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yochi
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教員免許を小中高取ったはよかったものの、平成の間は教採一次試験が一度も合格できず・・・。
そんな管理人は、パワハラがはびこる三流○○ック企業で5年半に渡り数々の辛酸をなめた後、招聘された印刷会社のWEB部門で2013年3月に1級ウェブデザイン技能士を取るなど2年間在籍して成長を遂げた後、結構有名な会社に課長職も含め9年弱勤務。
が、定期昇給が無く、頑張り甲斐が無くなったので、元部下の話から教採を15年ぶりに受け始め、令和になって毎年二次試験まで進出できるように。教員免許の追加取得に向けて通信制大学で学び、免許の取得の条件が「人物に関する証明書」の取得で、二次試験落ちから考えられる実地経験の必要性から18年ぶりに臨採教員に復帰。
そして令和6年度から正規教員として勤務開始。
国の宝の子どもたちの育成のため、これまでの経験を活かして頑張ります。
~~所有国家資格~~
【1級ウェブデザイン技能士】
【基本情報技術者】
【2級ファイナンシャル・プランニング技能士(個人資産)】
【乙種危険物取扱者(第4類)】
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Posted by チェスト at

2017年04月25日

北海道鉄道旅行第二弾[2017]・0日目(4/21)

当初、「耳をすませば」の舞台の京王線沿線を巡ってみようという思惑で、羽田までの航空券を1月下旬に予約するも、例によって宇都宮在住の友人の精神的疾患が悪化したらしいという事情、加えて、JR北海道が経営的に苦境に立たされていると聞き及び、前回乗った区間が恒常的な赤字と豪雨災害のため数年内に廃線になりそうということで、また北海道行きに予定を変更、でもって実行したのが以下の日程です。

◎0日目 大隅⇒鹿児島空港~羽田空港⇒蒲田
◎1日目 蒲田⇒羽田空港~新千歳空港~稚内空港⇒宗谷岬⇒稚内駅⇒旭川駅⇒札幌駅⇒すすきの駅
◎2日目 すすきの電停⇒西4丁目電停⇒札幌市時計台⇒大通駅⇒福住駅⇒羊ヶ丘展望台⇒福住駅⇒さっぽろ駅⇒札幌駅⇒新千歳空港~羽田空港~鹿児島空港⇒大隅

0日目に前泊地として蒲田駅近くまで行ったこと以外、東京都区部に今回特に足跡を残さなかったことが、今回の旅程の大きな特徴です。
しかも2015年9月以来というのに、です。
それだけ、前回の北海道SW特別鉄道旅行で北海道を気に入ったのだと思います。

今回は、道北の宗谷線全線と、滝川以北の函館線といった未乗車区間、それと前回まともに探索していない札幌市内をちょっとだけブラブラし、オマケで前回の旅行後の2015年12月に開通した札幌市電のすすきの~西4丁目電停間に乗る内容となっています。

というわけで、帰宅当日はメルマガの執筆、翌日は先の友人からの着電による対応で、なかなか執筆できない状況がようやく解消されましたので、出発初日・2017年4月21日について記します。


旅程を組む上で障害となるのが、会社の勤務スケジュールである。
だいたい5・0の付く日の翌日が作業のため出社となることが多く、カレンダーと曜日配列をにらめっこして、ここならいけそうだという日を選んで航空券の予約をするわけであるが、今年に入ってからは部下が去り、一人体制が長く続く最中であったため、正直いろいろとあった。
が、当初の見込み通り無難に出発できる目処が立ったため、準備万端で北の大地へ旅立ったのであった。

会社を珍しく定時で上がり、帰宅してから最後の荷物チェックを終え、18時40分には自宅を出発。
途中、東九州自動車道の末吉財部~国分IC間が20時から翌朝6時まで通行止めという嫌なお知らせが。
ま、その時間には鹿児島空港にいる頃なので、早々と抜けようと順調に走っていく。
空港には19時50分には到着、ふく福でかつお丼を食す。
お代は1,040円。

羽田行き最終便に乗り込み、定時に出発、羽田空港には10分ほど早着し、蒲田駅行きの路線バス乗り場へ。
早着したことが功を奏し、22時20分発のシャトルバスに乗れた。
SUICAが使えるので、前回の北海道旅行の残金チャージ分で余裕で支払えた。
予定より少し遅れて22時53分に蒲田駅に到着。
えきねっとの切符受け取りは23時までなので、早着したからこそ翌朝を待たずに無事に発券できた。
戻ろうとする頃には駅員が戸締りのため指定席券売機コーナーにおり、週末金曜でごった返す蒲田駅を後にし、近くのホテルへチェックイン。
翌朝5時半起床予定が、予定より早く切符を入手できたことで15分遅れで起きれることとなったのであった。
  


Posted by yochi at 19:46Comments(0)旅行記

2016年05月25日

2016上半期ツーリング2日目(広島⇒伊佐⇒大隅)

連載3回目となりました「2016上半期ツーリング」。
昨年までは「GWツーリング」と称し、以下のような経緯を辿ってきました。

・2013年
初の北陸3県・信越2県入り。
東尋坊と兼六園、能登半島半周と善光寺参りをし、薩摩義士を祭る治水神社と伊勢神宮参拝の後、ついでで法隆寺も見学。

・2014年
初の静岡・山梨・神奈川・東京・埼玉・栃木・群馬県入り。
東名高速を東へ疾走し、富士山の裾野を通って圏央道回りで東北道を宇都宮まで。
日光にも足を踏み入れ、極寒の関越トンネルに凍えつつ、北越急行線に沿って西へ走り、世界遺産・五箇山の合掌造りの民宿に宿泊。出会った皆さんに温かく見送られて雨の降る寒い中を南に南下、何度もエンストや高速道路上の路肩でエンストするなど、かなり危機的状態が続いたが、何とか脱出でき、東大寺と春日大社を見て回る。

・2015年
久しぶりに中四国の瀬戸内一周へ出向くも、道に迷って急こう配の坂を上り下りするわ事故渋滞でのろのろするわで、広島ICの手前が渋滞ということで元カノの住む呉を通ることになり、号泣寸前。
それでも本場の讃岐うどんと広島風お好み焼きなどを食して英気を養う。厳島神社に5年ぶりに参拝。

まあ、こんな感じで、ロングツーリング3部作となるのが2012~2014年にかけての3年間で、昨年からは休みの日数の関係で西日本がメインとなります。
そういえば、先週出発前の慣らし運転で街中で信号停車中、スクーター乗りのおじさんから声をかけられ、排気量について答えた後、「これで宇都宮まで行ったことがあるんですよ」と話したら絶句していました。

それでは、今回は最終・広島からの帰路について記します。


前日0時前に就寝し、起床は6時15分。
さすがに少々きつかったが、まずは帰宅しないとゆっくりできない。
朝食券を手に取りレストランでバイキング形式の朝食を摂る。
大きなホテルにしては人数は少なめであった。
6時48分にホテルを出発し、国道2号西広島バイパスめがけて南下。
右手に見える平和記念公園でオバマ大統領が何を語るか気になりつつ、休日の早朝のため交通量の少ない国道2号を廿日市ICまで走る。
山陽道に入り、一路西へ。
去年と違い、天候が良いのに救われる。
去年は広島を出発して1時間後に雨が降り出し、それが帰宅するまで続いた。

さて、今回のテーマは「見知らぬ地に足を踏み入れる」である。
通常ならば、山口JCTで中国道に入り、というのが定番だが、今回は趣向を変えねばならない。
というわけで、山口南ICで降り、国道2号小郡バイパスを西へ。
この区間は、125cc以下のバイクは走行できないため、旧道である県道335号へ迂回しないといけないことを、13年前に走った私だからこそ知っている。なので、小郡バイパスから先は初めて走ることになる。

県道6号山口宇部道路へ合流し、宇部JCTから山陽道に入る。
ICの前後のみ4車線の暫定2車線道路なのが惜しいのだが、中国道と違い、規格が新しいため、とても走りやすい。
時間に余裕がある時はこっちの山陽道を走ろうと思うほどである。
快適に西へ走り抜け、下関JCTから中国道に入り、関門橋を通って九州に戻ってきた。
去年のGWは関門橋で事故渋滞に巻き込まれていたため、久しぶりに落ち着いて関門橋からの景色を楽しめた。

