホアプリの検証が実機で出来るようになるのはプラスであり、2年後を見据えて新たなデジタルライフが始まります。
2015年05月04日
2015GWツーリング2日目・松山~まんのう~広島
今日5/4は、iPhoneへMNPで転出すべく、ドコモショップやらauショップやら仕事終わりに駆け廻っておりましたが、30分近く待たされたドコモショップA店は、こちらが週末に契約したいが来店予約はできないかと尋ねても、その場での来店予約を渋られ、致し方なく別のB店へ伺ったところ、2~3分待っただけで済んだ上、快く受けて頂けました。というわけでB店で週末にスマホデビューとなる見通しで、「客のニーズを考えているか」、といった視座が接客業では大事だと痛感させられました。
というわけで、今日の出来事はここまで、引き続き、GWツーリングの2日目について書いていきます。
【2日目(5/2・土)】松山~まんのう(香川県)~広島
天気は快晴で、すがすがしく6時に起床、支度を終えて6時半過ぎに朝食バイキング会場へ。
しかし、バイキングながら朝食をごはんとみそ汁だけ摂る。
理由は簡単、朝食は讃岐うどんにしなければならないためである。
到着まで空腹にならない程度に頂いた後、バイクに荷造りして、カッパも着込んで寒さ対策も万全にして、一路国道11号を東に進む。
2006年の2日目と一部ルートが被るが、往時と異なり、松山道川内ICから松山道を進むルートである。
しかし、前日給油できていないだけに、高速に入る前に給油しなければならなかった。
出発したのが6:45だったので、まだスタンドも営業している店は少ない。
しかも、交通量の割にスタンドの数も少なく、そうこうしているうちに川内ICを通過。
少し先にようやくスタンドを見つけて、給油する。
店員氏の話では、昔と比べてスタンドが減ってきているとのこと。
早い時間から営業していて助かった旨お礼を述べて、右折車線からUターンして、無事に川内ICに入る。
松山道のこの区間はもう4度走っているため慣れたもので、楽々と進み、高松道大野原ICで下りる。
前回もこのルートで讃岐うどんを食べに行っているが、近道するところを間違えていたため、今回は無難に国道377号へ合流する。
長瀬交差点で右折して、道なりに行けば国道32号に合流し、目指すうどん屋も近づくのだが、今回は近道するポイントを間違え、さらにそれがさらなる誤りの連鎖になってしまうという、最悪の展開を歩んでしまった。
香川県道218号自体は近道の一部を構成しているのだが、曲がったポイントからであれば右折が正解にも関わらず直進してしまい、さらに誤りに気付いて見知らぬ集落道へ右折して、世間話に花を咲かせているおばあさん2人の前を道に迷ったバイクが走り抜けていき、集落の外れから山道になり、T字路を登る方へ進むと、牧羊犬らしき犬に吠えられ、登りきった先にあったのが、急な下り坂と花畑であった。
そこを躊躇なく進んでいる度胸に驚きつつも、ようやく別の集落の幹線道と思しき道に合流、そこを左折したら、さらにどつぼに突入。
田舎の集落を彷彿とさせる険しい山道を抜け、ようやく交通量の多い国道へ出て、そこでiPad2で位置を確認。
なんと、長瀬交差点の琴平側6km地点に出たことが判明し、愕然となった。
T字路や集落道のいずれかで右折していれば、十分リカバリできたのだが、ものの見事に大失敗。
目指すうどん屋は山の向こうの向こうとあって、結局県道218号の出口へ向かい、何とか9時過ぎに山内うどん店へ着くことができた。
しかも、幸いなことに行列は出来ておらず、すんなりと店内に入ってすぐにおいしいうどんにありつけた。
ひやあつの大に、ちくわ天とかぼちゃ天を乗せて食すが、やっぱり本場のうどんは美味しい。
山道で迷ったこともすっかり吹き飛んだところで、元職退社時と同様に、善通寺ICから再び高松道に入り、瀬戸大橋を渡る。
天気が良く、瀬戸内の島々も良く見える。
風が強くないのも幸いして、快適に本州へと歩を進めた。
