2014年10月20日
東日本周遊鉄道旅行2014・3日目(10/13)
仕事疲れもピークに達してきたせいか、今夜の夕飯を外で食べた際、財布を家に忘れて来たことに気付き、前職で回転すし屋に行った際に財布を忘れて悲惨な展開になったことを踏まえて、小銭入れに千円札を予備費として入れておく習慣で助かった次第ですが、いよいよ今回の鉄道旅行も終盤に差し掛かりました。というわけで、今日はちょうど1週間前の3日目(10/13)の長岡から鹿児島までの旅程について記します。
前日の就寝は23時過ぎで、この日の起床は6時半。
やっと7時間ほど寝られるようになったものの、前2日間の合計睡眠時間と同じで、明日仕事の時に起きられるかと不安になりつつも、7時半に長岡駅に到着。
台風19号の進路について、この段階で九州南部は暴風雨にさらされており、夜の飛行機が飛ぶのかどうかも気にかかりつつ、まずは上越線で越後湯沢駅を目指す。
休日の朝とは言え、前日同様乗客の大半が高校生である。
しかも、下車したら、また別の制服を着た生徒が乗り込んでくる。
六日町駅までで高校生は下車していき、静かさを取り戻した列車は越後湯沢駅に到着した。
この区間は2年ぶりの乗車であり、しかも今年のGWには近くの関越道をバイクで走っている。
なぜかは分からないが、近年本州で一番よく行っている場所は湯沢町近辺と言えそうな状態である。
で、ここを始発とするはくたか4号に乗車すべく、六日町から乗る予定を変更して越後湯沢駅まで来たのであった。
で、当然だが、もう既にはくたか4号は停車していた。



北越急行所有の「スノーラビット」である。
A列車で行こう9でも走らせている681系2000番台である。
これが来年春の北陸新幹線開業で廃止となるわけなので、寂しい気持ちもあるが、しかし、まだまだイベント用などで走ってくれるのではないか、そんな期待もしている。
上越新幹線から乗り換えて乗り込む客が来る前に無事に自由席に座り、9:14に出発。
電車でGO!でも聞いた681系のチャイム音を聞いて、余韻に浸りつつ、途中赤倉信号場ではくたか同士のすれ違いのため、退避線に入る。
しばらくして、無事しんざ駅でトンネルを抜け、十日町駅で下車する。
これが最初で最後の681系2000番台乗車なのだなと思うと、かなり感傷的になってしまったのであるが、十日町で下りたのは、他でもない、今年のGWツーリングで、ご当地の名物・へぎそばを時間不足で食べに行けなかったことから、そのリベンジのため。
まさか5ヶ月後に再びこの地にこようとは思ってもいなかったが、せっかくのチャンス、しんざ駅から歩いていくのもどうかということで、駅を降りてまっすぐ小嶋屋さんに向かう。
十日町と言えば豪雪地帯として有名で、冬季に4mを超える雪が積もるのも珍しくないと、小学校の社会科で習った記憶があるが、駅前のアーケードはがん木風に作られていて、道路には消雪パイプもあって、雪対策は万全であった。
開店準備中の小嶋屋さんの前を一旦過ぎて、グーグルマップで気になったスナック「ルパン三世」を一目見てすぐ小嶋屋さんの前のベンチに腰掛けて、開店を待つ。
まだ10時過ぎ、開店は10時半(4~10月)のため、十日町のコミュニティFMを聴き、iPad2で羽田空港の飛行機の出発状況を見ながら、夜帰れるかどうか考えているうちに、一足先に店内へ誘導してもらえた。
品書きを見て、前日長岡で洋風カツ丼を食べられなかったため、奮発してへぎそば1人前と上天ぷらを注文。
厨房から「上天ぷら」を何度か確認する声が聞こえてきたが、1人目の客がいきなり上天ぷらを注文して来るとなれば、しっかり確認する必要はあるだろう。
十日町のそばはふのりをつなぎに使うそばで、こしがあり、それでいてつるつるの食感が味わえる。
広島・愛媛で展開するそば吉のそばが一番好きなのであるが、小嶋屋さんのそばも、実においしい。
前日に平泉で食したわんこそば以来の食事となったが、素材本来の味わいでいけばへぎそばに分があった。
店員とGWに来ようとして2km先まで来たが、時間が無くて断念して今回改めてやってきた、とてもおいしいそばだったなどと感想やら経緯やら話をし終えて、まだ2人目の客が来る前に店を出る。
十日町駅を11:19に出る飯山線の列車に乗らないといけないためで、駅から8分ほどということも分かっているため、気持ち的には楽に十日町駅まで戻ってきた。



戸狩野沢温泉駅行きの列車に乗り込み、飯山線を長野方面へ向かう。
さすがに2年前同様に上越線で関東に戻る気は、もう無かった。
基本的に1度乗った路線、1度通った路線は乗らない性分、2009年、2012年の鉄道旅行で乗ったことのない区間と言えば、新潟方面では磐越西線と只見線、そして飯山線しかなかった。
ただし、只見線はまだ復旧工事中で不通区間が存在しており、そのため磐越西線ルートとなったのである。
2011年3月11日に大きな地震に見舞われながらも、東日本大震災の被災地の方が目立ってしまい、すっかり霞んだ感がある長野県栄村を通る飯山線、内陸ということで津波がなかったことも幸いしたか、比較的ダメージは少なく済んだように思われる。
戸狩野沢温泉駅で反対ホームに停まっているディーゼルカーに乗り換え、長野駅を目指す。
が、ここで反対のボックス席に座っているおばちゃんから声をかけられる。
大阪から来たというそのおばちゃんに、これまでの旅程の話やらいろんな話をしていたが、やはりこの日の話題は台風19号で帰れるかどうか、といったことに。
関西が夕方以降全列車を止める、という話で、もう飛行機が飛ぶしか帰る方法がない、飛ばなきゃ宇都宮へ戻る、といったことを話して、再び車窓を眺めます。
北陸新幹線の路線も見えてきたところで、長野駅に到着。
待ち時間もそこそこあるため、去年バイクで行っていながら買えなかった善光寺の土産を買って、先行列車のE7系を撮影して、すぐに入線してきたE2系に乗車する。
なお、13日が帰宅ラッシュになることを想定済のため、事前に指定席特急券を購入済みである。
乗車してすぐに、隣の席に若い男性が座って来たが、どうにも機嫌が悪い感じで、乗っている身としても肩身が狭い。
しばらくして、反対側の3人がけ席に子連れの夫婦と、その友達か姉妹と思しき女性がやってきて、ご主人が隣席の男性に「席が違うんじゃないですか」といった話をして、隣席の男性は号車を間違えたことに気付き、詫びを入れた後立ち去り、その女性が座った。
息苦しさは解消されるも、トンネル区間も多い長野県区間、iPad2でひたすら地図を眺めて、現在地点がどこかといったものを、ずっと凝視していた。
佐久平駅では、2009年に泊まったホテルがあり、昨年2013年のGWツーリングでは駅前にバイクでやってきていて、外の景色を眺めては懐かしい気分に浸っていた。
そして、次の軽井沢駅では、2009年に碓井線のバスからしなの鉄道線へ乗り換える時に降り立っており、台風のもたらす湿気の影響か、霧が湧いている中を、「風立ちぬ」の影響でいつかここのホテルで一泊してみたい・・・という希望を胸に抱きつつ、後ろ髪を引かれる思いで関東平野へ下っていった。
東京駅に定刻通りに着き、そのまま山手線で品川まで。
品川からは京急線で羽田空港に向かう。
この辺はすっかり前職での東京出張で手慣れた部分になっている。
なお、昼前の鹿児島線からは飛行機は正常に運航しているといった情報を得ており、確実に帰れる、という判断があった。
まあ、予定外だったのは、支出がそこそこいっていて、一切空港で土産を買えず、飲食物も買えない、といったことであったが、今回は東北地方の土産をかなり買っており、そこまでの必要もなかった。
給油やメンテナンスの問題で10分程出発が遅れたほかは問題なく無事に離陸、鹿児島空港に20時過ぎに到着した。
車のボンネットなどには灰が積もっていたが、台風で何かしら傷ついた、といったこともなく、無事に帰宅できたのであった。
こうしてバイクや電車で本州35都府県を全部制覇、残すは北海道と沖縄の2つに絞られた。
いずれも2泊3日では物足りないかもしれない場所だけに、なかなかスパッと行く機会を決めるのは難しいかもしれない。
ただ、いずれ必ず出向き、そして日本全都道府県制覇を成し遂げる、そう誓うのであった。【完】
前日の就寝は23時過ぎで、この日の起床は6時半。
やっと7時間ほど寝られるようになったものの、前2日間の合計睡眠時間と同じで、明日仕事の時に起きられるかと不安になりつつも、7時半に長岡駅に到着。
台風19号の進路について、この段階で九州南部は暴風雨にさらされており、夜の飛行機が飛ぶのかどうかも気にかかりつつ、まずは上越線で越後湯沢駅を目指す。
休日の朝とは言え、前日同様乗客の大半が高校生である。
しかも、下車したら、また別の制服を着た生徒が乗り込んでくる。
六日町駅までで高校生は下車していき、静かさを取り戻した列車は越後湯沢駅に到着した。
この区間は2年ぶりの乗車であり、しかも今年のGWには近くの関越道をバイクで走っている。
なぜかは分からないが、近年本州で一番よく行っている場所は湯沢町近辺と言えそうな状態である。
で、ここを始発とするはくたか4号に乗車すべく、六日町から乗る予定を変更して越後湯沢駅まで来たのであった。
で、当然だが、もう既にはくたか4号は停車していた。



北越急行所有の「スノーラビット」である。
A列車で行こう9でも走らせている681系2000番台である。
これが来年春の北陸新幹線開業で廃止となるわけなので、寂しい気持ちもあるが、しかし、まだまだイベント用などで走ってくれるのではないか、そんな期待もしている。
上越新幹線から乗り換えて乗り込む客が来る前に無事に自由席に座り、9:14に出発。
電車でGO!でも聞いた681系のチャイム音を聞いて、余韻に浸りつつ、途中赤倉信号場ではくたか同士のすれ違いのため、退避線に入る。
しばらくして、無事しんざ駅でトンネルを抜け、十日町駅で下車する。
これが最初で最後の681系2000番台乗車なのだなと思うと、かなり感傷的になってしまったのであるが、十日町で下りたのは、他でもない、今年のGWツーリングで、ご当地の名物・へぎそばを時間不足で食べに行けなかったことから、そのリベンジのため。
まさか5ヶ月後に再びこの地にこようとは思ってもいなかったが、せっかくのチャンス、しんざ駅から歩いていくのもどうかということで、駅を降りてまっすぐ小嶋屋さんに向かう。
十日町と言えば豪雪地帯として有名で、冬季に4mを超える雪が積もるのも珍しくないと、小学校の社会科で習った記憶があるが、駅前のアーケードはがん木風に作られていて、道路には消雪パイプもあって、雪対策は万全であった。
開店準備中の小嶋屋さんの前を一旦過ぎて、グーグルマップで気になったスナック「ルパン三世」を一目見てすぐ小嶋屋さんの前のベンチに腰掛けて、開店を待つ。
まだ10時過ぎ、開店は10時半(4~10月)のため、十日町のコミュニティFMを聴き、iPad2で羽田空港の飛行機の出発状況を見ながら、夜帰れるかどうか考えているうちに、一足先に店内へ誘導してもらえた。
品書きを見て、前日長岡で洋風カツ丼を食べられなかったため、奮発してへぎそば1人前と上天ぷらを注文。
厨房から「上天ぷら」を何度か確認する声が聞こえてきたが、1人目の客がいきなり上天ぷらを注文して来るとなれば、しっかり確認する必要はあるだろう。
十日町のそばはふのりをつなぎに使うそばで、こしがあり、それでいてつるつるの食感が味わえる。
広島・愛媛で展開するそば吉のそばが一番好きなのであるが、小嶋屋さんのそばも、実においしい。
前日に平泉で食したわんこそば以来の食事となったが、素材本来の味わいでいけばへぎそばに分があった。
店員とGWに来ようとして2km先まで来たが、時間が無くて断念して今回改めてやってきた、とてもおいしいそばだったなどと感想やら経緯やら話をし終えて、まだ2人目の客が来る前に店を出る。
十日町駅を11:19に出る飯山線の列車に乗らないといけないためで、駅から8分ほどということも分かっているため、気持ち的には楽に十日町駅まで戻ってきた。



戸狩野沢温泉駅行きの列車に乗り込み、飯山線を長野方面へ向かう。
さすがに2年前同様に上越線で関東に戻る気は、もう無かった。
基本的に1度乗った路線、1度通った路線は乗らない性分、2009年、2012年の鉄道旅行で乗ったことのない区間と言えば、新潟方面では磐越西線と只見線、そして飯山線しかなかった。
ただし、只見線はまだ復旧工事中で不通区間が存在しており、そのため磐越西線ルートとなったのである。
2011年3月11日に大きな地震に見舞われながらも、東日本大震災の被災地の方が目立ってしまい、すっかり霞んだ感がある長野県栄村を通る飯山線、内陸ということで津波がなかったことも幸いしたか、比較的ダメージは少なく済んだように思われる。
戸狩野沢温泉駅で反対ホームに停まっているディーゼルカーに乗り換え、長野駅を目指す。
が、ここで反対のボックス席に座っているおばちゃんから声をかけられる。
大阪から来たというそのおばちゃんに、これまでの旅程の話やらいろんな話をしていたが、やはりこの日の話題は台風19号で帰れるかどうか、といったことに。
関西が夕方以降全列車を止める、という話で、もう飛行機が飛ぶしか帰る方法がない、飛ばなきゃ宇都宮へ戻る、といったことを話して、再び車窓を眺めます。
北陸新幹線の路線も見えてきたところで、長野駅に到着。
待ち時間もそこそこあるため、去年バイクで行っていながら買えなかった善光寺の土産を買って、先行列車のE7系を撮影して、すぐに入線してきたE2系に乗車する。
なお、13日が帰宅ラッシュになることを想定済のため、事前に指定席特急券を購入済みである。
乗車してすぐに、隣の席に若い男性が座って来たが、どうにも機嫌が悪い感じで、乗っている身としても肩身が狭い。
しばらくして、反対側の3人がけ席に子連れの夫婦と、その友達か姉妹と思しき女性がやってきて、ご主人が隣席の男性に「席が違うんじゃないですか」といった話をして、隣席の男性は号車を間違えたことに気付き、詫びを入れた後立ち去り、その女性が座った。
息苦しさは解消されるも、トンネル区間も多い長野県区間、iPad2でひたすら地図を眺めて、現在地点がどこかといったものを、ずっと凝視していた。
佐久平駅では、2009年に泊まったホテルがあり、昨年2013年のGWツーリングでは駅前にバイクでやってきていて、外の景色を眺めては懐かしい気分に浸っていた。
そして、次の軽井沢駅では、2009年に碓井線のバスからしなの鉄道線へ乗り換える時に降り立っており、台風のもたらす湿気の影響か、霧が湧いている中を、「風立ちぬ」の影響でいつかここのホテルで一泊してみたい・・・という希望を胸に抱きつつ、後ろ髪を引かれる思いで関東平野へ下っていった。
東京駅に定刻通りに着き、そのまま山手線で品川まで。
品川からは京急線で羽田空港に向かう。
この辺はすっかり前職での東京出張で手慣れた部分になっている。
なお、昼前の鹿児島線からは飛行機は正常に運航しているといった情報を得ており、確実に帰れる、という判断があった。
まあ、予定外だったのは、支出がそこそこいっていて、一切空港で土産を買えず、飲食物も買えない、といったことであったが、今回は東北地方の土産をかなり買っており、そこまでの必要もなかった。
給油やメンテナンスの問題で10分程出発が遅れたほかは問題なく無事に離陸、鹿児島空港に20時過ぎに到着した。
車のボンネットなどには灰が積もっていたが、台風で何かしら傷ついた、といったこともなく、無事に帰宅できたのであった。
こうしてバイクや電車で本州35都府県を全部制覇、残すは北海道と沖縄の2つに絞られた。
いずれも2泊3日では物足りないかもしれない場所だけに、なかなかスパッと行く機会を決めるのは難しいかもしれない。
ただ、いずれ必ず出向き、そして日本全都道府県制覇を成し遂げる、そう誓うのであった。【完】
2014年10月19日
東日本周遊鉄道旅行2014・2日目(10/12)
阪神タイガースが予想外の4連勝でCSを勝ち上がり、日本シリーズ出場決定というのが半ばポカンとした感じですが、何はともあれめでたいことに変わりなく、ここまできたら和田監督の胴上げも見てみたいと思うようになってきた今日この頃、今日はちょうど1週間前の2日目(10/12)の秋田から長岡までの旅程について記します。
前日の就寝は0時半過ぎで、この日の起床も5時半。
始発列車の次の便とはいえ、乗り過ごすと平泉駅までの直通列車を3時間ほど待たないといけないようなピンチに見舞われるため、眠いのもそこそこに、何とか始発バスに乗り込んで秋田駅に戻り、例によってNEWDAYSでサンドイッチとおにぎり、ポカリを購入。
奥羽線普通列車に乗り込み、まずは横手駅を目指す。
秋田~大曲間は電車でGO!でもよく遊んでいた区間であり、実際の風景を見ながら進んでいくが、日曜朝の普通列車は高校生の乗客が実に多い。
移動手段を持たない彼らにとっては電車が生命線なのだと、実家のある指宿枕崎線沿線と変わらぬ車内風景を朝日を浴びながら南に進んでいくのだが、ところどころ霧がかかっていて、実に幻想的である。
気温が1桁まで下がるも、水温はまだまだ10数℃であるから、霧が出やすい状況である。
そんなこんなで横手駅までやってきて、数分の乗り換えのため駅前に出ることもなくそのまま北上線ディーゼルカーに乗り換える。
この日最初の目的地である平泉へ向かうのに最短距離で行けるのが横手駅と北上駅で乗り換えて行く手法なのだが、今日唯一の乗り換え時間1桁ということもあり、ここをしのげば後は楽、そんな感じであった。
ディーゼルカーに揺られて奥羽山脈を越えて岩手県に入り、終点の北上駅では数十分程度の列車待ちとなる。
親友と前日分のタクシー代やらバス代やら宿泊費やらの清算を駅前のベンチで終えて、この日乗車する分の特急券と翌日に乗る特急券を指定席券売機で回収する。
なお、新幹線の指定席券のえきねっと割引は購入時に適用されており、概ね1割引である。
旅費もささやかではあるが浮いたのを確認したところで、東北線普通列車で平泉へ向かう。
3連休の中日ということもあり、客は多い。
平泉駅で大半の客が下車し、我々も跨線橋を渡って平泉駅を出る。
平泉駅には15分周期(※10/12の場合。30分周期の場合もある)で1回150円均一、1日乗車券400円で乗れる巡回バスが走っており、これに乗車する。
向かうは中尊寺。
まあ、時間があり過ぎればゆっくりと各地を巡りたいのであるが、いかんせん移動時間と昼食時間込みで3時間しか確保できていない。
というわけで、本命のみでも見に行くべく、中尊寺前で下車し、参道に入る。