九州道をひたすら西へ進み、太宰府ICでの合流もこの日は少なめ。
鳥栖JCTの手前では珍しく追い越し車線を走って長崎道・大分道方面の車を避け、熊本県方面へ。
熊本地震後、熊本市を通るのは、これが初めてのことである。
まずは北熊本SAで給油。
122円/Lで少々高いと感じたが、給油できる分ありがたいと思った。
店員氏の話では、地震後1週間近く閉鎖され、緊急車両への給油から営業再開したとのこと。
少なくともSAは日常に戻ったわけであり、ほっとしたものであった。

その後南へ向かうも、早速ブルーシートを屋根にかけた家を見かけることになる。
3月下旬に利用した益城熊本空港ICで降りる車も多く、道路は補修中だったり応急補修で済ませたものだったりし、速度を落とさないとジャンプしてしまう。
橋の所で一旦停止という認識はあったが、誘導により徐行で済んだ。
いつもトイレ休憩で使っていた緑川PAも、出口の所にあった橋が撤去されていて、地震がいかにすさまじかったか物語っていた。

嘉島JCTから先は徐々に被害も少なくなっていったが、集落全戸がブルーシートを覆った家だらけだったところを見ると、言葉を失った。
早く復興することを願い、夏の再訪を心に決め、南九州道に入る。
津奈木ICで国道3号に入り、新水俣駅の先で国道268号に入り、伊佐市まで。
到着は北熊本SAで友人へ電話連絡した見立て通りの13時過ぎ。
山口土産を適当に渡した後、行列ができるラーメン店だという「力」へ。
ライダーが数人店を出てきたところであったが、友人の車で来た私がつい先ほどまでバイクで広島から走ってきたとはまず思いもしなかっただろう。

一番高い金山ねぎ味噌チャーシューメンにギョーザ・チャーハンセットを付けて食すが、十八番よりはおいしい。
冬はスパゲティよりもラーメンかと思いつつ店を後にし、再びバイクにまたがり横川ICに向かう。
そこから先は九州道を南へ向かい、加治木JCTから東九州道、そして2日前には通れなかった末吉財部IC~野方IC間も抜けて、自宅に着いたのが16時過ぎのことであった。
この日の走行距離は608km、3日間の総走行距離は1,402kmで、過去のロングツーリングからすると500km程度短いくらいなのだが、帰宅してからはかなりの疲労があった。
まあ、早起きするのは運転の必要がない鉄道旅行の方が向いていて、少々強行軍気味の部分はあったかもしれない。

次回は下半期にどこへ行くのか、ということになりそうだが、まず言えることは近畿地方から東へは行けないことである。
現職の今の環境では、日程的に無理だ。
まあ、夏が過ぎるころにどうするか決めればよいではないか、そう思う。  

Posted by yochi at 20:35Comments(0)旅行記

2016年05月24日

2016上半期ツーリング1日目(日向⇒角島⇒秋吉台⇒広島)

連載2回目となりました「2016上半期ツーリング」。
昨年までは「GWツーリング」と称し、以下のような経緯を辿ってきました。

・2011年【YBR250へ移行。2008年まではシグナスX、2009~2010年は車(1,000円高速の影響)】
初の岡山県・鳥取県・兵庫県入りと初のJR四国特急2000系&キハ1000形に乗車。
鳥取砂丘を歩き、秘境駅の坪尻駅へスイッチバックで入線も体験した。

・2012年
佐賀関港で4時間半待ちを食らった挙句、夜の四国山地縦断コースに挑み、西日本最長の国道トンネル・寒風山トンネル(約5.4km)を完走。
国道33号との交点ではブレーキが止まらず、赤信号になったばかりの交差点のど真ん中に停車するという赤っ恥をかきつつ、高知から初めてバイクで瀬戸大橋を越え、初の大阪・和歌山・奈良・三重・愛知・岐阜・滋賀・京都入り。
今は亡きたま駅長に会ったのもこの年。伊勢奥津駅にも顔を出しているが、名松線の不通区間も今年の春再開した。
岐阜城と関ヶ原に出向いたのもこの年のことだった。

2013年からはまた明日書くことにして、今年はGWに走っていないので「2016上半期ツーリング」と称しています。
GWにバイクで出かけなかったのは最も年間所得が少なかった2004年以来12年ぶりのことです。
まあ、曜日配列が悪く、会社のカレンダー通りに休めば不可能だったため、あえて少ない時期を狙いましたが、それでも出会うライダーは多かったです。


前日23時半過ぎに寝るも、起床は5時15分。
なかなかの強行軍だが、風呂に入り、天気予報を見て6時過ぎに食堂入りし朝食を採る。
スポーツ合宿の人が多かったものの、しっかりと自分の分の食事は確保できた。
しっかり腹ごしらえしてホテルを6:22に出立。
この先の行程を考えると、一旦給油が必要と思い、日向ICではなく門川ICでの東九州道(延岡南道路)入りを図るが、運悪くスタンドがあるのは対向車線側ばかり。
計算上、北九州付近までは燃料が持つので、別府湾SA辺りまでは余裕だし、そこで入れればいいやと門川ICから高速移動再開となる。

この日も移動は快適である。
昨年も走った臼杵IC付近まではスピードも比較的早かった。
まあ、70km/hで走ると一般道とさほど変わらないので、早く4車線化してほしいと思うのであるが、7時過ぎには県境を越え、8時半前に別府湾SAにたどり着く。
なお、臼杵ICから北九州JCT間は今回初めて走る区間である。

ガソリンが119円/Lで大隅と1円程度しか差がない。
相変わらず、県外のSAは鹿児島市の平均的なガソリン価格よりも安い。

これで中国地方までの給油が不要になったところで、本線に合流し、日出JCTで再度東九州道に入る。
ほぼ片側一車線なのが何とも言えないが、快適に北西へ進む。
宇佐ICを見て、「USAだな」とツッコんでみたり、最後の開通区間である豊前~椎田南間にある「公共事業とは?」の立て看板に「みんなのための事業じゃないか」と、人と人との交流を大いに促す東九州道の有用性を走りながら実感しながら、北九州JCTで九州道に合流した。

さて、ここから本州へ渡るには、2つのルートがある。
このまま関門橋へ渡るルートと、門司ICで降り、関門トンネルへ向かうルートである。
で、私は後者を選択した。
関門橋は帰りに通るから、という理由である。
というわけで、門司ICで降り、巧妙な左折専用車線に2度も戸惑わされ、栄町交差点手前の交差点で前方渋滞のため、停止線で停まった選択だけは正しかった、という経緯を経て、関門トンネルへ向かう車で渋滞する中をじわじわ進み、料金所でコインボックスから100円を取り出し、2003年10月以来の関門トンネルをくぐる。
往時は100ccスクーターで20円払ってJHこと日本道路公団の領収書をもらったものだったが、今も西日本高速道路になっても、それは変わっていない。

10時前に下関市に入り、県道258号を西へ。
でもって、ここでも巧妙な左折専用車線や意味不明な分岐に惑わされ、一旦側道に入り、信号を抜けてまた本線、という展開、その後国道191号バイパスに右折する箇所を誤って直進して、次の交差点でUターンして合流し直す、という展開になったが、10時過ぎに北へ向かって走り出す。
天気はよく、心地よい。
時折日本海を望みながら北上していくのだが、どうもゆっくり走る車がいるようで、ペースは法定速度以下になることも多々あった。
途中、見通しがよく追い越せるポイントがあったため、安全に追い越しした。
私が一般道で追い越すのはかなり珍しいことである。

特牛(こっとい)交差点を過ぎ、県道279号に入る。
大昔に九州ローカル番組「ドォーモ」で見た、角島大橋を渡ってみるが為である。
先月末に伊唐大橋を車で渡ったが、あれとの比較にならないほど美しい景色を楽しめる橋である。

橋を渡りきり、角島灯台に向かう。






灯台があるだけあって、眺望もすこぶるよい。
なお、入場料は200円であった。

また帰りに角島大橋を渡るので、このときは写真を撮った。

バイクの後ろに積んでいた荷物が落ちたため、初老の男性に拾ってもらいお礼を述べた後、この橋を渡って左折し、広い道に沿って時計回りで国道191号に復帰した。11時半前のことであった。

その先では、バイクの先行車がおり、また後方には別のバイクがいる、という単騎3人組による隊走状態となって、ひたすら東へ進む。
途中長門市を通るが、いつも買っているカニカマはここで生産されている。
青海島の海食洞もちょっと興味はあったが、今日は広島に18時までに入らなければならず、今回はおあずけとなった。