なお、ETC割引は基本3割引だが、この本四区間だけは半額が維持されている。
倉敷JCTで山陽道に入り、西に向かう。
しかし、早くも危ない知らせが目に入る。
「笠岡~福山西 事故渋滞15km」
いきなりやってしまってるな、と身構えつつ、神経を使う運転をしてどうにか渋滞個所を抜ける。
でもって、また次の渋滞個所のお知らせが目に入る。
広島IC付近が混むのは想定の範囲内、ということで、昔と異なり、東広島呉自動車道なる高規格道路が開通したことを事前に調べており、これを使って渋滞個所を回避しようと試みてみた。
特に流れが滞ることなく呉の阿賀地区に着く。
かつて、呉松山フェリーという、必ず乗船していたフェリーがあったのだが、今はしまなみ海道の影響でこの航路は存在していない。
往時を思い出しつつ、休山トンネルをスムーズに抜けて、呉の中心市街地に入る。
呉と言えば、元カノの出身地であり、今も住んでいるであろう地である。
別れた後は、決してここには二度と来るまいと決意していたが、さすがに渋滞回避のためならやむなく通った、という次第ながら、しかし、往時のことが思い出されて、感傷的になってしまった。
元カノの幸せを願いつつ、初めて走る広島呉道路に歩を進める。
仁保JCTから広島高速3号線に入り、新井口駅にほど近いアルパーク北棟西隣の駐輪場へバイクを停める。
ここで昼食となるのだが、そば吉のカツ丼とざるそばセットを食す。
フェリーが間に合っていれば、松山で食べるはずだったものを広島で食べるというのも変な話だが、店が両県にあるので助かった。
昼食後、バイクを停めたまま、JRで宮島口駅を目指す。
運賃は240円。
そこからはJRの連絡船で宮島に渡る。
運賃は往復で360円。
そこから厳島神社までの道のりは、実に人の多さで先に進むのも大変だったが、何はともあれ10分程度で到着し、中に入る。
本殿の手前に自分の名前があるかどうか確認したが、転居の影響からか、無くなっていた。
まぁ、またゆとりができたら寄付することにして、本殿で参拝を済ませて、再びフェリーへと戻っていく。
宮島桟橋のいつもの土産屋で名物のもみじ饅頭とかきの姿煮を買って、広電で井口駅までの切符を購入。
しかし、これが誤りだった。
新井口駅に隣接するのは商工センター入口電停、つまり、1駅区間歩く羽目になってしまったのであった。
国道2号を720mも歩く羽目になり、ゴールは見えていても、9分はかかる。
伊佐市の友人と電話しながら歩いて気を紛らわせ、ようやく駐輪場に帰りついた。
バイクを駐輪場から出すのに苦労しつつ、国道2号から広島市街地へ進ませ、宿泊地のホテルに到着したのが16時半過ぎ。
中心部にあるホテルのため、どこへ行くにも便利な立地である。
この日も○○○○の予約を取った上で、近くにあってかつ行列の影響を受けにくいであろうへんくつ屋の平和記念公園南店に歩いて向かう。
ちょうどフラワーフェスティバルのただ中ということもあってか、屋台の店が目に付く。
例によって、そばスペシャルを注文し、すっかりお腹いっぱいになってしまった。
帰り道、もう少しで吐く寸前レベルの食事量だなと、胃腸薬が必要にならないかびくびくしつつ、無事ホテルにたどり着き、お風呂に入ったらすっきりしていた。
この日は23時の就寝であった。
というわけで、今日の出来事はここまで、引き続き、GWツーリングの2日目について書いていきます。
【2日目(5/2・土)】松山~まんのう(香川県)~広島
天気は快晴で、すがすがしく6時に起床、支度を終えて6時半過ぎに朝食バイキング会場へ。
しかし、バイキングながら朝食をごはんとみそ汁だけ摂る。
理由は簡単、朝食は讃岐うどんにしなければならないためである。
到着まで空腹にならない程度に頂いた後、バイクに荷造りして、カッパも着込んで寒さ対策も万全にして、一路国道11号を東に進む。
2006年の2日目と一部ルートが被るが、往時と異なり、松山道川内ICから松山道を進むルートである。
しかし、前日給油できていないだけに、高速に入る前に給油しなければならなかった。
