2012年05月06日
2012GWツーリングその2~高知⇒名古屋
前記事に引き続き、今回のGWを利用して行っていたツーリングの2日目【5/4】の模様を記していきたいと思います。
早朝6時に起床、朝食はさぬきうどんと決めていたため、6時50分に高知市内のホテルを出発、高知ICを目指すも、一方通行に不慣れな土地勘が拍車をかけ、若干道に迷うものの、高架橋や二車線道路、何よりも地勢から方角を割り出して案内標識なしで曲がった先が、ものの見事に高知ICへ通じていてラッキーな展開。
天気もまずまずで、まずは順調な滑り出しとなった。
前回2011年10月のツーリングでは高知道から徳島道、高松道経由で琴平まで向かったものであったが、今回は最短ルートの川之江JCT経由で大野原ICで降り、琴平方向へ通じる国道を探す。
がしかし、その国道番号を度忘れしていて途中、国道11号と県道の交差点付近で停車、iPadで情報収集する。
すると、まさに止まっている交差点から左折すれば目的の国道377号に出る、そう答えは出た。
喜び勇んで左折して進んだが、先にある交差点を直進した。
その直前に、377と書かれたおにぎりが交差方向を指していた。
案内標識が無かったため、先にあるところで再び下車し、iPad2で情報収集。
すると、やはり先程の交差点で左折して国道377号に合流することが判明。
自転車で通りがかりの地元の女子高生3人組の視線を気にしながらUターンして、無事に国道377号に入った。
ただ、その先で踏切の遮断機が下りていて、本当にこれが国道か、半信半疑であった。
その先で国道標識を見たときはほっとしたが、しばらく進み、県道5号へと右折、快適に走り抜け、国道32号に合流した。
ここからは走り慣れているため楽々と目的地の【山内うどん店】へ到着、8時半のことであった。
しかし、既に行列ができていた。

待つこと10分、ようやく店内に入り、「ひやあつ特大」にちくわ天、かき揚げを載せて食す。
お代は600円だっただろうか。
朝からかなりのボリュームだが、これも昼御飯が中国道などの混雑で摂れないことを想定して、どっさり食べている。
ヤング&アダルトなカップルの間に挟まって食すも、やはりこのこしの強さは本場ならではである。
またの来店できるのがいつになるかと思いつつ店を後にし、いよいよ本州へと向かう。
その前に、琴平町内でガソリンを補給し、善通寺ICから高松道に入り、そのまま瀬戸中央道へ向かう。
にしても、横風注意の標識が出ているほど風が強く、高知道を進む時からハンドルを強く握るほどであったが、瀬戸大橋の上ではすさまじいことになっていた。
去年も経験済みだったため覚悟はしていたが、今年もなかなかすごく、与島PAのあたりですごい風が吹いていた。
転倒まであと少しというほどの風で、まあ何とか減速によって体勢を立て直して事なきを得たが、鷲羽山トンネルをくぐるまではしびれるのではと思うほどハンドルを支えるのが大変であった。
この日の渋滞予測ポイントが2個所あり、倉敷JCT付近と著名な東名阪道の四日市東IC付近であった。
まず倉敷JCT付近で1kmという表示が出ていて、いよいよ渋滞とご対面というわけで、十分に車間を開け、いよいよ分岐点付近でハザードランプのオンパレードと相成った。
しっかりとスリップすることなく停止し、ノロノロ運転を続けて山陽道に合流、先にあるトンネルの辺りから渋滞は解消され、ひたすら東へとひた走った。
岡山JCTから東は未踏であり、無事故で走らねばと気を引き締めていた。
兵庫県に入って、たまに弱い雨がポツリポツリ降ることもあったが、大したことにならないと踏み、友人から渋滞情報及び天候情報収集連絡を受けることにしていた西宮名塩SAに着いたのが12:10。
高知を発ってから5時間半弱。
悪名高い宝塚西トンネルも目と鼻の先である。
渋滞はこの先進む阪和道方面である程度で、天候も弱い雨が所々で降っていること、そして滋賀県中部以北で降り続いていることを聞き、奈良県越えプランを前倒しすることを決意、そして中国池田ICで中国道を降り、空港バスで通ったようなところを横目に阪神高速池田線に入った。
バイクで都市高速を走るのは初めてのことであるが、最高速度が60km/hに抑制されていて、カーブもそれなりにきつかった。
湾岸線を走る予定だったが、分岐の混み具合に加えて【渋滞7km】に回避を決断、1号環状線経由で14号松原線を経由して阪和道へ入った。
阪和道も快適なのであるが、その先で【泉南IC~貝塚IC 渋滞5km】の表示に身構えつつ、ひたすら南下。
貝塚ICの手前で渋滞が2kmまで減っていることを確認、泉佐野JCTを普通に突破し、問題の泉南ICでスムーズに高速を降りた。
渋滞は、到着間際で解消されていたのである。
泉南IC出口を右折、しばらくして阪和線の下をくぐったことから道に迷ったことを認識、次の交差点でUターンしてそばのガソリンスタンドが144円/Lと驚きの価格だったため、給油。
エンジンの調子が悪いゆえか、燃費が22km/L程度に下がっていたため、貴重な節約源となった。
給油後、iPad2で地図を確認したら案の定、逆方向。
元来た道をひた走り、たま駅長に会いに進む。
が、また道に迷うのに気付く。
予定外の場所で和歌山線の踏切を越えたことがきっかけだった。
近畿労働金庫那賀支店の駐車場をお借りして地図を見て、誤りを確認、ようやく県道10号に入り、貴志駅を目指す。
途中、もう一度地図を確認してようやく貴志駅にたどり着き、駐輪場前にバイクを停める。
駅前で行列に並び、面会の時を待つ。