しかし、キャリーバッグで上ろうにもなかなかの勾配があり、転がせないような段差もある。
そこを見かねてくれたか、平泉町観光協会の地元のガイドさんから声がかかる。
「入口のところのお土産屋さんで荷物を預かってくれますよ」
それはありがたいと、いったん引き返し、上の写真のすぐ左側にある土産店に入り、半信半疑でレジの方に「荷物を預かってもらえると聞いたのですが・・・」と尋ね、預かってもらえることに成功。
観光客の困りごとを一目で見抜くとは、世界遺産平泉の観光協会のガイドは一流である。
身が軽くなったところで、改めて参道を上がっていき、やってきました中尊寺。

参拝前にお線香をあげようと着火に一苦労して、ようやく線香を置こうとした時、声をかけられた。
「間もなく踊りが始まりますので早く出てください」
こりゃまずいと最後の焼香客になってしまったのであるが、間一髪踊り連が入場してくる前に本堂前へ退避するのに成功、幼稚園児から高校生くらいの女子だらけの踊り連が入って来たのであるが、なんでも「津軽石さんさ踊り」といって、宮古市から東日本大震災での支援への感謝を込めて奉演されたとのこと。

10分弱踊りを見学した後、本堂で手を合わせ、国宝の金色堂は、まさかの通過。
理由は「800円払うのが嫌」という、実につまらないもの。
まあ、行列もできていたため、来るとこ来たからいいか、といったものですが、本来ならばこちらも見ておくべきだったことは言うまでもありません。
そして、金色堂を見て帰らなかったことによる罰か、撤収ルートは車が通れるような一般道をひたすら下る羽目になり、出たところは先ほどの参道の入口。
まあ、iPad2で進行ルートを確認しながらでしたので、迷うような羽目にはなっておらず、結果オーライといったところで、荷物を回収し、店で牛タンつくね串を買って食べ、土産を買い、再び巡回バスへ。
平泉駅に乗った時と同じおばちゃん運転手だったのには驚きでしたが、平泉駅に戻り、ちょうどお昼時ということで、わんこそばを食べようと芭蕉館へ。
なお、芭蕉館は2つあり、駅前ではない方へ。
この両店舗は紛らわしいため、事前にウェブサイトを見ておいたのであるが、由来をきちんと書いている方が正しいのではないかと直感して、わざわざ駅から2分程歩いたところまで行ってみた次第であった。
店内には著名人が訪れたというサインが数多く飾ってあり、自分は特わんこそば(2,500円)を食べることに。
しばらくして、2段分のわんこそばが御膳とともに運ばれてきて、テレビで見たわんこそば大食い大会を彷彿とさせる状況に期待と不安を感じつつ、いろんな薬味でそばを味わっていく。
なかなかそば好きにはたまらない。
完食して、さらにもう1段までは無料のため、お代わりして食べ進めるが、さすがに腹八分目を優に超えており、もう晩飯抜きでもいい、と思うほどであった。
店を出て平泉駅に戻ると、ちょうどディーゼルカーが入線している。
しかし、跨線橋の上で無情にもエンジン回転を上げて出発していく。
あと数十秒というところであった。
致し方なく、観光地と思えない人のいないホームのベンチで本来乗る列車が来るのを待ち、一ノ関駅へ。
ここで新幹線に乗り換えて、南に下るわけであるが、親友と旅するのも郡山駅まで。
親友は翌日が仕事のため、このまま宇都宮駅に戻るというわけで、くれぐれも寝過して大宮駅まで行かないようくぎを刺しつつ、郡山駅で下車する。
ここからは一人旅となるのであるが、向かう先は会津若松駅。
薩摩(と言っても今は大隅ではあるが;;)の人間が会津に行く、というのは、戊辰戦争から140年以上経った今でも、ちょっとした緊張感がある。
とは言え、自分の先祖は平安時代の武士であって、島津家の家来衆でないため、会津人を殺傷したという歴史は持ち合わせていない。
去年の大河ドラマ「八重の桜」の前半期の舞台だけあって、どんな場所か見てみたい、そう思ってのことである。



485系電車の生き残りの1つである快速あいづライナー6号に乗り込み、一路磐越西線を西に進む。
途中、虹彩が見えたので撮影した。

会津から見て敵国の人間とはいえ、それを迎え入れてくれた、そんな気がした。
幼稚園の時に演奏した「会津磐梯山」で歌われている磐梯山を見ながら、「会津磐梯山はぁ~宝の~山よ~」と、30年近く前に聞いた歌を思い起こしながら、列車は日没間近の会津若松駅に到着。

ソースかつ丼を食べようと当初考えていたのだが、昼に食べたわんこそばの影響で、とてもカツ丼を食べようという気にならない。
そんなわけで、会津若松市内の観光バスはないのか検索していたら、「ハイカラさん」なる巡回バスがある、という情報に行きついた。
ちょうど17時に駅前を発車する、ということなので、急いで駅前に来て、少しするとそのバスが来た。

平泉ではおばちゃん運転手であったが、会津若松では女性運転手であった。
ロングシートで一番前の座席に陣取って、市内を巡る。
会津若松の道は狭い道が多く、こんなところをよくバスで走れるなと感心しつつ、各観光スポットを車内から見る。
現在の千円札に描かれている野口英世は、ここ会津若松の出身だし、幕末から明治・大正期にかけての偉人達について凝縮して情報を得られた貴重な54分間であった。
再び日没後の会津若松駅に戻り、磐越西線の新津行き最終列車に乗り込む。
2年前の米坂線の時もそうであったが、東北地方と新潟県を東西に結ぶ路線の最終列車は19時前後の発車である。
何はともあれ、当時と同じくキハ110系に揺られて磐越西線の西に進む。
新津駅に予定通りの21時前に着き、これまた女性駅員に「らくらくトレイン信越」の乗車整理券を買う。
これまた2年ぶりのらくらくトレイン信越乗車になるわけだが、車内は新潟駅で飲みまくった人の酒臭さが充満していた。
ちょうど22時に長岡駅に到着。
2年前は、新潟駅から新幹線のグリーン車で長岡駅まで来て、ここかららくらくトレイン信越に乗車、終点の直江津駅に向かったのだが、今回はホテルハイマートが満室ということでそれもできず、長岡駅前の洋風カツ丼の店へ向かう。
しかし、店は休みで、致し方なく空腹のままホテル入りし、空腹のまま床に就いた。
せめてもの救いは、23時に寝れたことであろうか。
こうして、2日目は幕を閉じたのであった。
>>3日目【長岡→十日町→長野→東京→帰宅】へ続く
前日の就寝は0時半過ぎで、この日の起床も5時半。
始発列車の次の便とはいえ、乗り過ごすと平泉駅までの直通列車を3時間ほど待たないといけないようなピンチに見舞われるため、眠いのもそこそこに、何とか始発バスに乗り込んで秋田駅に戻り、例によってNEWDAYSでサンドイッチとおにぎり、ポカリを購入。
奥羽線普通列車に乗り込み、まずは横手駅を目指す。
秋田~大曲間は電車でGO!でもよく遊んでいた区間であり、実際の風景を見ながら進んでいくが、日曜朝の普通列車は高校生の乗客が実に多い。
移動手段を持たない彼らにとっては電車が生命線なのだと、実家のある指宿枕崎線沿線と変わらぬ車内風景を朝日を浴びながら南に進んでいくのだが、ところどころ霧がかかっていて、実に幻想的である。
気温が1桁まで下がるも、水温はまだまだ10数℃であるから、霧が出やすい状況である。
そんなこんなで横手駅までやってきて、数分の乗り換えのため駅前に出ることもなくそのまま北上線ディーゼルカーに乗り換える。
この日最初の目的地である平泉へ向かうのに最短距離で行けるのが横手駅と北上駅で乗り換えて行く手法なのだが、今日唯一の乗り換え時間1桁ということもあり、ここをしのげば後は楽、そんな感じであった。
ディーゼルカーに揺られて奥羽山脈を越えて岩手県に入り、終点の北上駅では数十分程度の列車待ちとなる。
親友と前日分のタクシー代やらバス代やら宿泊費やらの清算を駅前のベンチで終えて、この日乗車する分の特急券と翌日に乗る特急券を指定席券売機で回収する。
なお、新幹線の指定席券のえきねっと割引は購入時に適用されており、概ね1割引である。
旅費もささやかではあるが浮いたのを確認したところで、東北線普通列車で平泉へ向かう。
3連休の中日ということもあり、客は多い。
平泉駅で大半の客が下車し、我々も跨線橋を渡って平泉駅を出る。
平泉駅には15分周期(※10/12の場合。30分周期の場合もある)で1回150円均一、1日乗車券400円で乗れる巡回バスが走っており、これに乗車する。
向かうは中尊寺。
まあ、時間があり過ぎればゆっくりと各地を巡りたいのであるが、いかんせん移動時間と昼食時間込みで3時間しか確保できていない。
というわけで、本命のみでも見に行くべく、中尊寺前で下車し、参道に入る。

しかし、キャリーバッグで上ろうにもなかなかの勾配があり、転がせないような段差もある。
そこを見かねてくれたか、平泉町観光協会の地元のガイドさんから声がかかる。
「入口のところのお土産屋さんで荷物を預かってくれますよ」
それはありがたいと、いったん引き返し、上の写真のすぐ左側にある土産店に入り、半信半疑でレジの方に「荷物を預かってもらえると聞いたのですが・・・」と尋ね、預かってもらえることに成功。
観光客の困りごとを一目で見抜くとは、世界遺産平泉の観光協会のガイドは一流である。
身が軽くなったところで、改めて参道を上がっていき、やってきました中尊寺。

参拝前にお線香をあげようと着火に一苦労して、ようやく線香を置こうとした時、声をかけられた。
「間もなく踊りが始まりますので早く出てください」
こりゃまずいと最後の焼香客になってしまったのであるが、間一髪踊り連が入場してくる前に本堂前へ退避するのに成功、幼稚園児から高校生くらいの女子だらけの踊り連が入って来たのであるが、なんでも「津軽石さんさ踊り」といって、宮古市から東日本大震災での支援への感謝を込めて奉演されたとのこと。

10分弱踊りを見学した後、本堂で手を合わせ、国宝の金色堂は、まさかの通過。
理由は「800円払うのが嫌」という、実につまらないもの。
まあ、行列もできていたため、来るとこ来たからいいか、といったものですが、本来ならばこちらも見ておくべきだったことは言うまでもありません。
そして、金色堂を見て帰らなかったことによる罰か、撤収ルートは車が通れるような一般道をひたすら下る羽目になり、出たところは先ほどの参道の入口。
まあ、iPad2で進行ルートを確認しながらでしたので、迷うような羽目にはなっておらず、結果オーライといったところで、荷物を回収し、店で牛タンつくね串を買って食べ、土産を買い、再び巡回バスへ。
平泉駅に乗った時と同じおばちゃん運転手だったのには驚きでしたが、平泉駅に戻り、ちょうどお昼時ということで、わんこそばを食べようと芭蕉館へ。
なお、芭蕉館は2つあり、駅前ではない方へ。
この両店舗は紛らわしいため、事前にウェブサイトを見ておいたのであるが、由来をきちんと書いている方が正しいのではないかと直感して、わざわざ駅から2分程歩いたところまで行ってみた次第であった。
店内には著名人が訪れたというサインが数多く飾ってあり、自分は特わんこそば(2,500円)を食べることに。
しばらくして、2段分のわんこそばが御膳とともに運ばれてきて、テレビで見たわんこそば大食い大会を彷彿とさせる状況に期待と不安を感じつつ、いろんな薬味でそばを味わっていく。
なかなかそば好きにはたまらない。
完食して、さらにもう1段までは無料のため、お代わりして食べ進めるが、さすがに腹八分目を優に超えており、もう晩飯抜きでもいい、と思うほどであった。
店を出て平泉駅に戻ると、ちょうどディーゼルカーが入線している。
しかし、跨線橋の上で無情にもエンジン回転を上げて出発していく。
あと数十秒というところであった。
致し方なく、観光地と思えない人のいないホームのベンチで本来乗る列車が来るのを待ち、一ノ関駅へ。
ここで新幹線に乗り換えて、南に下るわけであるが、親友と旅するのも郡山駅まで。
親友は翌日が仕事のため、このまま宇都宮駅に戻るというわけで、くれぐれも寝過して大宮駅まで行かないようくぎを刺しつつ、郡山駅で下車する。
ここからは一人旅となるのであるが、向かう先は会津若松駅。
薩摩(と言っても今は大隅ではあるが;;)の人間が会津に行く、というのは、戊辰戦争から140年以上経った今でも、ちょっとした緊張感がある。
とは言え、自分の先祖は平安時代の武士であって、島津家の家来衆でないため、会津人を殺傷したという歴史は持ち合わせていない。
去年の大河ドラマ「八重の桜」の前半期の舞台だけあって、どんな場所か見てみたい、そう思ってのことである。



485系電車の生き残りの1つである快速あいづライナー6号に乗り込み、一路磐越西線を西に進む。
途中、虹彩が見えたので撮影した。

会津から見て敵国の人間とはいえ、それを迎え入れてくれた、そんな気がした。
幼稚園の時に演奏した「会津磐梯山」で歌われている磐梯山を見ながら、「会津磐梯山はぁ~宝の~山よ~」と、30年近く前に聞いた歌を思い起こしながら、列車は日没間近の会津若松駅に到着。

ソースかつ丼を食べようと当初考えていたのだが、昼に食べたわんこそばの影響で、とてもカツ丼を食べようという気にならない。
そんなわけで、会津若松市内の観光バスはないのか検索していたら、「ハイカラさん」なる巡回バスがある、という情報に行きついた。
ちょうど17時に駅前を発車する、ということなので、急いで駅前に来て、少しするとそのバスが来た。