出発したのが6:45だったので、まだスタンドも営業している店は少ない。
しかも、交通量の割にスタンドの数も少なく、そうこうしているうちに川内ICを通過。
少し先にようやくスタンドを見つけて、給油する。
店員氏の話では、昔と比べてスタンドが減ってきているとのこと。
早い時間から営業していて助かった旨お礼を述べて、右折車線からUターンして、無事に川内ICに入る。
松山道のこの区間はもう4度走っているため慣れたもので、楽々と進み、高松道大野原ICで下りる。
前回もこのルートで讃岐うどんを食べに行っているが、近道するところを間違えていたため、今回は無難に国道377号へ合流する。
長瀬交差点で右折して、道なりに行けば国道32号に合流し、目指すうどん屋も近づくのだが、今回は近道するポイントを間違え、さらにそれがさらなる誤りの連鎖になってしまうという、最悪の展開を歩んでしまった。
香川県道218号自体は近道の一部を構成しているのだが、曲がったポイントからであれば右折が正解にも関わらず直進してしまい、さらに誤りに気付いて見知らぬ集落道へ右折して、世間話に花を咲かせているおばあさん2人の前を道に迷ったバイクが走り抜けていき、集落の外れから山道になり、T字路を登る方へ進むと、牧羊犬らしき犬に吠えられ、登りきった先にあったのが、急な下り坂と花畑であった。
そこを躊躇なく進んでいる度胸に驚きつつも、ようやく別の集落の幹線道と思しき道に合流、そこを左折したら、さらにどつぼに突入。
田舎の集落を彷彿とさせる険しい山道を抜け、ようやく交通量の多い国道へ出て、そこでiPad2で位置を確認。
なんと、長瀬交差点の琴平側6km地点に出たことが判明し、愕然となった。
T字路や集落道のいずれかで右折していれば、十分リカバリできたのだが、ものの見事に大失敗。
目指すうどん屋は山の向こうの向こうとあって、結局県道218号の出口へ向かい、何とか9時過ぎに山内うどん店へ着くことができた。
しかも、幸いなことに行列は出来ておらず、すんなりと店内に入ってすぐにおいしいうどんにありつけた。
ひやあつの大に、ちくわ天とかぼちゃ天を乗せて食すが、やっぱり本場のうどんは美味しい。
山道で迷ったこともすっかり吹き飛んだところで、元職退社時と同様に、善通寺ICから再び高松道に入り、瀬戸大橋を渡る。
天気が良く、瀬戸内の島々も良く見える。
風が強くないのも幸いして、快適に本州へと歩を進めた。
なお、ETC割引は基本3割引だが、この本四区間だけは半額が維持されている。
倉敷JCTで山陽道に入り、西に向かう。
しかし、早くも危ない知らせが目に入る。
「笠岡~福山西 事故渋滞15km」
いきなりやってしまってるな、と身構えつつ、神経を使う運転をしてどうにか渋滞個所を抜ける。
でもって、また次の渋滞個所のお知らせが目に入る。
広島IC付近が混むのは想定の範囲内、ということで、昔と異なり、東広島呉自動車道なる高規格道路が開通したことを事前に調べており、これを使って渋滞個所を回避しようと試みてみた。
特に流れが滞ることなく呉の阿賀地区に着く。
かつて、呉松山フェリーという、必ず乗船していたフェリーがあったのだが、今はしまなみ海道の影響でこの航路は存在していない。
往時を思い出しつつ、休山トンネルをスムーズに抜けて、呉の中心市街地に入る。
呉と言えば、元カノの出身地であり、今も住んでいるであろう地である。
別れた後は、決してここには二度と来るまいと決意していたが、さすがに渋滞回避のためならやむなく通った、という次第ながら、しかし、往時のことが思い出されて、感傷的になってしまった。
元カノの幸せを願いつつ、初めて走る広島呉道路に歩を進める。
仁保JCTから広島高速3号線に入り、新井口駅にほど近いアルパーク北棟西隣の駐輪場へバイクを停める。
ここで昼食となるのだが、そば吉のカツ丼とざるそばセットを食す。
フェリーが間に合っていれば、松山で食べるはずだったものを広島で食べるというのも変な話だが、店が両県にあるので助かった。
