2014年10月20日
東日本周遊鉄道旅行2014・3日目(10/13)
仕事疲れもピークに達してきたせいか、今夜の夕飯を外で食べた際、財布を家に忘れて来たことに気付き、前職で回転すし屋に行った際に財布を忘れて悲惨な展開になったことを踏まえて、小銭入れに千円札を予備費として入れておく習慣で助かった次第ですが、いよいよ今回の鉄道旅行も終盤に差し掛かりました。というわけで、今日はちょうど1週間前の3日目(10/13)の長岡から鹿児島までの旅程について記します。
前日の就寝は23時過ぎで、この日の起床は6時半。
やっと7時間ほど寝られるようになったものの、前2日間の合計睡眠時間と同じで、明日仕事の時に起きられるかと不安になりつつも、7時半に長岡駅に到着。
台風19号の進路について、この段階で九州南部は暴風雨にさらされており、夜の飛行機が飛ぶのかどうかも気にかかりつつ、まずは上越線で越後湯沢駅を目指す。
休日の朝とは言え、前日同様乗客の大半が高校生である。
しかも、下車したら、また別の制服を着た生徒が乗り込んでくる。
六日町駅までで高校生は下車していき、静かさを取り戻した列車は越後湯沢駅に到着した。
この区間は2年ぶりの乗車であり、しかも今年のGWには近くの関越道をバイクで走っている。
なぜかは分からないが、近年本州で一番よく行っている場所は湯沢町近辺と言えそうな状態である。
で、ここを始発とするはくたか4号に乗車すべく、六日町から乗る予定を変更して越後湯沢駅まで来たのであった。
で、当然だが、もう既にはくたか4号は停車していた。



北越急行所有の「スノーラビット」である。
A列車で行こう9でも走らせている681系2000番台である。
これが来年春の北陸新幹線開業で廃止となるわけなので、寂しい気持ちもあるが、しかし、まだまだイベント用などで走ってくれるのではないか、そんな期待もしている。
上越新幹線から乗り換えて乗り込む客が来る前に無事に自由席に座り、9:14に出発。
電車でGO!でも聞いた681系のチャイム音を聞いて、余韻に浸りつつ、途中赤倉信号場ではくたか同士のすれ違いのため、退避線に入る。
しばらくして、無事しんざ駅でトンネルを抜け、十日町駅で下車する。
これが最初で最後の681系2000番台乗車なのだなと思うと、かなり感傷的になってしまったのであるが、十日町で下りたのは、他でもない、今年のGWツーリングで、ご当地の名物・へぎそばを時間不足で食べに行けなかったことから、そのリベンジのため。
まさか5ヶ月後に再びこの地にこようとは思ってもいなかったが、せっかくのチャンス、しんざ駅から歩いていくのもどうかということで、駅を降りてまっすぐ小嶋屋さんに向かう。
十日町と言えば豪雪地帯として有名で、冬季に4mを超える雪が積もるのも珍しくないと、小学校の社会科で習った記憶があるが、駅前のアーケードはがん木風に作られていて、道路には消雪パイプもあって、雪対策は万全であった。
開店準備中の小嶋屋さんの前を一旦過ぎて、グーグルマップで気になったスナック「ルパン三世」を一目見てすぐ小嶋屋さんの前のベンチに腰掛けて、開店を待つ。
まだ10時過ぎ、開店は10時半(4~10月)のため、十日町のコミュニティFMを聴き、iPad2で羽田空港の飛行機の出発状況を見ながら、夜帰れるかどうか考えているうちに、一足先に店内へ誘導してもらえた。
品書きを見て、前日長岡で洋風カツ丼を食べられなかったため、奮発してへぎそば1人前と上天ぷらを注文。
厨房から「上天ぷら」を何度か確認する声が聞こえてきたが、1人目の客がいきなり上天ぷらを注文して来るとなれば、しっかり確認する必要はあるだろう。
十日町のそばはふのりをつなぎに使うそばで、こしがあり、それでいてつるつるの食感が味わえる。
広島・愛媛で展開するそば吉のそばが一番好きなのであるが、小嶋屋さんのそばも、実においしい。
前日に平泉で食したわんこそば以来の食事となったが、素材本来の味わいでいけばへぎそばに分があった。