平泉ではおばちゃん運転手であったが、会津若松では女性運転手であった。
ロングシートで一番前の座席に陣取って、市内を巡る。
会津若松の道は狭い道が多く、こんなところをよくバスで走れるなと感心しつつ、各観光スポットを車内から見る。
現在の千円札に描かれている野口英世は、ここ会津若松の出身だし、幕末から明治・大正期にかけての偉人達について凝縮して情報を得られた貴重な54分間であった。
再び日没後の会津若松駅に戻り、磐越西線の新津行き最終列車に乗り込む。
2年前の米坂線の時もそうであったが、東北地方と新潟県を東西に結ぶ路線の最終列車は19時前後の発車である。
何はともあれ、当時と同じくキハ110系に揺られて磐越西線の西に進む。
新津駅に予定通りの21時前に着き、これまた女性駅員に「らくらくトレイン信越」の乗車整理券を買う。
これまた2年ぶりのらくらくトレイン信越乗車になるわけだが、車内は新潟駅で飲みまくった人の酒臭さが充満していた。
ちょうど22時に長岡駅に到着。
2年前は、新潟駅から新幹線のグリーン車で長岡駅まで来て、ここかららくらくトレイン信越に乗車、終点の直江津駅に向かったのだが、今回はホテルハイマートが満室ということでそれもできず、長岡駅前の洋風カツ丼の店へ向かう。
しかし、店は休みで、致し方なく空腹のままホテル入りし、空腹のまま床に就いた。
せめてもの救いは、23時に寝れたことであろうか。
こうして、2日目は幕を閉じたのであった。
>>3日目【長岡→十日町→長野→東京→帰宅】へ続く
2014年10月17日
東日本周遊鉄道旅行2014・1日目(10/11)
今日は先ほどまで家計簿を付けておりましたが、貯蓄額は一進一退を続けています。
まあ、旅行に行かなければ貯まる一方なのは間違いなく、単に全都道府県制覇をしたいがための今回の旅行、残りは北海道と沖縄県だけになりましたので、無駄にはならないことでしょう。
というわけで、1日目(10/11)の宇都宮から秋田までの旅程について記します。
前日の就寝が3時半、でもって、この日の起床は5時半。
宇都宮駅を出る下り始発列車の発車時刻が6:54で、それに間に合うバスは6時過ぎの出発と、まさかの2時間睡眠となった。
当然ではあるが眠い。
しかしながら、乗り遅れたら全旅程がパーとなってしまう。
というわけで、親友を起こしてそそくさと支度を始め、無事にバス停に着いた。
なお、親友の車にETCカードを残したままであったことにはこの時気付いていなかった。
バスに乗車し、朝日を浴びながら道を進み、親友の話通り予想以上に早い6時半少し前に宇都宮駅に到着。
指定席券売機に陣取り、えきねっとで予め予約しておいた特急券と指定席券を回収する。
前回の2012年11月の東北周遊鉄道旅行では、暗証番号を3度間違いかかる状況だったが、今回は一発でOKであった。
構内のNEWDAYSで朝食&ポカリ、それに土産用にいちごのキットカットを買い、新幹線ホームへ移動。
中線をE5系&E6系が通過していくが、まさに2年前にE5系&E3系で上野駅で撮影していた臨時列車と同じもの。
そして、当然駅のホームに着いた列車は、2年前にも乗車したやまびこ41号。
相も変らぬE2系を眺めて、2年前に隣の席で若い女性が駅弁を食べていたなあと思いだしつつ、指定席へ向かうも、そこには見ず知らずのカップルが座っていた。
声をかけ、穏便に席に着くのだが、2年前と違って今回は乗車率が高かった。
そして、2年前と違って、グラサンに掛け替え、まずは仙台駅を目指す。
2年前にも見た景色を思い出しながら、しかし、睡眠が超不足しており、結構寝ていた。
福島駅で上りのつばさ号が進行方向と逆に出発していくのも2年前と一緒で、それを親友に説明しつつ、何はともあれ仙台駅に8時ちょうどに着き、6分後に入線して来るはやぶさ1号に乗り換える。
E5系に乗車するのは今回が初めてのことである。
そして、この先の古川駅から北については、未踏の区間ということになる。
基本的に、トンネル区間では寝て、明かり区間では景色を眺める、ということに徹していたが、盛岡から先は2003年秋に開業したこともあり、設備はきれいで、八戸から先はさらに2010年秋に開業したこともあり、もっときれいであった。
なお、こまち1号が盛岡駅で切り離されたが、なぜか踏切の非常装置が働いたようで、3分遅れの出発となった。
また、牛鍵トンネルで起きた陥没事故の話を親友に聞かせ、トンネルを抜けた先には青森の市街地が広がっていた。
現時点で終着駅の新青森駅に3分遅れで着いたわけである。
10時前に青森に着くわけだから、宇都宮から3時間で来れるとは、とんでもない時代になったものである。
リゾートあすなろ竜飛1号に乗車し、後ろ向きで出発。
隣の青森駅が突きあたりの駅のため、次の蟹田駅方面には進行方向が切り替わることから、これで正しいわけである。
津軽線に入り、三味線の音色を聞きながら北へ向かう。
青森県の地勢は鹿児島県本土を180度回転したものによく似ていて、向かう三厩駅はさながら枕崎駅のような感じである。
途中JR北海道との境に当たる津軽海峡線との分岐駅・中小国駅と信号場を抜けて、ローカル感あふれる津軽線を北へ進む。
なお、この津軽線の三厩~蟹田間はリゾートあすなろ竜飛が運行される日ですら1日6往復しか列車がいない閑散線区である。
津軽二股駅と、隣接する津軽海峡線津軽今別駅の向こうに、さらに北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅が建設中であった。
周囲には山と森しかないというのに、こんなところに新幹線駅ができるかと思うと、何とも言えないものがあったが、寝不足な身には竜飛崎へ早く着かないかという短絡的な見方しかしていなかった。

終点の三厩駅に着き、駅前から町営のマイクロバスに乗車して竜飛崎へ向かう。
運賃は100円。
しかも駅前で観光パンフレット配布のおまけつき。
少しでも観光客が増えて欲しいという願いを行動にそのまま移しているところに感心しつつ、バスは狭い道や海沿いをひたすら北西に進む。
30分ほどして、終点の竜飛崎灯台で下車。
バス停から目と鼻の先に「津軽海峡冬景色」の歌碑があり、そこから聞き覚えのある歌が流れてくる。
が、まずは灯台と展望台が先と、階段村道を上っていく。

竜飛崎の名物は、北海道の渡島半島が見えるということと、灯台、そして階段国道&階段村道なのである。
国道マニアにとって、日本唯一の階段道が国道に指定されているのがここ竜飛崎であって、聖地の一つと言っていい。
というわけで、キャリーバッグを何とか展望台まで移動させ、頂上からの景色を眺める。




天気は快晴だが、中国からの黄砂が影響したか、かすんでいる。
辛うじて南部の山並みは見えた。
いつの日か北海道から本州を眺める日が来ることを願いつつ、元来た道を引き返すのであった。
まだまだ時間があるからと、「津軽海峡冬景色」の歌碑前に行く。


年配の夫婦が写真を和気あいあいと撮っていたが、しばらくして譲ってもらえたので撮影。
しばらくして、こんなことを聞いてきた。
「青森で震度4の地震があったみたいだけど、揺れた?」
11:36頃と言えば、マイクロバスで西に向かっていた時間である。
揺れを感じるにしてもバスの揺れくらいで、地震があったと言われても驚くだけであった。
気を取り直して、正午過ぎに階段国道を下る。




300段以上あるようだが、下るのは楽である。

途中民家の横を抜けて、無事に麓に着いた。

近いバス停は竜飛漁港で、そこの待ち合い小屋に入り、しばし鹿児島から持ってきたみかんとゼリーを食べて小腹を満たす。
途中蚊が潜んでいたか、急襲を受け、その後も退治しようと試みるもなかなかやられず、結局バスの時間まで蚊との格闘は続いた。
バスは2分遅れで到着し、また行き同様100円の運賃を払って三厩駅に戻る。
しかし、そのままリゾートあすなろ竜飛2号には乗車しない。
実は、待ち合い小屋にいる間に今別地区唯一のタクシー会社に親友のiPhoneを借りてタクシーを三厩駅に呼んでいたのである。(PHSは一切電波が入らない^^;)
まあ、出た人がなかなかの津軽弁の使い手で、何言ってるのか分からない局面もあったが、何はともあれタクシーは待機しており、早速乗車する。
向かうは青函トンネルの本州側坑道入口。
時間が20分ほどあるため、タクシーで寄ってみようということで5分ほどで入口そばの広場に到着。
広場前の遊具施設のところで工事作業員が1人いるだけで、他には誰もいない。

しばらくトンネルを眺めていたが、不意に地響きのような音がしていることに気が付いた。
親友はそれに気付いていなかったようだが、徐々にそれが大きくなってくる。
「これは・・・来るぞ!!」
そう確信して、カメラのファインダーをトンネルに向けて、列車が来るのを待つ。
しばらくして、スーパー白鳥が轟音とともにトンネルを出て、我々に気付いたか、警笛を一発。

鉄道マニアでもない親友ですら、この光景を見られたのは感動だったらしい。
寝不足が吹き飛んだかのような反応であった。
タクシーに戻り、運転手氏からスーパー白鳥が撮れたことについて、なかなか珍しいということを言っていた。
そりゃ、特急列車よりも貨物列車の方が運行頻度が多い津軽海峡線である。
だが、我々は時刻表で事前に下調べもできず、超寝不足の中せっかく来たから理論の1点張りでトンネルを見に行っただけで、この光景に出合えたのである。
実によかった出来事であった。



さらに、今別駅でタクシーを下車するのであるが、タクシー代が2,010円と、事前予想の2,000円にビンゴ。
運転手さんに別れを告げ、今別駅でリゾートあすなろ竜飛2号到着の様子をビデオカメラに収め、再び青森駅へ向かうのであった。
15時前に青森駅に戻り、サマージャンボ宝くじの300円を駅前で換金した後、そそくさとバス待ち合い小屋で検討していた青森市内での遅い昼食について、「味噌カレー牛乳ラーメンが気になる」との親友の言葉で、駅から8分程の場所にある味の札幌大西へ。
弘前行きの普通列車15:31に乗車しなければならないため、店を15:20過ぎに出なければならず、時間を気にしながらの昼食となったが、自分はチャーシュー味噌ラーメン(940円)を選択。
県外で味噌ラーメンを食べるのは初めてだったが、やはり店名に札幌の文字が入るあたり、味噌ラーメンはうまい。
麺がねじれており、スープとの絡みも絶妙で、堅さも自分好みで歯ごたえがあって、食が進む。
チャーシューもおいしく、★5つの評価であった。
地元にこんなラーメン屋があればなあと、高いが普通のラーメン店程度しかない現状が思い浮かぶのもそこそこに、時間ギリギリで店を後にした。
出発まで1分前にホームに着き、空いている座席に座る。
なお、この時間不足が青森土産購入のターニングポイントとなってしまったのであった。
この日2度目の新青森駅で、列車が止まるのだが、朝から遅れている東北新幹線が、未だに遅れを回復できていなかったらしい。
前日の終電ラッシュの続きのようで、嫌な感じしかしないのであるが、今回の乗り継ぎ時間は20分近くあり、多少の遅れもカバーできる状態である。
そんなこんなで遠くに津軽富士こと岩木山が見えてきたところで、川部駅で下車する。
ここからリゾートしらかみ6号に乗車するのである。
そして、これがこの日最後の乗車列車である。

人がまばらな車内で日没を迎え、半ば寝ながら車内でくつろぐ。
沿線にはりんご園が多く、赤い実があちこちに実っていた。
川部駅を出発したのが16:22、秋田駅到着が20:39、4時間以上も列車の中とは、昔の特急「有明」で博多から西鹿児島に向かう時以来のことである。
宇都宮駅で調達していたポカリも完全になくなり、リゾートしらかみには乗車している車内販売で、新幹線内でも販売しているというリンゴジュース(160円)を買うのだが、これが実においしく、何と親友用も含めて3本も買ってしまった。
市販品に真似できない酸化前のリンゴ果汁がこんなにおいしいとは、驚きであった。
その後も、白神山地の水で作ったというラスクをお土産に買い、白神山地の天然水を飲み、さらにはコンパーメント席が空席ということで、車掌の案内で移動したのだが、寝台特急なは号以来の快適な空間に親友も大満足で、闇夜に包まれた五能線で2時間弱の「寝台快速」モードで寝転んで睡眠不足を補った。
これがもし親友の車で回っていたら、こんな休養は取れなかったことだろう。
車内販売嬢の話でも、6号はダイヤが夜にかかるため人気がないということで、何か集客策はないですかねえという話になったのだが、寝台列車がほぼ全滅の現状では、かえって寝台快速風に運用した方がいい場合もあるだろう。
実際、車内販売を4度も使うほどであったため、客は少なくとも売り上げはまずまずあったはずである。
リンゴジュースも売り切れたとのことで、今後もリゾートしらかみの存続を願ってやまない。
秋田駅に定刻通りに着くのだが、正直言って駅から北を3分前通った際に眺める車窓は、地方の田舎以下で、家が何軒かしかないのではないかと心細く思うほどであった。
が、西口を出てみたら、やはり玄関口ということで、明るい通りが視界に入ってきた。
秋田市のJRは、城下町を避ける形で敷設されているため、県庁や市役所へは数km程の距離がある。
というわけで、事前に下調べしていたバス路線及び時刻表を踏まえて、ターミナルの待合所で待った後、バスに乗車する。
なお、秋田のバスは次の停留所案内を料金表ではしてくれない。
放送でしか教えてくれないため、料金表を見て降車ボタンを押すと恥をかく。
実際、自分は恥をかいた。
ホテルにチェックイン後、予約していたきりたんぽ鍋のお店に向かう。
店で驚いたのは、黒伊佐錦を扱っていたこと。
よりによって秋田=日本酒王国のイメージが強かっただけに、意外であった。
まあ、自分はノンアルコールビールで抑えておいたのであるが、きりたんぽ鍋としょっつる鍋を味わう。
いずれも初めて食べるが、きりたんぽ鍋は炊き込みご飯の鍋、といった感じで、しょっつる鍋は魚の鍋、といったところである。
おいしく夕飯を摂ったが、それにしても入店から30分もかからずに3,500円もの料理を平らげてしまうとは、少々予想外であった。
この後はホテルに戻り、翌朝に備えたのであった。
>>2日目【秋田→平泉→会津若松→長岡】へ続く
まあ、旅行に行かなければ貯まる一方なのは間違いなく、単に全都道府県制覇をしたいがための今回の旅行、残りは北海道と沖縄県だけになりましたので、無駄にはならないことでしょう。
というわけで、1日目(10/11)の宇都宮から秋田までの旅程について記します。
前日の就寝が3時半、でもって、この日の起床は5時半。
宇都宮駅を出る下り始発列車の発車時刻が6:54で、それに間に合うバスは6時過ぎの出発と、まさかの2時間睡眠となった。
当然ではあるが眠い。
しかしながら、乗り遅れたら全旅程がパーとなってしまう。
というわけで、親友を起こしてそそくさと支度を始め、無事にバス停に着いた。
なお、親友の車にETCカードを残したままであったことにはこの時気付いていなかった。
バスに乗車し、朝日を浴びながら道を進み、親友の話通り予想以上に早い6時半少し前に宇都宮駅に到着。
指定席券売機に陣取り、えきねっとで予め予約しておいた特急券と指定席券を回収する。
前回の2012年11月の東北周遊鉄道旅行では、暗証番号を3度間違いかかる状況だったが、今回は一発でOKであった。
構内のNEWDAYSで朝食&ポカリ、それに土産用にいちごのキットカットを買い、新幹線ホームへ移動。
中線をE5系&E6系が通過していくが、まさに2年前にE5系&E3系で上野駅で撮影していた臨時列車と同じもの。
そして、当然駅のホームに着いた列車は、2年前にも乗車したやまびこ41号。
相も変らぬE2系を眺めて、2年前に隣の席で若い女性が駅弁を食べていたなあと思いだしつつ、指定席へ向かうも、そこには見ず知らずのカップルが座っていた。
声をかけ、穏便に席に着くのだが、2年前と違って今回は乗車率が高かった。
そして、2年前と違って、グラサンに掛け替え、まずは仙台駅を目指す。
2年前にも見た景色を思い出しながら、しかし、睡眠が超不足しており、結構寝ていた。
福島駅で上りのつばさ号が進行方向と逆に出発していくのも2年前と一緒で、それを親友に説明しつつ、何はともあれ仙台駅に8時ちょうどに着き、6分後に入線して来るはやぶさ1号に乗り換える。
E5系に乗車するのは今回が初めてのことである。
そして、この先の古川駅から北については、未踏の区間ということになる。
基本的に、トンネル区間では寝て、明かり区間では景色を眺める、ということに徹していたが、盛岡から先は2003年秋に開業したこともあり、設備はきれいで、八戸から先はさらに2010年秋に開業したこともあり、もっときれいであった。
なお、こまち1号が盛岡駅で切り離されたが、なぜか踏切の非常装置が働いたようで、3分遅れの出発となった。
また、牛鍵トンネルで起きた陥没事故の話を親友に聞かせ、トンネルを抜けた先には青森の市街地が広がっていた。
現時点で終着駅の新青森駅に3分遅れで着いたわけである。
10時前に青森に着くわけだから、宇都宮から3時間で来れるとは、とんでもない時代になったものである。
リゾートあすなろ竜飛1号に乗車し、後ろ向きで出発。
隣の青森駅が突きあたりの駅のため、次の蟹田駅方面には進行方向が切り替わることから、これで正しいわけである。
津軽線に入り、三味線の音色を聞きながら北へ向かう。
青森県の地勢は鹿児島県本土を180度回転したものによく似ていて、向かう三厩駅はさながら枕崎駅のような感じである。
途中JR北海道との境に当たる津軽海峡線との分岐駅・中小国駅と信号場を抜けて、ローカル感あふれる津軽線を北へ進む。
なお、この津軽線の三厩~蟹田間はリゾートあすなろ竜飛が運行される日ですら1日6往復しか列車がいない閑散線区である。
津軽二股駅と、隣接する津軽海峡線津軽今別駅の向こうに、さらに北海道新幹線の奥津軽いまべつ駅が建設中であった。
周囲には山と森しかないというのに、こんなところに新幹線駅ができるかと思うと、何とも言えないものがあったが、寝不足な身には竜飛崎へ早く着かないかという短絡的な見方しかしていなかった。