昼食後、バイクを停めたまま、JRで宮島口駅を目指す。
運賃は240円。
そこからはJRの連絡船で宮島に渡る。
運賃は往復で360円。
そこから厳島神社までの道のりは、実に人の多さで先に進むのも大変だったが、何はともあれ10分程度で到着し、中に入る。
本殿の手前に自分の名前があるかどうか確認したが、転居の影響からか、無くなっていた。
まぁ、またゆとりができたら寄付することにして、本殿で参拝を済ませて、再びフェリーへと戻っていく。
宮島桟橋のいつもの土産屋で名物のもみじ饅頭とかきの姿煮を買って、広電で井口駅までの切符を購入。
しかし、これが誤りだった。
新井口駅に隣接するのは商工センター入口電停、つまり、1駅区間歩く羽目になってしまったのであった。
国道2号を720mも歩く羽目になり、ゴールは見えていても、9分はかかる。
伊佐市の友人と電話しながら歩いて気を紛らわせ、ようやく駐輪場に帰りついた。
バイクを駐輪場から出すのに苦労しつつ、国道2号から広島市街地へ進ませ、宿泊地のホテルに到着したのが16時半過ぎ。
中心部にあるホテルのため、どこへ行くにも便利な立地である。
この日も○○○○の予約を取った上で、近くにあってかつ行列の影響を受けにくいであろうへんくつ屋の平和記念公園南店に歩いて向かう。
ちょうどフラワーフェスティバルのただ中ということもあってか、屋台の店が目に付く。
例によって、そばスペシャルを注文し、すっかりお腹いっぱいになってしまった。
帰り道、もう少しで吐く寸前レベルの食事量だなと、胃腸薬が必要にならないかびくびくしつつ、無事ホテルにたどり着き、お風呂に入ったらすっきりしていた。
この日は23時の就寝であった。
2015年05月03日
2015GWツーリング1日目・大隅~佐賀関→三崎~松山
今年も九州へ戻る3日目は雨の中、というよくある展開で幕を閉じた2015GWツーリングですが、今回は会社の休みが少ない(1日午後~3日)、という事情にて、去年のように関東やら関越トンネルやら五箇山の合掌集落やらを巡るようなことはできず、スクーター時代と同じ広島と松山を巡ることプラス、讃岐うどんを食べに香川県の山中へ赴き、実にアクティブな3日間でした。その記録です。
【1日目(5/1・金)】大隅~佐賀関→三崎~松山
フェリーさんふらわあの今年の往復料金は、原油安の影響で前年比7,000円も下がっているにも拘らず、会社の休みの関係という情けない理由にて、よく走っていた広島・松山界隈に行きつつ、3年間食べていない本場の讃岐うどんを食べに行くべく、月初の作業を万事片付けて、技能的に劣る後輩2名に後を任せて、洗濯・食器洗いを片付けて、13:41に自宅を出発。
東九州道に乗り、末吉財部ICで下り、毎度恒例の都城市街地迂回ルートを進む。
なお、今回は10年愛用している地図ソフトが導き出した新・都城市街地迂回ルートを使用し、無駄な停車回数を減らしつつ、スムーズに国道10号に合流、程なく都城ICから宮崎道に入る。
この日は平日のため、3割引にはならないが、清武JCTから東九州道の宮崎県区間に入り、ひたすら北上する。基本的に暫定1車線区間だが、ところどころ2車線の追い越し車線が整備されており、スムーズに進められる。この日の山場が佐賀関港を18時に出港するフェリーに乗れるかどうか、という点だったのだが、4時間で着くかどうか、全く見通せていなかった。
北川ICまでは過去2回走ったことがあったが、そこから先の大分県側区間のうち、佐伯ICまでの区間が今回初走行となる。
大分・宮崎県境付近の日豊海岸はリアス式海岸であるため、山がちな地形が続いており、その区間を結ぶ東九州道はどうしても山間部を通るため、トンネルが多い。
鹿児島の東九州道無料区間と同様に、中央分離帯がコンクリートで仕切られているのは同じなのだが、トンネルの中もそれが続くのが今回新鮮だった。
フェリーの時間を気にしつつ、計算通り九州内は給油の必要なしと判断して、北に進むにつれて徐々に車の量が増えてくる。
