2014年01月03日
正月の帰省
10年ぶりに鹿児島市外で過ごす正月。
ゆっくりできるかと言えばそうでもなく、10年前は大みそか前に中国・四国地方へ買ったばかりの125ccスクーターでツーリングへ赴くも、スピードメーターのタイヤ接続部が整備ミスで外れ、しまなみ海道を通過中に走行速度がだいたいしか分からなくなる大ピンチに見舞われた・・・というのを引き継いだか、仕事で出勤する日もありました。
前職ならば8連休でしたが、待遇がいい分、こういう面で妥協も必要です。
特に仕事面で不満を持つこともなく、仕事の合間を縫って帰省し、姪っ子と戯れるのは2度目ながらも、すっかり正月名物になってきた感があります。
プレゼントしたおもちゃが、まさかの12歳以上向けだったのはさておいて、ビール4杯を飲んだ身に姪っ子を高い高いするのは、一種の罰ゲームでした。
しかし、それ以上の罰ゲームだったのが、今年はカラオケを始めてしまい、私が4歳児の時に親戚宅で歌ったという「北酒場」を父が勝手に選曲。
まあ、私はカラオケを歌うために帰省したわけではないので、何も歌わずに終了したら、父が説教モードに。
物心ついている姪がいる中で心外なことを言ってくる父に対して親子絶縁も辞さずと強硬姿勢を取ったところでさすがの父も旗色が悪いと感づいたか和戦の様相を呈して矛を収め、既に0時半を回っていたため、幼児2名をこんな時間まで夜更かしさせてよいのかと元教師としての一面ものぞかせつつ、何も言わずに自室へ引き上げ、就寝します。
寝袋を調達して置いていたのですが、どういう風の吹きまわしか、新調した布団一式が置いてあり、その中へ寝ます。
桜ケ丘へ引っ越す前の実家暮らし以来の実家で就寝、というわけで、色んなことを考えながら20分くらいしたら夢の中へ入っていきました。
翌朝、1時半まで夜更かしした父や妹家族は就寝中、私の方は前職から基本的に規則正しい生活をしているため、祖父の家での年末年始の時と立場逆転、お年玉を預けてYBR250にまたがり実家を後にし、ここからは年始恒例の墓参へ赴きます。
例年よりも暖かいとは言え、朝8時台はまだ寒く、皇徳寺・松元と自分ゆかりの地を駆け抜けて、伊集院での墓参後にそばを食して、10年前の川内暮らし時のルートを駆けて阿久根でガソリン給油となりましたが、159円/Lで安く済みました。
無事墓参を済ませ、さてどうやって大隅へ帰ろうか、と思うわけですが、途中のそば屋に日本地図があり、そこを眺めて得たのは、川内から空港道路で加治木まで移動して、そこから東へ向かえば良い、というものでした。
というわけで、川内暮らし以来の空港道路で東へひた走り、加治木から国道10号、220号、504号と知っている道そろい踏みで帰宅したのが鹿児島を出てから5時間半後のことでした。
なお、明日もまた同窓会のため、実家へ戻ります。
ここを過ぎれば彼岸まで鹿児島へ行く用事もなく、部品到着遅延の問題でお預けとなっているスクーターの部品交換をどうするのか、天候と休日次第で判断することになりそうですが、この先寒さは厳しくなるばかりで、春を待つのが賢明に思えます。
ゆっくりできるかと言えばそうでもなく、10年前は大みそか前に中国・四国地方へ買ったばかりの125ccスクーターでツーリングへ赴くも、スピードメーターのタイヤ接続部が整備ミスで外れ、しまなみ海道を通過中に走行速度がだいたいしか分からなくなる大ピンチに見舞われた・・・というのを引き継いだか、仕事で出勤する日もありました。
前職ならば8連休でしたが、待遇がいい分、こういう面で妥協も必要です。
特に仕事面で不満を持つこともなく、仕事の合間を縫って帰省し、姪っ子と戯れるのは2度目ながらも、すっかり正月名物になってきた感があります。
プレゼントしたおもちゃが、まさかの12歳以上向けだったのはさておいて、ビール4杯を飲んだ身に姪っ子を高い高いするのは、一種の罰ゲームでした。
しかし、それ以上の罰ゲームだったのが、今年はカラオケを始めてしまい、私が4歳児の時に親戚宅で歌ったという「北酒場」を父が勝手に選曲。
まあ、私はカラオケを歌うために帰省したわけではないので、何も歌わずに終了したら、父が説教モードに。
物心ついている姪がいる中で心外なことを言ってくる父に対して親子絶縁も辞さずと強硬姿勢を取ったところでさすがの父も旗色が悪いと感づいたか和戦の様相を呈して矛を収め、既に0時半を回っていたため、幼児2名をこんな時間まで夜更かしさせてよいのかと元教師としての一面ものぞかせつつ、何も言わずに自室へ引き上げ、就寝します。
寝袋を調達して置いていたのですが、どういう風の吹きまわしか、新調した布団一式が置いてあり、その中へ寝ます。
桜ケ丘へ引っ越す前の実家暮らし以来の実家で就寝、というわけで、色んなことを考えながら20分くらいしたら夢の中へ入っていきました。
翌朝、1時半まで夜更かしした父や妹家族は就寝中、私の方は前職から基本的に規則正しい生活をしているため、祖父の家での年末年始の時と立場逆転、お年玉を預けてYBR250にまたがり実家を後にし、ここからは年始恒例の墓参へ赴きます。
例年よりも暖かいとは言え、朝8時台はまだ寒く、皇徳寺・松元と自分ゆかりの地を駆け抜けて、伊集院での墓参後にそばを食して、10年前の川内暮らし時のルートを駆けて阿久根でガソリン給油となりましたが、159円/Lで安く済みました。
無事墓参を済ませ、さてどうやって大隅へ帰ろうか、と思うわけですが、途中のそば屋に日本地図があり、そこを眺めて得たのは、川内から空港道路で加治木まで移動して、そこから東へ向かえば良い、というものでした。
というわけで、川内暮らし以来の空港道路で東へひた走り、加治木から国道10号、220号、504号と知っている道そろい踏みで帰宅したのが鹿児島を出てから5時間半後のことでした。
なお、明日もまた同窓会のため、実家へ戻ります。
ここを過ぎれば彼岸まで鹿児島へ行く用事もなく、部品到着遅延の問題でお預けとなっているスクーターの部品交換をどうするのか、天候と休日次第で判断することになりそうですが、この先寒さは厳しくなるばかりで、春を待つのが賢明に思えます。