で、さすがの行列に、駅長自ら出てきた。

みなさん写真を撮るわ撮るわ、運よく自分の近くで止まったため、写真を5枚ほど撮ってみた中のベストショットが前述の写真。
一部では【ニタマ伊太祁曽駅長】との話もあるが、何はともあれ会えたことは良かった。
いい記念になると思う。
帰りがけに、たま電車もやってきたので、写真に収めた。

地域おこしのきっかけは、何気ないところから生まれるものだと、そう思う次第なのであった。
14時50分に貴志駅を後にし、進路を東にとる。
国道424号、県道13号を走る。
紀ノ川の穏やかな流れが、とても絵になる。
所々に見える山にミカン畑も広がり、秋にはこの辺の写真を撮るのもいいのかもしれない。
真田幸村ゆかりの九度山町に入り、何やら道路が煙っている。
真田まつりが開催中らしく、露店の煙だったのだ。
しかも、あちこちの立て看板にはこう書かれていた。
【5/5 13~15時 武者行列につき通行規制】
滋賀県で雨が降らなければ、まさにこの時間に通るところであった。
天候に救われたことを感謝しつつ、国道370号、県道55号、そしてなぜか上野公園の前を通る道を走って国道24号へ。
ここまでの天気は曇り。
気付けば、奈良県は五條市に入っていた。
しかし、市街地の辺りで雨が降り出し、急きょ荷物の雨よけ対策でゴミ袋を購入しにファミマへ。
ここでゴミ袋と飲み物、コロッケパンを購入し、カッパに着替えて雨天準備も万全、すぐ先の国道370号へ右折して、吉野経由で三重県への突破を図る。
地図は見ていなかったものの、吉野町役場まで川沿い、先の県道へ左折と記憶していたため、難なく国道169号までやってきた。
「曲がる県道が二重なんとかだったかな」と、うろ覚え過ぎるのも困ったものであるが、28号で左折した先でiPad2で確認、問題ないことを確認して、この先のルートを掌握、無事に国道370号に合流して、国道166号、県道218号とひた走り、いよいよ長丁場の国道369号に。
途中、曽爾村に入って、看板を見つつ「It's a 曽爾~」など、くだらんことを考えつつ、さらに東へ。
奈良県最後の御杖村に入り、国道368号へ。
三重県に入り、次の目的地である伊勢奥津駅に着いたのが17時25分のことであった。

五條で買っていたコロッケパンを食べ、次のルートを調べながら一息ついていたら、地元のおばあさんがやってきた。
去年の宮本武蔵ゆかりの美作へ赴いた際と似たような展開ではあったが、単騎ツーリングの醍醐味は、地元の人との触れ合いに尽きる。
何でも、桑名市に息子さんが居て、渋滞がどうのこうのという話ではあったが、後にこのことを身を以て知ることとなる。
これから仁柿峠を越えることを告げた後駅を後にし、峠道に入った。
五家荘や米良荘を走破している自分にとって、どんな酷道か楽しみではあったが、夕刻17時50分というタイミングの悪さは、約6kmの区間とは言え、できるだけ早く通過しなければと思う次第であった。
焦る心を押さえつつ、セオリー通り3速の時速30km/hで険しい道を下る。
ガードレールのない区間にきついカーブが印象的ではあったが、集落が見えてきたときには思わず内心ガッツポーズであった。
まだ日が残る中を東へと進み、誤って県道429号へ入ったほかは順調に進み、国道42号に出た。
この頃にはもう日没となり、勢和多気ICから伊勢道へ進む。
伊勢道の上り線はずっと途切れることなく車が走っていて、伊勢・鳥羽方面が観光地であることを印象付けられる。
伊勢西ICで降り、伊勢神宮外宮を目指すが、最悪なことに19時が門限で、到着は19時12分。
すんでのところで駄目であった。
実に、1991年に続く2度連続の目の前まで来て参拝できない事態となった。
門の外から二礼二拍手一礼をし、再び伊勢西ICから伊勢道を北上する。
ここで、渋滞情報を目にする。
四日市付近から25km、だそうである。
渋滞の中を横抜けする覚悟はしておいたが、実際にそうしたことは産業道路の外側帯とか国道225号くらいのもので、高速道路ではやったことがなかった。
で、実践の場が芸濃IC付近から始まった。
大渋滞の幕開けである。
路肩走行禁止は把握しているので、走行禁止でない走行車線と追越車線の間を時速30~40km/hの原付速度で抜いていく。
運悪く、ガソリンが残り5Lを切ったサインも出て、低速で燃費が悪いことを気にしつつ、50km程度は何とかなる、そう腹をくくって抜き続けた。
亀山JCTあたりで雨が降り出し、夜と渋滞と雨、三重苦の中を、とにかく抜けるには前進あるのみと言い聞かせてじわじわ進む。
途中スピードを出せる局面もあり、四日市ICの先で、それは起こった。
渋滞が解消されたのである。
約1時間近い渋滞との戦いに勝利し、最寄りの御在所SAで休憩&給油と相成った。
時計の針は21時13分を指していた。
四日市JCTから先は快調そのもので、今回宝暦治水碑を見に行けないことを無念に思いつつ、名古屋都市高速の白川ICで降り、ホテルの契約駐車場を目指す。
途中、iPad2で地図情報を見ることと、ホテルに遅れる連絡を入れ、栄の大通りを走る。
もうすぐ歩行者天国が導入される地域だそうだが、こうやって走れるのも貴重な体験をしたと言える。
ただ、ノーヘルの原付二人乗りが堂々と走っているのは考えものだと思うのだが、いかに。
複雑な一方通行にさいなまれつつ、2004年11月に4連泊した土地勘は健在、目的地周辺に入ってからはスマートに駐車場にバイクを停め、若者グループがどの店で飲むか話しているのを横目にホテルへチェックインした。