終点の三厩駅に着き、駅前から町営のマイクロバスに乗車して竜飛崎へ向かう。
運賃は100円。
しかも駅前で観光パンフレット配布のおまけつき。
少しでも観光客が増えて欲しいという願いを行動にそのまま移しているところに感心しつつ、バスは狭い道や海沿いをひたすら北西に進む。
30分ほどして、終点の竜飛崎灯台で下車。
バス停から目と鼻の先に「津軽海峡冬景色」の歌碑があり、そこから聞き覚えのある歌が流れてくる。
が、まずは灯台と展望台が先と、階段村道を上っていく。

竜飛崎の名物は、北海道の渡島半島が見えるということと、灯台、そして階段国道&階段村道なのである。
国道マニアにとって、日本唯一の階段道が国道に指定されているのがここ竜飛崎であって、聖地の一つと言っていい。
というわけで、キャリーバッグを何とか展望台まで移動させ、頂上からの景色を眺める。




天気は快晴だが、中国からの黄砂が影響したか、かすんでいる。
辛うじて南部の山並みは見えた。
いつの日か北海道から本州を眺める日が来ることを願いつつ、元来た道を引き返すのであった。
まだまだ時間があるからと、「津軽海峡冬景色」の歌碑前に行く。


年配の夫婦が写真を和気あいあいと撮っていたが、しばらくして譲ってもらえたので撮影。
しばらくして、こんなことを聞いてきた。
「青森で震度4の地震があったみたいだけど、揺れた?」
11:36頃と言えば、マイクロバスで西に向かっていた時間である。
揺れを感じるにしてもバスの揺れくらいで、地震があったと言われても驚くだけであった。
気を取り直して、正午過ぎに階段国道を下る。




300段以上あるようだが、下るのは楽である。

途中民家の横を抜けて、無事に麓に着いた。

近いバス停は竜飛漁港で、そこの待ち合い小屋に入り、しばし鹿児島から持ってきたみかんとゼリーを食べて小腹を満たす。
途中蚊が潜んでいたか、急襲を受け、その後も退治しようと試みるもなかなかやられず、結局バスの時間まで蚊との格闘は続いた。
バスは2分遅れで到着し、また行き同様100円の運賃を払って三厩駅に戻る。
しかし、そのままリゾートあすなろ竜飛2号には乗車しない。
実は、待ち合い小屋にいる間に今別地区唯一のタクシー会社に親友のiPhoneを借りてタクシーを三厩駅に呼んでいたのである。(PHSは一切電波が入らない^^;)
まあ、出た人がなかなかの津軽弁の使い手で、何言ってるのか分からない局面もあったが、何はともあれタクシーは待機しており、早速乗車する。
向かうは青函トンネルの本州側坑道入口。
時間が20分ほどあるため、タクシーで寄ってみようということで5分ほどで入口そばの広場に到着。
広場前の遊具施設のところで工事作業員が1人いるだけで、他には誰もいない。

しばらくトンネルを眺めていたが、不意に地響きのような音がしていることに気が付いた。
親友はそれに気付いていなかったようだが、徐々にそれが大きくなってくる。
「これは・・・来るぞ!!」
そう確信して、カメラのファインダーをトンネルに向けて、列車が来るのを待つ。
しばらくして、スーパー白鳥が轟音とともにトンネルを出て、我々に気付いたか、警笛を一発。

鉄道マニアでもない親友ですら、この光景を見られたのは感動だったらしい。
寝不足が吹き飛んだかのような反応であった。
タクシーに戻り、運転手氏からスーパー白鳥が撮れたことについて、なかなか珍しいということを言っていた。
そりゃ、特急列車よりも貨物列車の方が運行頻度が多い津軽海峡線である。
だが、我々は時刻表で事前に下調べもできず、超寝不足の中せっかく来たから理論の1点張りでトンネルを見に行っただけで、この光景に出合えたのである。
実によかった出来事であった。



さらに、今別駅でタクシーを下車するのであるが、タクシー代が2,010円と、事前予想の2,000円にビンゴ。
運転手さんに別れを告げ、今別駅でリゾートあすなろ竜飛2号到着の様子をビデオカメラに収め、再び青森駅へ向かうのであった。
15時前に青森駅に戻り、サマージャンボ宝くじの300円を駅前で換金した後、そそくさとバス待ち合い小屋で検討していた青森市内での遅い昼食について、「味噌カレー牛乳ラーメンが気になる」との親友の言葉で、駅から8分程の場所にある味の札幌大西へ。
弘前行きの普通列車15:31に乗車しなければならないため、店を15:20過ぎに出なければならず、時間を気にしながらの昼食となったが、自分はチャーシュー味噌ラーメン(940円)を選択。
県外で味噌ラーメンを食べるのは初めてだったが、やはり店名に札幌の文字が入るあたり、味噌ラーメンはうまい。
麺がねじれており、スープとの絡みも絶妙で、堅さも自分好みで歯ごたえがあって、食が進む。
チャーシューもおいしく、★5つの評価であった。
地元にこんなラーメン屋があればなあと、高いが普通のラーメン店程度しかない現状が思い浮かぶのもそこそこに、時間ギリギリで店を後にした。
出発まで1分前にホームに着き、空いている座席に座る。
なお、この時間不足が青森土産購入のターニングポイントとなってしまったのであった。
この日2度目の新青森駅で、列車が止まるのだが、朝から遅れている東北新幹線が、未だに遅れを回復できていなかったらしい。
前日の終電ラッシュの続きのようで、嫌な感じしかしないのであるが、今回の乗り継ぎ時間は20分近くあり、多少の遅れもカバーできる状態である。
そんなこんなで遠くに津軽富士こと岩木山が見えてきたところで、川部駅で下車する。
ここからリゾートしらかみ6号に乗車するのである。
そして、これがこの日最後の乗車列車である。

