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プロフィール
yochi
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教員免許を小中高取ったはよかったものの、平成の間は教採一次試験が一度も合格できず・・・。
そんな管理人は、パワハラがはびこる三流○○ック企業で5年半に渡り数々の辛酸をなめた後、招聘された印刷会社のWEB部門で2013年3月に1級ウェブデザイン技能士を取るなど2年間在籍して成長を遂げた後、結構有名な会社に課長職も含め9年弱勤務。
が、定期昇給が無く、頑張り甲斐が無くなったので、元部下の話から教採を15年ぶりに受け始め、令和になって毎年二次試験まで進出できるように。教員免許の追加取得に向けて通信制大学で学び、免許の取得の条件が「人物に関する証明書」の取得で、二次試験落ちから考えられる実地経験の必要性から18年ぶりに臨採教員に復帰。
そして令和6年度から正規教員として勤務開始。
国の宝の子どもたちの育成のため、これまでの経験を活かして頑張ります。
~~所有国家資格~~
【1級ウェブデザイン技能士】
【基本情報技術者】
【2級ファイナンシャル・プランニング技能士(個人資産)】
【乙種危険物取扱者(第4類)】
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Posted by チェスト at

2010年11月23日

YBR250の慣らし運転で東奔西走

20日に納車となったYBR250の慣らし運転に、危険物取扱者乙種試験が終わった21日の昼前から友人の住む伊佐市に向けて出発しました。

中国語(ほぼ読めませんが;;)の取扱説明書によると、最初の1,000kmはエンジン回転数5,000rpmまで、1,600km(1,000マイル)までは6,000rpmまでと書かれています。
これをトップギアの時速に置き換えると、それぞれ75km/h、90km/hとなります。
よって、高速道路は走っても80km/hに満たないので1,000kmを超えるまでは事実上走行できないことになり、谷山インターから中山インターまで指宿スカイラインを初めてバイクで走りました。
車に追い抜かれることしばしでしたが、エンジンを長持ちさせるための慣らし運転ですので、最初だけと思って気にしないことにしました。

皇徳寺団地北口、田上地区、荒田地区と抜け、桜島フェリーに乗って大隅半島回りで国分、セミナーの際にも向かった鹿児島空港前、横川を通って伊佐市に入り、十数分でまた入来峠を越えて帰宅しました。この時は200kmほど走りました。


今日、同じ友人が車で私の家に到着、処分する段ボールを積んで私はバイクでまた指宿スカイラインを走り、松元地区の回収屋へ段ボールを引き渡し、途中そばをすすってから入来峠を越え、伊佐市のスタンドでガソリンを10L弱補給、布計地区へ赴き、旧布計小学校跡にある旧日本軍の戦闘機模型と薩摩布計駅跡を見てみました。まださほど中型バイクに乗りこなせていない人間には少々きつい道を走りましたが、かつての鉄路を思い起こさせたロマンをかきたてるにはそんなシチュエーションになるのも仕方ないかなと思いました。

別の山野線跡の踏み切り跡スポットを見た後、Uターンするときに失速して坂に傾いて初転倒となりましたが、重量138kgの車体とクラスでも軽量に入る重量、時速0km/hでの普通の転倒で済んだことに救われ、けがは一切なく、ハンドルの右端とマフラーに少々の傷が付いただけで済みました。

時間が余ったので、さらに距離を稼ぐべく熊本県境の久七トンネルを抜け、宮崎県境の人吉ループ&加久藤トンネル&加久藤ループを抜けて、JR吉松駅でトイレ休憩ののち、別々の帰路で撤収しました。

帰りは栗野、横川、溝辺、蒲生まで順調に抜けていったものの、蒲生から道を誤って県道211号蒲生・川田・小山田線に紛れ込み、途中は道が広かったものの途中から布計地区の悪路以上の道になり、以前川内に住んでいたときにも蒲生町付近で道を誤って夜空の下で訳も分からぬまま山道を駆け廻った記憶がよみがえり、無事出れるのか不安でしたが、「川田」「小山田」とも鹿児島市です。そうこうしていくうちに県道40号に復帰し、無事帰りつけました。

今日の走行距離は280kmほどで、総走行距離は499kmになりました。
慣らし運転に伴う高速解禁まであと501kmですが、どこかすきを見て宮崎方面まで走って、王手をかけたいと思います。  
タグ :YBR250


Posted by yochi at 23:45Comments(0)旅行記