山陰道との分岐を国道方向へ進んでいき、「秋芳洞」の標識に従って県道36号に入る。
しかし、よくよく考えたら秋吉台を通って秋芳洞へ向かうのであって、バイクを止め、地図を確認すると、やはりルートを間違っていた。
元来た道を引き返し、国道191号を東へ向かい、県道28号に入り直し、事なきを得た。
なお、酷道マニアの方であれば、山陰道を2つ先のICで降り、国道490号を南へ向かう、という選択肢もあるのだが、今回は1日の走行距離が600km程度になることもあり、止めといた。
国道490号とは、並行する県道32号の走行を勧める看板が立っていることで知られる国道である。

サファリランド入口の看板につられて右折し、いよいよ県道242号秋吉台公園線(通称・カルストロード)に入る。
カルスト地形の由来は旧ユーゴスラビアのスロベニアにある地域が語源で、地理・地学マニアを自認する自分としても、カルスト地形は前々から見てみたいと思っていた。
阿蘇の東側の外輪山にカルストが出没したかのような光景に驚きつつ、帰り水というところからしばしバイクを降りて景色を眺める。






ローカル路線バス乗り継ぎの旅でも、蛭子さんが一番印象に残ったところと答えたのもなんとなくわかる気がした。

さらに先へ進み、秋芳洞の市営第二駐車場へ入る。
バイクは無料とのことで、適当に空いた所へ停める。
入口まで結構歩かされたが、13時前なので早く何か食べたいと思いつつ、まずは秋芳洞へ向かう。
料金は1,200円。
足元を流れる川は白く濁っており、石灰水であることに気付かされる。

まあ、カルスト地形を流れて来れば当然そうなるのであるが、こうした理化学的な場所ではいろいろなものを観察するのも一興である。
秋芳洞の入口は、ロールプレイングゲームの洞窟のそれを思わせるほど、独特な何かを持っていた。


BGMはドラクエ3のそれになりつつ、初の鍾乳洞へ入っていく。

中はひんやりして涼しい。
年間15~17℃で安定しているとの音声案内ガイドの話である。
高森湧水トンネル公園もそんな感じだった。
地表付近の地温が15℃前後であることを知る身には、当然そうなるということは分かるのだが、誰もが実感できる場として、こういうところは面白い。

失敗だったのは、サングラスで入ってしまったこと。
ただでさえ暗いのに明るさが半減してしまい、洞内を観察するには少々不都合ではあったが、それでもあちこちのポイントを見ることができた。



高森湧水トンネル公園の最奥を撮った時同様、一部オーブっぽいものが映りこんでしまったが、水のあるところではたまにあることである。

720mほど進み、さらに黒谷方面へ進んでいき、出口の15秒間隔でゲートが開く扉を出たところで13:36。
秋芳洞入口行きのバスが13:38に出ると洞内で見ていたため、ダッシュで左手にあるバス停へ向かい、乗車できた。
なお、財布の中には5千円札と1万円札、それに百数十円しかなく、急きょ財布を忘れた時用に小銭入れに入れてある千円札で両替して難を逃れた。
高齢者がバスの通り道をふさいでいた秋吉台付近を経由し、12分ほどで秋芳洞バスセンターに到着。
ここからバイクまでは3分程歩けばたどり着くので、元来た道を歩くよりは早い。
運賃は310円であった。

そこから小郡萩道路経由で中国道に入る。
時計は14時を回っていた。
空腹なので、5年ぶりに鹿野SAへ行こうということにし、山口JCTを引き続き中国道へ進んでいく。
昔と変わらず、後続車はまずいない。
途中、橋梁補修工事のため対面通行になっている区間をやり過ごし、鹿野SAには15時前に着いた。
食券販売機が千円札しか使えないため、一旦1万円札を両替してもらったうえで天ぷらそばを注文。500円。
昨年秋に新得駅構内で食べたそれと近い天ぷらがのっていたが、わかめのコシがしっかりしていて、安い割においしくいただけた。

山口土産を3つほど買い込み、外へ出ると、警察官輸送車が3~4台ほど停車していた。
トイレ休憩だったようだが、サミットが開かれることを考えると、その要員輸送と思われる。
鹿野SAを後にし、島根県を抜けて広島県に入り、吉和ICで降りる。
当初は広島道経由で向かう予定にしていたが、宮島口で土産を買う時間があると判断し、廿日市方面への短絡ルートとなる吉和IC経由で抜けた方が良い、と判断したのであった。
“酷道”488号は回避し、国道186号を南下していく。
県道30号へ左折し、廿日市市内で国道2号西広島バイパスへ入っていく。
吉和ICから西広島バイパス出口までは、初走行である。

右側車線からの合流に気をつけつつ、宮島口にスムーズにたどり着く。
GWならバイクが停まっているところも、何も停まっていなかった。
いつも買うもみじ饅頭とカキの煮たものを買い込み、宮島口交差点から右折を試みるが、車が多く、信号待ちが長かった。
直進してJR駅前でUターン、左折が早かったのでは、と思いつつ、再び西広島バイパスを北上し、広島市役所前交差点で左折、その先で左折、右折し、へんくつや平和記念公園前店にたどり着いたのが18時前。
海鮮スペシャル(1,080円)を注文し、自分でヘラを使って切り分けて、おいしく食べる。
というか、ヘラを使うのは初めてである。
去年も訪れているのだが、趣向が変わったのだろうか。

ここからホテルまでは昨年歩いているので、道も知っており、平和記念公園東側を流れる元安川沿いに北上し、昨年も泊まったホテルに到着したのが18時過ぎ。
地下駐車場では昨年談笑した方がいたのだが、1年も経ったせいか、自分のことを忘れてしまっていた。
まあ、バイクで来るならここは定宿だなと思いつつ、チェックインして部屋でくつろぐ。

※左端に原爆ドームがうっすら、右側には旧広島市民球場跡が広がる

ニュースでは、バラク・オバマアメリカ大統領が100m先の原爆ドームと平和記念公園を5/27に訪れると流れていた。
また、ホテルでも厳戒態勢に入るとの張り紙がしてあり、道路情報板にも広島市中心部で大規模交通規制の予告が出ていた。
どんな発信をするのか今週は注目が集まることだろう。

この日の走行距離は626kmであった。  

Posted by yochi at 22:31Comments(0)旅行記

2016年05月23日

2016上半期ツーリング0日目

会社の一件については、10日の段階でほぼ手打ちの状態となり、以降自部署内には平穏な状態が戻ってきました。
というわけで、2月に立案し、一時は中止の可能性もあったツーリングを今年も決行することを決め、天候が良いことも幸いし、2016/5/20~22の2日と少しを利用して、山口県中北部と広島へ出向いておりました。

というわけで、今日は前泊地となる宮崎県日向市までの移動について記します。


会社の一大販促準備のため、まさかの20:08での退勤となったが、この日の昼休みに帰宅して荷づくりと食器洗いを片付けており、予約していた洗濯機から洗濯物を取り出して干し、除湿機にタイマー稼働をさせた後、20:48に自宅を出発。
一路東原ICから大隅縦貫道経由で東九州道に入る。
今回のテーマは「東九州道全線走破」と「見知らぬ地に足を踏み入れる」の2点である。
既に昨年秋の段階で、沖縄県を除き、北海道、本州、四国、九州の4島にある都道府県には足を踏み入れており、バイクにおいても北海道と東北6県、茨城・千葉両県以外は走行している。

会社の休日カレンダー上、2014年に展開したようなロングツーリングは困難な状態になってしまったが、まだまだ未踏の領域は残っていた。
山口県下関市から島根県出雲市にかけての山陰側の地域は、いまだ足を踏み入れたことがない。
というわけで、1泊2日程度で出かけられる手短な未踏の地として、山口県の山陰側に向かうことにしたわけである。
2月の段階では広島市内に宿を確保しておいたが、日程の都合上、前泊地を宮崎市から延岡市の間でも確保する必要があった。
日向ICからほど近いところにあるホテルを前泊地として確保し、0日目として、仕事の後向かうことにし、前述の展開となったのである。

東原ICの掲示板を見ると「5月20日21時~野方IC~末吉財部IC間夜間通行止」と出ていた。
すなわち、野方ICで降り、国道269号を都城市方向へ進むしかなくなってしまった。
野方ICを通過したのが21:04のことだったので、ほんの数分差で行程が早くも変わってしまったのであった。

なにはともあれ、目的地に着くことが最優先なので、国道269号を北上する。
曽於市大隅町岩川を21:30過ぎに通過し、都城市に22時前後に入る。
宮崎道都城ICを22:08に通過し、一路東へ向かう。
夜のため交通量の少ない高速道路を快適に進み、清武JCTから東九州道の宮崎県区間に入る。
ここまで天気は曇天で、雨は降っていなかった。