人がまばらな車内で日没を迎え、半ば寝ながら車内でくつろぐ。
沿線にはりんご園が多く、赤い実があちこちに実っていた。
川部駅を出発したのが16:22、秋田駅到着が20:39、4時間以上も列車の中とは、昔の特急「有明」で博多から西鹿児島に向かう時以来のことである。
宇都宮駅で調達していたポカリも完全になくなり、リゾートしらかみには乗車している車内販売で、新幹線内でも販売しているというリンゴジュース(160円)を買うのだが、これが実においしく、何と親友用も含めて3本も買ってしまった。
市販品に真似できない酸化前のリンゴ果汁がこんなにおいしいとは、驚きであった。
その後も、白神山地の水で作ったというラスクをお土産に買い、白神山地の天然水を飲み、さらにはコンパーメント席が空席ということで、車掌の案内で移動したのだが、寝台特急なは号以来の快適な空間に親友も大満足で、闇夜に包まれた五能線で2時間弱の「寝台快速」モードで寝転んで睡眠不足を補った。
これがもし親友の車で回っていたら、こんな休養は取れなかったことだろう。
車内販売嬢の話でも、6号はダイヤが夜にかかるため人気がないということで、何か集客策はないですかねえという話になったのだが、寝台列車がほぼ全滅の現状では、かえって寝台快速風に運用した方がいい場合もあるだろう。
実際、車内販売を4度も使うほどであったため、客は少なくとも売り上げはまずまずあったはずである。
リンゴジュースも売り切れたとのことで、今後もリゾートしらかみの存続を願ってやまない。
秋田駅に定刻通りに着くのだが、正直言って駅から北を3分前通った際に眺める車窓は、地方の田舎以下で、家が何軒かしかないのではないかと心細く思うほどであった。
が、西口を出てみたら、やはり玄関口ということで、明るい通りが視界に入ってきた。
秋田市のJRは、城下町を避ける形で敷設されているため、県庁や市役所へは数km程の距離がある。
というわけで、事前に下調べしていたバス路線及び時刻表を踏まえて、ターミナルの待合所で待った後、バスに乗車する。
なお、秋田のバスは次の停留所案内を料金表ではしてくれない。
放送でしか教えてくれないため、料金表を見て降車ボタンを押すと恥をかく。
実際、自分は恥をかいた。
ホテルにチェックイン後、予約していたきりたんぽ鍋のお店に向かう。
店で驚いたのは、黒伊佐錦を扱っていたこと。
よりによって秋田=日本酒王国のイメージが強かっただけに、意外であった。
まあ、自分はノンアルコールビールで抑えておいたのであるが、きりたんぽ鍋としょっつる鍋を味わう。
いずれも初めて食べるが、きりたんぽ鍋は炊き込みご飯の鍋、といった感じで、しょっつる鍋は魚の鍋、といったところである。
おいしく夕飯を摂ったが、それにしても入店から30分もかからずに3,500円もの料理を平らげてしまうとは、少々予想外であった。
この後はホテルに戻り、翌朝に備えたのであった。
>>2日目【秋田→平泉→会津若松→長岡】へ続く
2014年10月15日
東日本周遊鉄道旅行2014・0日目(10/10)
前職入社後は、毎年東京へ赴くようになり、2012年7月の出張、同年11月の東北周遊鉄道旅行&ウェブデザイン技能検定1級受検(学科)、翌2013年2月の再度の受検(実技)と、この2014年は八王子近辺をバイクで駆けた程度で、当初は鉄道旅行をする予定はなかったものの、来年のGWツーリングの可能性がなくなったことから、当面3連休で遠出するなら10月しかない、という次第で8月下旬に思い立った本計画、目的は以下の通りです。
◎本州で未踏の青森・岩手・秋田の北東北3県を巡る
◎世界遺産平泉と白神山地を見る
◎来年春の北陸新幹線開業で乗れなくなる特急「はくたか」に乗る
◎今年12月から北海道新幹線の試験運転が始まる青函トンネルを見る
◎今年のGWツーリングで唯一行けなかった新潟県十日町市の「へぎそば」を食す
というわけで、飛行機の方が9月初め、切符関係の準備を整えたのが9/13、宿関係は秋田市が9/12、新潟県が紆余曲折の末今月初めと、はくたかの座席の件で大きく変更を余儀なくされつつ、初日の2014/10/10(金)の動向からスタートします。
会社を16時過ぎに出て、真っ先に自宅に戻り、台風19号接近の報を受けて、バイクを避難。
洗濯とトイレ掃除を終えて、予定通り自宅を17時半に出発。
週末の夕方ということもあり、市街地では車の流れは滞りがちだったものの、郊外へ抜けると順調に進み、牧ノ原で国道10号亀割バイパスへ入る。
しかし、4kmほど進んだところで妙にノロノロ運転になり、6km程この状態が続くのではと危険を察知した自分は、Uターンして牧ノ原にとんぼ帰りして、バイクでよく走っていた県道へ迂回。
車ですさまじいカーブを下っていくのはきついものがあったが、難なく抜けて、この先は渋滞も無く、途中マクドナルドへ立ち寄り、好物のフィレオフィッシュを2つ買って、鹿児島空港の駐車場に入る。
なお、県営駐車場へ入るのは初めてのことである。
駐車場内に停めた車内でバーガーを食べ、荷物を下ろして空港へ向かう。
一目散に保安検査場へ向かい、検査を受けるが、「ピンポーン」と金属反応を示す音が鳴る。
どうやらベルトの金属に反応したようで、ベルトを脱いでX線検査を受ける羽目に。
まあ、当然のことではあるが、何も危険なものはなく、無難に搭乗口付近に向かう。
なお、飛行機は到着遅れのため、15分遅れでの出発と出ていた。
羽田に着いたら15分程度しか余裕がなさそうだとガッカリしつつ、搭乗案内を待つが、一向に飛行機が降りてこない。
なんでも、ゴーアラウンド(着陸やり直し)をしたようで、実際この日は台風接近の影響か、強風であった。
しまいには、「場合によりましては欠航となる可能性もございます」というアナウンスが流れたほどで、実際、他社の飛行機では欠航が決まったものもあったようである。
バイクで鳥取へ向かおうとした際、出だしの谷山ICでエンストしてこの先終了になりかかった3年前の悪夢を思い起こしつつ、飛行機は何とか着陸し、出発時間も21:20にさらに25分延びてしまっていた。
これで、親友が住む宇都宮へ移動できる公共交通機関が絶たれてしまった。
とは言え、宇都宮の手前まででも移動できる手段があるはずと、iPad2を片手に、行き先を大宮にするか、春日部にするか、悩む。
結局、宇都宮から移動しやすい春日部を選択し、親友に伝達。1:14着の見込みと伝え、飛行機に搭乗、すこぶる揺れながら鹿児島を後にした。
なお、機内ではiPad2で、DQ3に没頭、前回バラモスブロスにイオナズン3連発を2ターン連続で食らって全滅したのを、マホカンタで連発させないようにすることに成功して、ラストのゾーマ戦でMPが枯渇する寸前までいった段階で無事撃破してエンディングと、一つの節目を迎えていたのであった。
羽田空港に到着したのが23:15、早速京急線で品川に向かい、終電の三田線電車に乗り込む。
しかし、終電ゆえにダイヤが予定より3分近く遅れ、人形町で日比谷線に乗り換えるが、こちらも終電でもう行った後かと落胆しかかったものの、駅員からまだ来ていないことを知らされて安堵。
日比谷線で北千住まで移動するも、ここでも9分程ダイヤが遅延。
もう北越谷までになってしまうのかと絶望しつつも、ここでも東武線の終電が待っており、何とか春日部までやって来た。
深夜1:28。
つり革握っていけるのもすごいくらいであった。
西口で親友が出迎え、2ヶ月ぶりの再会の余韻などなく、ともかく宇都宮へ移動する。
5月のGWツーリングでも通った久喜ICから東北道に入り、羽生PAで親友の車の運転を交代し、自分がハンドルを握る。
深夜2時台だというのにやや混んでいる感じがする東北道をひたすら北上して、大谷PAで再度親友に交代し、親友宅に着いたのが3:10過ぎ。
宇都宮駅行きの始発バスが来るのが6時過ぎ。
寝れるのは2時間半が関の山である。
かくして、慌ただしい東京・宇都宮への移動は夜更け過ぎに終了し、さっさと眠りに着いたのであった。
>>1日目【宇都宮→竜飛崎→青森→秋田】へ続く
◎本州で未踏の青森・岩手・秋田の北東北3県を巡る
◎世界遺産平泉と白神山地を見る
◎来年春の北陸新幹線開業で乗れなくなる特急「はくたか」に乗る
◎今年12月から北海道新幹線の試験運転が始まる青函トンネルを見る
◎今年のGWツーリングで唯一行けなかった新潟県十日町市の「へぎそば」を食す
というわけで、飛行機の方が9月初め、切符関係の準備を整えたのが9/13、宿関係は秋田市が9/12、新潟県が紆余曲折の末今月初めと、はくたかの座席の件で大きく変更を余儀なくされつつ、初日の2014/10/10(金)の動向からスタートします。
会社を16時過ぎに出て、真っ先に自宅に戻り、台風19号接近の報を受けて、バイクを避難。
洗濯とトイレ掃除を終えて、予定通り自宅を17時半に出発。
週末の夕方ということもあり、市街地では車の流れは滞りがちだったものの、郊外へ抜けると順調に進み、牧ノ原で国道10号亀割バイパスへ入る。
しかし、4kmほど進んだところで妙にノロノロ運転になり、6km程この状態が続くのではと危険を察知した自分は、Uターンして牧ノ原にとんぼ帰りして、バイクでよく走っていた県道へ迂回。
車ですさまじいカーブを下っていくのはきついものがあったが、難なく抜けて、この先は渋滞も無く、途中マクドナルドへ立ち寄り、好物のフィレオフィッシュを2つ買って、鹿児島空港の駐車場に入る。
なお、県営駐車場へ入るのは初めてのことである。
駐車場内に停めた車内でバーガーを食べ、荷物を下ろして空港へ向かう。
一目散に保安検査場へ向かい、検査を受けるが、「ピンポーン」と金属反応を示す音が鳴る。
どうやらベルトの金属に反応したようで、ベルトを脱いでX線検査を受ける羽目に。
まあ、当然のことではあるが、何も危険なものはなく、無難に搭乗口付近に向かう。
なお、飛行機は到着遅れのため、15分遅れでの出発と出ていた。
羽田に着いたら15分程度しか余裕がなさそうだとガッカリしつつ、搭乗案内を待つが、一向に飛行機が降りてこない。
なんでも、ゴーアラウンド(着陸やり直し)をしたようで、実際この日は台風接近の影響か、強風であった。
しまいには、「場合によりましては欠航となる可能性もございます」というアナウンスが流れたほどで、実際、他社の飛行機では欠航が決まったものもあったようである。
バイクで鳥取へ向かおうとした際、出だしの谷山ICでエンストしてこの先終了になりかかった3年前の悪夢を思い起こしつつ、飛行機は何とか着陸し、出発時間も21:20にさらに25分延びてしまっていた。
これで、親友が住む宇都宮へ移動できる公共交通機関が絶たれてしまった。
とは言え、宇都宮の手前まででも移動できる手段があるはずと、iPad2を片手に、行き先を大宮にするか、春日部にするか、悩む。
結局、宇都宮から移動しやすい春日部を選択し、親友に伝達。1:14着の見込みと伝え、飛行機に搭乗、すこぶる揺れながら鹿児島を後にした。
なお、機内ではiPad2で、DQ3に没頭、前回バラモスブロスにイオナズン3連発を2ターン連続で食らって全滅したのを、マホカンタで連発させないようにすることに成功して、ラストのゾーマ戦でMPが枯渇する寸前までいった段階で無事撃破してエンディングと、一つの節目を迎えていたのであった。
羽田空港に到着したのが23:15、早速京急線で品川に向かい、終電の三田線電車に乗り込む。
しかし、終電ゆえにダイヤが予定より3分近く遅れ、人形町で日比谷線に乗り換えるが、こちらも終電でもう行った後かと落胆しかかったものの、駅員からまだ来ていないことを知らされて安堵。
日比谷線で北千住まで移動するも、ここでも9分程ダイヤが遅延。
もう北越谷までになってしまうのかと絶望しつつも、ここでも東武線の終電が待っており、何とか春日部までやって来た。
深夜1:28。
つり革握っていけるのもすごいくらいであった。
西口で親友が出迎え、2ヶ月ぶりの再会の余韻などなく、ともかく宇都宮へ移動する。
5月のGWツーリングでも通った久喜ICから東北道に入り、羽生PAで親友の車の運転を交代し、自分がハンドルを握る。
深夜2時台だというのにやや混んでいる感じがする東北道をひたすら北上して、大谷PAで再度親友に交代し、親友宅に着いたのが3:10過ぎ。
宇都宮駅行きの始発バスが来るのが6時過ぎ。
寝れるのは2時間半が関の山である。
かくして、慌ただしい東京・宇都宮への移動は夜更け過ぎに終了し、さっさと眠りに着いたのであった。
>>1日目【宇都宮→竜飛崎→青森→秋田】へ続く
2014年09月23日
大隅から1日で北薩往還&北越急行の指定席GETならず
なかなか天気が良い日がありませんが、今日は彼岸の中日、ということで、墓参へ赴くべく、5月以来のヘルメット着用でバイクのエンジンをかけたところ、なんとバッテリー上がり!!
そりゃ、高速道路上で3度も立ち往生してしまった我がYBR250、バッテリー交換をしなければならなかったのは自明の理で、急きょバイクでの墓参をあきらめ、車での移動となります。なお、走行距離で保険料が変わる・・・といったこともない国内損保契約ですので、特に問題なくガソリンを満タンにしてからの出発となります。
鹿児島の実家に立ち寄らずに、国道3号を抜け、まずは伊集院で墓参するものの、例のバイクの一件について、鹿児島のバイク屋に連絡を入れます。ところが、電話番号が変わった、とのことで、改めてその番号にかけ直すと、なんとバイク屋が谷山から南に移転した、という驚愕の知らせが。ピザ配達のバイトをしていた1999年10月以降、場所を移転したことも無かったバイク屋の移転ゆえ、驚愕したわけですが、場所が年内出向かないといけない川辺方面にあるようで、とりあえずバッテリー上がりならJAF呼べば、とのことで、一旦バッテリー取り寄せは保留として、引き続き北上します。
川内では、あろうことか道路工事の車線規制の影響で、意に反して話題の川内原発手前まで迂回する有様でしたが、大隅を出て4時間近く、ようやく阿久根で墓参を済ませ、途中牛ノ浜駅にあるめん処ふくながでカツ丼セットを頼み、腹ごしらえです。
そういえば、おれんじ鉄道友の会会員の更新期限が来月なのですが、はてさていったいどうしようか、思案中です。
鹿児島まで公共交通機関で出向くだけでも2時間くらいかかるというのに、そこから川内まで新幹線で13分、さらに八代までおれんじ鉄道では3時間ほどかかります。大隅住民にとって、おれんじ鉄道友の会はほぼ縁遠いものと言えそうですが、まあ更新の書類が来てから考えることにして、いつものように空港道路を通って加治木へ抜け、渋滞の影響も無くやってきたのは隼人町見次にあるイオンです。
なお、イオンに来るのは初めてです。
基本的に何の用も無いため行かないだけなのですが、今回は行かなければならない用があり、出向いた次第です。
先週、一番自宅から近いみどりの窓口がある隣県の都城駅まで出向いて、来月の東北周遊鉄道旅行へ向けて、ネット上で買えない北越急行の切符の調達を試みたものの、JR東日本でもないJR九州では発券できず、購入できない結果となりました。
でもって、北越急行のサイト上では、「犀潟駅、十日町駅、六日町駅、主な旅行会社」で切符を買える、といった表記があり、JR九州エリア内で北越急行の切符を買うなら天下の【JTB】しかない!!と気付いたわけです。
というわけで、今回のルート上に位置するJTBのイオン国分隼人へ出向いたのでした。(ちなみに、なぜか霧島市よりも人口が多い都城市にはJTBの出先がない・・・)
ヨーロッパやらアジアやらサイパンやら、海外旅行のパンフレットが並ぶ店内で、たかだか310円の指定席券を買うために来た自分が場違いな気がして立ち尽くしたり、座って待ったりして、iPad2で情報収集しながら20分近く待ち、ようやく順番が回ってきて、早速、都城駅の結果も踏まえて本題に入ります。
「北越急行の10月X日のはくたか4号の六日町から十日町までの指定席券が欲しいのですが。」
都城駅では、マルス(旅客販売総合システム[JR集中発券システム])で指なし券の発券ができず、断念となったわけですが、JTBでもマルス端末はありますから、担当者が長電話で今回の対処法を聞きながら、指なし券の発券までには何とか至りました。しかし、その後の対応をどうすべきか怪しい感じでしたので、以前下調べしていた時に役に立ったウェブページをiPad2で表示して見せました。
これを見て、担当者も対応方法が見えて来たようで、早速料金専用補充券をこのページ通りに書き始め、無事に購入することができました。


たかが310円の指定席券を買うためだけにこれだけの労力を割いておりますが、来年春には特急はくたかが廃止されてしまうことを考えれば、今乗れるうちに労力を割くのは当然のことです。それにしても、5月のGWに沿線をバイクで走ったばかりなのにまた行くとは、妙なものですが、GWで為し得なかったことをやるがためにはくたかに乗る意義もあります。それは後日談で語ることにして、JR以外の区間の特急券を買う場合の参考にしてみてください。
【9/24追記】
その後電話があり、九州内の場合、九州からの乗車券がなければ発売できない、という何とも理不尽な連絡があり、一旦払い戻しで合意しています。不満なため、北越急行に問い合わせ中で、近日最終的にどうなるのか判明しそうです。
なお、この一件の影響で、JR九州への不信感が急速に高まっています。状況によってはJR九州と絶縁することもあり得ます。
小一時間滞在したイオンを後にし、再び車に乗り込み、大隅へと戻ったのは17時半のこと。いつもなら「充実した彼岸でした。」と結ぶところですが、しかし、今日はこれでは終われません。バイクのバッテリー上がりの問題が残ったままです。
自走できなければ鹿児島までバッテリー交換で赴くこともままなりません。
というわけで、バイク屋の言うとおりに、JAFを呼びました。
会員歴7年余、呼ぶのは初めてです。
バッテリー上がりの対応は会員は無料ですので、安心です。
早速エンジンをかけるためにバッテリーに電圧をかけてもらい、無事にエンジンが一発でかかりました。
その後、30分間ひたすらバイクのそばで一定程度バッテリーに充電されるのを待ちます。
YBR250はライトの点灯をOFFにできますので、充電するには支障はありません。
終盤小雨も降りだすも、なんとか30分をしのぎ切り、最後にエンジンを停めて、再度エンジンをかけて問題ないことを確認、週末にエンジンをかけるまでは持ちそうです。
こうして当面の懸案を片付けて、また会社の激務を処理する日々に戻ります。
そりゃ、高速道路上で3度も立ち往生してしまった我がYBR250、バッテリー交換をしなければならなかったのは自明の理で、急きょバイクでの墓参をあきらめ、車での移動となります。なお、走行距離で保険料が変わる・・・といったこともない国内損保契約ですので、特に問題なくガソリンを満タンにしてからの出発となります。
鹿児島の実家に立ち寄らずに、国道3号を抜け、まずは伊集院で墓参するものの、例のバイクの一件について、鹿児島のバイク屋に連絡を入れます。ところが、電話番号が変わった、とのことで、改めてその番号にかけ直すと、なんとバイク屋が谷山から南に移転した、という驚愕の知らせが。ピザ配達のバイトをしていた1999年10月以降、場所を移転したことも無かったバイク屋の移転ゆえ、驚愕したわけですが、場所が年内出向かないといけない川辺方面にあるようで、とりあえずバッテリー上がりならJAF呼べば、とのことで、一旦バッテリー取り寄せは保留として、引き続き北上します。
川内では、あろうことか道路工事の車線規制の影響で、意に反して話題の川内原発手前まで迂回する有様でしたが、大隅を出て4時間近く、ようやく阿久根で墓参を済ませ、途中牛ノ浜駅にあるめん処ふくながでカツ丼セットを頼み、腹ごしらえです。
そういえば、おれんじ鉄道友の会会員の更新期限が来月なのですが、はてさていったいどうしようか、思案中です。
鹿児島まで公共交通機関で出向くだけでも2時間くらいかかるというのに、そこから川内まで新幹線で13分、さらに八代までおれんじ鉄道では3時間ほどかかります。大隅住民にとって、おれんじ鉄道友の会はほぼ縁遠いものと言えそうですが、まあ更新の書類が来てから考えることにして、いつものように空港道路を通って加治木へ抜け、渋滞の影響も無くやってきたのは隼人町見次にあるイオンです。
なお、イオンに来るのは初めてです。
基本的に何の用も無いため行かないだけなのですが、今回は行かなければならない用があり、出向いた次第です。
先週、一番自宅から近いみどりの窓口がある隣県の都城駅まで出向いて、来月の東北周遊鉄道旅行へ向けて、ネット上で買えない北越急行の切符の調達を試みたものの、JR東日本でもないJR九州では発券できず、購入できない結果となりました。
でもって、北越急行のサイト上では、「犀潟駅、十日町駅、六日町駅、主な旅行会社」で切符を買える、といった表記があり、JR九州エリア内で北越急行の切符を買うなら天下の【JTB】しかない!!と気付いたわけです。
というわけで、今回のルート上に位置するJTBのイオン国分隼人へ出向いたのでした。(ちなみに、なぜか霧島市よりも人口が多い都城市にはJTBの出先がない・・・)
ヨーロッパやらアジアやらサイパンやら、海外旅行のパンフレットが並ぶ店内で、たかだか310円の指定席券を買うために来た自分が場違いな気がして立ち尽くしたり、座って待ったりして、iPad2で情報収集しながら20分近く待ち、ようやく順番が回ってきて、早速、都城駅の結果も踏まえて本題に入ります。
「北越急行の10月X日のはくたか4号の六日町から十日町までの指定席券が欲しいのですが。」
都城駅では、マルス(旅客販売総合システム[JR集中発券システム])で指なし券の発券ができず、断念となったわけですが、JTBでもマルス端末はありますから、担当者が長電話で今回の対処法を聞きながら、指なし券の発券までには何とか至りました。しかし、その後の対応をどうすべきか怪しい感じでしたので、以前下調べしていた時に役に立ったウェブページをiPad2で表示して見せました。
これを見て、担当者も対応方法が見えて来たようで、早速料金専用補充券をこのページ通りに書き始め、