スピードが下がって来たところでようやく臼杵ICに到着し、ここからはスクーター時代と全く同じルートで佐賀関港を目指す。
いくら車体が大きくなったとは言え、一般道だけに最高速度制限は同一条件で、18時の便は絶望的だということは察していた。
まあ、急いで事故るよりは、安全に次の便を乗る方が得である。
そう言い聞かせて、安全に徹して運転する。
この区間は2012年の西日本最長の国道トンネル・寒風山トンネルへ向かう時以来のルートとなるのだが、この3年で狭隘路の一部が走りやすい道に改良されていた。
徐々にではあるが改良が続いており、新たなトンネルやバイパスルートも建設中であった。
安全な道づくりは大事なことである。
そうして佐賀関港に到着したが、17:56で、既にフェリーに車が積み込まれており、バイクの乗船は不可能だった。
というわけで、バイク乗り場1番をゲットし、最悪パターンのいつの便に乗れるか分からない、という事態だけは避け、レストランで生姜焼き定食を食べる。
肉のボリュームが多く、大満足であった。
松山の○○○○に電話して予約を済ませ、フェリーを待つが、なかなか来ない。
過去の経験上、乗船時間の20分くらい前に入港して来るのだが、状況からして10分程度の遅れとなりそうであった。
最初から遅れるなら、先に出港した便が遅れていれば乗れたのであるが、実によろしくない展開である。
昔の国道九四フェリーであれば、遅れ回復で速力を上げることもあったものだが、現在はそういうことをしたのに巡り合わせたこともなく、四国上陸は20:38。
松山に22:30に着かないといけない状況で、昔のスクーターなら、一般道経由で2時間少々。
当然、今回使用するのが松山道である。
夜の四国を走るのも3年ぶりとなるが、八幡浜市保内町までは道を知り尽くしているだけに、加速と抑制を効率よく用い、伊方原発入口の信号の当日最終運用を見届けて、保内町の先に、妙な道路ができていた。
「大洲八幡浜道路」なる地域高規格道路らしく、「これで大洲まで楽々行ける!」とぬか喜びしたのもつかの間、あっという間にトンネル1本分の長さで終了、意気消沈しつつ、国道197号を大洲市方面へ進む。
途中、大洲西トンネルが片側交互通行となっており、2分程度のタイムロス。
まあ、事故って後が大変になるよりはと気を抑えて、松山道の一部をなす大洲道路に入る。
片側二車線だが、カーブが多く、その上初めて走るため勝手が分からない。
安全速度で抜けて、再び暫定1車線区間となって北へ向かう。
伊予ICからは走ったことがある区間となり、伊予灘SAで予約した店に電話を再度入れ、遅れる旨伝達。
間もなく松山ICに着き、無難に国道33号を経由して国道11号に入る。
中心部にほど近いホテルに着いたのが22:25。
ただ、連携がうまくとれておらず、バイクを停めた側の方へ宿泊することになるのだが、そうなる前はもう一方の方になるとか、そちらがトラブルのため違うとか、ホテル側の論理で振り回されて、こちらはクタクタだというのに歩かされたが、何とか部屋に入って一息つく。
こうして1日目が終わったのであった。
【1日目(5/1・金)】大隅~佐賀関→三崎~松山
フェリーさんふらわあの今年の往復料金は、原油安の影響で前年比7,000円も下がっているにも拘らず、会社の休みの関係という情けない理由にて、よく走っていた広島・松山界隈に行きつつ、3年間食べていない本場の讃岐うどんを食べに行くべく、月初の作業を万事片付けて、技能的に劣る後輩2名に後を任せて、洗濯・食器洗いを片付けて、13:41に自宅を出発。
東九州道に乗り、末吉財部ICで下り、毎度恒例の都城市街地迂回ルートを進む。
なお、今回は10年愛用している地図ソフトが導き出した新・都城市街地迂回ルートを使用し、無駄な停車回数を減らしつつ、スムーズに国道10号に合流、程なく都城ICから宮崎道に入る。