しかし!
宮崎西ICを過ぎた先で、小ぶりの雨に見舞われた。
上はウィンドブレーカーを着用していたため、多少の雨では動じることはないが、時折雨が降る展開には、正直精神的に堪えるものがあった。
後続車に追い越されたのは2回で済んだが、カッパを着ずに食らう雨にはほとほと困る。
都農IC付近まで出てくると雨も降ることもなくなり、だいたい23時過ぎに日向ICにたどり着くと読み、安全運転に徹して北へ進む。
23:12にホテルに到着し、チェックインを済ませる。
履いてきたジーパンに少々水分が浸み込んでいたが、一晩乾かせば大丈夫なレベルと判断、翌朝が早いので23:30に就寝した。  

Posted by yochi at 22:14Comments(0)旅行記

2015年09月24日

SW特別鉄道旅行2015・3日目(9/21)

実は課長昇格は10/1付だった、などと、組織図に書いてあることと違うではないか、と思いつつも、事実上部署のまとめ役として動き出しているところですが、風の噂では月の休日数が1日増えるかも、という、実現したらうれしいニュースも入ってきています。但し、今回のように北海道にまた気安く行ける、というのは難しそうですが・・・。
近況はこれまでにして、今回は、大型シルバーウィーク連休特別鉄道旅行の3日目・千歳から都心に戻り、秋葉原周辺探索と帰宅までの模様を記します。


起床は5時20分。一転して早いのは、6時15分の空港送迎バスに乗るためである。前日に白い恋人探索で歩き回った際、駅前のローソンで買っておいた朝食をしっかりと食べ、6時5分にはホテルのロビーで出発までの時間を過ごした。
空港送迎バスに乗り込み、新千歳空港に入る。6年前のシルバーウィークでは、ネット接続のためにノートパソコンを持ち込んでいたのだが、今ではその必要もなくなり、iPad2さえも持ち込まなくなり、スマホだけで片付くようになった。実際、空港の持ち物検査でノートパソコンをトレーに入れる人を見かけなかった。時代は確実に進んでいる。往時はまた、東京からの帰路に、新千歳空港を舞台にした航空管制ゲームを買っており、インストールして機上で航空管制をするという変なことをしていたものだが、6年経って本物の新千歳空港にいるというのもまた感慨深いものがあった。

事前の下調べで、6時45分に北海道物産なるお店が先に開店すると知り、店の前で待つこと数分。6時半過ぎに開店してくれたため、早々と北海道のお土産を買うことが出来た。白い恋人を5箱とご当地のチョコレートを1箱、チョコボールの夕張メロン味を1箱に羽田空港で買う土産の姉妹品の北のシュガーバターの木の商品を2つ、それとお酒のおつまみ用のさきいかなど2品を、総額1.4万円程の買い物であった。
ご当地名物のカニやメロンも興味はあったが、今回は見送った。稼ぎが増えたら買おうと思う。

新千歳空港を離陸し、南にコースを取るため、すぐに苫小牧港と太平洋に出た。機内のルートマップを見て、八戸市付近で本州上空に入り、内陸を通って羽田空港に着くことが分かった。しばし眼下に広がる北上川沿いの景色や北上高地の山並みなどを眺めていた。
しばらくすると、北上川が直角に曲がるポイントが見え、その先に牡鹿半島が見えた。その付け根に万石浦・・・と来れば、3年前に訪れた宮城県石巻市の今の様子を空から眺めることになる。さすがに石ノ森漫画館の建物までは見えなかったが、着実に復興していることを願って手を合わせつつ、いつまでも眺めていた。

バスで通った三陸道の先に仙台市街地が広がり、津波が押し寄せた仙台空港周辺の様子も見て取れた。空から見ただけでは震災の傷跡が見えにくくなっているのだが、しっかりと記録を遺して記憶を伝えていかねばならない、そう思わせた。
その先はいよいよ福島県、海岸線に福島第一原発が・・・と思っていたら、徐々に雲が覆い始め、やがて見えなくなった・・・。生きているうちに全員帰還できるのか、強く疑念がある。

茨城県のつくば市付近から再び景色が楽しめるようになり、霞ヶ浦や先日の豪雨で被害が出た利根川水系の様子も見えた。やがて羽田空港34R滑走路へ進入し、無事に着陸。預けた荷物は鹿児島まで送り届けるように伝えてあるため、そのままモノレール乗り場へ向かい、浜松町経由で山手線に乗り換えて秋葉原まで。1日目以来ではあるが、その時は電気街口に行っていないため、駅前は久しぶりのことである。
今回は、iPad2のケースと航空管制ゲームの羽田空港の最新版を購入。滑走路が4本になってからの運用について全く知識の持ち合わせがなかったため、なかなかいい勉強になった。

6年前に伊佐市の友人と食べたてんやで天丼とざるそばをすすり、末広町駅から上野駅へ移動。3年ぶりのことである。この地に来たのはほかでもない、都心に開業した新線と言えば、上野東京ラインであり、それに乗って品川まで移動しようという魂胆である。
ちょうど常磐線快速列車が入線してきたため、乗車する。なお、この列車には、1日目で再来年に竜ケ崎市駅へと改名予定である伊佐市の友人が長年住み、利用していた佐貫駅まで行く際にも乗る予定であったが、小湊鐵道の代行ダイヤと武蔵野線の乱れの影響で乗れなかったので、ある意味ではよかった。
東京駅までに停車駅がないため、快適に移動できるのはよかった。終点の品川まで座れ、その後京急線で国際線ターミナル駅に向かう。これから海外に行くわけでなく、単なる展望デッキからの飛行機見学である。34Rか05滑走路から出発していくため、着陸して来る飛行機を見るのが専らだったが、多くの子ども連れなどで展望デッキは賑わっていた。

13時過ぎとなり、そろそろ出発フロアでくつろごうと、羽田空港ターミナル連絡バスに乗り、無事に時間内に出発フロアでくつろぐ。通常ならばお土産を買いに行くところだが、今回は新千歳空港で全て買い物を終えており、特に何も買わなかった。
15時過ぎに羽田空港を後にし、疲れていたせいか、かなりぐっすりと寝ていた。
17時過ぎに鹿児島空港に戻り、17時半過ぎに空港を出る。さて、お彼岸だから墓参りを今日するか、週末するかで悩んだが、阿久根まで1時間半で行けると踏み、墓参りを強行。19時過ぎに阿久根、20時過ぎに伊集院と無事に墓参でき、立ち食いそばをすすって、大隅に戻ったのは22時前のこと。0日目を執筆したのはその直後のことである。

次に北海道へ行く時は、道東か道北が舞台になるだろう。管理職となった身には、1泊2日しかできない。自由か、稼ぎか、というテーマに悩みつつ、今日も仕事に頑張っていくのであった。  

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2015年09月23日

SW特別鉄道旅行2015・2日目(9/20)

まともに休めない中、連日出勤してますと、そこそこガタが来ています・・・。久しぶりに背中がストレスでかゆくなる有様でしたが、今週は金曜日まで仕事をしたら休みです。というわけで、今回は、大型シルバーウィーク連休特別鉄道旅行の2日目・札幌から一日散歩きっぷと一部区間で特急に乗り、道央を鉄道で周遊した日の模様を記します。


起床は6時10分。前日より遅くできたのは、ホテルのバイキング朝食が7時からだったためである。5分前に会場に着き、定刻からバイキングでおかずやフルーツを9品とごはん、味噌汁にオレンジジュースでしっかりと栄養を摂る。前日は松屋の牛丼、コンビニのおにぎり、駅のうどん、塩バターラーメンで栄養的に偏り過ぎているため、これで多少のバランスは取れたことだろう。

着いて間もなく列車が到着した中島公園駅から地下鉄で札幌駅に戻り、一日散歩きっぷを券売機で買おうとしたが、選択肢に出てこない。やむなく西みどりの窓口へ向かい、難なく購入できた。一日散歩きっぷで回れる滝川、新得、夕張、千歳の順で周遊する計画である。
空いた時間でトイレを探すが、改札口から外のトイレはどこもかしこも男女問わず行列が出来ていた。改札口の中に入り、トイレを巡るが、どこも短いながらも行列が出来ていた。乗車する9番ホーム近くのトイレは行列が無かったため、難なく所用を済ませて、9番ホームで列車を待つ。札幌駅のトイレはすぐに利用できないことが多いため、注意が必要である。

