2017年03月30日
国鉄大隅線・志布志線廃線から30年
体調不良も、今月半ばくらいからやっと良くなりはじめ、今現在はたまにくしゃみと鼻水が出る程度で、ほぼ良くなりました。
元気になったこともあり、先週末は大隅半島各地へ出かけておりました。
まず、土曜日はあいにくの天気でしたが、滝を見に南下します。
最初に向かったのが雄川の滝。
最初ナビに入れた場所では、発電所の方に行ってしまい、急坂をバックで上るという経験もしてしまいましたが、大きな道に沿って橋を渡って迂回して無事に到着しました。駐車スペースが6~7台程度整備されており、自分しかおりませんでした。
錦江町と南大隅町の境にあり、錦江町が整備した展望所はきれいで、眺めもまた素晴らしいものでした。

次に、小学校の恩師が校長を務める小学校の校区内でもある神川大滝へ。
広域農道を走らされ、途中細い道へ誘導されたため無視して直進してみたら、なんと上の橋を通るコースだったようで、急きょUターンでした。
細い道を抜けると、県道に出ます。
しばらく行くとナビに沿って狭い道へ誘導されるのですが、これがまた植物が林からぶら下がっている場所があり、かつ離合困難な道でもあり、対向車が来ないかヒヤヒヤしながら1km弱走り、たどり着いたところはつり橋の入り口。
ここも駐車スペースが4~5台ほどありましたので車を停め、つり橋を渡ります。
左側に見えてくるのが神川大滝です。


なかなか風情のあるきれいな滝です。
ただ、足元の側溝のふたみたいなスケルトン箇所が8箇所ほどあり、そこを通る時は少々腰が抜けそうでした。
家から2時間弱でこれらの場所を巡れますので、今度来客が来た際は案内しようと思います。
翌日、天気が良くなり、前日滝に向かう途中、吾平町を通ったのですが、鉄道記念館があったような記憶があり、今月半ばに鹿屋の鉄道記念館に行っていたこと、また、大隅線が廃線となって今月で30年ということもあり、廃線巡りをしようかと、まずは吾平駅跡へ向かいました。



私が大隅線の廃線跡をたどるのは今回が初めてと言って良いのですが、知る限り大隅線の線路跡がそのまま残る場所の1つだと思います。
鉄路は寸断されてしまってますが、雰囲気は良く伝わってきます。
妄想鉄道ファンではないのですが、線路が残っているだけでもすごくイメージがしやすく、かつ往時の車両も駅のホームに停まっていますので、非常によい場所です。
残念なのは行財政改革の関係でおととし吾平の鉄道記念館が閉鎖されたことです。
どんな内容だったか気になるところですが、モータリゼーションには勝てないということなのでしょうか。
次に、大隅高山駅跡へ向かいます。
ここは線路が残されておらず、駅舎が残っているだけなのですが、駅前には30年以上前の活気を裏付ける商店が軒を連ねていました。
あいにく日曜日閉館ということで駅舎内に入ることはできませんでしたが、線路に面していた側には、鉄道駅としての機能をきちんと有していたことを示すものがちゃんと存在してくれていました。

駅名票と改札口、これを見たら、駅員の格好をした人が1名いて、乗客役の人がいれば、駅員ごっこができそうだと思いました。
30年経ってもきれいな状態なのは見事の一言で、にぎやかだった時代を感じさせます。
この後、串良、東串良、大崎方面の痕跡をたどりながら志布志に向かい、志布志市埋蔵文化財センターで開催中の「国鉄志布志線大隅線廃線30周年記念企画展」を見学します。
往時の鉄道職員の話を聞きつつ、様々な展示物や往時の映像を見ておりましたが、国鉄末期は運行本数も少なく、利用者も車社会の進展で減少しており、大隅線の垂水以北が廃線になるのは人口の少なさからやむなしと思うも、志布志線の西都城~末吉間は人口が多い地域でもありましたので、この区間だけでも残せたのではないか、という気はします。
いろいろと話をして思ったのが、主要駅間を結ぶ「東九州新幹線」を大隅線沿いに敷設してはどうか、というものです。