到着は22時18分のことであった。
走行距離は771.0km、所要時間は15時間28分であった。
体中が倦怠感を感じるのも、無理は、ない。
早朝6時に起床、朝食はさぬきうどんと決めていたため、6時50分に高知市内のホテルを出発、高知ICを目指すも、一方通行に不慣れな土地勘が拍車をかけ、若干道に迷うものの、高架橋や二車線道路、何よりも地勢から方角を割り出して案内標識なしで曲がった先が、ものの見事に高知ICへ通じていてラッキーな展開。
天気もまずまずで、まずは順調な滑り出しとなった。
前回2011年10月のツーリングでは高知道から徳島道、高松道経由で琴平まで向かったものであったが、今回は最短ルートの川之江JCT経由で大野原ICで降り、琴平方向へ通じる国道を探す。
がしかし、その国道番号を度忘れしていて途中、国道11号と県道の交差点付近で停車、iPadで情報収集する。
すると、まさに止まっている交差点から左折すれば目的の国道377号に出る、そう答えは出た。
喜び勇んで左折して進んだが、先にある交差点を直進した。
その直前に、377と書かれたおにぎりが交差方向を指していた。
案内標識が無かったため、先にあるところで再び下車し、iPad2で情報収集。
すると、やはり先程の交差点で左折して国道377号に合流することが判明。
自転車で通りがかりの地元の女子高生3人組の視線を気にしながらUターンして、無事に国道377号に入った。
ただ、その先で踏切の遮断機が下りていて、本当にこれが国道か、半信半疑であった。
その先で国道標識を見たときはほっとしたが、しばらく進み、県道5号へと右折、快適に走り抜け、国道32号に合流した。
ここからは走り慣れているため楽々と目的地の【山内うどん店】へ到着、8時半のことであった。
しかし、既に行列ができていた。

待つこと10分、ようやく店内に入り、「ひやあつ特大」にちくわ天、かき揚げを載せて食す。
お代は600円だっただろうか。
朝からかなりのボリュームだが、これも昼御飯が中国道などの混雑で摂れないことを想定して、どっさり食べている。
ヤング&アダルトなカップルの間に挟まって食すも、やはりこのこしの強さは本場ならではである。
またの来店できるのがいつになるかと思いつつ店を後にし、いよいよ本州へと向かう。
その前に、琴平町内でガソリンを補給し、善通寺ICから高松道に入り、そのまま瀬戸中央道へ向かう。
にしても、横風注意の標識が出ているほど風が強く、高知道を進む時からハンドルを強く握るほどであったが、瀬戸大橋の上ではすさまじいことになっていた。
去年も経験済みだったため覚悟はしていたが、今年もなかなかすごく、与島PAのあたりですごい風が吹いていた。
転倒まであと少しというほどの風で、まあ何とか減速によって体勢を立て直して事なきを得たが、鷲羽山トンネルをくぐるまではしびれるのではと思うほどハンドルを支えるのが大変であった。
この日の渋滞予測ポイントが2個所あり、倉敷JCT付近と著名な東名阪道の四日市東IC付近であった。
まず倉敷JCT付近で1kmという表示が出ていて、いよいよ渋滞とご対面というわけで、十分に車間を開け、いよいよ分岐点付近でハザードランプのオンパレードと相成った。
しっかりとスリップすることなく停止し、ノロノロ運転を続けて山陽道に合流、先にあるトンネルの辺りから渋滞は解消され、ひたすら東へとひた走った。
岡山JCTから東は未踏であり、無事故で走らねばと気を引き締めていた。
兵庫県に入って、たまに弱い雨がポツリポツリ降ることもあったが、大したことにならないと踏み、友人から渋滞情報及び天候情報収集連絡を受けることにしていた西宮名塩SAに着いたのが12:10。
高知を発ってから5時間半弱。
悪名高い宝塚西トンネルも目と鼻の先である。
渋滞はこの先進む阪和道方面である程度で、天候も弱い雨が所々で降っていること、そして滋賀県中部以北で降り続いていることを聞き、奈良県越えプランを前倒しすることを決意、そして中国池田ICで中国道を降り、空港バスで通ったようなところを横目に阪神高速池田線に入った。
バイクで都市高速を走るのは初めてのことであるが、最高速度が60km/hに抑制されていて、カーブもそれなりにきつかった。
湾岸線を走る予定だったが、分岐の混み具合に加えて【渋滞7km】に回避を決断、1号環状線経由で14号松原線を経由して阪和道へ入った。
阪和道も快適なのであるが、その先で【泉南IC~貝塚IC 渋滞5km】の表示に身構えつつ、ひたすら南下。
貝塚ICの手前で渋滞が2kmまで減っていることを確認、泉佐野JCTを普通に突破し、問題の泉南ICでスムーズに高速を降りた。
渋滞は、到着間際で解消されていたのである。
泉南IC出口を右折、しばらくして阪和線の下をくぐったことから道に迷ったことを認識、次の交差点でUターンしてそばのガソリンスタンドが144円/Lと驚きの価格だったため、給油。
エンジンの調子が悪いゆえか、燃費が22km/L程度に下がっていたため、貴重な節約源となった。
給油後、iPad2で地図を確認したら案の定、逆方向。
元来た道をひた走り、たま駅長に会いに進む。
が、また道に迷うのに気付く。
予定外の場所で和歌山線の踏切を越えたことがきっかけだった。
近畿労働金庫那賀支店の駐車場をお借りして地図を見て、誤りを確認、ようやく県道10号に入り、貴志駅を目指す。
途中、もう一度地図を確認してようやく貴志駅にたどり着き、駐輪場前にバイクを停める。
駅前で行列に並び、面会の時を待つ。