店員とGWに来ようとして2km先まで来たが、時間が無くて断念して今回改めてやってきた、とてもおいしいそばだったなどと感想やら経緯やら話をし終えて、まだ2人目の客が来る前に店を出る。
十日町駅を11:19に出る飯山線の列車に乗らないといけないためで、駅から8分ほどということも分かっているため、気持ち的には楽に十日町駅まで戻ってきた。



戸狩野沢温泉駅行きの列車に乗り込み、飯山線を長野方面へ向かう。
さすがに2年前同様に上越線で関東に戻る気は、もう無かった。
基本的に1度乗った路線、1度通った路線は乗らない性分、2009年、2012年の鉄道旅行で乗ったことのない区間と言えば、新潟方面では磐越西線と只見線、そして飯山線しかなかった。
ただし、只見線はまだ復旧工事中で不通区間が存在しており、そのため磐越西線ルートとなったのである。
2011年3月11日に大きな地震に見舞われながらも、東日本大震災の被災地の方が目立ってしまい、すっかり霞んだ感がある長野県栄村を通る飯山線、内陸ということで津波がなかったことも幸いしたか、比較的ダメージは少なく済んだように思われる。
戸狩野沢温泉駅で反対ホームに停まっているディーゼルカーに乗り換え、長野駅を目指す。
が、ここで反対のボックス席に座っているおばちゃんから声をかけられる。
大阪から来たというそのおばちゃんに、これまでの旅程の話やらいろんな話をしていたが、やはりこの日の話題は台風19号で帰れるかどうか、といったことに。
関西が夕方以降全列車を止める、という話で、もう飛行機が飛ぶしか帰る方法がない、飛ばなきゃ宇都宮へ戻る、といったことを話して、再び車窓を眺めます。
北陸新幹線の路線も見えてきたところで、長野駅に到着。
待ち時間もそこそこあるため、去年バイクで行っていながら買えなかった善光寺の土産を買って、先行列車のE7系を撮影して、すぐに入線してきたE2系に乗車する。
なお、13日が帰宅ラッシュになることを想定済のため、事前に指定席特急券を購入済みである。
乗車してすぐに、隣の席に若い男性が座って来たが、どうにも機嫌が悪い感じで、乗っている身としても肩身が狭い。
しばらくして、反対側の3人がけ席に子連れの夫婦と、その友達か姉妹と思しき女性がやってきて、ご主人が隣席の男性に「席が違うんじゃないですか」といった話をして、隣席の男性は号車を間違えたことに気付き、詫びを入れた後立ち去り、その女性が座った。
息苦しさは解消されるも、トンネル区間も多い長野県区間、iPad2でひたすら地図を眺めて、現在地点がどこかといったものを、ずっと凝視していた。
佐久平駅では、2009年に泊まったホテルがあり、昨年2013年のGWツーリングでは駅前にバイクでやってきていて、外の景色を眺めては懐かしい気分に浸っていた。
そして、次の軽井沢駅では、2009年に碓井線のバスからしなの鉄道線へ乗り換える時に降り立っており、台風のもたらす湿気の影響か、霧が湧いている中を、「風立ちぬ」の影響でいつかここのホテルで一泊してみたい・・・という希望を胸に抱きつつ、後ろ髪を引かれる思いで関東平野へ下っていった。
東京駅に定刻通りに着き、そのまま山手線で品川まで。
品川からは京急線で羽田空港に向かう。
この辺はすっかり前職での東京出張で手慣れた部分になっている。
なお、昼前の鹿児島線からは飛行機は正常に運航しているといった情報を得ており、確実に帰れる、という判断があった。
まあ、予定外だったのは、支出がそこそこいっていて、一切空港で土産を買えず、飲食物も買えない、といったことであったが、今回は東北地方の土産をかなり買っており、そこまでの必要もなかった。
給油やメンテナンスの問題で10分程出発が遅れたほかは問題なく無事に離陸、鹿児島空港に20時過ぎに到着した。
車のボンネットなどには灰が積もっていたが、台風で何かしら傷ついた、といったこともなく、無事に帰宅できたのであった。
こうしてバイクや電車で本州35都府県を全部制覇、残すは北海道と沖縄の2つに絞られた。