札幌駅
JRタワー

8:05発の岩見沢行き普通列車に乗り込み、ギリギリでロングシートの最後の空きスペースに座れた。乗車時間41分とは言え、前日の新千歳空港からの移動の時のように、ずっと立ちっぱなしもしんどいものである。
前日には見ることもできなかった日の下の北海道の風景は、また格別である。といっても、大麻(おおあさ)駅を出てからのことなのだが。首都圏の混雑ぶりの変わらない状態で札幌駅を出た列車は、大麻駅でロングシートに空きが出るほど一気に乗客が降りた。漢字の名前が犯罪を意識させるが、九州から来た人間には、理由が全く分からない。何はともあれ、大麻駅から北に広がる原生林や石狩平野の景色を十分に楽しむことが出来た。

岩見沢駅にて普通列車

終点の岩見沢駅で下車し、3分後にやって来る特急「スーパーカムイ5号」の到着を待つ。滝川駅まで向かう普通列車が数時間待ちのため、この区間だけは追加料金で特急に乗らないといけない。事前に浅草橋駅で乗車券と指定席券を購入してあるので、特に問題はない。北海道到着後初の特急列車に乗り込み、北を目指すが、旭川~札幌~小樽間は北海道の主力幹線だけあり、スピードが速い。

岩見沢駅にて特急「スーパーカムイ5号」(789系1000番台)

予定通り27分で滝川駅に到着、次に乗る根室線普通列車は3時間以上の乗車となるため、自販機で緑茶飲料を購入、事前にトイレも済ませようと1番ホームを見たら、ものすごい人たちであふれていた。ちょうどそこへキハ40形ディーゼルカーが1両編成で1番ホームに入るのを見て、「これはまずい!」ということに気が付いた。その列車はこれから乗る列車だったのである。まずはトイレを済ませ、いよいよ乗車に向かうが、確実につり革直行だということは分かっていた。何とか場所は確保し、荷物も棚にしまい、長そでだったのを半そで1着になった上で、覚悟を決めて9:36、滝川駅を発車した。先の見通しも立っており、11時前に富良野駅に到着するため、1時間ほど立っていれば座れる、という確信があった。景色も満足に見られない中、鉄道ヲタクが多数を占める車内で立席のまま、無事に富良野駅に到着。ここで車両を1両増結する、ということで車外に荷物を持って下車し、行き先表示板を見て、この列車が鉄ヲタの乗車率がなぜ高いのかが分かった。現在運行されている普通列車の中で最も最長距離を走る列車だったためである。滝川発釧路行であり、終着は18時半頃。その頃は千歳駅にいる頃であるが、乗り鉄にとっては乗ってみたい列車であることだけは良く分かった。

富良野駅にて、最長普通列車

増結した後ろの車両に何とか座れ、しばし東へと向かう。途中、落合駅で停車時間があったので、しばし写真を撮っていた。
落合駅構内1
落合駅構内2
落合駅舎
落合駅駅名票
落合駅から富良野方面
落合駅から狩勝峠方面

道央の豊かな自然に癒されつつ、狩勝峠を超えて新得駅へやってきた。ここでご当地名物の新得そばにありつこうと蕎麦屋を巡るが、どこもかしこも多く、中には臨時休業の店も。やむなく駅構内のそばでしのぎ、滝川~富良野間の立席の再現を阻止すべく、早い時間から新得駅のホームで「スーパーとかち8号」の到着を待つ。なお、新得~新夕張間を各駅停車する特急列車に限り、普通列車扱いで一日散歩きっぷでも乗れる。途中駅員から事情聴取を受けるが、それもそのはず、「スーパーとかち8号」の自由席は半分以上空いていた。わざわざ40分も並んでまで乗ることもなかったのだ。

新得駅正面
新得駅構内
新得駅から帯広方面
新得駅から狩勝峠方面
新得駅から狩勝峠方面(機関車停留中)
到着するスーパーおおぞら号
出発するスーパーおおぞら号

何はともあれ、今回で最東の新得駅を14:10に後にし、石勝線を西へと向かう。再び狩勝峠を越え、新夕張駅にちょうど1時間後に到着。
新夕張駅を後にするスーパーとかち8号
新夕張駅駅名票1
新夕張駅駅名票2
新夕張駅駅名票3
新夕張駅正面
新夕張駅構内(夕張方面)
新夕張駅に入線する夕張行普通列車

ここで待ち時間が40分ほどあるので、駅入口の自販機でペットボトル入りミルクコーヒーを購入。何でも、北海道産牛乳使用という地元商品のようである。ペットボトルながら、20分ほどで飲み干してしまい、今度は脂肪の吸収を抑えるという緑茶飲料を購入。友人と電話して前日の失敗談を聞きつつ、時間になったため駅のホームへと上がって行く。この間誰とも遭遇せず、15:53発の夕張駅行きの普通列車に乗り込む。かつては炭鉱の町として栄えた夕張であったが、途中の各駅の構内の広さがその歴史を物語る。

夕張駅の線路末端
夕張駅舎
夕張駅構内

夕張駅で写真を撮った後、折り返しの列車に乗り込み、この日の終着駅・千歳駅まで乗車する。追分駅で長時間停車している間に、行き先表示板の交換作業が行われたため、写真を撮った。

追分駅での行き先表示板の交換作業の模様
追分駅正面
追分駅路線図及び近距離運賃表
追分駅駅名票
追分駅で通過していく貨物列車
追分駅からの行き先表示板

発車が遅かったため、ダイヤが4分遅延した状態で千歳駅に到着、北海道での鉄道旅行はこれで終了となった。

駅前のホテルへ赴き、チェックインを済ませ、ジンギスカンを食べる旨伝え、荷物を預けてダッシュで千歳駅のバス停へ。40秒を切り、左に曲がればもうすぐバス停というところで、段差があり、こけた。まあ、直前のポールを見た段階で、こけるかもな~と思っていたので、うまく受け身をして、かすり傷で済んだのは幸いだった。そして、バス停にバスの姿はなく、10分待ちか・・・とへこんでいたら、後ろから乗る予定のバスがやって来た。青葉公園行に乗り、福祉センター前で下車、すぐ近くにあるさっぽろジンギスカン千歳店へ向かうが、何とこの日は定休日。ついていない。

今回の旅程を協議した伊佐市の友人に連絡を取り、代案の場所を調べてもらう。帰りのバスに乗ろうと本町二丁目バス停へ向かったが、残念ながら30分待ちで、歩いた方が早いということで、足に豆が出来ている中を千歳市役所方面へ歩く。橋を渡り、ギオン通りという看板が出ているところにふと目を向けたら、ジンギスカンの店を見つけ、カウンター席もあるようで、一人ジンギスカンができるというわけで、この店で食べることにした。店員に気付かれるまで1分程かかったのがアレだったが、オススメのものを頼み、ビールとつまみを片手においしく頂けた。お代は3,200円程だったが、満足であった。
千歳ラム工房やまじんにてジンギスカン1
千歳ラム工房やまじんにてジンギスカン2

そこからホテルまで歩いたが、今度の課題は北海道でしか買えない銘菓・白い恋人の購入であった。再度伊佐市の友人に連絡を取り、千歳駅のキオスク(休日休)、ANAクラウンプラザホテル(不審者扱いされかねないためまともに探索できず)と巡り、最後新千歳空港まで買いに行けばどうかと提案を受けたが、さすがに疲れている。第一、新千歳空港には翌朝赴くため、この日のうちに行く必要はない。というわけで、新千歳空港の土産店の営業時間を調べ、その時間を見計らって向かえばいい、というわけで、ようやくホテルに21時前に入る。VOD見放題という特典があったが、そこそこ見ただけに留め、22時半までに就寝し、1日が終わった。なお、千歳駅に降り立ってから歩いた距離は4kmに及んだという・・・。  

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2015年09月22日

SW特別鉄道旅行2015・1日目(9/19)

今日は、連休明け後の出社となり、組織の変更と共に座席配置も一部変わっており、役員の目線が気になるところでしたが、やはり配布されていた組織図を見て、ついに事業部長補佐を兼ねた課長になっておりました。これまで主任までしか務めたことがないため、初の課長となります。しかも、所属事業部課が1部2課制であったのが2部2課制となっており、2つに分かれており、両部を統括する立場になりました。事務的に少々面倒なことを覚えていかないといけないのですが、先々のことはその時に委ね、連休中もしっかりと仕事をこなしてもらっており助かりました。基本的なことができる部署であれば、誰が欠けても安心です。