で、さすがの行列に、駅長自ら出てきた。

みなさん写真を撮るわ撮るわ、運よく自分の近くで止まったため、写真を5枚ほど撮ってみた中のベストショットが前述の写真。
一部では【ニタマ伊太祁曽駅長】との話もあるが、何はともあれ会えたことは良かった。
いい記念になると思う。
帰りがけに、たま電車もやってきたので、写真に収めた。

地域おこしのきっかけは、何気ないところから生まれるものだと、そう思う次第なのであった。
14時50分に貴志駅を後にし、進路を東にとる。
国道424号、県道13号を走る。
紀ノ川の穏やかな流れが、とても絵になる。
所々に見える山にミカン畑も広がり、秋にはこの辺の写真を撮るのもいいのかもしれない。
真田幸村ゆかりの九度山町に入り、何やら道路が煙っている。
真田まつりが開催中らしく、露店の煙だったのだ。
しかも、あちこちの立て看板にはこう書かれていた。
【5/5 13~15時 武者行列につき通行規制】
滋賀県で雨が降らなければ、まさにこの時間に通るところであった。
天候に救われたことを感謝しつつ、国道370号、県道55号、そしてなぜか上野公園の前を通る道を走って国道24号へ。
ここまでの天気は曇り。
気付けば、奈良県は五條市に入っていた。
しかし、市街地の辺りで雨が降り出し、急きょ荷物の雨よけ対策でゴミ袋を購入しにファミマへ。
ここでゴミ袋と飲み物、コロッケパンを購入し、カッパに着替えて雨天準備も万全、すぐ先の国道370号へ右折して、吉野経由で三重県への突破を図る。
地図は見ていなかったものの、吉野町役場まで川沿い、先の県道へ左折と記憶していたため、難なく国道169号までやってきた。
「曲がる県道が二重なんとかだったかな」と、うろ覚え過ぎるのも困ったものであるが、28号で左折した先でiPad2で確認、問題ないことを確認して、この先のルートを掌握、無事に国道370号に合流して、国道166号、県道218号とひた走り、いよいよ長丁場の国道369号に。
途中、曽爾村に入って、看板を見つつ「It's a 曽爾~」など、くだらんことを考えつつ、さらに東へ。
奈良県最後の御杖村に入り、国道368号へ。
三重県に入り、次の目的地である伊勢奥津駅に着いたのが17時25分のことであった。

五條で買っていたコロッケパンを食べ、次のルートを調べながら一息ついていたら、地元のおばあさんがやってきた。
去年の宮本武蔵ゆかりの美作へ赴いた際と似たような展開ではあったが、単騎ツーリングの醍醐味は、地元の人との触れ合いに尽きる。
何でも、桑名市に息子さんが居て、渋滞がどうのこうのという話ではあったが、後にこのことを身を以て知ることとなる。
これから仁柿峠を越えることを告げた後駅を後にし、峠道に入った。
五家荘や米良荘を走破している自分にとって、どんな酷道か楽しみではあったが、夕刻17時50分というタイミングの悪さは、約6kmの区間とは言え、できるだけ早く通過しなければと思う次第であった。
焦る心を押さえつつ、セオリー通り3速の時速30km/hで険しい道を下る。
ガードレールのない区間にきついカーブが印象的ではあったが、集落が見えてきたときには思わず内心ガッツポーズであった。
まだ日が残る中を東へと進み、誤って県道429号へ入ったほかは順調に進み、国道42号に出た。
この頃にはもう日没となり、勢和多気ICから伊勢道へ進む。
伊勢道の上り線はずっと途切れることなく車が走っていて、伊勢・鳥羽方面が観光地であることを印象付けられる。
伊勢西ICで降り、伊勢神宮外宮を目指すが、最悪なことに19時が門限で、到着は19時12分。
すんでのところで駄目であった。
実に、1991年に続く2度連続の目の前まで来て参拝できない事態となった。
門の外から二礼二拍手一礼をし、再び伊勢西ICから伊勢道を北上する。
ここで、渋滞情報を目にする。
四日市付近から25km、だそうである。
渋滞の中を横抜けする覚悟はしておいたが、実際にそうしたことは産業道路の外側帯とか国道225号くらいのもので、高速道路ではやったことがなかった。
で、実践の場が芸濃IC付近から始まった。
大渋滞の幕開けである。
路肩走行禁止は把握しているので、走行禁止でない走行車線と追越車線の間を時速30~40km/hの原付速度で抜いていく。
運悪く、ガソリンが残り5Lを切ったサインも出て、低速で燃費が悪いことを気にしつつ、50km程度は何とかなる、そう腹をくくって抜き続けた。
亀山JCTあたりで雨が降り出し、夜と渋滞と雨、三重苦の中を、とにかく抜けるには前進あるのみと言い聞かせてじわじわ進む。
途中スピードを出せる局面もあり、四日市ICの先で、それは起こった。
渋滞が解消されたのである。
約1時間近い渋滞との戦いに勝利し、最寄りの御在所SAで休憩&給油と相成った。
時計の針は21時13分を指していた。
四日市JCTから先は快調そのもので、今回宝暦治水碑を見に行けないことを無念に思いつつ、名古屋都市高速の白川ICで降り、ホテルの契約駐車場を目指す。
途中、iPad2で地図情報を見ることと、ホテルに遅れる連絡を入れ、栄の大通りを走る。
もうすぐ歩行者天国が導入される地域だそうだが、こうやって走れるのも貴重な体験をしたと言える。
ただ、ノーヘルの原付二人乗りが堂々と走っているのは考えものだと思うのだが、いかに。
複雑な一方通行にさいなまれつつ、2004年11月に4連泊した土地勘は健在、目的地周辺に入ってからはスマートに駐車場にバイクを停め、若者グループがどの店で飲むか話しているのを横目にホテルへチェックインした。