いずれも2泊3日では物足りないかもしれない場所だけに、なかなかスパッと行く機会を決めるのは難しいかもしれない。
ただ、いずれ必ず出向き、そして日本全都道府県制覇を成し遂げる、そう誓うのであった。【完】
前日の就寝は23時過ぎで、この日の起床は6時半。
やっと7時間ほど寝られるようになったものの、前2日間の合計睡眠時間と同じで、明日仕事の時に起きられるかと不安になりつつも、7時半に長岡駅に到着。
台風19号の進路について、この段階で九州南部は暴風雨にさらされており、夜の飛行機が飛ぶのかどうかも気にかかりつつ、まずは上越線で越後湯沢駅を目指す。
休日の朝とは言え、前日同様乗客の大半が高校生である。
しかも、下車したら、また別の制服を着た生徒が乗り込んでくる。
六日町駅までで高校生は下車していき、静かさを取り戻した列車は越後湯沢駅に到着した。
この区間は2年ぶりの乗車であり、しかも今年のGWには近くの関越道をバイクで走っている。
なぜかは分からないが、近年本州で一番よく行っている場所は湯沢町近辺と言えそうな状態である。
で、ここを始発とするはくたか4号に乗車すべく、六日町から乗る予定を変更して越後湯沢駅まで来たのであった。
で、当然だが、もう既にはくたか4号は停車していた。



北越急行所有の「スノーラビット」である。
A列車で行こう9でも走らせている681系2000番台である。
これが来年春の北陸新幹線開業で廃止となるわけなので、寂しい気持ちもあるが、しかし、まだまだイベント用などで走ってくれるのではないか、そんな期待もしている。
上越新幹線から乗り換えて乗り込む客が来る前に無事に自由席に座り、9:14に出発。
電車でGO!でも聞いた681系のチャイム音を聞いて、余韻に浸りつつ、途中赤倉信号場ではくたか同士のすれ違いのため、退避線に入る。
しばらくして、無事しんざ駅でトンネルを抜け、十日町駅で下車する。
これが最初で最後の681系2000番台乗車なのだなと思うと、かなり感傷的になってしまったのであるが、十日町で下りたのは、他でもない、今年のGWツーリングで、ご当地の名物・へぎそばを時間不足で食べに行けなかったことから、そのリベンジのため。
まさか5ヶ月後に再びこの地にこようとは思ってもいなかったが、せっかくのチャンス、しんざ駅から歩いていくのもどうかということで、駅を降りてまっすぐ小嶋屋さんに向かう。
十日町と言えば豪雪地帯として有名で、冬季に4mを超える雪が積もるのも珍しくないと、小学校の社会科で習った記憶があるが、駅前のアーケードはがん木風に作られていて、道路には消雪パイプもあって、雪対策は万全であった。
開店準備中の小嶋屋さんの前を一旦過ぎて、グーグルマップで気になったスナック「ルパン三世」を一目見てすぐ小嶋屋さんの前のベンチに腰掛けて、開店を待つ。
まだ10時過ぎ、開店は10時半(4~10月)のため、十日町のコミュニティFMを聴き、iPad2で羽田空港の飛行機の出発状況を見ながら、夜帰れるかどうか考えているうちに、一足先に店内へ誘導してもらえた。
品書きを見て、前日長岡で洋風カツ丼を食べられなかったため、奮発してへぎそば1人前と上天ぷらを注文。
厨房から「上天ぷら」を何度か確認する声が聞こえてきたが、1人目の客がいきなり上天ぷらを注文して来るとなれば、しっかり確認する必要はあるだろう。
十日町のそばはふのりをつなぎに使うそばで、こしがあり、それでいてつるつるの食感が味わえる。
広島・愛媛で展開するそば吉のそばが一番好きなのであるが、小嶋屋さんのそばも、実においしい。
前日に平泉で食したわんこそば以来の食事となったが、素材本来の味わいでいけばへぎそばに分があった。
店員とGWに来ようとして2km先まで来たが、時間が無くて断念して今回改めてやってきた、とてもおいしいそばだったなどと感想やら経緯やら話をし終えて、まだ2人目の客が来る前に店を出る。