さて、今回は、大型シルバーウィーク連休特別鉄道旅行の1日目・浅草橋から房総半島のど真ん中経由で成田空港へ向かい、初の北海道に至るまでを記します。


起床は5時50分。但し、友人が4時半過ぎに起き、5時半の列車に乗るため、その都度起きて連絡を取る特別体制であった。風呂に入り、身支度を整え、朝食を摂りに6時40分にホテルを出る。浅草橋駅の近くに松屋があることを事前に調べており、横断歩道を渡って店内に入り着席する。が、よくよく考えたら、首都圏の飲食店は食券制であることが大半である。食券を買わずに着席するなど、田舎者とバレたも同然である。
そこを平静を装って改めて食券を買い、プレミアム牛めしに生野菜のセットでの朝食となった。お肉が柔らかく、プレミアムという名を付けるのも良く分かるが、あまり大した差ではないような気がする。

店を出て、再び浅草橋駅に入り、指定席券売機で事前に予約していた切符とこの日の旅の主役・休日おでかけパスを買う。時間に余裕があるため、気持ちの上でも焦りはなく、総武線を隣の秋葉原駅へと向かう。秋葉原駅に7時10分過ぎに着き、宇都宮市からやって来る友人を待つ。なお、この日が当初考えていたアルペンルート踏破ではなく鉄道旅行になったのは、春から夏にかけて彼と連絡が取れなくなったためである。その罪滅ぼしも兼ねて彼は参加するのだが、なかなかやって来ない。7時20分を過ぎ、乗車する新宿わかしお号の到着も迫り、ようやく電話で連絡がついたのだが、彼から発せられたのは「階段を下りたんだけど」のくだり。京浜東北線で来た以上、階段を上がったなら分かるが、下りてしまえばそのまま秋葉原の街に出てしまう。この旅程中、唯一怒気を込めて「総武線は3階だ!早く階段を上がって来い!」と怒鳴り、ようやく発車6分前に再会できた。

乗車するのはグリーン車である。秋葉原と大原の間は100kmないため、グリーン料金が比較的安い。せっかくなので乗ってみようという魂胆である。グリーン車に乗るのは自分たちと初老の紳士のみ。なかなか乗らないようである。
これまで、秋葉原から南、北、西はそれぞれ乗車したことはあったのだが、東が無かった。というわけで、この日は房総半島を中心に、未踏線区を回っていく。ただ、グリーン座席にしては、妙にガタガタ揺れていた。ちゃんと整備して欲しいものである。

秋葉原から特急に乗るのは初めてだが、錦糸町駅までの速度の遅さには、友人がかなり反応を示していた。原付よりも遅い感じで、いったいどうなる事かと思っていたが、錦糸町駅を出てからはすこぶる快速で、両国国技館の建物などの初めて見る沿線の風景を眺めつつ、蘇我駅を出てから郊外に入り、あれよあれよと大原駅で下車。

JR大原駅
いすみ鉄道大原駅

ちなみに、休日おでかけパスは外房線では茂原駅までしか有効ではないため、事前に茂原~大原駅間の乗車券も購入済みである。自動改札機ではじかれるが、駅員に見せれば休日おでかけパスはちゃんと返してもらえ、何のおとがめも受けない。

ここでいすみ鉄道に乗り換え、房総横断記念乗車券と急行の自由席券を自販機で買う。なお、友人は家を出てから何も口にしていないということで、食べ物と飲み物を買っていた。
列に並び、発車15分前から乗車できるようになり、券を見せてキハ52形の車内に入る。
大原駅構内の様子
鹿屋の鉄道記念館に鎮座している車両と似た雰囲気はあるが、驚いたのは座ったとたんにギャグのように座席が外れて傾いたこと。あわてて台座の上に載せ直して事なきを得たが、ホットコーヒーやカップラーメンを持ちこんでいたらやけどは免れなかったかもしれない。

乗った列車は「急行1号」といい、首都圏では見られなくなった旧国鉄型ディーゼルカーを運行させているのが特徴の一つとなっている。
急行型車両として製造されたキハ28形も指定席として乗車できるが、自分にとってキハ28形は20世紀末に指宿枕崎線で乗車したことのある車両であり、別段珍しさがなかったので、キハ52形の方にしたのであった。

列車は房総の山中へと分け入っていき、所々川を渡り、時に田園風景が広がり、車窓を余すところなく楽しめた。終点の上総中野駅まで出たところで、普通なら5分後に出発する小湊鐵道の列車に乗り換えるのであるが、台風18号の影響による大雨で月崎駅まで不通となっており、バス代行運行となっていた。
上総中野駅
小湊鐵道列車代行バス

というわけで、特に何もない駅前で40分近く待つ羽目になるのだが、さすがにのどが渇いたため、メロンソーダを買って飲んでいた。友人と談笑し、時に小型の蜂を駅舎外へ出そうと画策していたのであるが、トイレから戻ったら、なぜかパトカーがやってきていた。どんなトラブルが起きたのかは定かではないが、田舎の駅にしては物騒な話である。

そのパトカーを横目に、代行バスに乗車して月崎駅に向かう。所々細い道もあり、よくバスが通れるなと感心しつつ、月崎駅で小湊鐵道の列車に乗り込む。上総中野の文字が月崎に置き換えられていたのが印象的であった。
月崎駅
月崎駅前の養老渓谷ハイキングコースの案内板
不通区間だった上総中野駅方向と小湊鐵道車両
月崎駅までの区間に修正されている行き先表示板

小湊鐵道の上総牛久駅までは、駅のそばにあるのは人家が少ない田園風景ばかりである。駅のそばに人家がないのを不思議に思いつつ、貴重なタブレット交換による行き違いなどを見て、直線に敷かれた区間が多いことに印象を受け、五井駅に到着したのが12時45分過ぎのこと。駅構内の売店でおにぎりと飲み物を買い、先ほど特急で通った蘇我へ向かい、京葉線快速に乗り込んで、海浜幕張駅では東京ゲームショウ2015がこの日から開幕したということもあり、大勢の中高校生が乗り込んでくる中、南船橋まで。
スマホの路線案内で、真向かいの3番ホームに武蔵野線列車が3分後に接続するということで身構え、ホームに人の姿が少ないことに歓喜して並んでいたら、すさまじいことが起きていることを知った。なんと、北府中駅の信号故障で武蔵野線のダイヤが乱れている、というのである。その間にも京葉線列車が到着し、しまいには京葉線内でもトラブルが起きたらしく、電車が全て止まった状態となっていた。

次の常磐線との接続を考えると、14時20分までに南船橋駅を出発しないと、東松戸駅でスカイアクセス線に乗り換えて成田空港直行となりかねない事態だっただけに、かなり切迫した局面にあった。奇跡的に7分前に列車が入線してきて事なきを得、14時19分に南船橋駅を出発、新松戸駅で常磐線に乗り換えて、終点の我孫子駅で下車する。お目当ては6年前にも食べたうどんである。今回はちくわ天を乗せたが、やはりおいしかった。お客さんでにぎわっており、その土地の名物を食べる幸せに浸れた。

成田駅行きの成田線普通列車に乗り込むが、水戸線張りの閑散線区で、久々に電車内で落ち着いて景色を堪能できた。成田駅の手前の2ヶ所では、急こう配の道路を見かけ、バイクだとウィリーするんじゃないかといった心配もしつつ、成田空港行きの列車に乗り換え、予定通りに到着。これで、関東の未踏線区は房総半島の南端と東端、蘇我~成田間など、かなり減らすことができた。
成田空港から乗るのはLCCのバニラエアの新千歳行き。初の成田空港に、初のLCC搭乗と初物尽くしとなるが、第三ターミナルまでの距離の長さには、ここまでするかというほどのチープさには何とも言えなかった。ターミナル内も、鹿児島のホームセンター「A-Z」みたいな簡素さが明確に出ていて、むしろここまで安く仕上げる必要があったのかと思うほどであった。

友人とはここで別れ、持ってきた多機能キャリーバッグが機内に持ち込めないということで、預けてから10分程待機して、それから出発ロビーに入るが、いすがソファしかない上、バス移動ということで、出番が来るまで待つ羽目となった。しばしスマホでニュースに目を通し、ようやく階段を下りてバスに乗り込むが、階段の途中で排気ガスをかなり強烈に感じた。ゆとりがある人は、よほどのことでない限り、成田空港からLCCに乗らない方がいいのではないかと思った。