【9/24追記】
その後電話があり、九州内の場合、九州からの乗車券がなければ発売できない、という何とも理不尽な連絡があり、一旦払い戻しで合意しています。不満なため、北越急行に問い合わせ中で、近日最終的にどうなるのか判明しそうです。
なお、この一件の影響で、JR九州への不信感が急速に高まっています。状況によってはJR九州と絶縁することもあり得ます。
小一時間滞在したイオンを後にし、再び車に乗り込み、大隅へと戻ったのは17時半のこと。いつもなら「充実した彼岸でした。」と結ぶところですが、しかし、今日はこれでは終われません。バイクのバッテリー上がりの問題が残ったままです。
自走できなければ鹿児島までバッテリー交換で赴くこともままなりません。
というわけで、バイク屋の言うとおりに、JAFを呼びました。
会員歴7年余、呼ぶのは初めてです。
バッテリー上がりの対応は会員は無料ですので、安心です。
早速エンジンをかけるためにバッテリーに電圧をかけてもらい、無事にエンジンが一発でかかりました。
その後、30分間ひたすらバイクのそばで一定程度バッテリーに充電されるのを待ちます。
YBR250はライトの点灯をOFFにできますので、充電するには支障はありません。
終盤小雨も降りだすも、なんとか30分をしのぎ切り、最後にエンジンを停めて、再度エンジンをかけて問題ないことを確認、週末にエンジンをかけるまでは持ちそうです。
こうして当面の懸案を片付けて、また会社の激務を処理する日々に戻ります。
2014年05月18日
2014GWツーリング3日目・五箇山~神戸
仕事の繁忙さのため、久々の走行記録執筆となります。
今年のGWツーリング3日目です。
前日はビールを岩手県から来られた高齢者の男性からたんまりと飲まされ、布団の中がものすごい発熱量になったのですが、アルコールの抜けは早い身のため、早朝6時半に相倉集落内を散策します。
平家の隠田集落の一つとも言われているだけあって、祖父の暮らしていた集落と、屋根と建物の造りを除けば結構雰囲気は似ています。
田舎に泊まりに来た、そんな感じがします。東京都心からご家族連れが泊まりに来られるのも分かる気がします。
大きな違いがあるのは、山に雪が積もっていることです。もう春とはいえ、山間部ではまだ冬が抜けきっていないようです。
宿に戻り、朝食を頂いたのち、予定より少々時間が押したこともあり、一番乗りで出発します。ただ、天候は事前予想通り雨。荷物の雨対策や宇都宮へ向かっていた時以来のカッパ着用をするのですが、大阪のアベックさんや家族連れの奥様などが興味津々に一連の流れを見守る中だっただけに、正直やりづらかったです。
何はともあれ、ちょうど8時半に多くの方に見送りを受けて、雨の中出発しました。
好天ならば、時間があるので、他の合掌造り集落も見て回りたかったのですが、悪天候につき今回は断念となります。
渋滞の名所・五箇山ICから東海北陸道を南に向かうわけですが、インターチェンジが降りる車線と本線へ向かう車線が交差点になっていて、一時停止するのは谷山IC以来で珍しい作りです。
ちょうど降りてきた車を無難にやり過ごし、ひたすら南に向かいます。
南に向かうとは言え、気温は徐々に下がります。
飛騨と美濃の境目にある松ノ木峠は標高1,085mで、日本の高速道路としては最高地点を走ります。
でもって、気温計が12℃、9℃、8℃と登るに従って下がっていき、雨天時のGWツーリングで過去最低気温であった9℃(2007年・宗太郎越え)を峠に至る前でクリアしてしまい、松ノ木峠の気温計は、6℃。
防寒用のグローブを身に着けていたものの、雨の影響も加わり浸水のため寒く、急きょグリップヒーターを使うほどでした。
松ノ木峠を下っていくも、天候はひたすら雨。
幸いなのが、トンネルが53箇所ある、ということで、トンネル内では雨もしのげるのですが、白鳥ICまでは暫定二車線のため、トンネル内に熱気が溜まっていて、ヘルメットが曇ります。先行車との車間に十分に気をつけ、ようやく片側二車線区間に入りました。
ただ、雨のためひたすら走行車線を走っていくのですが、先行車の巻き上げる水煙に加えて、追越車線を走る車からの水煙もあり、前方の吸気口から水が入り込んだか、エンジン出力が急速に低下。
緊急避難的に路肩、そして緊急停車帯に停めて、エンジン再起動を試みます。
ものの数回で無事にかかり、ちょうどトンネル入口のため、後続車をうまくさばいてから本線に合流して南に向かいます。
この後も1回エンストしかかったものの何とか持ち直し、ようやく濃尾平野の北の方に出ました。
天候はまだまだ雨、一宮JCTから東名を経由して、一宮ICから名古屋都市高速を経て名二環、そして東名阪道へ向かうのですが、一宮JCTの2km手前から渋滞が発生し、ノロノロで進みます。天候は曇りに変わり、当座の雨の心配はないものの、先の方で横入りする車が多いせいか、流れが悪く、結局抜けるのに30分程を要してしまいました。
なお、自分が分岐点に差し掛かった時、名古屋ナンバーの車が入りたがってましたが、後続車ともどもブロックしています。ちゃんと並びましょう。
東名に入るも、再び雨が降り出し、一宮ICへ降りる車線は空いていましたので、難なく降り、名古屋都市高速でも先行車と適度に車間距離をあけて水煙の侵入を防止し、清州JCTで名二環へ。車も少なく、スムーズに名古屋西JCTから東名阪道に入ります。
もうすぐ正午。雨も止んでおり、遅れを取り戻せるか・・・と思ったところで、またしてもエンスト。
しかも今度は何度やってもかからず、途方にくれました。
PHSも雨に濡れて使えない状態と最悪、でもって、緊急電話を求めてやむなく路肩上を押して歩くも、緊急電話は300m近く先にある、というわけで、2分程歩いたところで再度エンジンをかけます。
バッテリー切れ警告等も点灯するほどの緊迫した事態。
今夜無事にフェリーに乗れるかどうかという超危機的状況を迎えていましたが、3度ほどかけたところで、ようやく手ごたえが。
そして、ついにエンジンがかかりました。
こうして、ツーリング史上初の途中棄権の危機を乗り越え、雨上がりの東名阪道を御在所SAまで移動し、トイレ・牛たん串&たこ焼き休憩の後、今度は普通にエンジンがかかったのを確認して、気を取り直して東名阪道を南下します。
これまでで予定を2時間半(出発時からカウントすると1時間半)も超過しており、大阪市内観光は断念となりました。
亀山ICから名阪国道に入り、小雨が降る中を西へ移動、途中山添ICで下り、奈良県道80号を西へ進みます。この道の先にあるのは、奈良公園。東大寺や春日大社などを見て回ろうというわけです。
14時前にまちなかパーク駐輪場へ停車し、地下道も整備されて行き来しやすい露店も並ぶ道を進み、見えてきました東大寺。




すっかり雨も上がっており、まずまずの観光日和です。
で、やっとこさ拝めた大仏です。

スケールがでかすぎます。
奈良時代の人々がどんな思いでこの大仏を作ったのか、考えさせられます。
この後、宇都宮の親友に奇跡的に回復したPHSから電話をかけるも、奈良公園の奥は圏外なのか途中で切れてしまい、また不具合を起こし始めたのに落胆しつつ、巨大しかせんべい投げ大会会場の横を抜けて、春日大社に参拝、長い参道を駐輪場方向へ向かうのですが、再び雨が降り出しました。駐輪場で再びカッパに着替え、西名阪道郡山IC目指して再び始動。
奈良市内は道もいまいちよくわからない状態でしたが、運よく裏道から国道に合流して、無事に西名阪道へ。
ここから去年同様、神戸港目指して阪神高速を抜けて向かいます。
阪神高速名物の90度カーブも速度を制限速度並みに落として無事に通過し、毎年難所の天保山JCTの右折分岐も、悪天候が幸いしたか、後続車があおることなく無難に通過、湾岸線をしばらく走ると西から天気が回復、雨も完全に止みました。
こうして、乗船開始30分前には無事に神戸港に到着、去年同様フェリーで大分へ向かいます。
今年はフェリー内で夕食バイキングを頂戴したのですが、神戸だけにローストビーフが入っていてお得でした。
食べ過ぎることなく、船内放映のスーパーマンの別書き起こし作品「マン・オブ・スティール」をすっかり深夜まで見て、寝たのでした。
この日の走行距離は407.9kmでした。
今年のGWツーリング3日目です。
前日はビールを岩手県から来られた高齢者の男性からたんまりと飲まされ、布団の中がものすごい発熱量になったのですが、アルコールの抜けは早い身のため、早朝6時半に相倉集落内を散策します。
平家の隠田集落の一つとも言われているだけあって、祖父の暮らしていた集落と、屋根と建物の造りを除けば結構雰囲気は似ています。
田舎に泊まりに来た、そんな感じがします。東京都心からご家族連れが泊まりに来られるのも分かる気がします。
大きな違いがあるのは、山に雪が積もっていることです。もう春とはいえ、山間部ではまだ冬が抜けきっていないようです。
宿に戻り、朝食を頂いたのち、予定より少々時間が押したこともあり、一番乗りで出発します。ただ、天候は事前予想通り雨。荷物の雨対策や宇都宮へ向かっていた時以来のカッパ着用をするのですが、大阪のアベックさんや家族連れの奥様などが興味津々に一連の流れを見守る中だっただけに、正直やりづらかったです。
何はともあれ、ちょうど8時半に多くの方に見送りを受けて、雨の中出発しました。
好天ならば、時間があるので、他の合掌造り集落も見て回りたかったのですが、悪天候につき今回は断念となります。
渋滞の名所・五箇山ICから東海北陸道を南に向かうわけですが、インターチェンジが降りる車線と本線へ向かう車線が交差点になっていて、一時停止するのは谷山IC以来で珍しい作りです。
ちょうど降りてきた車を無難にやり過ごし、ひたすら南に向かいます。
南に向かうとは言え、気温は徐々に下がります。
飛騨と美濃の境目にある松ノ木峠は標高1,085mで、日本の高速道路としては最高地点を走ります。
でもって、気温計が12℃、9℃、8℃と登るに従って下がっていき、雨天時のGWツーリングで過去最低気温であった9℃(2007年・宗太郎越え)を峠に至る前でクリアしてしまい、松ノ木峠の気温計は、6℃。
防寒用のグローブを身に着けていたものの、雨の影響も加わり浸水のため寒く、急きょグリップヒーターを使うほどでした。
松ノ木峠を下っていくも、天候はひたすら雨。
幸いなのが、トンネルが53箇所ある、ということで、トンネル内では雨もしのげるのですが、白鳥ICまでは暫定二車線のため、トンネル内に熱気が溜まっていて、ヘルメットが曇ります。先行車との車間に十分に気をつけ、ようやく片側二車線区間に入りました。
ただ、雨のためひたすら走行車線を走っていくのですが、先行車の巻き上げる水煙に加えて、追越車線を走る車からの水煙もあり、前方の吸気口から水が入り込んだか、エンジン出力が急速に低下。
緊急避難的に路肩、そして緊急停車帯に停めて、エンジン再起動を試みます。
ものの数回で無事にかかり、ちょうどトンネル入口のため、後続車をうまくさばいてから本線に合流して南に向かいます。
この後も1回エンストしかかったものの何とか持ち直し、ようやく濃尾平野の北の方に出ました。
天候はまだまだ雨、一宮JCTから東名を経由して、一宮ICから名古屋都市高速を経て名二環、そして東名阪道へ向かうのですが、一宮JCTの2km手前から渋滞が発生し、ノロノロで進みます。天候は曇りに変わり、当座の雨の心配はないものの、先の方で横入りする車が多いせいか、流れが悪く、結局抜けるのに30分程を要してしまいました。
なお、自分が分岐点に差し掛かった時、名古屋ナンバーの車が入りたがってましたが、後続車ともどもブロックしています。ちゃんと並びましょう。
東名に入るも、再び雨が降り出し、一宮ICへ降りる車線は空いていましたので、難なく降り、名古屋都市高速でも先行車と適度に車間距離をあけて水煙の侵入を防止し、清州JCTで名二環へ。車も少なく、スムーズに名古屋西JCTから東名阪道に入ります。
もうすぐ正午。雨も止んでおり、遅れを取り戻せるか・・・と思ったところで、またしてもエンスト。
しかも今度は何度やってもかからず、途方にくれました。
PHSも雨に濡れて使えない状態と最悪、でもって、緊急電話を求めてやむなく路肩上を押して歩くも、緊急電話は300m近く先にある、というわけで、2分程歩いたところで再度エンジンをかけます。
バッテリー切れ警告等も点灯するほどの緊迫した事態。
今夜無事にフェリーに乗れるかどうかという超危機的状況を迎えていましたが、3度ほどかけたところで、ようやく手ごたえが。
そして、ついにエンジンがかかりました。
こうして、ツーリング史上初の途中棄権の危機を乗り越え、雨上がりの東名阪道を御在所SAまで移動し、トイレ・牛たん串&たこ焼き休憩の後、今度は普通にエンジンがかかったのを確認して、気を取り直して東名阪道を南下します。
これまでで予定を2時間半(出発時からカウントすると1時間半)も超過しており、大阪市内観光は断念となりました。
亀山ICから名阪国道に入り、小雨が降る中を西へ移動、途中山添ICで下り、奈良県道80号を西へ進みます。この道の先にあるのは、奈良公園。東大寺や春日大社などを見て回ろうというわけです。
14時前にまちなかパーク駐輪場へ停車し、地下道も整備されて行き来しやすい露店も並ぶ道を進み、見えてきました東大寺。
すっかり雨も上がっており、まずまずの観光日和です。
で、やっとこさ拝めた大仏です。
スケールがでかすぎます。
奈良時代の人々がどんな思いでこの大仏を作ったのか、考えさせられます。
この後、宇都宮の親友に奇跡的に回復したPHSから電話をかけるも、奈良公園の奥は圏外なのか途中で切れてしまい、また不具合を起こし始めたのに落胆しつつ、巨大しかせんべい投げ大会会場の横を抜けて、春日大社に参拝、長い参道を駐輪場方向へ向かうのですが、再び雨が降り出しました。駐輪場で再びカッパに着替え、西名阪道郡山IC目指して再び始動。
奈良市内は道もいまいちよくわからない状態でしたが、運よく裏道から国道に合流して、無事に西名阪道へ。
ここから去年同様、神戸港目指して阪神高速を抜けて向かいます。
阪神高速名物の90度カーブも速度を制限速度並みに落として無事に通過し、毎年難所の天保山JCTの右折分岐も、悪天候が幸いしたか、後続車があおることなく無難に通過、湾岸線をしばらく走ると西から天気が回復、雨も完全に止みました。
こうして、乗船開始30分前には無事に神戸港に到着、去年同様フェリーで大分へ向かいます。
今年はフェリー内で夕食バイキングを頂戴したのですが、神戸だけにローストビーフが入っていてお得でした。
食べ過ぎることなく、船内放映のスーパーマンの別書き起こし作品「マン・オブ・スティール」をすっかり深夜まで見て、寝たのでした。
この日の走行距離は407.9kmでした。
2014年05月07日
2014GWツーリング2日目・宇都宮~五箇山
連投となる2014GWツーリング2日目の模様を記します。
太陽が早く顔を出した早朝5時15分過ぎに起床し、日光観光へ向かうべく親友の車で出発。
穏やかな天候の下、第二いろは坂を駆け上がり、えびの高原よりも高い中禅寺湖のほとりをさらに南へ。半月山展望台へ向かうゲートがちょうど開門となったため、前日の到着時点の状況を考えれば幸先のよいスタートとなりました。
足尾銅山跡を眺められる地点からさらに600mの山道を登ること18分。
眼前に美しい絶景が現れました。


眼前に広がるは中禅寺湖と男体山。
ツーリングマップルで訪れるべき景勝地の一つとして紹介されており、せっかくだからと早起きして行ったわけですが、この絶景はなかなか見られません。氷点下近くにもなる寒さと根雪も残る中、訪れてよかったと親友ともども思うのでありました。
しばらく滞在した後、下山するのですが、途中後ろを進む親友の様子を確認しようとして振り向いたら、右足を滑らせてしまい、危うく転落寸前でした。この時くいにつかもうとして右手を負傷してしまい、流血のままの下山となってしまいました。なかなか先が思いやられる展開でした。
気を取り直して、第一いろは坂で先行する熊谷ナンバーの軽自動車の後を進むのですが、初心者マークを付けている辺り、制限速度を下回る速さで進んでいる関係で、後続車がずらずらと並ぶ有様で、後ろからクラクションが鳴るほどでした。まあ、追い越し禁止と出ているため、運転する親友にいろいろと話をしつつ進み、ちょっとした直線があるところで2台の車が追い越して行きました。その瞬間の模様を写真に撮っており、当事者には自制を促すところです。ちなみにナンバーは宇都宮と柏でした。
続いて、華厳の滝を見に行きます。まだまだ午前8時台ということもあって駐車場には楽々停められ、エレベーターと通路を通って滝を見るのですが、ちょうど虹ができていて幻想的でした。

ここまでは順調でしたが、次の日光東照宮では駐車場が埋まり始めており、ギリギリ土産物店の駐車場に止めることができました。
地下通路を歩いて東照宮へ向かい、入場券も買って入るのですが、敷地が広いため、移動に時間を取られます。有名な「三猿」は、しっかりと写真に収めました。