到着は22時18分のことであった。
走行距離は771.0km、所要時間は15時間28分であった。
体中が倦怠感を感じるのも、無理は、ない。
2012年05月06日
2012GWツーリングその1~鹿児島⇒高知
今年も恒例となりましたGWツーリング、今回は事前予告通り高知経由でバイクでは初の近畿&東海地方上陸となりました。
走行距離は今日宮崎へ寄り道のため1,882.2kmと、去年をしのぐものになりました。
特にきつかったのが2日目(5/4)の高知⇒名古屋の771kmですが、これは【その2】で触れることにして、今回は1日目(5/3)の鹿児島から高知への旅程について記します。
去年が雨に初日の午前中及び最終日でたたられ、今年はラニーニャ現象終了で本来の五月晴れになることを願っていたら、見事に天気はまずまずの出だし、よりにもよって早朝5時起きで支度を始め、5時40分には自宅を出発した。
佐賀関港のフェリーを1本でも早く、12時台に乗れればと思ってのことである。
指宿スカイラインの山田ICから北へ向かい、九州道、東九州道と来て末吉財部ICで降りたのが出発からちょうど1時間後の6時40分。
この辺の国道10号は原付の頃から20回以上走っていてすっかり道を覚えているほどなのだが、23時に出て1時半にこの辺を通った頃の不健康さに比べれば、幾分健康的になったものだとつくづく思った次第であった。
進行方向に見える朝日がいつもにも増して輝かしく見えた。
ここから往時から利用している裏道を経由して都城市の北側へ迂回して国道10号に戻り、都城ICから宮崎道、東九州道へと入っていく。
宮崎西IC付近で7時40分になったのを車載のデジタル時計で確認、そのまま北に進む。
なお、1日目を宮崎経由で通るのは2008年の125cc・現通勤車シグナスXで松山経由で瀬戸内海に浮かぶ岡村島などの芸予諸島を島伝いに走った時以来なのである。
すなわち、4年ぶりに天気の良い宮崎を走ったことになる。
オリンピックイヤーにふさわしいのかどうかは分からないが、来年が雨確定のフラグにならないことを願わずにはいられない。
高鍋ICで降り、これまた裏道の県道をひた走ってから国道10号に再合流、そして混雑が始まった。
川南町から都農町、日向市と、東国原前知事が就任する前から渋滞がひどい区間なのであるが、毎度必ず止まるポイント、絶対に感応式信号が動き、十数秒で信号が変わる交差点、絶対に一度で通過できない美々津大橋・・・。
毎度恒例で、もはや懐かしささえ感じてしまったほどである。
これも通常より1時間早く出発しているから生じる余裕からきているのかもしれない。
道の駅日向の手前で急ブレーキ&スリップで追突寸前となるが、これをうまく切り抜けたのもこの1年半で5回も転倒しているが故の応用力が生きたのかもしれない。
この先も気をつけねばと念じつつ、気づけば日向ICに初めて差し掛かっていた。
出発から3時間ほど経った8時42分のことであった。
東九州道を延岡南ICで降り、国道10号に合流、延岡市街を信号停車はたまにあるものの快適に走り抜け、いよいよ北の区間に差し掛かる。
通常ならば国道326号へ進むのだが、事前シミュレーションで、東九州道佐伯~臼杵間を利用すると距離が短くなる試算が出ていたため、天候次第としていたのだが、前日の雨も止んでいたため、路面状況を見て、このまま10号宗太郎を突っ走ってみることに決したのである。
とは言え、路面が濡れていることに変わりはなく、スピードを抑え目にしながらの北上となったが、宗太郎付近を通過した頃に時計は9時43分を指していた。
真横の日豊線を787系にちりん4両編成が駆け抜けていく姿を目の当たりにし、今度は鉄道で景色を楽しむ余裕が欲しいと思ってしまう次第であった。
佐伯ICに入る道へ進むのは自分だけだったが、何とか標識通り進んで佐伯ICに入った。
東九州道佐伯~臼杵間は初めて走るが、北風が吹きつけるため横風に気をつけながら無難に進み、いつも通る国道502号から国道217号へと進んだ。
なお、4年前まで目印であった明屋書店、店舗移転だったようで、抜け道の近くに店舗があるらしい。
そこのY字交差点を進む時、対向車が曲がってくるのに気をつけつつ、後続が続くことから、客の入りに心配はなさそうである。
いつも給油するスタンドで給油し、ガソリン面で不安を取り除きつつ、時計を見たら10時43分。
うまくいったと喜んで佐賀関港へ。
125ccで全て一般道で進んだ時が6時間半。
このペースでは6時間切ることは確実になったからである。
相も変わらずのんびり走る軽トラの後ろを進んでいき、佐賀関港を11時に出発したフェリーを目にしてしばらくして佐賀関港に到着。
時計を見たら11時8分と、5時間28分で着いてしまったことになる。
高速道路に感謝である。
で、入口の誘導員からとんでもない真実を聞かされる。
「次は16時の便になりますが、乗られますか?」
よ、(午後)四時だとぉ~TT
計画では、13時の便に乗るはずであった。
で、それを上回る12時の便に間に合うはずであった。
しかし、現実は計画より3時間遅れの便になるのである。
臼杵港から別のフェリーも出ているが後の祭り、どっちに乗っても四国上陸は17時台となってしまった。
2005~2008の4年間は125ccでのツーリングながら、佐賀関港でせいぜい2時間待ちで乗船出来ていた。
しかし、近年は違うようである。
この文章を読まれた方は、九州~四国間のルート選定の際に、細心の注意を払って頂くことを留意していただきたい、そう強く思う。