成田空港を出発し、初の北の大地へと飛び立ったが、特に機内に不満などなく、仮眠して過ごしてあっという間に北海道の大地に足を踏み入れた。これで残る未踏破都道府県は沖縄県を残すのみとなった。
新千歳空港で一番最初に降りれたほか、手荷物は2番目に出てくるなどいいことずくめで、おかげで出発寸前の予定より1本早い快速列車に乗り込めた。夜なので景色はさほど楽しめないが、車内放送や路線案内図を見て、改めて北海道にいることを実感させられる。
札幌駅で下車し、地下鉄に乗り換え、ホテルのある中島公園駅で下車。大通公園とすすきのには行けなかった。

天候は雨と聞いていたが、雨は既に上がっており、所々に水たまりが出来ていた。半そでだったがまだまだ大丈夫で、5分程歩いて「めんこい茉季詩夢」へ。塩バターラーメンを食すが、実においしい。塩ラーメンが好きではない自分でも、全然いけた。
その後ホテルで0時半に就寝し、1日が終わった。  

Posted by yochi at 22:02Comments(0)旅行記

2015年09月21日

SW特別鉄道旅行2015・0日目(9/18)

1月末の段階で、鹿児島~東京間の航空券を購入し、その後入念に状況に応じて行程を組み上げた6年ぶりの大型シルバーウィーク連休特別鉄道旅行計画を、ついに実行に移す時がやってきました。今回は、以下のような日程でした。

◎0日目 大隅⇒鹿児島空港~羽田空港⇒浅草橋
◎1日目 浅草橋⇒大原(千葉県)⇒上総中野⇒五井⇒蘇我⇒南船橋⇒新松戸⇒我孫子⇒成田空港~新千歳空港⇒札幌
◎2日目 札幌⇒岩見沢⇒滝川⇒新得⇒新夕張⇒夕張⇒千歳
◎3日目 千歳⇒新千歳空港~羽田空港⇒秋葉原⇒上野⇒品川⇒羽田空港~鹿児島空港⇒阿久根&伊集院⇒大隅

6年前のシルバーウィークでは、ツーデーパス(当時)を使用し、成田から水戸、友部、小山、高崎、横川、軽井沢、小諸、佐久平(宿泊地)、小淵沢、甲府、新宿、秋葉原、東京、鶴見、鶴見線各終着駅(海芝浦・大川・浜川崎)、尻手、川崎と巡っていたのですが、今回の1日目と3日目は関東エリアの未乗車区間を補完する内容となっています。

というわけで、帰宅早々くたばっているところですが、そこを押して出発初日について記します。


次は11年後になるというこの大型シルバーウィーク連休、行くのなら前回の未踏区間を中心に乗りつぶす、という次第で、5月下旬に行程が確定、航空券、ホテル、鉄道の切符の順で準備を万端に進め、今回の出発と相成った。
入念に計画を立て、懸念されていた台風も今回は接近してこず、盤石かと思っていたところに、思いがけない所で動揺させる出来事があった。
出発直前の午前、会議室に呼ばれ、何と課長拝命という驚愕の事態を迎えたのであった。自分自身が計画していることは完全に掌握できていることであるが、まさかその日に大命降下となるとは、恐れ入った。まだ内示の段階のため、明日の出社を待って確定となるのであるが、これでやすやすとまた次の北海道行きか最後の未踏の地・沖縄行きにするか、といったことを口走れなくなってしまったのである。仮に課長確定だと、3連休は取れなくなる。下手すると、退社するまでしばし北海道に行けなくなるかもしれない、そういう余計なことを頭の片隅に入れつつ、旅立つ羽目になってしまったのであった。

何はともあれ、この時期にこうしたことを計画したのは、先々を予見したわけでもなく、偶然ということになるのであるが、戻ってからのことを考えながら旅行に出かけたことはこれまで全くないため、余計なことを・・・と思いつつ、日程通りに進めるべく、家事を万全に済ませ、車のリコール対応を終え、鹿児島空港に向かう。去年は一般道での混雑で予想外のことになった上、天候が悪く、下手すると出発できない事態に陥りかねなかったが、今年は特に問題なく空港に着き、定刻通りに羽田へと出発、予約したホテルのある浅草橋にも23時半過ぎに到着した。
翌日の段取りについて友人に連絡を入れ、就寝は0時過ぎであった。  

Posted by yochi at 23:13Comments(0)旅行記

2015年05月04日

2015GWツーリング2日目・松山~まんのう~広島

今日5/4は、iPhoneへMNPで転出すべく、ドコモショップやらauショップやら仕事終わりに駆け廻っておりましたが、30分近く待たされたドコモショップA店は、こちらが週末に契約したいが来店予約はできないかと尋ねても、その場での来店予約を渋られ、致し方なく別のB店へ伺ったところ、2~3分待っただけで済んだ上、快く受けて頂けました。というわけでB店で週末にスマホデビューとなる見通しで、「客のニーズを考えているか」、といった視座が接客業では大事だと痛感させられました。

というわけで、今日の出来事はここまで、引き続き、GWツーリングの2日目について書いていきます。



【2日目(5/2・土)】松山~まんのう(香川県)~広島

天気は快晴で、すがすがしく6時に起床、支度を終えて6時半過ぎに朝食バイキング会場へ。
しかし、バイキングながら朝食をごはんとみそ汁だけ摂る。
理由は簡単、朝食は讃岐うどんにしなければならないためである。

到着まで空腹にならない程度に頂いた後、バイクに荷造りして、カッパも着込んで寒さ対策も万全にして、一路国道11号を東に進む。
2006年の2日目と一部ルートが被るが、往時と異なり、松山道川内ICから松山道を進むルートである。
しかし、前日給油できていないだけに、高速に入る前に給油しなければならなかった。
出発したのが6:45だったので、まだスタンドも営業している店は少ない。
しかも、交通量の割にスタンドの数も少なく、そうこうしているうちに川内ICを通過。
少し先にようやくスタンドを見つけて、給油する。
店員氏の話では、昔と比べてスタンドが減ってきているとのこと。
早い時間から営業していて助かった旨お礼を述べて、右折車線からUターンして、無事に川内ICに入る。

松山道のこの区間はもう4度走っているため慣れたもので、楽々と進み、高松道大野原ICで下りる。
前回もこのルートで讃岐うどんを食べに行っているが、近道するところを間違えていたため、今回は無難に国道377号へ合流する。

長瀬交差点で右折して、道なりに行けば国道32号に合流し、目指すうどん屋も近づくのだが、今回は近道するポイントを間違え、さらにそれがさらなる誤りの連鎖になってしまうという、最悪の展開を歩んでしまった。
香川県道218号自体は近道の一部を構成しているのだが、曲がったポイントからであれば右折が正解にも関わらず直進してしまい、さらに誤りに気付いて見知らぬ集落道へ右折して、世間話に花を咲かせているおばあさん2人の前を道に迷ったバイクが走り抜けていき、集落の外れから山道になり、T字路を登る方へ進むと、牧羊犬らしき犬に吠えられ、登りきった先にあったのが、急な下り坂と花畑であった。
そこを躊躇なく進んでいる度胸に驚きつつも、ようやく別の集落の幹線道と思しき道に合流、そこを左折したら、さらにどつぼに突入。
田舎の集落を彷彿とさせる険しい山道を抜け、ようやく交通量の多い国道へ出て、そこでiPad2で位置を確認。
なんと、長瀬交差点の琴平側6km地点に出たことが判明し、愕然となった。

T字路や集落道のいずれかで右折していれば、十分リカバリできたのだが、ものの見事に大失敗。
目指すうどん屋は山の向こうの向こうとあって、結局県道218号の出口へ向かい、何とか9時過ぎに山内うどん店へ着くことができた。
しかも、幸いなことに行列は出来ておらず、すんなりと店内に入ってすぐにおいしいうどんにありつけた。
ひやあつの大に、ちくわ天とかぼちゃ天を乗せて食すが、やっぱり本場のうどんは美味しい。
山道で迷ったこともすっかり吹き飛んだところで、元職退社時と同様に、善通寺ICから再び高松道に入り、瀬戸大橋を渡る。
天気が良く、瀬戸内の島々も良く見える。
風が強くないのも幸いして、快適に本州へと歩を進めた。
なお、ETC割引は基本3割引だが、この本四区間だけは半額が維持されている。

倉敷JCTで山陽道に入り、西に向かう。
しかし、早くも危ない知らせが目に入る。
「笠岡~福山西 事故渋滞15km」
いきなりやってしまってるな、と身構えつつ、神経を使う運転をしてどうにか渋滞個所を抜ける。
でもって、また次の渋滞個所のお知らせが目に入る。
広島IC付近が混むのは想定の範囲内、ということで、昔と異なり、東広島呉自動車道なる高規格道路が開通したことを事前に調べており、これを使って渋滞個所を回避しようと試みてみた。