十日町駅を11:19に出る飯山線の列車に乗らないといけないためで、駅から8分ほどということも分かっているため、気持ち的には楽に十日町駅まで戻ってきた。



戸狩野沢温泉駅行きの列車に乗り込み、飯山線を長野方面へ向かう。
さすがに2年前同様に上越線で関東に戻る気は、もう無かった。
基本的に1度乗った路線、1度通った路線は乗らない性分、2009年、2012年の鉄道旅行で乗ったことのない区間と言えば、新潟方面では磐越西線と只見線、そして飯山線しかなかった。
ただし、只見線はまだ復旧工事中で不通区間が存在しており、そのため磐越西線ルートとなったのである。
2011年3月11日に大きな地震に見舞われながらも、東日本大震災の被災地の方が目立ってしまい、すっかり霞んだ感がある長野県栄村を通る飯山線、内陸ということで津波がなかったことも幸いしたか、比較的ダメージは少なく済んだように思われる。
戸狩野沢温泉駅で反対ホームに停まっているディーゼルカーに乗り換え、長野駅を目指す。
が、ここで反対のボックス席に座っているおばちゃんから声をかけられる。
大阪から来たというそのおばちゃんに、これまでの旅程の話やらいろんな話をしていたが、やはりこの日の話題は台風19号で帰れるかどうか、といったことに。
関西が夕方以降全列車を止める、という話で、もう飛行機が飛ぶしか帰る方法がない、飛ばなきゃ宇都宮へ戻る、といったことを話して、再び車窓を眺めます。
北陸新幹線の路線も見えてきたところで、長野駅に到着。
待ち時間もそこそこあるため、去年バイクで行っていながら買えなかった善光寺の土産を買って、先行列車のE7系を撮影して、すぐに入線してきたE2系に乗車する。
なお、13日が帰宅ラッシュになることを想定済のため、事前に指定席特急券を購入済みである。
乗車してすぐに、隣の席に若い男性が座って来たが、どうにも機嫌が悪い感じで、乗っている身としても肩身が狭い。
しばらくして、反対側の3人がけ席に子連れの夫婦と、その友達か姉妹と思しき女性がやってきて、ご主人が隣席の男性に「席が違うんじゃないですか」といった話をして、隣席の男性は号車を間違えたことに気付き、詫びを入れた後立ち去り、その女性が座った。
息苦しさは解消されるも、トンネル区間も多い長野県区間、iPad2でひたすら地図を眺めて、現在地点がどこかといったものを、ずっと凝視していた。
佐久平駅では、2009年に泊まったホテルがあり、昨年2013年のGWツーリングでは駅前にバイクでやってきていて、外の景色を眺めては懐かしい気分に浸っていた。
そして、次の軽井沢駅では、2009年に碓井線のバスからしなの鉄道線へ乗り換える時に降り立っており、台風のもたらす湿気の影響か、霧が湧いている中を、「風立ちぬ」の影響でいつかここのホテルで一泊してみたい・・・という希望を胸に抱きつつ、後ろ髪を引かれる思いで関東平野へ下っていった。
東京駅に定刻通りに着き、そのまま山手線で品川まで。
品川からは京急線で羽田空港に向かう。
この辺はすっかり前職での東京出張で手慣れた部分になっている。
なお、昼前の鹿児島線からは飛行機は正常に運航しているといった情報を得ており、確実に帰れる、という判断があった。
まあ、予定外だったのは、支出がそこそこいっていて、一切空港で土産を買えず、飲食物も買えない、といったことであったが、今回は東北地方の土産をかなり買っており、そこまでの必要もなかった。
給油やメンテナンスの問題で10分程出発が遅れたほかは問題なく無事に離陸、鹿児島空港に20時過ぎに到着した。
車のボンネットなどには灰が積もっていたが、台風で何かしら傷ついた、といったこともなく、無事に帰宅できたのであった。
こうしてバイクや電車で本州35都府県を全部制覇、残すは北海道と沖縄の2つに絞られた。
いずれも2泊3日では物足りないかもしれない場所だけに、なかなかスパッと行く機会を決めるのは難しいかもしれない。
ただ、いずれ必ず出向き、そして日本全都道府県制覇を成し遂げる、そう誓うのであった。【完】