ホテル予約時間22時、その間に計算できない新ルート・国道194号をどう走るのか、時間シミュレートしたり、四国の天候がこの先芳しくないという情報を踏まえてカッパを着込むかどうか考えたりして、出港の出番が来るまでひたすら4時間半も待つ羽目となった。

そうして待ち続けてようやく乗船、三崎港に着いたのが17時15分、いよいよ東へ向けて進むのだが、三崎港の先の交差点が常時点灯に変わっていて、信号が短く、出るのに時間がかかった。
思わぬブレーキとなったが、夕暮れの中、国道197号~メロディーロードを快適に進む。
国道378号へ入り、こちらも快走。
ただ、波がやや高かったせいか、所々の路面に水たまりが。
そして、行く先に何やら怪しい雲がかかっているのを目の当たりにした。
「こりゃ降るな・・・」
そして案の定、弱い雨だが降ってきた。
しかし、天気雨気味のため、晴れ間の向こうに虹がかかる。
夕暮れの中、幻想的な光景である。
しかも、それが三個所で。
ホテルの時間を気にして、写真に収めなかった自分が、今思えばふがいないものである。
国道56号に合流して、夕飯を摂るべく、「そば吉合掌苑」へ。
【そば吉】は、私が一番好きなそば屋で、よく頼む「かつ丼・ざるそばセット」を注文。
少し肌寒いのにざるそばを食すのは、ここのそばはこしがあっておいしく、それを味わうにはざるそばが最適だからなのである。
19時半くらいになると予想していたものの、注文が出るのも早く、iPad2で天候の情報収集が終わる頃には料理が出てきた。
最後に蕎麦湯を注いで味わいながら飲み干し、店を出たのは19時4分、後は国道194号とまともに走ったことがない高知市内がカギを握る。
なお、電話で到着がフェリー乗船遅れの影響で23時になるかもしれないと伝えておいた。
後顧の憂いを取り除き、伊予ICから松山道をひたすら東へ。
桜三里も既に闇の中、去年のGWを彷彿とさせる状況ながら、ライトは明るいため、快適に進んでいき、時間が遅くなったことから計画より短く、いよ小松ICで降り、国道11号を東へ。
この国道11号、日中は混み合うものの、夜間はさすがに快適である。
道路標識に注意しつつ、ついに国道194号に入る。
時計は19時42分、いよいよ四国山地越えである。
川沿いのやや幅の狭い道を走るのだが、実に心細さ満点である。
先行車が次々と本線から外れていき、残ったのは自分のみ。
愛媛県側は概ね改良がよくされており、まあまあ快適に走っていく。
そして、1日目最大の目玉が、寒風山トンネル。
長さ5.4kmほど、西日本一長い一般国道トンネルなのである。
ただ、山深い景色を堪能できず、漆黒の闇の中、その正体を現したにすぎなかったのだが・・・。
目玉なのに、お出ましが20時過ぎというのが何とも虚しい限りである。
トンネル内はただ一直線、やや上り勾配気味に駆け抜けるだけで、5kmもまっすぐなトンネルは恐らくここくらいなのでは、と感じたほどである。
まあ、私が走ったことがあるのは中四国の主要道路と九州の大半なので、関越トンネルとか走ってみたら感想も変わってくるに違いない。
ま、走る機会は生涯通して一度もないかもしれないが。
寒風山トンネルを抜け、待ち受けていたのは四国山地の険しいカーブ道の連続に濡れた路面であった。
霧もかかっているところがあり、速度を40km/h程度に抑えて走るのだが、所々にきついカーブの道があり、決して気が抜けない。
途中、有名な国道439号が合流して、ボルテージ最高潮になることもなく、ただひたすらにこの公文ならぬ苦悶ロードを何時に無事抜け出せるのか、という一点にのみ集中して、目の前をひたすら凝視し続けるのみであった。
長く続く高知県いの町に辟易しつつ、地図で確認していた急勾配・急カーブポイントを過ぎ、ようやく川沿いの道に出て、ゴールへの中間地点を過ぎたことを実感、さらに集中して進む。
バイクで走る上で怖いのが、雨、濡れた路面、夜、圏外、霧、急カーブであるが、雨以外は全て該当していた以上、尋常でない集中ぶりであった。
仁淀川沿いを走り、ようやく国道33号との合流を示す標識を見たときは、とてもうれしかった。
やっとまともな道を走れる安堵感が、そこにはあったのである。
しかし、青信号が無情にも赤に変わり、濡れた路面でバイクは急には止まれない。
すさまじく「キュキュキュイーン」と後輪がスリップしつつ、奇跡的に交差点のど真ん中でバイクは止まった。
交差する国道33号側の信号が青に変わったばかりなので、お恥ずかしい姿をさらしてしまったわけである。
とは言え、無事国道33号までたどり着いたので、すぐさまエンジンを再起動させ、東へ進んでいく。
高知市内及びその近郊は、土佐電鉄の路線が各所を走っている。
いの線もその一つで、道路の左手を走っており、その軌道敷に入らないよう気をつけながら先へ進む。
高知市街地へ入り、泊まるホテルは2010年に室戸岬へ車で行ったときに宿泊したところで、高知城や県庁からほど近いことだけは把握していた。
鹿児島市内や松山市内のような路面電車が駆け抜ける光景にほおを緩ませつつ、道路標識が示す【県庁○km】などに注意して、県道へと進む標識に従って左折する。
途中、当時来たことのある商店街のアーケードを見て、この道で間違いないことを確信、ホテルに無事着いたのは21時半。
何と、フェリーが3時間遅れでも間に合ってしまったのである。
ただ、翌日の天候が、滋賀県及び岐阜県で良くないことをiPad2からの情報で知り、ルート変更を模索、結果、2日目と3日目の行程を入れ替えることにし、中国道までは一緒で、近畿地方の観光を先に行うことにしたのである。