特に流れが滞ることなく呉の阿賀地区に着く。
かつて、呉松山フェリーという、必ず乗船していたフェリーがあったのだが、今はしまなみ海道の影響でこの航路は存在していない。
往時を思い出しつつ、休山トンネルをスムーズに抜けて、呉の中心市街地に入る。
呉と言えば、元カノの出身地であり、今も住んでいるであろう地である。
別れた後は、決してここには二度と来るまいと決意していたが、さすがに渋滞回避のためならやむなく通った、という次第ながら、しかし、往時のことが思い出されて、感傷的になってしまった。
元カノの幸せを願いつつ、初めて走る広島呉道路に歩を進める。

仁保JCTから広島高速3号線に入り、新井口駅にほど近いアルパーク北棟西隣の駐輪場へバイクを停める。
ここで昼食となるのだが、そば吉のカツ丼とざるそばセットを食す。
フェリーが間に合っていれば、松山で食べるはずだったものを広島で食べるというのも変な話だが、店が両県にあるので助かった。
昼食後、バイクを停めたまま、JRで宮島口駅を目指す。
運賃は240円。
そこからはJRの連絡船で宮島に渡る。
運賃は往復で360円。

そこから厳島神社までの道のりは、実に人の多さで先に進むのも大変だったが、何はともあれ10分程度で到着し、中に入る。
本殿の手前に自分の名前があるかどうか確認したが、転居の影響からか、無くなっていた。
まぁ、またゆとりができたら寄付することにして、本殿で参拝を済ませて、再びフェリーへと戻っていく。
宮島桟橋のいつもの土産屋で名物のもみじ饅頭とかきの姿煮を買って、広電で井口駅までの切符を購入。
しかし、これが誤りだった。
新井口駅に隣接するのは商工センター入口電停、つまり、1駅区間歩く羽目になってしまったのであった。

国道2号を720mも歩く羽目になり、ゴールは見えていても、9分はかかる。
伊佐市の友人と電話しながら歩いて気を紛らわせ、ようやく駐輪場に帰りついた。

バイクを駐輪場から出すのに苦労しつつ、国道2号から広島市街地へ進ませ、宿泊地のホテルに到着したのが16時半過ぎ。
中心部にあるホテルのため、どこへ行くにも便利な立地である。
この日も○○○○の予約を取った上で、近くにあってかつ行列の影響を受けにくいであろうへんくつ屋の平和記念公園南店に歩いて向かう。
ちょうどフラワーフェスティバルのただ中ということもあってか、屋台の店が目に付く。

例によって、そばスペシャルを注文し、すっかりお腹いっぱいになってしまった。
帰り道、もう少しで吐く寸前レベルの食事量だなと、胃腸薬が必要にならないかびくびくしつつ、無事ホテルにたどり着き、お風呂に入ったらすっきりしていた。
この日は23時の就寝であった。  


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2015年05月03日

2015GWツーリング1日目・大隅~佐賀関→三崎~松山

今年も九州へ戻る3日目は雨の中、というよくある展開で幕を閉じた2015GWツーリングですが、今回は会社の休みが少ない(1日午後~3日)、という事情にて、去年のように関東やら関越トンネルやら五箇山の合掌集落やらを巡るようなことはできず、スクーター時代と同じ広島と松山を巡ることプラス、讃岐うどんを食べに香川県の山中へ赴き、実にアクティブな3日間でした。その記録です。


【1日目(5/1・金)】大隅~佐賀関→三崎~松山

フェリーさんふらわあの今年の往復料金は、原油安の影響で前年比7,000円も下がっているにも拘らず、会社の休みの関係という情けない理由にて、よく走っていた広島・松山界隈に行きつつ、3年間食べていない本場の讃岐うどんを食べに行くべく、月初の作業を万事片付けて、技能的に劣る後輩2名に後を任せて、洗濯・食器洗いを片付けて、13:41に自宅を出発。
東九州道に乗り、末吉財部ICで下り、毎度恒例の都城市街地迂回ルートを進む。
なお、今回は10年愛用している地図ソフトが導き出した新・都城市街地迂回ルートを使用し、無駄な停車回数を減らしつつ、スムーズに国道10号に合流、程なく都城ICから宮崎道に入る。

この日は平日のため、3割引にはならないが、清武JCTから東九州道の宮崎県区間に入り、ひたすら北上する。基本的に暫定1車線区間だが、ところどころ2車線の追い越し車線が整備されており、スムーズに進められる。この日の山場が佐賀関港を18時に出港するフェリーに乗れるかどうか、という点だったのだが、4時間で着くかどうか、全く見通せていなかった。
北川ICまでは過去2回走ったことがあったが、そこから先の大分県側区間のうち、佐伯ICまでの区間が今回初走行となる。
大分・宮崎県境付近の日豊海岸はリアス式海岸であるため、山がちな地形が続いており、その区間を結ぶ東九州道はどうしても山間部を通るため、トンネルが多い。
鹿児島の東九州道無料区間と同様に、中央分離帯がコンクリートで仕切られているのは同じなのだが、トンネルの中もそれが続くのが今回新鮮だった。

フェリーの時間を気にしつつ、計算通り九州内は給油の必要なしと判断して、北に進むにつれて徐々に車の量が増えてくる。
スピードが下がって来たところでようやく臼杵ICに到着し、ここからはスクーター時代と全く同じルートで佐賀関港を目指す。
いくら車体が大きくなったとは言え、一般道だけに最高速度制限は同一条件で、18時の便は絶望的だということは察していた。
まあ、急いで事故るよりは、安全に次の便を乗る方が得である。
そう言い聞かせて、安全に徹して運転する。
この区間は2012年の西日本最長の国道トンネル・寒風山トンネルへ向かう時以来のルートとなるのだが、この3年で狭隘路の一部が走りやすい道に改良されていた。
徐々にではあるが改良が続いており、新たなトンネルやバイパスルートも建設中であった。
安全な道づくりは大事なことである。

そうして佐賀関港に到着したが、17:56で、既にフェリーに車が積み込まれており、バイクの乗船は不可能だった。
というわけで、バイク乗り場1番をゲットし、最悪パターンのいつの便に乗れるか分からない、という事態だけは避け、レストランで生姜焼き定食を食べる。
肉のボリュームが多く、大満足であった。

松山の○○○○に電話して予約を済ませ、フェリーを待つが、なかなか来ない。
過去の経験上、乗船時間の20分くらい前に入港して来るのだが、状況からして10分程度の遅れとなりそうであった。
最初から遅れるなら、先に出港した便が遅れていれば乗れたのであるが、実によろしくない展開である。

昔の国道九四フェリーであれば、遅れ回復で速力を上げることもあったものだが、現在はそういうことをしたのに巡り合わせたこともなく、四国上陸は20:38。
松山に22:30に着かないといけない状況で、昔のスクーターなら、一般道経由で2時間少々。
当然、今回使用するのが松山道である。

夜の四国を走るのも3年ぶりとなるが、八幡浜市保内町までは道を知り尽くしているだけに、加速と抑制を効率よく用い、伊方原発入口の信号の当日最終運用を見届けて、保内町の先に、妙な道路ができていた。
「大洲八幡浜道路」なる地域高規格道路らしく、「これで大洲まで楽々行ける!」とぬか喜びしたのもつかの間、あっという間にトンネル1本分の長さで終了、意気消沈しつつ、国道197号を大洲市方面へ進む。
途中、大洲西トンネルが片側交互通行となっており、2分程度のタイムロス。
まあ、事故って後が大変になるよりはと気を抑えて、松山道の一部をなす大洲道路に入る。
片側二車線だが、カーブが多く、その上初めて走るため勝手が分からない。
安全速度で抜けて、再び暫定1車線区間となって北へ向かう。

伊予ICからは走ったことがある区間となり、伊予灘SAで予約した店に電話を再度入れ、遅れる旨伝達。
間もなく松山ICに着き、無難に国道33号を経由して国道11号に入る。
中心部にほど近いホテルに着いたのが22:25。
ただ、連携がうまくとれておらず、バイクを停めた側の方へ宿泊することになるのだが、そうなる前はもう一方の方になるとか、そちらがトラブルのため違うとか、ホテル側の論理で振り回されて、こちらはクタクタだというのに歩かされたが、何とか部屋に入って一息つく。

こうして1日目が終わったのであった。  


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