もう一つ有名な眠猫はちょっと見ただけでしたが、なかなか可愛いものでした。
社殿も立派で、徳川家康公の偉大さがとても伝わります。

奥宮まで行ってしまい、そこの行列で時間を十分ほど取られ、そんなこんなで日光観光に使える時間が尽きてしまいました。
東照宮完全制覇は次回に回すことにして、土産を買った後は一路来た道を戻り、親友宅でバイクに乗る準備を終え、今夏の大隅での再会を約して親友宅を後にしました。
好天の宇都宮を宇都宮ICから後にして、東北道を南下、岩舟JCTから北関東道を西へ向かい、高崎JCTから関越道へ。所々インターを下りる車が路肩まで行列を作っていましたが、大きな混雑に至ることもなく、徐々に高度の高い所へ上がっていきます。雪が残る越後山脈の山々が迫ってきた頃、ついに関越トンネルに突入です。全長10km以上もあるトンネルだけに、走り抜けるのに6分ほどかかりましたが、トンネル好きな人間としてはとても悦に浸っておりました。
とは言え、予定より時間が押しているうえ、この日の宿泊地は18時までのチェックインを求めているところであり、門限には間に合わせなければならず、朝コンビニで買っていたおにぎり類を新潟県に入った塩沢石打SAで食べ、宇都宮出発時点で25分遅れだった時間調整がうまくいったところで、ようやく普通の状態で進んで行けます。
関越道とは六日町ICまでで、ここからほくほく線沿線にほぼ沿う形で魚沼丘陵や頸城山地を抜けて行きます。最初の難関は急カーブ5つを有するスノーシェルター道です。スノーシェルター自体は島根県を走った際に山間部で見たことがあったのですが、ここのスノーシェルターはヘアピンカーブを覆うように設置されていて、なかなかの圧迫感があります。難なくこけない範囲のスピードで抜け、十日町市に入ります。
ここで、名物のへぎそばを食べようと予定していたのですが、時間が押しているため、ご当地まで来て通販のお取り寄せでいいやということで、残念無念の通過です。そば好き人間には実に酷な展開でありました。
丘陵部を走るだけあって、ところどころトンネルがあって楽しく走れるのですが、おととし11月のほくほく線乗車時に眺めた景色のところを今回は走るわけですから、より楽しさ倍増といったところです。今回は、まつだい、虫川大杉の両駅の横をバイクで駆けて行きました。
上越市三ツ屋交差点で国道8号に合流、下源入交差点で去年のルートに合流します。交差点角のスタンドで去年給油していたのですが、今年もここで給油します。去年の店員さんとの会話の件をスタッフの方と話したのですが、今年も雪がまだ残っているとのことで、2年連続は珍しいようです。当然それなりに寒いですから、休憩所で上着を重ね着して、いよいよ上越ICから北陸道に入ります。トンネル26ヶ所連続も慣れたもので、快適に西へ向かいます。予定通り17時過ぎに福光ICで下り、ガソリンスタンドで再度補給。ただ、朝の山で怪我した部分の絆創膏がはがれかかっていたため追加で頂戴し、ちょうど地元で祭りがあるとのことで、その話などを聞いてスタンドを後にしました。
城端線の終点・城端駅界隈には神輿のようなものが何台も道端に置いてあり、合掌造りの宿の門限がもう少し遅ければ・・・と残念に思いつつ、険しい山道国道を南へ進みます。到着したのは、世界文化遺産に指定されている合掌造り集落の1つ・五箇山の相倉集落です。去年も宿泊地として候補に挙げていたところなのですが、ようやく今年は泊まることが出来ました。
日本各地からいらっしゃった他の宿泊客と親睦を深めて、22時には就寝したのでありました。
~この日の走行距離:471.5km~
太陽が早く顔を出した早朝5時15分過ぎに起床し、日光観光へ向かうべく親友の車で出発。
穏やかな天候の下、第二いろは坂を駆け上がり、えびの高原よりも高い中禅寺湖のほとりをさらに南へ。半月山展望台へ向かうゲートがちょうど開門となったため、前日の到着時点の状況を考えれば幸先のよいスタートとなりました。
足尾銅山跡を眺められる地点からさらに600mの山道を登ること18分。
眼前に美しい絶景が現れました。
眼前に広がるは中禅寺湖と男体山。
ツーリングマップルで訪れるべき景勝地の一つとして紹介されており、せっかくだからと早起きして行ったわけですが、この絶景はなかなか見られません。氷点下近くにもなる寒さと根雪も残る中、訪れてよかったと親友ともども思うのでありました。
しばらく滞在した後、下山するのですが、途中後ろを進む親友の様子を確認しようとして振り向いたら、右足を滑らせてしまい、危うく転落寸前でした。この時くいにつかもうとして右手を負傷してしまい、流血のままの下山となってしまいました。なかなか先が思いやられる展開でした。
気を取り直して、第一いろは坂で先行する熊谷ナンバーの軽自動車の後を進むのですが、初心者マークを付けている辺り、制限速度を下回る速さで進んでいる関係で、後続車がずらずらと並ぶ有様で、後ろからクラクションが鳴るほどでした。まあ、追い越し禁止と出ているため、運転する親友にいろいろと話をしつつ進み、ちょっとした直線があるところで2台の車が追い越して行きました。その瞬間の模様を写真に撮っており、当事者には自制を促すところです。ちなみにナンバーは宇都宮と柏でした。
続いて、華厳の滝を見に行きます。まだまだ午前8時台ということもあって駐車場には楽々停められ、エレベーターと通路を通って滝を見るのですが、ちょうど虹ができていて幻想的でした。

ここまでは順調でしたが、次の日光東照宮では駐車場が埋まり始めており、ギリギリ土産物店の駐車場に止めることができました。
地下通路を歩いて東照宮へ向かい、入場券も買って入るのですが、敷地が広いため、移動に時間を取られます。有名な「三猿」は、しっかりと写真に収めました。
もう一つ有名な眠猫はちょっと見ただけでしたが、なかなか可愛いものでした。
社殿も立派で、徳川家康公の偉大さがとても伝わります。
奥宮まで行ってしまい、そこの行列で時間を十分ほど取られ、そんなこんなで日光観光に使える時間が尽きてしまいました。
東照宮完全制覇は次回に回すことにして、土産を買った後は一路来た道を戻り、親友宅でバイクに乗る準備を終え、今夏の大隅での再会を約して親友宅を後にしました。
好天の宇都宮を宇都宮ICから後にして、東北道を南下、岩舟JCTから北関東道を西へ向かい、高崎JCTから関越道へ。所々インターを下りる車が路肩まで行列を作っていましたが、大きな混雑に至ることもなく、徐々に高度の高い所へ上がっていきます。雪が残る越後山脈の山々が迫ってきた頃、ついに関越トンネルに突入です。全長10km以上もあるトンネルだけに、走り抜けるのに6分ほどかかりましたが、トンネル好きな人間としてはとても悦に浸っておりました。
とは言え、予定より時間が押しているうえ、この日の宿泊地は18時までのチェックインを求めているところであり、門限には間に合わせなければならず、朝コンビニで買っていたおにぎり類を新潟県に入った塩沢石打SAで食べ、宇都宮出発時点で25分遅れだった時間調整がうまくいったところで、ようやく普通の状態で進んで行けます。
関越道とは六日町ICまでで、ここからほくほく線沿線にほぼ沿う形で魚沼丘陵や頸城山地を抜けて行きます。最初の難関は急カーブ5つを有するスノーシェルター道です。スノーシェルター自体は島根県を走った際に山間部で見たことがあったのですが、ここのスノーシェルターはヘアピンカーブを覆うように設置されていて、なかなかの圧迫感があります。難なくこけない範囲のスピードで抜け、十日町市に入ります。
ここで、名物のへぎそばを食べようと予定していたのですが、時間が押しているため、ご当地まで来て通販のお取り寄せでいいやということで、残念無念の通過です。そば好き人間には実に酷な展開でありました。
丘陵部を走るだけあって、ところどころトンネルがあって楽しく走れるのですが、おととし11月のほくほく線乗車時に眺めた景色のところを今回は走るわけですから、より楽しさ倍増といったところです。今回は、まつだい、虫川大杉の両駅の横をバイクで駆けて行きました。
上越市三ツ屋交差点で国道8号に合流、下源入交差点で去年のルートに合流します。交差点角のスタンドで去年給油していたのですが、今年もここで給油します。去年の店員さんとの会話の件をスタッフの方と話したのですが、今年も雪がまだ残っているとのことで、2年連続は珍しいようです。当然それなりに寒いですから、休憩所で上着を重ね着して、いよいよ上越ICから北陸道に入ります。トンネル26ヶ所連続も慣れたもので、快適に西へ向かいます。予定通り17時過ぎに福光ICで下り、ガソリンスタンドで再度補給。ただ、朝の山で怪我した部分の絆創膏がはがれかかっていたため追加で頂戴し、ちょうど地元で祭りがあるとのことで、その話などを聞いてスタンドを後にしました。
城端線の終点・城端駅界隈には神輿のようなものが何台も道端に置いてあり、合掌造りの宿の門限がもう少し遅ければ・・・と残念に思いつつ、険しい山道国道を南へ進みます。到着したのは、世界文化遺産に指定されている合掌造り集落の1つ・五箇山の相倉集落です。去年も宿泊地として候補に挙げていたところなのですが、ようやく今年は泊まることが出来ました。
日本各地からいらっしゃった他の宿泊客と親睦を深めて、22時には就寝したのでありました。
~この日の走行距離:471.5km~
2014年05月06日
2014GWツーリング1日目・大阪~宇都宮
転職後の今年もまさかできるとは年初の時点では思っていなかった毎年恒例のGWツーリング、今年は新たな未踏の地を進んで行きました。
今回は、その1日目を記します。
なお、0日目として、鹿児島県内では志布志へ移動し、さんふらわあに乗船して大阪に向かいました。
夕食バイキングで去年同様腹いっぱい、去年と異なったのは、バイク乗船組が5割ほど増えていたことでした。
しかも県外ナンバーが大半。
県内のライダーは中四国までの陸路を駆けるのが大半なのかもしれないと思ったのでした。
というわけで、大阪南港到着後、去年を参考に、下船は8時10分、と見積もっていたのですが、バイクの台数が多い分、出るにも時間がかかり、結局出発は8:16。
船内にいた際に、渋滞状況を見ていたのですが、京滋バイパスで衝突事故があった、との表示。
これは下手したら渋滞の列が伸びるかも、と心配になりつつ、阪神高速へ。
すっかり走り慣れた道のため、問題なく駆けて行きます。
東大阪JCTで近畿道、門真JCTで第二京阪道路へ入る道も去年通りで順調、で、久御山JCTの手前でなく、京田辺松井IC付近の本線料金所手前から渋滞!!
これは一大事と、毎年恒例で走り抜けて、予定を10分程度過ぎた時間で京滋バイパスへ入ります。
ここはもともと渋滞個所ですので、走り方も心得たもので、宇治トンネルから先が流れることを把握し、無事に通過、名神瀬田東JCTからまた渋滞ですが、3km程度先の草津JCTからが今年の新ルートです。
新名神に入ります。
高規格で作られた道ですので、とても走りやすく、ストレスなく亀山JCTで東名阪道に合流します。
南からの車で混雑していましたが、さほどの渋滞には至らず、事前予測よりスムーズに流れて安堵しました。
2年前の伊勢からの帰りの東名阪大渋滞の時と同様に、御在所SAでトイレ・ガソリン補給の用を済ませ、レシートを見て、「またか・・・」と思いました。
高速道路のSAのガソリン価格は一般的には高いのですが、167円/Lは、鹿児島市内の大半のスタンドよりも10円近く安いのです。
その話を店員にしたところ絶句していましたが、公取の査察を願いたいものです(鹿児島の道を走った県外から来訪されたライダーの大半が驚くでしょうね・・・)。
薩摩半島のガソリン価格の不満はさておき、次の新ルート区間・伊勢湾岸道へ。
今回のツーリングでは、ここから2日目の上越市までの区間が新ルートであり、少なくともバイクでは未踏の地、となります。
伊勢湾岸道も、新東名と新名神を結ぶ高規格道として整備されており、ここも快適に四日市JCTから東へ向かいます。
通行時間は計画通りで、事前に渋滞予測で最悪個所の一つとして出ていた、東名高速の豊田JCT~三ケ日JCT間に入ります。
東名高速の三車線区間の大半では、幅が狭く、容易に車の間を縫って走れません。
というわけで、結構のろのろ運転を強いられます。
結果、浜名湖SAにたどり着いたのが12:30。

大阪から4時間少々といったところですが、計画より15分遅れ、というわけで、出発時間の遅れや渋滞の長さを考慮すると、計画通りと言えます。
ここでは上うな丼を食します。
お代は2,080円。
生産量日本一の鹿児島のウナギもおいしいですが、ここのウナギもなかなかいけました。
緑茶も出て、とてもおいしく頂戴しました。
渋滞延べ60kmの疲れも吹っ飛んだところで、いよいよ後半に入ります。
とは言え、まだ予定の半分も走っていません。
静岡県を抜けてからが、ラストスパートです。
浜名湖SAを出てからは、予定よりも高速度で東へ駆け抜けます。
あいにく空は霞んでいたものの、由比PA付近からは富士山の姿も確認できるようになりました。
初めて静岡県に来ましたので、太平洋側から見上げる富士山もまた初めて、ということになります。
が、ずっと見ていられるほどゆとりはありませんので、運転に集中しつつ、御殿場ICで下ります。
近くのスタンドで給油して、163円/L。まずまずです。
ツーリングマップル情報では、国道138号が混む、と出ていたのを思い出し、バイパスの方を進むのですが、快適です。
途中、富士山がよりくっきり見えるスポットが道端にあったため、撮った写真がこれ。

富士山が夏山、という理由がよく理解できる1枚でした。
さらに進んで、しばらく行くと、流れが一気に悪くなりました。
歩いた方が早いのでは、と思うほどで、渋滞に耐えに耐えて、ようやく東富士五湖道路の須走ICに着いたのが15時半過ぎ。
今回の行程で予想外の渋滞でした。
ここから先は流れもよく、中央道の談合坂SAでトイレ休憩。
予定より40分以上の遅れとなっており、宇都宮の親友宅へは19時過ぎの到着見込みとなりました。
その旨を電話連絡した後、八王子JCTから圏央道に入ります。
地下を走る割に走りやすく、埼玉県のミッシング・リンク区間である桶川北本ICで下ります。
埼玉県道12号を東へ向かい、白岡菖蒲ICから再び圏央道に入るのですが、時計は17時を回っていました。
夕立の予感がする中、久喜白岡JCTで東北道に合流し、一路北を目指すも、早速小雨が降ってきました。
というわけで、羽生PAに立ち寄り、カッパに着替えます。
時計は18時を回っていました。
群馬県の館林ICを過ぎて、いよいよおととし11月の東北・関東鉄道周遊旅行以来の栃木県入りで、時折小雨が降る中を北上し、宇都宮IC手前から稲光が左前方から徐々に接近してきます。
そして、日没後の19時前に宇都宮ICでETCゲートをくぐった直後、閃光とともにすさまじい雷鳴が。
前日のフェリーの中のテレビで、栃木県内を自転車で旅している番組をたまたま見ていて、夕立や雷がすごいことを知ったのですが、まさか当地に入って経験するとはびっくりでした。
落ち着かせつつ、近隣のスタンドで翌日に備えて3度目の給油です。
セルフじゃないのに159円/Lと一番安く、スタンド激戦区なのもうなずけます。
店員と会話を終えた直後に、激しい雷雨へと変わり、雨が一気に降ってきました。
須走の渋滞さえ無けば・・・という思いの中、友人宅までほんの数kmというところで、1日目ラストランは雨中突破となりました。
裏道を走るため、街灯はなく、ライトの明るさも激しい雨で多少落ちます。
とある交差点であと数mで看板衝突・用水路転落、という局面もありましたが、見えにくい時は原付速度で走るため、事なきを得て、親友宅近辺までたどり着きます。
しかし、駐車場が分からないため、親友を電話で呼び出します。
1分後、傘を持って彼が登場しました。
元職を2007年8月に退社し、その月末に実家で会ったのを最後に7年ぶりの再会でした。
早速敷地内の駐輪場へ移動し、チェーンにさび止めスプレーを持ってきてもらってまんべんなく吹き付け、荷物を持って親友宅へ。
カッパを脱ぎ、その親友と絡むとラストちょっと(到着10秒前)のところで急に大雨を食らったり、ツーリングのどこかで必ず雨に見舞われたりするなどの過去の話を振って笑わせつつ、夕飯を摂りに親友が買ったばかりというフィットハイブリッドに乗り込み、数多くの知人・友人はいるも、この親友にしか見せない一面であるビ○トたけし氏ばりの暴れっぷりを見せます。
そんなこんなで7年ぶりに会ったとは思えない感じで親友を困惑させつつ、2年前に新幹線で通ったJR宇都宮駅前へ。
車道の右端を堂々と車が来るのも気にせずに歩く歩行者にはびっくりしましたが、自転車のマナーと言い、栃木県民は車がどくもの、ぶつかっても悪くないという考えでもあるのでしょうか。
実際、スタンドに入る前で、バイク接近中なのに堂々と自転車を押して歩くおばあさんが道を塞ぎ、困惑していました。
左右の安全を確認してから横断をお願いしたいものです。
でもって、駅前の餃子一番館で餃子とラーメンを注文します。