【1日目走行距離・577.9km、所要時間15時間50分(フェリー乗船待ち時間含む)】
・・・その2に続く。
走行距離は今日宮崎へ寄り道のため1,882.2kmと、去年をしのぐものになりました。
特にきつかったのが2日目(5/4)の高知⇒名古屋の771kmですが、これは【その2】で触れることにして、今回は1日目(5/3)の鹿児島から高知への旅程について記します。
去年が雨に初日の午前中及び最終日でたたられ、今年はラニーニャ現象終了で本来の五月晴れになることを願っていたら、見事に天気はまずまずの出だし、よりにもよって早朝5時起きで支度を始め、5時40分には自宅を出発した。
佐賀関港のフェリーを1本でも早く、12時台に乗れればと思ってのことである。
指宿スカイラインの山田ICから北へ向かい、九州道、東九州道と来て末吉財部ICで降りたのが出発からちょうど1時間後の6時40分。
この辺の国道10号は原付の頃から20回以上走っていてすっかり道を覚えているほどなのだが、23時に出て1時半にこの辺を通った頃の不健康さに比べれば、幾分健康的になったものだとつくづく思った次第であった。
進行方向に見える朝日がいつもにも増して輝かしく見えた。
ここから往時から利用している裏道を経由して都城市の北側へ迂回して国道10号に戻り、都城ICから宮崎道、東九州道へと入っていく。
宮崎西IC付近で7時40分になったのを車載のデジタル時計で確認、そのまま北に進む。
なお、1日目を宮崎経由で通るのは2008年の125cc・現通勤車シグナスXで松山経由で瀬戸内海に浮かぶ岡村島などの芸予諸島を島伝いに走った時以来なのである。
すなわち、4年ぶりに天気の良い宮崎を走ったことになる。
オリンピックイヤーにふさわしいのかどうかは分からないが、来年が雨確定のフラグにならないことを願わずにはいられない。
高鍋ICで降り、これまた裏道の県道をひた走ってから国道10号に再合流、そして混雑が始まった。
川南町から都農町、日向市と、東国原前知事が就任する前から渋滞がひどい区間なのであるが、毎度必ず止まるポイント、絶対に感応式信号が動き、十数秒で信号が変わる交差点、絶対に一度で通過できない美々津大橋・・・。
毎度恒例で、もはや懐かしささえ感じてしまったほどである。
これも通常より1時間早く出発しているから生じる余裕からきているのかもしれない。
道の駅日向の手前で急ブレーキ&スリップで追突寸前となるが、これをうまく切り抜けたのもこの1年半で5回も転倒しているが故の応用力が生きたのかもしれない。
この先も気をつけねばと念じつつ、気づけば日向ICに初めて差し掛かっていた。
出発から3時間ほど経った8時42分のことであった。
東九州道を延岡南ICで降り、国道10号に合流、延岡市街を信号停車はたまにあるものの快適に走り抜け、いよいよ北の区間に差し掛かる。
通常ならば国道326号へ進むのだが、事前シミュレーションで、東九州道佐伯~臼杵間を利用すると距離が短くなる試算が出ていたため、天候次第としていたのだが、前日の雨も止んでいたため、路面状況を見て、このまま10号宗太郎を突っ走ってみることに決したのである。
とは言え、路面が濡れていることに変わりはなく、スピードを抑え目にしながらの北上となったが、宗太郎付近を通過した頃に時計は9時43分を指していた。
真横の日豊線を787系にちりん4両編成が駆け抜けていく姿を目の当たりにし、今度は鉄道で景色を楽しむ余裕が欲しいと思ってしまう次第であった。
佐伯ICに入る道へ進むのは自分だけだったが、何とか標識通り進んで佐伯ICに入った。
東九州道佐伯~臼杵間は初めて走るが、北風が吹きつけるため横風に気をつけながら無難に進み、いつも通る国道502号から国道217号へと進んだ。
なお、4年前まで目印であった明屋書店、店舗移転だったようで、抜け道の近くに店舗があるらしい。
そこのY字交差点を進む時、対向車が曲がってくるのに気をつけつつ、後続が続くことから、客の入りに心配はなさそうである。
いつも給油するスタンドで給油し、ガソリン面で不安を取り除きつつ、時計を見たら10時43分。
うまくいったと喜んで佐賀関港へ。
125ccで全て一般道で進んだ時が6時間半。
このペースでは6時間切ることは確実になったからである。
相も変わらずのんびり走る軽トラの後ろを進んでいき、佐賀関港を11時に出発したフェリーを目にしてしばらくして佐賀関港に到着。
時計を見たら11時8分と、5時間28分で着いてしまったことになる。
高速道路に感謝である。
で、入口の誘導員からとんでもない真実を聞かされる。
「次は16時の便になりますが、乗られますか?」
よ、(午後)四時だとぉ~TT
計画では、13時の便に乗るはずであった。
で、それを上回る12時の便に間に合うはずであった。
しかし、現実は計画より3時間遅れの便になるのである。
臼杵港から別のフェリーも出ているが後の祭り、どっちに乗っても四国上陸は17時台となってしまった。
2005~2008の4年間は125ccでのツーリングながら、佐賀関港でせいぜい2時間待ちで乗船出来ていた。
しかし、近年は違うようである。
この文章を読まれた方は、九州~四国間のルート選定の際に、細心の注意を払って頂くことを留意していただきたい、そう強く思う。
ホテル予約時間22時、その間に計算できない新ルート・国道194号をどう走るのか、時間シミュレートしたり、四国の天候がこの先芳しくないという情報を踏まえてカッパを着込むかどうか考えたりして、出港の出番が来るまでひたすら4時間半も待つ羽目となった。