それぞれメリット・デメリットありますが、大隅半島・日南線経由にした方が、区間内の速達効果は高くなり、既存の日豊線の経営分離は避けられます。(日南線は経営分離となりますが…)
国鉄も大隅線も志布志線も無くなってしまって30年、東西の移動時間の長さが解消されないのが気になるところで、不満を解消に結び付ける交通網充実が求められている気がします。
(おまけ)昭和60年3月の西鹿児島駅・鹿児島駅の時刻表
元気になったこともあり、先週末は大隅半島各地へ出かけておりました。
まず、土曜日はあいにくの天気でしたが、滝を見に南下します。
最初に向かったのが雄川の滝。
最初ナビに入れた場所では、発電所の方に行ってしまい、急坂をバックで上るという経験もしてしまいましたが、大きな道に沿って橋を渡って迂回して無事に到着しました。駐車スペースが6~7台程度整備されており、自分しかおりませんでした。
錦江町と南大隅町の境にあり、錦江町が整備した展望所はきれいで、眺めもまた素晴らしいものでした。

次に、小学校の恩師が校長を務める小学校の校区内でもある神川大滝へ。
広域農道を走らされ、途中細い道へ誘導されたため無視して直進してみたら、なんと上の橋を通るコースだったようで、急きょUターンでした。
細い道を抜けると、県道に出ます。
しばらく行くとナビに沿って狭い道へ誘導されるのですが、これがまた植物が林からぶら下がっている場所があり、かつ離合困難な道でもあり、対向車が来ないかヒヤヒヤしながら1km弱走り、たどり着いたところはつり橋の入り口。
ここも駐車スペースが4~5台ほどありましたので車を停め、つり橋を渡ります。
左側に見えてくるのが神川大滝です。


なかなか風情のあるきれいな滝です。
ただ、足元の側溝のふたみたいなスケルトン箇所が8箇所ほどあり、そこを通る時は少々腰が抜けそうでした。
家から2時間弱でこれらの場所を巡れますので、今度来客が来た際は案内しようと思います。
翌日、天気が良くなり、前日滝に向かう途中、吾平町を通ったのですが、鉄道記念館があったような記憶があり、今月半ばに鹿屋の鉄道記念館に行っていたこと、また、大隅線が廃線となって今月で30年ということもあり、廃線巡りをしようかと、まずは吾平駅跡へ向かいました。



私が大隅線の廃線跡をたどるのは今回が初めてと言って良いのですが、知る限り大隅線の線路跡がそのまま残る場所の1つだと思います。
鉄路は寸断されてしまってますが、雰囲気は良く伝わってきます。
妄想鉄道ファンではないのですが、線路が残っているだけでもすごくイメージがしやすく、かつ往時の車両も駅のホームに停まっていますので、非常によい場所です。
残念なのは行財政改革の関係でおととし吾平の鉄道記念館が閉鎖されたことです。
どんな内容だったか気になるところですが、モータリゼーションには勝てないということなのでしょうか。
次に、大隅高山駅跡へ向かいます。
ここは線路が残されておらず、駅舎が残っているだけなのですが、駅前には30年以上前の活気を裏付ける商店が軒を連ねていました。
あいにく日曜日閉館ということで駅舎内に入ることはできませんでしたが、線路に面していた側には、鉄道駅としての機能をきちんと有していたことを示すものがちゃんと存在してくれていました。

駅名票と改札口、これを見たら、駅員の格好をした人が1名いて、乗客役の人がいれば、駅員ごっこができそうだと思いました。
30年経ってもきれいな状態なのは見事の一言で、にぎやかだった時代を感じさせます。
この後、串良、東串良、大崎方面の痕跡をたどりながら志布志に向かい、志布志市埋蔵文化財センターで開催中の「国鉄志布志線大隅線廃線30周年記念企画展」を見学します。
往時の鉄道職員の話を聞きつつ、様々な展示物や往時の映像を見ておりましたが、国鉄末期は運行本数も少なく、利用者も車社会の進展で減少しており、大隅線の垂水以北が廃線になるのは人口の少なさからやむなしと思うも、志布志線の西都城~末吉間は人口が多い地域でもありましたので、この区間だけでも残せたのではないか、という気はします。
いろいろと話をして思ったのが、主要駅間を結ぶ「東九州新幹線」を大隅線沿いに敷設してはどうか、というものです。


それぞれメリット・デメリットありますが、大隅半島・日南線経由にした方が、区間内の速達効果は高くなり、既存の日豊線の経営分離は避けられます。(日南線は経営分離となりますが…)
国鉄も大隅線も志布志線も無くなってしまって30年、東西の移動時間の長さが解消されないのが気になるところで、不満を解消に結び付ける交通網充実が求められている気がします。
(おまけ)昭和60年3月の西鹿児島駅・鹿児島駅の時刻表