この日は平日のため、3割引にはならないが、清武JCTから東九州道の宮崎県区間に入り、ひたすら北上する。基本的に暫定1車線区間だが、ところどころ2車線の追い越し車線が整備されており、スムーズに進められる。この日の山場が佐賀関港を18時に出港するフェリーに乗れるかどうか、という点だったのだが、4時間で着くかどうか、全く見通せていなかった。
北川ICまでは過去2回走ったことがあったが、そこから先の大分県側区間のうち、佐伯ICまでの区間が今回初走行となる。
大分・宮崎県境付近の日豊海岸はリアス式海岸であるため、山がちな地形が続いており、その区間を結ぶ東九州道はどうしても山間部を通るため、トンネルが多い。
鹿児島の東九州道無料区間と同様に、中央分離帯がコンクリートで仕切られているのは同じなのだが、トンネルの中もそれが続くのが今回新鮮だった。
フェリーの時間を気にしつつ、計算通り九州内は給油の必要なしと判断して、北に進むにつれて徐々に車の量が増えてくる。
スピードが下がって来たところでようやく臼杵ICに到着し、ここからはスクーター時代と全く同じルートで佐賀関港を目指す。
いくら車体が大きくなったとは言え、一般道だけに最高速度制限は同一条件で、18時の便は絶望的だということは察していた。
まあ、急いで事故るよりは、安全に次の便を乗る方が得である。
そう言い聞かせて、安全に徹して運転する。
この区間は2012年の西日本最長の国道トンネル・寒風山トンネルへ向かう時以来のルートとなるのだが、この3年で狭隘路の一部が走りやすい道に改良されていた。
徐々にではあるが改良が続いており、新たなトンネルやバイパスルートも建設中であった。
安全な道づくりは大事なことである。
そうして佐賀関港に到着したが、17:56で、既にフェリーに車が積み込まれており、バイクの乗船は不可能だった。
というわけで、バイク乗り場1番をゲットし、最悪パターンのいつの便に乗れるか分からない、という事態だけは避け、レストランで生姜焼き定食を食べる。
肉のボリュームが多く、大満足であった。
松山の○○○○に電話して予約を済ませ、フェリーを待つが、なかなか来ない。
過去の経験上、乗船時間の20分くらい前に入港して来るのだが、状況からして10分程度の遅れとなりそうであった。
最初から遅れるなら、先に出港した便が遅れていれば乗れたのであるが、実によろしくない展開である。
昔の国道九四フェリーであれば、遅れ回復で速力を上げることもあったものだが、現在はそういうことをしたのに巡り合わせたこともなく、四国上陸は20:38。
松山に22:30に着かないといけない状況で、昔のスクーターなら、一般道経由で2時間少々。
当然、今回使用するのが松山道である。
夜の四国を走るのも3年ぶりとなるが、八幡浜市保内町までは道を知り尽くしているだけに、加速と抑制を効率よく用い、伊方原発入口の信号の当日最終運用を見届けて、保内町の先に、妙な道路ができていた。
「大洲八幡浜道路」なる地域高規格道路らしく、「これで大洲まで楽々行ける!」とぬか喜びしたのもつかの間、あっという間にトンネル1本分の長さで終了、意気消沈しつつ、国道197号を大洲市方面へ進む。
途中、大洲西トンネルが片側交互通行となっており、2分程度のタイムロス。
まあ、事故って後が大変になるよりはと気を抑えて、松山道の一部をなす大洲道路に入る。
片側二車線だが、カーブが多く、その上初めて走るため勝手が分からない。
安全速度で抜けて、再び暫定1車線区間となって北へ向かう。
伊予ICからは走ったことがある区間となり、伊予灘SAで予約した店に電話を再度入れ、遅れる旨伝達。
間もなく松山ICに着き、無難に国道33号を経由して国道11号に入る。
中心部にほど近いホテルに着いたのが22:25。
ただ、連携がうまくとれておらず、バイクを停めた側の方へ宿泊することになるのだが、そうなる前はもう一方の方になるとか、そちらがトラブルのため違うとか、ホテル側の論理で振り回されて、こちらはクタクタだというのに歩かされたが、何とか部屋に入って一息つく。
こうして1日目が終わったのであった。