そうして待ち続けてようやく乗船、三崎港に着いたのが17時15分、いよいよ東へ向けて進むのだが、三崎港の先の交差点が常時点灯に変わっていて、信号が短く、出るのに時間がかかった。
思わぬブレーキとなったが、夕暮れの中、国道197号~メロディーロードを快適に進む。
国道378号へ入り、こちらも快走。
ただ、波がやや高かったせいか、所々の路面に水たまりが。
そして、行く先に何やら怪しい雲がかかっているのを目の当たりにした。
「こりゃ降るな・・・」
そして案の定、弱い雨だが降ってきた。
しかし、天気雨気味のため、晴れ間の向こうに虹がかかる。
夕暮れの中、幻想的な光景である。
しかも、それが三個所で。
ホテルの時間を気にして、写真に収めなかった自分が、今思えばふがいないものである。
国道56号に合流して、夕飯を摂るべく、「そば吉合掌苑」へ。
【そば吉】は、私が一番好きなそば屋で、よく頼む「かつ丼・ざるそばセット」を注文。
少し肌寒いのにざるそばを食すのは、ここのそばはこしがあっておいしく、それを味わうにはざるそばが最適だからなのである。
19時半くらいになると予想していたものの、注文が出るのも早く、iPad2で天候の情報収集が終わる頃には料理が出てきた。
最後に蕎麦湯を注いで味わいながら飲み干し、店を出たのは19時4分、後は国道194号とまともに走ったことがない高知市内がカギを握る。
なお、電話で到着がフェリー乗船遅れの影響で23時になるかもしれないと伝えておいた。
後顧の憂いを取り除き、伊予ICから松山道をひたすら東へ。
桜三里も既に闇の中、去年のGWを彷彿とさせる状況ながら、ライトは明るいため、快適に進んでいき、時間が遅くなったことから計画より短く、いよ小松ICで降り、国道11号を東へ。
この国道11号、日中は混み合うものの、夜間はさすがに快適である。
道路標識に注意しつつ、ついに国道194号に入る。
時計は19時42分、いよいよ四国山地越えである。
川沿いのやや幅の狭い道を走るのだが、実に心細さ満点である。
先行車が次々と本線から外れていき、残ったのは自分のみ。
愛媛県側は概ね改良がよくされており、まあまあ快適に走っていく。
そして、1日目最大の目玉が、寒風山トンネル。
長さ5.4kmほど、西日本一長い一般国道トンネルなのである。
ただ、山深い景色を堪能できず、漆黒の闇の中、その正体を現したにすぎなかったのだが・・・。
目玉なのに、お出ましが20時過ぎというのが何とも虚しい限りである。
トンネル内はただ一直線、やや上り勾配気味に駆け抜けるだけで、5kmもまっすぐなトンネルは恐らくここくらいなのでは、と感じたほどである。
まあ、私が走ったことがあるのは中四国の主要道路と九州の大半なので、関越トンネルとか走ってみたら感想も変わってくるに違いない。
ま、走る機会は生涯通して一度もないかもしれないが。
寒風山トンネルを抜け、待ち受けていたのは四国山地の険しいカーブ道の連続に濡れた路面であった。
霧もかかっているところがあり、速度を40km/h程度に抑えて走るのだが、所々にきついカーブの道があり、決して気が抜けない。
途中、有名な国道439号が合流して、ボルテージ最高潮になることもなく、ただひたすらにこの公文ならぬ苦悶ロードを何時に無事抜け出せるのか、という一点にのみ集中して、目の前をひたすら凝視し続けるのみであった。
長く続く高知県いの町に辟易しつつ、地図で確認していた急勾配・急カーブポイントを過ぎ、ようやく川沿いの道に出て、ゴールへの中間地点を過ぎたことを実感、さらに集中して進む。
バイクで走る上で怖いのが、雨、濡れた路面、夜、圏外、霧、急カーブであるが、雨以外は全て該当していた以上、尋常でない集中ぶりであった。
仁淀川沿いを走り、ようやく国道33号との合流を示す標識を見たときは、とてもうれしかった。
やっとまともな道を走れる安堵感が、そこにはあったのである。
しかし、青信号が無情にも赤に変わり、濡れた路面でバイクは急には止まれない。
すさまじく「キュキュキュイーン」と後輪がスリップしつつ、奇跡的に交差点のど真ん中でバイクは止まった。
交差する国道33号側の信号が青に変わったばかりなので、お恥ずかしい姿をさらしてしまったわけである。
とは言え、無事国道33号までたどり着いたので、すぐさまエンジンを再起動させ、東へ進んでいく。
高知市内及びその近郊は、土佐電鉄の路線が各所を走っている。
いの線もその一つで、道路の左手を走っており、その軌道敷に入らないよう気をつけながら先へ進む。
高知市街地へ入り、泊まるホテルは2010年に室戸岬へ車で行ったときに宿泊したところで、高知城や県庁からほど近いことだけは把握していた。
鹿児島市内や松山市内のような路面電車が駆け抜ける光景にほおを緩ませつつ、道路標識が示す【県庁○km】などに注意して、県道へと進む標識に従って左折する。
途中、当時来たことのある商店街のアーケードを見て、この道で間違いないことを確信、ホテルに無事着いたのは21時半。
何と、フェリーが3時間遅れでも間に合ってしまったのである。
ただ、翌日の天候が、滋賀県及び岐阜県で良くないことをiPad2からの情報で知り、ルート変更を模索、結果、2日目と3日目の行程を入れ替えることにし、中国道までは一緒で、近畿地方の観光を先に行うことにしたのである。
【1日目走行距離・577.9km、所要時間15時間50分(フェリー乗船待ち時間含む)】
・・・その2に続く。