2013年04月10日
毎年恒例になってきた4月同窓会の準備中
あの東日本大震災を契機に、いつ人生が終わるか分からない、だからこそ悔いを残したくない。それと18年の沈黙を破って久々にFBを介して同級生と旧交を温めるきっかけをと、2011年4月29日、まあ当時私が転校した日にちになるのですが、7人が集まって酒を飲み交わした、というのがこの会の始まりでありました。
メンバー皆と当時仲が良かったわけではありません。
当時の自宅から100m少々しか離れていないのに仲違いしている方や、学校で顔を合わす度に何かと嫌味な言葉を投げかけてくる方、中には一切同じクラスでなかった方で接点がないにも関わらずわざわざ来てもらって、過去をはるかに超越した楽しい時間を持てました。
以後、去年呼びかけと恩師の招待を担当し、一人は不良生徒対応のため急きょドタキャンながらも参加メンバーは増えて13名+先生1名となり、刑法で処罰される事案に遭遇するというハプニングはあったものの、恩師を交えて色んな話で盛り上がりました。
なぜ恩師をお招きするか、答えは転校後の私の行動にあります。
転校してしばらくして、6月は日曜参観があります。
日曜日に学校がありますので、翌月曜日は休みとなります。
転校先と前の学校で日曜参観実施日が1日異なるため、休みとなった月曜日を利用して1日だけ前の学校に「復帰できないか」、恩師に電話で相談しました。
たまたまその日は学活の時間が組まれており、その時間がある5限目に「出没」が許可され、2ヶ月ぶりに「母校」へ帰還したのでした。
そうした粋な計らいを受けてきた身としては、生徒会役員選挙で当選させてもらった恩を返すべく、普段の自分では有り得ない程バイタリティ溢れる企画実行力でもって、何か面白い試みはできないものか、そう考えているわけです。
というわけで、今年は目玉に学校を借りての恩師に授業をやって頂き、自分にとっては20年ぶりに当時の思い出に浸ろう、そんな次第でただ今準備中です。
恩師といっても現場の第一線にいない方もおられますので、まあここでの評価は勤務評価につながらないことをお伝えしているのはさておき、否定的な意見は出なかったため、後は許可が出るかどうかによります。
恩師の反応は、いずれも苦笑から始まりました。
そりゃ、既に卒業した連中がまた授業を受けたい、というのですから、勘弁して欲しいと思うのが常でしょう。
ただ、昨年の宴会の場では、どうも記憶が呼び覚まされ切れていないような気がして、そこを掘り下げるべく仕掛けとして、先生方にお願い致しました。
滅多に他人にお願いごとをしない私としては異例の行動ですが、在住中母を亡くし、父の防犯ミスで家を売り、誇りや希望といったものを失ったものの、それでも残ったのは多くの思い出であった、であるならば、生ある内に変えられない過去にこだわるよりも自らで生み出していける共有できる思い出を作っていこう、その為には手段を選ばないというものです。
20代の間は野心で満ち満ちていた私ではありますが、事同級生のことでありますとか、当時の恩人のことでありますとか、そういった方々へは面白さを与えられるかといったこと以外で打算はありません。
でなければ18年間も表へ出て来なかったことの説明がつきません。
さて、今年もまた久々に顔を合わせる方々も出てきそうですが、より多くの方と楽しい時間を過ごしたいものです。
メンバー皆と当時仲が良かったわけではありません。
当時の自宅から100m少々しか離れていないのに仲違いしている方や、学校で顔を合わす度に何かと嫌味な言葉を投げかけてくる方、中には一切同じクラスでなかった方で接点がないにも関わらずわざわざ来てもらって、過去をはるかに超越した楽しい時間を持てました。
以後、去年呼びかけと恩師の招待を担当し、一人は不良生徒対応のため急きょドタキャンながらも参加メンバーは増えて13名+先生1名となり、刑法で処罰される事案に遭遇するというハプニングはあったものの、恩師を交えて色んな話で盛り上がりました。
なぜ恩師をお招きするか、答えは転校後の私の行動にあります。
転校してしばらくして、6月は日曜参観があります。
日曜日に学校がありますので、翌月曜日は休みとなります。
転校先と前の学校で日曜参観実施日が1日異なるため、休みとなった月曜日を利用して1日だけ前の学校に「復帰できないか」、恩師に電話で相談しました。
たまたまその日は学活の時間が組まれており、その時間がある5限目に「出没」が許可され、2ヶ月ぶりに「母校」へ帰還したのでした。
そうした粋な計らいを受けてきた身としては、生徒会役員選挙で当選させてもらった恩を返すべく、普段の自分では有り得ない程バイタリティ溢れる企画実行力でもって、何か面白い試みはできないものか、そう考えているわけです。
というわけで、今年は目玉に学校を借りての恩師に授業をやって頂き、自分にとっては20年ぶりに当時の思い出に浸ろう、そんな次第でただ今準備中です。
恩師といっても現場の第一線にいない方もおられますので、まあここでの評価は勤務評価につながらないことをお伝えしているのはさておき、否定的な意見は出なかったため、後は許可が出るかどうかによります。
恩師の反応は、いずれも苦笑から始まりました。
そりゃ、既に卒業した連中がまた授業を受けたい、というのですから、勘弁して欲しいと思うのが常でしょう。
ただ、昨年の宴会の場では、どうも記憶が呼び覚まされ切れていないような気がして、そこを掘り下げるべく仕掛けとして、先生方にお願い致しました。
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タグ :同窓会
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Posted by yochi at 17:41│Comments(0)
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