もちろん、餃子の方が1人分が高いのですが、5種類30個入りの4~5人前を親友と半分ずつ分ける、というわけで、早速食べると、皮はもちもちで、中身が詰まってジューシーな餃子はとても絶品!!
宇都宮が餃子の街と言われるのもよく分かります。
前日のバイキングの時と同じく、満腹状態になりつつも、最後に宇都宮市近郊にあるとあるトンネルへ。
出るらしい、という話で、確かに頭が少々痛くなった感じがしましたが、別段特に変わったことはありませんでした。
この後は親友宅へ戻り、昔の思い出話に花を咲かせるのでありました。
初日の走行距離は697.6kmでした。
今回は、その1日目を記します。
なお、0日目として、鹿児島県内では志布志へ移動し、さんふらわあに乗船して大阪に向かいました。
夕食バイキングで去年同様腹いっぱい、去年と異なったのは、バイク乗船組が5割ほど増えていたことでした。
しかも県外ナンバーが大半。
県内のライダーは中四国までの陸路を駆けるのが大半なのかもしれないと思ったのでした。
というわけで、大阪南港到着後、去年を参考に、下船は8時10分、と見積もっていたのですが、バイクの台数が多い分、出るにも時間がかかり、結局出発は8:16。
船内にいた際に、渋滞状況を見ていたのですが、京滋バイパスで衝突事故があった、との表示。
これは下手したら渋滞の列が伸びるかも、と心配になりつつ、阪神高速へ。
すっかり走り慣れた道のため、問題なく駆けて行きます。
東大阪JCTで近畿道、門真JCTで第二京阪道路へ入る道も去年通りで順調、で、久御山JCTの手前でなく、京田辺松井IC付近の本線料金所手前から渋滞!!
これは一大事と、毎年恒例で走り抜けて、予定を10分程度過ぎた時間で京滋バイパスへ入ります。
ここはもともと渋滞個所ですので、走り方も心得たもので、宇治トンネルから先が流れることを把握し、無事に通過、名神瀬田東JCTからまた渋滞ですが、3km程度先の草津JCTからが今年の新ルートです。
新名神に入ります。
高規格で作られた道ですので、とても走りやすく、ストレスなく亀山JCTで東名阪道に合流します。
南からの車で混雑していましたが、さほどの渋滞には至らず、事前予測よりスムーズに流れて安堵しました。
2年前の伊勢からの帰りの東名阪大渋滞の時と同様に、御在所SAでトイレ・ガソリン補給の用を済ませ、レシートを見て、「またか・・・」と思いました。
高速道路のSAのガソリン価格は一般的には高いのですが、167円/Lは、鹿児島市内の大半のスタンドよりも10円近く安いのです。
その話を店員にしたところ絶句していましたが、公取の査察を願いたいものです(鹿児島の道を走った県外から来訪されたライダーの大半が驚くでしょうね・・・)。
薩摩半島のガソリン価格の不満はさておき、次の新ルート区間・伊勢湾岸道へ。
今回のツーリングでは、ここから2日目の上越市までの区間が新ルートであり、少なくともバイクでは未踏の地、となります。
伊勢湾岸道も、新東名と新名神を結ぶ高規格道として整備されており、ここも快適に四日市JCTから東へ向かいます。
通行時間は計画通りで、事前に渋滞予測で最悪個所の一つとして出ていた、東名高速の豊田JCT~三ケ日JCT間に入ります。
東名高速の三車線区間の大半では、幅が狭く、容易に車の間を縫って走れません。
というわけで、結構のろのろ運転を強いられます。
結果、浜名湖SAにたどり着いたのが12:30。

大阪から4時間少々といったところですが、計画より15分遅れ、というわけで、出発時間の遅れや渋滞の長さを考慮すると、計画通りと言えます。
ここでは上うな丼を食します。
お代は2,080円。
生産量日本一の鹿児島のウナギもおいしいですが、ここのウナギもなかなかいけました。
緑茶も出て、とてもおいしく頂戴しました。
渋滞延べ60kmの疲れも吹っ飛んだところで、いよいよ後半に入ります。
とは言え、まだ予定の半分も走っていません。
静岡県を抜けてからが、ラストスパートです。
浜名湖SAを出てからは、予定よりも高速度で東へ駆け抜けます。
あいにく空は霞んでいたものの、由比PA付近からは富士山の姿も確認できるようになりました。
初めて静岡県に来ましたので、太平洋側から見上げる富士山もまた初めて、ということになります。
が、ずっと見ていられるほどゆとりはありませんので、運転に集中しつつ、御殿場ICで下ります。
近くのスタンドで給油して、163円/L。まずまずです。
ツーリングマップル情報では、国道138号が混む、と出ていたのを思い出し、バイパスの方を進むのですが、快適です。
途中、富士山がよりくっきり見えるスポットが道端にあったため、撮った写真がこれ。

富士山が夏山、という理由がよく理解できる1枚でした。
さらに進んで、しばらく行くと、流れが一気に悪くなりました。
歩いた方が早いのでは、と思うほどで、渋滞に耐えに耐えて、ようやく東富士五湖道路の須走ICに着いたのが15時半過ぎ。
今回の行程で予想外の渋滞でした。
ここから先は流れもよく、中央道の談合坂SAでトイレ休憩。
予定より40分以上の遅れとなっており、宇都宮の親友宅へは19時過ぎの到着見込みとなりました。
その旨を電話連絡した後、八王子JCTから圏央道に入ります。
地下を走る割に走りやすく、埼玉県のミッシング・リンク区間である桶川北本ICで下ります。
埼玉県道12号を東へ向かい、白岡菖蒲ICから再び圏央道に入るのですが、時計は17時を回っていました。
夕立の予感がする中、久喜白岡JCTで東北道に合流し、一路北を目指すも、早速小雨が降ってきました。
というわけで、羽生PAに立ち寄り、カッパに着替えます。
時計は18時を回っていました。
群馬県の館林ICを過ぎて、いよいよおととし11月の東北・関東鉄道周遊旅行以来の栃木県入りで、時折小雨が降る中を北上し、宇都宮IC手前から稲光が左前方から徐々に接近してきます。
そして、日没後の19時前に宇都宮ICでETCゲートをくぐった直後、閃光とともにすさまじい雷鳴が。
前日のフェリーの中のテレビで、栃木県内を自転車で旅している番組をたまたま見ていて、夕立や雷がすごいことを知ったのですが、まさか当地に入って経験するとはびっくりでした。
落ち着かせつつ、近隣のスタンドで翌日に備えて3度目の給油です。
セルフじゃないのに159円/Lと一番安く、スタンド激戦区なのもうなずけます。
店員と会話を終えた直後に、激しい雷雨へと変わり、雨が一気に降ってきました。
須走の渋滞さえ無けば・・・という思いの中、友人宅までほんの数kmというところで、1日目ラストランは雨中突破となりました。
裏道を走るため、街灯はなく、ライトの明るさも激しい雨で多少落ちます。
とある交差点であと数mで看板衝突・用水路転落、という局面もありましたが、見えにくい時は原付速度で走るため、事なきを得て、親友宅近辺までたどり着きます。
しかし、駐車場が分からないため、親友を電話で呼び出します。
1分後、傘を持って彼が登場しました。
元職を2007年8月に退社し、その月末に実家で会ったのを最後に7年ぶりの再会でした。
早速敷地内の駐輪場へ移動し、チェーンにさび止めスプレーを持ってきてもらってまんべんなく吹き付け、荷物を持って親友宅へ。
カッパを脱ぎ、その親友と絡むとラストちょっと(到着10秒前)のところで急に大雨を食らったり、ツーリングのどこかで必ず雨に見舞われたりするなどの過去の話を振って笑わせつつ、夕飯を摂りに親友が買ったばかりというフィットハイブリッドに乗り込み、数多くの知人・友人はいるも、この親友にしか見せない一面であるビ○トたけし氏ばりの暴れっぷりを見せます。
そんなこんなで7年ぶりに会ったとは思えない感じで親友を困惑させつつ、2年前に新幹線で通ったJR宇都宮駅前へ。
車道の右端を堂々と車が来るのも気にせずに歩く歩行者にはびっくりしましたが、自転車のマナーと言い、栃木県民は車がどくもの、ぶつかっても悪くないという考えでもあるのでしょうか。
実際、スタンドに入る前で、バイク接近中なのに堂々と自転車を押して歩くおばあさんが道を塞ぎ、困惑していました。
左右の安全を確認してから横断をお願いしたいものです。
でもって、駅前の餃子一番館で餃子とラーメンを注文します。

もちろん、餃子の方が1人分が高いのですが、5種類30個入りの4~5人前を親友と半分ずつ分ける、というわけで、早速食べると、皮はもちもちで、中身が詰まってジューシーな餃子はとても絶品!!
宇都宮が餃子の街と言われるのもよく分かります。
前日のバイキングの時と同じく、満腹状態になりつつも、最後に宇都宮市近郊にあるとあるトンネルへ。
出るらしい、という話で、確かに頭が少々痛くなった感じがしましたが、別段特に変わったことはありませんでした。
この後は親友宅へ戻り、昔の思い出話に花を咲かせるのでありました。
初日の走行距離は697.6kmでした。
2014年05月02日
これよりツーリングへ出発!!
多忙な状況ながら、理解ある職場のおかげで、今年も例年通りツーリングへ向かいます。
今年の目玉は、初のバイクでの関東入りをする、という点にあります。
ひとえに7年ぶりに連絡が取れた親友が関東に住んでいなければ、走る気は無かったのですが、何はともあれ渋滞する中を駆けていくことになります。
その他、世界遺産を見たり泊まったりすることもでき、ご当地グルメにも連日ありつける予定で行程を組んでおります。
予定総走行距離1,703kmの道中はどうなることかやきもきしておりますが、また帰宅したら去年までのように、ドキュメントをお届けすることにしていますので、どうぞお楽しみに!
今年の目玉は、初のバイクでの関東入りをする、という点にあります。
ひとえに7年ぶりに連絡が取れた親友が関東に住んでいなければ、走る気は無かったのですが、何はともあれ渋滞する中を駆けていくことになります。
その他、世界遺産を見たり泊まったりすることもでき、ご当地グルメにも連日ありつける予定で行程を組んでおります。
予定総走行距離1,703kmの道中はどうなることかやきもきしておりますが、また帰宅したら去年までのように、ドキュメントをお届けすることにしていますので、どうぞお楽しみに!
2013年11月23日
大隅から主要国道2本を通るルートチェックで駆ける
今日と明日は休み、というわけで、天気も良いことから、YBR250の年内ファイナル運転を兼ねて、9時40分過ぎに自宅を出て、国道504号を北上。鹿屋市輝北町界隈では急な下り坂+急カーブ+そんなところに交差点、となかなかな酷道部分もありましたが、抑速運転にて後続車に道を譲って事故らない運転に徹し、牧ノ原の「フクヤマ」を見た瞬間に、10年前は毎月のように宮崎へと駆けていた頃を思い出して心の中でガッツポーズしていました。
亀割バイパスを下り、国分の街を快適に抜けようにも、恩師の勤務先近くの交差点でなかなかスムーズに流れず、ちょっとしたタイムロスになったため、溝辺鹿児島空港ICから高速に乗り、横川ICで下ります。250円払った意味はあるのかと思いつつも、友人が住む伊佐市に着いたのは正午のサイレンが鳴り終わった直後。少々予定より遅れてしまい、高速での遅れ回復も功を奏さずも、グラーツィエで昼食。
前回同様クレーマを食し、その後気になっていた飲み物を買いに行った後、友人と別れて進路を国道268号方面へ。
向かうは宮崎です。
なお、このルートは今年のGWツーリングと全く同じで、方向が逆になっただけとなっています。
栗野ICから宮崎道へ入りますが、これはバイクでは初めてになります。
が、えびのJCTから先5kmほど工事中で対面通行になっており、多少ビビリつつも無事に抜け、小林ICで下ります。
うまく小林市内に入った・・・と思うも、そこに予想外のワナが。
何と、歩行者天国で道路が通行止め!
抜けた先で右折できないため、引き返して裏道を東進。
何とかうまく乗り切り、野尻町方向へ向かい、15時半には宮崎の市街地に入ります。
システムの新規申し込みを頂いていたため、直接アカウント情報を届けにクライアントへアポなしで訪れ、生徒さんがいたため、簡単に挨拶して去り、国道269号に入って清武町経由で都城に向かいます。
このルートは、学生時代に原付で何度も駆けてから慣れている定番ルートで、西日が射すのも気にすることなくひた走り、無事に都城市内へ入ります。
道の駅都城へ進路変更してひとまず先に国道10号に復帰し、土産を買います。
自社の酒などを嗜む関係上、さつま揚げや地鶏の炭火焼を多めに買ったため、3,000円近い出費になりましたが、その分酒をおいしく飲めるだろうと期待しつつ、都城を後にします、
ここからがもう1つのチェックである、国道269号の鹿屋までの区間を走破します。
未踏の地を駆けるわけで、唯一懸念していたのは、日没直後に走るため、走りにくかったらどうしようか、といった点を気にしていましたが、岩川までは快適に走り抜けます。串良町との境付近で少々カーブもありましたが、全体的には走りやすく、概ね距離情報から推測できた通りの時間に帰宅できました。
いずれのルートも、雨上がりの夜間に走ると、路面凍結や転倒の恐れがあり、冬はなるだけ走らない方がよさそうだと感じました。
大隅暮らしのおかげで未踏の地を減らしていけるわけで、地域の姿を知るためにも貴重な経験ができています。
なお、帰宅してしばらくしたらプロバイダからひかりTVの売り込み電話がありました。
下り1桁Mの速度でそんなものを見ようとする気がするのか、と半ばあきれつつ、速度改善がされない原因は何なのか、まだまだうやむやな状態が続きます。
亀割バイパスを下り、国分の街を快適に抜けようにも、恩師の勤務先近くの交差点でなかなかスムーズに流れず、ちょっとしたタイムロスになったため、溝辺鹿児島空港ICから高速に乗り、横川ICで下ります。250円払った意味はあるのかと思いつつも、友人が住む伊佐市に着いたのは正午のサイレンが鳴り終わった直後。少々予定より遅れてしまい、高速での遅れ回復も功を奏さずも、グラーツィエで昼食。
前回同様クレーマを食し、その後気になっていた飲み物を買いに行った後、友人と別れて進路を国道268号方面へ。
向かうは宮崎です。
なお、このルートは今年のGWツーリングと全く同じで、方向が逆になっただけとなっています。
栗野ICから宮崎道へ入りますが、これはバイクでは初めてになります。
が、えびのJCTから先5kmほど工事中で対面通行になっており、多少ビビリつつも無事に抜け、小林ICで下ります。
うまく小林市内に入った・・・と思うも、そこに予想外のワナが。
何と、歩行者天国で道路が通行止め!
抜けた先で右折できないため、引き返して裏道を東進。
何とかうまく乗り切り、野尻町方向へ向かい、15時半には宮崎の市街地に入ります。
システムの新規申し込みを頂いていたため、直接アカウント情報を届けにクライアントへアポなしで訪れ、生徒さんがいたため、簡単に挨拶して去り、国道269号に入って清武町経由で都城に向かいます。
このルートは、学生時代に原付で何度も駆けてから慣れている定番ルートで、西日が射すのも気にすることなくひた走り、無事に都城市内へ入ります。
道の駅都城へ進路変更してひとまず先に国道10号に復帰し、土産を買います。
自社の酒などを嗜む関係上、さつま揚げや地鶏の炭火焼を多めに買ったため、3,000円近い出費になりましたが、その分酒をおいしく飲めるだろうと期待しつつ、都城を後にします、
ここからがもう1つのチェックである、国道269号の鹿屋までの区間を走破します。
未踏の地を駆けるわけで、唯一懸念していたのは、日没直後に走るため、走りにくかったらどうしようか、といった点を気にしていましたが、岩川までは快適に走り抜けます。串良町との境付近で少々カーブもありましたが、全体的には走りやすく、概ね距離情報から推測できた通りの時間に帰宅できました。
いずれのルートも、雨上がりの夜間に走ると、路面凍結や転倒の恐れがあり、冬はなるだけ走らない方がよさそうだと感じました。
大隅暮らしのおかげで未踏の地を減らしていけるわけで、地域の姿を知るためにも貴重な経験ができています。
なお、帰宅してしばらくしたらプロバイダからひかりTVの売り込み電話がありました。
下り1桁Mの速度でそんなものを見ようとする気がするのか、と半ばあきれつつ、速度改善がされない原因は何なのか、まだまだうやむやな状態が続きます。